一周忌に寄せて

夫は所属していた研究室の教授退官に伴い、
平成18年に東北大学工学部の助教から准教授に就任。

分野の異なる新教授から独立し、独自の研究室を構え、
他大学出身の准教授だけの研究室という難しい立場を、
人一倍精力的に働くことで、確かなものにしてきました。

入念な準備で臨む講義に対する評価も高く、平成21年には工学部研究科長賞を受賞。
学生さんたちとのつながりは、卒業後も続いていました。

震災のあった平成23年は、特に意欲に満ちた年であり、
前年度比の13倍の研究資金を獲得。
基準の倍近い数の学生さんを一人で育て、数多くのプロジェクトを抱えた状態で、
東日本大震災に被災。

彼の研究室の入っていた建物は全壊し、数年をかけた億単位のプロジェクトは壊滅。
通常の講義や、度重なる海外出張を含めた進行中の業務を抱えたまま、
独力で復興作業に忙殺される日々が続きました。

亡くなった24年の1月は、失った研究室を再建するまでの、長期にわたる流浪の生活が終わり、プレハブの新しい研究室が整い、
据え付けた実験装置を立ち上げ、研究再開の意欲に燃えていた頃でした。

新年度の実験予定について学生さんたちと熱くミーティングを行ない、家族でにぎやかに外食をした翌日、正式に大学から研究室閉鎖の意向を伝えられ

翌々日に、激烈な不安発作を発症。
それから僅か一週間後、燃え尽きるように亡くなりました。

その後、紆余曲折はありましたが、労働基準監督署の裁定で労災を認められ、
大学側からも労働災害として、ご挨拶を頂くことができました。

研究室の存続は、個人がどうこうできるものではないと思います。
しかし、たとえ東北大学と方針が違っても、どこにいても、立派に評価を受けることのできた人でした。
震災さえなければ、主人がそこまで追いつめられることはなかったのにと、
残念でなりません。

自殺、という方法で亡くなりはしましたが、
彼は誰よりも家族と、仕事を愛しておりました。

愛していたからこそ、自分の限界を超えたことにも気づかず、
働き続けてしまったのだとわたしは思っています。

だからこそ、彼が最後に残した痛みではなく、
本来抱いていた愛を大切にして生きていきたい。

誰よりも懸命に生きた人でした。
彼がもしこの場にいてくれたとしたら、言いたい言葉は謝罪ではなく、
きっと「ありがとう」だったことでしょう。

それは大切なみなさまへの、限りない尊敬と感謝を込めた、
果てしなく重い「ありがとう」であっただろうと思います。

もうこの世にはいない主人に代わって、
ここで、みなさまに感謝の言葉をささげたいと思います。

いままで、ほんとうにありがとうございました。

                 平成25年1月31日  
                                              (内)




























*2016年8月31日追記

労災認定後の2012年末、大学でのすべての事務手続きが終わった折、
工学部の事務長さんに、「何かご要望は?」と尋ねられました。

そこで要望し、工学部長さんから大学を代表して、位牌の前でご挨拶いただいたのが以下の文です。
一周忌の法要の席で、息子がこの文章を読み
親族への報告とさせていただきました。
2015年10月には、遺族として関わった同年6月の過労死防止法の制定を受けて
東北大学里見総長にも面談の機会をいただき
東北希望の会(過労死遺族・本人・家族とサポーターの会)
過労死防止活動へのご理解とご協力をお願いし、
わたしたち家族の問題は、とりあえず落ち着きました。
事実は変えられませんが、その後わたしたちのたどった道は
こうした事柄に直面した家族としては精一杯の最善であり、
それはみなさまがたの、ご配慮のたまものであることを心から感謝しております。


しかし東北大学では、いまも複数の自死事件はじめ
たくさんの問題が起っています。
それは、東北大学に限ったことでも、
大学での問題に限ったことでもないでしょう。

どんなに非力でもいい。
無理なく、そして少しでも楽しく、
自分もみんなもよりよくなるように
手当たり次第に、できることを探していきましょう。
それが新しい道となり、未来を開いていくことを、わたしは信じています。
そのようにしてこれからも、わたしは夫と、生きていきたい。


