性善説と性悪説。

ネパールの旅日記が終わるともなく終わってしまいましたが、実は一番お世話になった人のことを書いていません。

どうしてかというと、どこまで書いていいかわからないから!(爆)

それは元赤軍派の闘士Rさんで、わたしたちは、びっくりするほどこの方によくしていただいたのです。

私たちに限らず、Rさんは誰にでも親切で、ずっと酔っぱらっていて危ないことばかり言っていることを除けば、とても優しい紳士的な人物です。

学生運動に興味を持ち、実際に体験した人にもう一度(一度チャンスをゲットして会いに行ったときは、わたし自身が幼すぎて、何を聞いていいかわからなかった)会ってみたいという長年の願望があったわたしは

もう狂喜して、いろんなことを教えてもらいました。

スターリン主義がどういうもので、トロッキーがなぜ亡命したか。
日本での学生運動が互いにどういう位置関係にあったか。
文化大革命で毛沢東が何を目指していたのか。そしてどこが問題だったのか。
Rさん自身が、なぜ運動に身を投じ、実際どういうものだったか。

わけのわからないことばかり聞いてすみません。

でも、わたしは毛沢東が大好きで、それは彼がピカソのように見えるから。と言ったら
わかる。と言ってもらえたのが、超うれしかった(笑)

これは通じないでしょう。ふつう。

本を貸してもらったり、一緒にポカラ遊覧飛行を楽しんだり(笑・天気が悪くて実際にはたどり着けなかった)
ご飯をごちそうになったり、買い物に連れて行ってもらったりetcetc

高校の時、資本論は3ページで挫折したわたしも、「共産党宣言」は読めました(笑・とりあえず。理解したという意味では勿論なく。)

読んだ感想は、「マルクスは、人を信じていたんだな」ということでした。

問題は、資本家と階級社会にあり、その制度を壊し、労働者を学習させれば、自動的により良い世界が出来上がる。

と考えていたように思えるのです。
(Rさんにそういうと、共産主義っていうのは基本的に性善説だからね。と教えてくれました。)

実際は他者を搾取したり、支配したりする欲望は人間ひとりひとりのなかにあり、組織を作り直したり、各構成員を入れ替えたところでその関係はなくならない。

自分と家族。大きく考えても自分の国以外の人々の苦痛は、どうでもいい。

という感覚を、

わたしの師匠である大津先生は分離感と表現しますが、

この分離感がなくならない限り、この先世界がどんな政治体制をとったとしても、
今の状況が変わるとは思えない。

善悪はひとのなかにあるのであって、体制にあるのではない。
たぶん毛沢東は、社会の中にある膠着した価値観やヒエラルキーを破壊しようと知識階級を農村に放逐したり、文化遺産を壊したり、子供に親を密告させたりしたのだと思うけど

暴力的なやり方では人の価値観は変わらない。

そこを変えるにはすごく長い時間が必要だということを、毛沢東は考えなかったんだよ。
とRさんは言っていました。

すごく印象的だったのは
わたしが夫の発明に対する特許の書類にサインして、大学側に権利を譲渡した。という話をしたときに
「それはすべきではなかった」と、強く言われたことです。

特許を持っているにはお金がかかるし、共同研究だからほかの人にも迷惑がかかる。
それにその発明でいいものが製品化されて、みんなの暮らしが今よりよりよいものになったら、本人がうれしいと思う。

というと、開発のために一人でも不幸になった人がいたとしたら、そんなものはいらないんだよ。

といわれました。

すべての発展、生産は、常に内側に破壊を含んでいる。

それは善悪ではなく、秩序のバランスの問題なんだと思うけれども、

知らないうちに科学の進歩を当たり前のように善だと思っている自分がそこにいることに、
改めて気づかされてしまった。

ことことに関する結論はまだ自分の中で出ていないので、今後じっくり考えていきたいと思います。

そして先日、「日本駆け込み寺」のボランティア・ミーティングで、代表の玄秀盛さんにお会いしました。

わたしの大好きな歌舞伎町で、駆け込み寺という24時間体制のボランティア組織を開いた方なのです。

これがまた、Rさんとは全然正反対の「性悪説」を信奉する方で
その上で、今目の前で苦しんでいる人を救っていこう。という活動をされています。

ひとは追い詰められるとどんなことでもする。
だからいくら法律的に悪であったとしても、いきなりすべてを否定するようなことをしてはいけないんだというとこを、実例を挙げて説明してくださいました。

ずいぶんと危ない橋を渡ってきた方のようで、ヤクザとのもめ事も数々あり、いったいどうやって、暴力団の人と話をつけるんだろう?と疑問に思っていたら、
帰り際にボランティア仲間の美しいお姉さんに、ヤクザとの正しい接し方を実地で教えてもらっちゃった。

決してびびらないこと。ダメなことはちゃんとダメだということ。が大切なのだそうです。

なるほど。
(後で本で読むと、実際はこうするっと書けるようなものでもなく、コネがあるか。最後はどちらの肝が据わっているか。の比べっこにかかってくるようでしたが。)

でも、権力を持ってきれいなことを言いながら、自分の手すら汚さずに平気で残酷なことをする偉い人のほうが、よっぽど始末が悪いなあと思う。

人間対人間という感覚が通用する分、ヤクザのほうがずっとましなような気がする。

しかしそういうところが自分にもまったくないかというと、じっくり考えるとやっぱりあるので
まず自分からなんだよね(泣)

Rさんと玄さんは、考え方はまったく対照的だけれども、最終的に誰もが幸せに生きて行ける社会をつくために全力を尽くす。という意味では同じで、そこに深く打たれました。

全世界の平和を目指して、最後は人民戦線に行っちゃったRさんと、
一人の人の人生を立て直すために、暴力団とやりあい、役所に物申す玄さんのあり方は、

社会秩序を混乱させるという点では、方法に問題があるのかもしれないけど、

ものすごく、希望のようなものを感じる。

「人間ってやつは、悪いことをしながらいいことを思い、いいことをしながら悪いことを考えるようなものなんだよ」
と、悪人を魅力的に描くことに定評のある池波正太郎さんが、どこかに書いていましたが

結局は人と人のつながり、ってやつなんだろうなあ。

なんでこの結論になるのかわかりませんが(笑)

2人ともものすごく澄んだ目をしているのです。

そんな素敵な大人に会えて、ほんとにうれしい。

性善説も性悪説も、たぶんどっちも正しく、どっちも間違っているんだろうな。

すべての人の中に、すべての要素があって、そのどこを紡ぎだしていくかをわたしたちは日々、目の前の人のと関係の中で選んでいるに違いない。

どんな状態でも、本質のあなたはすばらしい。

だからそんなわたしたちに、ふさわしい選択をしよう。

ところで、実際に闘争することになったら、いつでも現役にもどって助けに行くよ、とRさんは言ってくださいましたが、横断幕とか、火炎瓶とかトカレフとかカラシニコフが出てきそうで怖いです。

わたしは、お金や謝罪や、もっともらしい事情説明よりもっと大きなものを求めているので、社会秩序を順守しつつ、鈍く強烈で、長期にわたる影響を及ぼすことのできる、合法的で決定的な手段を、これからじっくり考えていきたいと思います。

ちょぴりスリリングで、刺激的なその過程で、どうかたくさんの人が一緒に幸せになりますように☆彡
by terasumonnmoku | 2012-09-19 13:21 | 駆け込み寺その他 | Comments(0)

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