2011年 01月 17日
変容
喧嘩もしないし、険悪なムードでもない。
かといって、家人が留守なわけでもない。
暇だ。
喧嘩はレクリエーションだったのか。
それなりに充実を運んでいたのか。
もしかすると??
と思って、ふと気づくと、家でハートロッカーという映画を見ていた。
イラクに送られた爆弾処理班所属兵士のお話。
主人公は戦いと危険に中毒し、
より強い刺激を求めてクレイジーに戦場をさまようのだ。
なんという、シンクロ。
わたしみたい。
わたしの戦場は、とても平坦だったけど。
不毛な争いを抜けると
この闘いの埋まっていた場所に
平和と光と神さまが住んでいると思っていたが、
どうやら光の地平へは、新たに、意識的に道を作らないと行き着けないらしい。
平坦な戦場が戦場でなくなったからといって、
すぐにすべてが花々と星々とで満たされるわけではないようだ。
でももう戦争状態には戻らないと思う。
戦う意味を失ってしまったから。
ひとと、ひととの愛って、とても不思議だ。
お互いに関心がないと成立しないのに、関心がありすぎると傷つけあう。
愛とお金はよく似ていて、それらが包み込む欲望の輪郭をくっきりと描き、
こってりと暑苦しい情熱のボリュームを増幅する。
愛のためにひとは思いもかけない姿に変容する。
愛するあまり、必死に相手を縛りつけて、期待した効果とは全く逆に、その人がどんどん自分から離れていくように仕向けてしまったり。
追いかける側が相手にふっと関心を失うと、手のひらを返すようにもどってきたり。
わたしたちって、ちょっと愚かで、かわいいね。