~以下本文   


追悼の言葉      

前川先生へ

私たちの大切な同僚であった前川先生が亡くなられて、間もなく一年になります。

先生が亡くなられたと聞いた時、私たち同僚も、本当に突然のことで言葉も出ませんでした。
あれほど研究が大好きで、多くの研究者からその才能を認められていた先生が、震災で建物が被災したために実験装置が思う用に動かせない状況の中で、多額の研究費に対する成果を出さねばならない重圧を受けながら、震災復興の道半ばにして亡くなられたことは、本当に残念で悲しいことでした。

東北大学・工学部では100名の教授全員が集まって議論する教授会において、先生の死を悼み、黙とうを捧げましたが、本日ここに、改めて、先生の御霊前で、先生のお人柄や業績を振り返りながら、追悼の言葉を捧げたいと思います。

先生は、北海道大学で化学の勉強を行い、30歳(平成5年)の時に北海道大学から博士(理学)の学位を取得されました。

34歳(平成9年)の時に、東北大学・工学部の助手として採用され、43歳(平成18年)の時には助教授に昇任されました。
先生は、亡くなられるまでに100編を超える論文を書いて、その研究成果を世界に公表しました。
37歳(平成12年)の時には、その優れた研究成果が認められ、アメリカのカルフォルニア大学サンタバーバラ校に招待されて、研究を行いました。

その後も順調に研究成果をあげられ、これらの優れた研究成果に対し、日本金属学会功績賞などが贈られています。
また、先生は、学生を人一倍、熱心に指導され、多くの学生から慕われる優れた教育者でもありました。

その功績が認められ、東北大学から工学研究科長・教育賞が贈られています。
先生はご自身の研究室でも学生を熱心に育てておられました。
研究では学生を一人の研究者として認め、ときには厳しく指導し、しかし研究室のお花見や学会の打ち上げなどでは、友人のように分け隔てなく接しておりました。

研究室で大学院に進学したすべての学生が、博士後期課程の道を歩んでいることは、先生が教育者として、また、人として学生に慕われていた何よりの所作だと思います。

先生は、科学に関する卓越した研究者でありましたが、なかでも固体NMRと呼ばれる研究分野では、第一人者として世界中に知られておりました。

この研究分野では、今世界中が注目している新しい電池への応用が期待されており、先生の研究成果は多くの新聞にも取り上げられました。
また、国もその成果を認め、一億を超える研究資金を配分し、その実用化が期待されておりましたが、あまりにも突然で早すぎるお別れによって、先生の手で研究を進めることが出来なくなったことは、東北大学ばかりでなく我が国においても本当に残念なことです。

残された我々同僚としましては、教育と研究を通じて世界に貢献するという東北大学・工学部の使命を、先生の分まで果たしていくことが先生の東北大学や社会に対する優れた貢献に応えることだと思います。
最後に、残された先生のご遺族に対し、永遠に先生を我々東北大学の仲間として忘れることがないよう、ここにお誓い申し上げます。

前川先生、安らかにお休みください。            

 平成25年1月16日     東北大学 工学研究科長・工学部長                             金井 (先生)

Commented by サリーちゃん at 2013-01-31 15:53 x
ご主人、そして、ご家族からの「ありがとう」を、しっかりと受けとめました。
その重みを力に変え、前進します!

一年前、私の話を親身に聴いてくれて、ありがとう。今度は、私が聴く番だね。
Commented by terasumonnmoku at 2013-02-01 08:53
サリーちゃん。読んでくれてありがとう。この重い「ありがとう」を、受けとめてもらえて、ほんとうにうれしいです。一緒に、みんなで、進んでいこう。
by terasumonnmoku | 2013-01-31 20:37 | 家族 | Comments(2)

真理セラピスト・らくがきすと・即興ピアニスト+社会活動家(過労自死遺族/東北希望の会代表)幼少時より、生と様々な死から多くのことを学んできました。11年のセラピスト経験があり、仕事ではいのちのすばらしさについての、エナジーーワーク的なセッションやワークをしています。頭を現実的に使いながらメルヘンな世界を実現させていきたい。社会問題、スピリチュアルな仕事や宇宙のこと、日常について書いています。


by terasumonnmoku