2013年 03月 23日
傷。おわりとはじまり。
わたしはどこかの会社の苦情処理係をやってきて、
最初に苦情の電話を受けてトラブったらしい誰かと交代したのです。
やれやれ、と思いながら話し始めましたが、言っていることがよくわかりません。
そうこうするうちに苦情の相手らしき痩せた男性が
携帯で話しながら事務所のドアを開けて入ってきて
3メートルくらい離れた位置でわたしをみて
はっとした顔になり
いきなり、サイレンのごとく超音波のような声で、叫び始めたのです。
アァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!
空間が歪むほどの長い長い絶叫が終わると、
彼の両目と、耳と、鼻の孔と唇の端から血が流れ出し、
だらだらと流血する魂の抜けたような顔で、彼はゆっくり首を動かして、わたしを見ました。
ぽかん。
??????
びっくりして、そこで目を覚ましました。
目が覚めてしばし呆然とした後で、もしかしてあれは自分の「傷」だったんじゃないか。
と思いました。
グロテスクでオカルトチック。
一見ものすごく痛々しいのに、苦情の彼、わたしの「傷」は、
見た目ほど大変そうではありませんでした。
理解できない状況に押しつぶされ、ただ圧縮されただけ。うまく言えませんが。
あんなものが胸に詰まっていたら、息が苦しいのも当たり前だ。
無我夢中で動き回ったおかげで、ようやく外に押し出されてきたのかもしれない。
それから、希望の会の遺族への手紙を書く、という指令が弁護士さんから下り、そつなく書いてささっと送ったところ、表面的に済ませようとしたことが看破されたらしく
もんもくさん、ご自身の気持ちを正直に書いてください。
と再指令が出て
胸に嵐が吹き荒れるような心理的抵抗の中、あきらめの境地で手紙を書きました。
何かについて怒ったり、息子の心配については書きもしたけど、自分の気持ちそのものについては表現したことがなかったことを、思い知らされました。
「ほんとうのきもち」
うんうん言いながら書き終わり、書いたことで感情の蓋が開いたらしく、わたしはさめざめと泣きました。まるで緊張の糸が切れたように。
余りに長い間泣いている母を心配して
「どしたのさ?」
と、とうもろこしが尋ね
「わたしは父さんが死んで、ほんとうに悲しい」
と泣きながら説明すると、
「初めて言ったね。」
と、息子はふふっと笑い
「よかったじゃない。言えて。。。。
よかったんだよ。あーよかったよかった。」
と言った後で
「まあ、好きなだけ泣きなさい」
と、偉そうに付け加えて、満足げに部屋に帰って行った。
よかったのか。
おわりとはじまりが一緒に来るような、そんな春を迎えました。