2012年 11月 29日
TRE-骨とガラクタと星が同じだということ。
今年に入って何度目かの怒涛の日々が終わり、わたしの毎日もようやく落ち着いてきました。
超個人的な問題でマスター伝授の前の週が特に凄まじく、
忍びがたきを忍び、許しがたきを許す。ようなことに直面しなければならなかったために、
自分のパッションに憑りつかれて、死ぬんじゃないかと思いましたが
なんとか、今も元気に生きてます。
(くみちゃんありがとうね(T○T))
その間わたしは非常なる憤怒に駆られた余り、オーラどころではなく、今度は「思い」で自分の骨格を捻じ曲げる。という恐ろしい経験をしました。
人間って(自分だけど・爆!)すごすぎる。
骨の歪みからくる苦痛を軽減しようと毎日整体に行きましたが、見事に治らない。
ゴリゴリ調整してもらっても、すごい速さで首の骨がずれ、ついには右目の眼球から出血するという事態に!
怖い。怖すぎる。
いったい、どれだけアドレナリンを出せばこんなふうになれるんだщ(゜ロ゜щ)!!
怒りながら、頭が痛くなるまで不調和について考え続けました。
とは言っても今となってみると、その不調和がいかに不調和であるかについて、ただ思いを巡らしていただけのことだったのですが
怒りが極まって炸裂する寸前の危ないところで思考がワープして
気付くと、「不調和の目的」について考え始めていました。
目的に思いをいたすことが出来れば、答えは早い。
何とか結論を出して納得し、自分なりにベストの状態で課題をこなし、無事に伝授を迎えることができ、
高次元的には落ち着いたものの、熱心に学びをやりすぎたせいか身体が戻りません(泣)
そうこうするうちにふたたびTRE(トラウマ解放エクササイズ・被災地支援の一環として東北地方では無料でワークショップを提供してくださっています)のワークショップがこちらで開かれることになり、今こそまさに!と勢い込んで行ってきました!
トラウマ解放、などというと、スピリチュアル系のセラピーの様ですが、やっていることは身体が自分に要求する、ちょっと変わった種類の運動というものに近い。
戦場で爆撃にあっている人のとる体勢が、常に共通して、すぐに戦ったり逃げせるように大腰筋という部分の筋肉を緊張させたものであることに気づいたアメリカのバーセリ博士が、
危機から脱した野生動物が、体をぶるぶると震わせて、その緊張を上手にほぐすところからヒントを得て
人間も、ちゃんと震えることができれば、身体にたまった余分な緊張やストレスを解放することができるのではないか
というところから考案したエクササイズです。
大腰筋の自然な振動を誘発させる簡単な体操をいくつか行ったあとは、それぞれの体の要求する自然な震えに委ねます。
これがまた、驚くほどぶるぶるする。
普通に考えるとありえないような、動きです。
身体が振動すると、そこにたまっていたらしい感情がぼろっと出て、おかしくも悲しくもないのに泣いたり笑ったりすることがあります。
終わった後は、まるでヒーリングを受けた後のように、心身が軽くなります。
不思議だ。
指導してくださるナナさんとジョーさんがまた素晴らしい。
わたしは夏に受けた分も含め全部で6回(まあ抱えているものがいっぱいあったので・笑)受けたのですが、常に変わらぬ穏やかで真心のこもった誘導に、ものすごく安心感がありました。
何が出てきてもだいじょうぶ、という気持ちになる。
(実際なんだかよくわからないものが、いっぱい出た・笑)
ほんとうにありがたいことです。
わたしたちの世界は、美しいなあ。
そうそう。
ちょっと前から、わたしは「人が言葉や行為に傷つくのはなぜか」
ということについて考えていて、
ひとが「言葉や行為に傷つく」というより、
わたし以外の人は、基本的には、ことばや行為でしか傷つかないのだ。
という結論に達したのですが
身体もそれに似ているのかもしれないな。
(わたしが見ている世界をそのままいうと、時としてものすごく残酷なことになるのはそのせいだったらしい)
ひとは言葉によって疎外されると同様、ことばによって守られてもいて
それぞれにハードな学びを、互いの損傷を最小限に抑えて行うことができる仕組みになっているけど
同様に体に一定の負担を背負わせることによって、大きすぎる課題を少しずつこなしていくことができるようにもなっているのかもしれない。
びっくりw( ̄o ̄)w
このようにして、ものごとがあるべきところに収まり、わたしもようやく自分をゆるし、大切な家族の死を受容し、祝福を受け入れるという最大の課題に、取り組むことができるようになったのかもしれない。
しかし、あまりに大きな感情の高まりを一度に堪能すると本当に疲れるので、そういうのはもうほどほどにしたいなあ(T_T)