意味の果てに住む。

こんにちは!今週も、はじまりました。

鏡開きをしようと思っている間に時が立ってしまいました。
餡って、どうやって作るのかな?と考えていると、友人が突然作り方を教えてくれました。
感謝です。
というわけで、わたしは今、生涯で初めて小豆を煮て、餡を作っております(笑)
画期的だ!

ところでみなさま、今のご機嫌はいかがですか?ハッピーに暮らしてますか?

いろんなことがあるし、調子は日ごとにそれぞれだけど、この瞬間に限ってしまえば、ハッピーでいるのは簡単です。

お日様がまぶしいから。
餡がおいしくできたから(笑)

でも時として、凹んだり、ハッピーじゃない気分だったりするのは、頭の中でこねくり回している、物語のせい。
あるべきすがたに、自分や周りがはまっていない、ということに、いらいらしているに違いありません。

あるべき姿を求めると、そうでない姿もできてしまう。
人やものや関係のありように、理由や意味を求めると、どうしてもわたしたちは苦しくなります。

なのにどうしていつも、意味を探すんだろう?

自信がない上に、それを誰かにもらうものだと、思っているせいかな。

そんなものなくたって、すばらしいのに。
理由がなくても、全然困らないのに。

かたちがないものが欲しくて、かたちを求める。という矛盾です。

いずれにせよ、答えは自分が握っているのです。

近頃のわかったこと。

1)真我で生きるということは、まるごとそのままがすばらしいわたしを、ただひたすら、体験し続けるということ。

2)すべてを受け入れることと、すべてを手放していることは、同じだということ。
(ーそれが無限に大きく無限に小さい状態でもある)

3)まるごとですばらしい、を表現する、あるいは受け入れるために、特定の形は必要ではないということ。

形は珍重されるべきものでもなく、無視されるものでもない。

それはエネルギーと同じように、わたしたちが生きて、自分を表現するための、有益な手段です。

最近気づいたのは、ひとは、どうやら、エネルギーや波動が、もの、そのものにくっついている、と思っているらしい。と、いうことでした。

だからこれだけ多くのもの、これだけたくさんの形が必要なのでしょう。
だからこそ、目に見えない、それなしでは生きられないほどに大切なもの、をシェアするために、どうしようもなく物、それ自体が必要になってくるのです。

三次元の世界は、ポケットがものすごくいっぱいあるビリアード台みたい。
不思議なものに不思議な重要性が付加されている。

いろんな場面でいろんなふうに、わたしたちはこのイリュージョンにトラップされています。
たくさんのこうでなきゃ、に規定されて。
それはきわめてシンプルな仕組みなんだけど、一見とっても複雑そうに見えます。

物に誰かが付与した意味を、尊重する必要はあるが、意味そのものを共有する必要はありません。

最初の動機さえきちんと立てていれば、意味なんていくらでも創り出せのです。

住所は番外地・幸福。

わたしたちの家は、意味の果てに建っています。
Commented by くにちゃん at 2009-01-20 19:41 x
>あるべき姿を求めると、そうでない姿もできてしまう。
うん、そうだね。やっぱり一つ目で見ないとそうなるんだよね・・
珠ちゃんのわかった三箇条僕も少しわかってきました。

いつもどうもありがとう
Commented by terasumonnmoku at 2009-01-21 22:13
!が増えたらできる分も増えるし、それを実行したら見える風景がかわってくる♪何がどんな風に変わってきたのか、今度教えてね☆
by terasumonnmoku | 2009-01-19 12:25 | 最新情報 | Comments(2)

真理セラピスト・らくがきすと・即興ピアニスト+社会活動家(過労自死遺族/東北希望の会代表)幼少時より、生と様々な死から多くのことを学んできました。11年のセラピスト経験があり、仕事ではいのちのすばらしさについての、エナジーーワーク的なセッションやワークをしています。頭を現実的に使いながらメルヘンな世界を実現させていきたい。社会問題、スピリチュアルな仕事や宇宙のこと、日常について書いています。


by terasumonnmoku