2009年 05月 03日
責任を取る
大きな人だったなあ~。
みんなの日記を読んでいると、胸が熱くなります。
清志郎さんといえば、印象的だったのが、徳ちゃんの番組。
反原発を歌う、彼の歌が放送禁止になったことに抗議して、当時やっていたNHK(!!)の生番組で、まさにその歌を熱唱しちゃったの。
音源が残っていて、テープ聞きましたが
これは放送できないんで、かわりにあたし、うたいま~す。だって(笑)
徳ちゃんはスピリチュアル系の話を自らの音楽番組ですることもあり、そのことについて、いろいろいうひともいるとは思うけど、自分で企画して、放送して、責任を負う、というところが潔くかっこよく、尊敬するのです。
言うのは簡単だけど、やるのは大変だもんね。
わたしたちは自分の選択によって自分自身を規定していく存在だから。
その「大変さ」には、行動した、その後のことも含んでいる。
大津さんに自分のすることに責任を取りなさい、と何度かいわれ、ずっと考えていました。
責任をとるなんて、意味がわからない。ちゃんとしてるじゃない!ってそのときは思ったけど、絵を描いてはじめて、納得しました。
確かに取っていなかった!
絵を描いてお金をもらうということは、すごいプレッシャーです。
わたしが描く絵は、見た目はどうあれ、自分的には、その人という形をとった、高く深いレベルの真我であるわたし。
だからまず、それが今のわたしの精一杯の力で、見えているものの極北を、表現できているか否か、というプレッシャーがある。
そして、わが子のようなそれを売ってしまった以上、自分の波動を、もう今以下に落とすことができなくなった!というプレッシャーもあります。
なぜって、作品はリアルにわたしだから。
わたしが落ちれば絵の波動も必然的に下がってしまう。
うう。
恐ろしい。
そういう意味では、わたしがこの人生で、唯一責任を取り、今もとり続けているったといえるのは、数少ない作品のほかには、子供に対してくらいです。
彼を生んで、わたしは野垂れ死にする自由や、未来に対して悲観論を述べる自由を失いましたが、まあ、それ以上の価値はあるもんね。
うちの子は、「おれが死ぬまで生きていて」というのです(笑)
やだよそんなの(笑)
そのうちきっと、自分がそんな台詞をいったことさえ、忘れちゃうんだろうけど。
行動によって自分を規定し、その規定して作った形の延長線上で、かかわりが続いていくこと。
お互いの形がなくなったその後になっても。
責任を取るってそういうことかもしれない。
それは「しばられる」にすごく似ているけど、もっと「創造」に近いもの。
創造の一つの段階。
三次元の世界では、どうしてもこの「段階を踏んで遠くへ」という形式が必要みたい。
(あくまで自分が決められる範囲での段階なので、突然とてつもなく遠く、あるいは深くを意志できる才能のあるひとは、もちろんそうしたほうがいいと思います。)
決めること。
自分がどういう人間かを決める。
社会や、他者に対してどういうスタンスで、行動を展開していくかを決める。
自分が社会をどう見ているかを決める。
エネルギー的に自立し、自分が許した影響だけを受ける。
ところで最近、現実生活を意識して、人間関係において調和を図る、ひとに多少は合わせる、ということをやっているんだけど、わたしにはこれが難しい。
でもできるひとはできるひとで、どうも「あわせること」疲れているようだ。
なぜだろう?と素朴な疑問を持ち、みんなに聞いてみました。
本当の気持ちじゃないから、厭なのにやってしまうから、答えはいろいろあったけど、要はわたしがエネルギーの影響を受けていたのと同じで、自立していない、自分自身の領域を確立していないから、ということのようでした
(ちなみにこれは浅いレベルでの話です。中心を定め、本質だけに焦点をあわせていたら、全然問題はないんですけど、それを三次元的、四次元的に語ると、こういう内容になります。)
人にどう思われるかを第一にもってきて、行動すると、それは疲れるだろうし、ネガティブなエネルギーを発散している人と一緒にいて、その影響をもろに受ければとっても疲れる。
結局同じことなんだな。
で、何が必要かというと、決めること。
どういう視点で物を見て、どんな自分を生きるかを、決める。
そのたびに決断して選択していく。
より高い見地から、より大きなレベルの調和を達成するような方向に自分を持っていく。
一つの立場を選択すると、後は以前のような関係性を誰かと結べなくなる場合もある。
それでも、新しい立場の延長上に創造的な未来があるなら、選び続ける必要がある。
わたしたちは変化している。
変化することが自然だから、現在に固執すると、物事は停滞し、不調和がそこらじゅうに起こってきます。
だから不調和が見えたら、もう別のアクションを起こすしかない。
新しい自分から行為し、発言し、それについての責任を取り続ける。
馴れないうちは、ちょっとぞくぞくするけど、だいじょうぶ。
未来にはすばらしいことだけが待っているから。
すばらしい責任をとっていきます。
すばらしい責任とすばらしい未来と、すばらしい自分を。
果てしなく続く道としてのわたしを。
選択し続けよう。