2013年 10月 14日
弱さについて。
ものすごく、リア充(笑)な気がする。
精神的に健全そのものだった夫とは異なり、(おそらくは体質的な問題で)わたしは子供を産むまで、大変情緒不安定で、精神科を受診していたら、立派な病名が付くような時期が長かった。
行かなかったのは、そういう時代ではなかったということと、特にいじめにあったとか家庭が複雑だったなどの、具体的な理由が、なかったからにすぎない。
落ちているときというのは、周り中が暗いのだ。
身体感覚が完全になくなり、自分が生きているか死んでいるかもわからない。
それで過食に走ったり、自傷行為をしたり、肝臓が壊れるまでお酒を飲んだり、
やたらいろいろなことをした。
だから現在葛藤中で、変なことをしてしまう人の気持ちがよくわかる。
今では信じられないが、当時は普通に人と話をすることも難しく、
仲良くなるのはコカイン中毒のミュージシャンとか、世界を放浪する旅人とか、小説やシナリオを書く人とか、なにをやっているのかわからない不思議な業界人ばかりだった。
それはそれでおもしろかったけれども、
もし社会に出てすぐ、夫と付き合い始めていなければ
大人になることなく、そのままどこかで死んでいたと思う。
夫には実存に関わる、情緒的な葛藤というものが、(単に避けていただけなのだろうが)まったく理解できないようだった。
身体感覚がなくなって、自分が生きているか死んでいるかわからない。というと
きみの声は電話を伝わって、僕の鼓膜を振動させている。
それは確かにきみがそこに存在しているっていうことなんだよ。
というような、不思議な励まし方をしてくれた。
そういう彼の世界の見方が、すごく好きだった。
彼の世界は美しく、生命力にあふれていた。
あまりにそれが美しかったからこそ、彼は、自分の弱さがゆるせなかったのだろう。
そのままの自分では、同じ世界を生きられない。
と知った時、すごくショックだったに違いない。
皮肉なことに、ぐちゃぐちゃだったわたしとは違って、彼にはたとえば精神的に障害のある人や、自死に対する偏見や差別意識が強かった。
大声で歌を唄いながら毎朝通り過ぎていく、障害のある男性をあからさまに嫌がったり、「親が悲しむから、自殺は絶対にしちゃいけないんだよ」「自殺って、殺人なんだって」と、いかにも恐ろしそうに言っていた時の口調をよく覚えている。
恐怖があるから、差別する。
その同じ原因で自死が起こる。まるでメビュウスの輪みたいだ。
最近わたしは、人の弱さは、本人の豊かさへ至る過程のようなものなのかもしれないな
と思うようになった。
弱いことが悪いのではない。
ひとは、自分で思っているより、ずっと豊かな存在だから、
そのドアを開けるために、厳しいことが起こるのだ。
でも、無力さを知ってあきらめ、手を放した時に初めてドアは開くので
そのまま強くあり続けようとすると、死んでしまうしかない。
夫に庇護されてわたしは成長し、更に子供を育てるために、
暗い世界を堪能する喜びを捨た。
そして、大津先生に出逢い、自分が頭で日々考えることを、長年かけて徹底的に叩きなおしたので、もうそういう感覚になることはない。
悲しいとか、苦しいとかいう気持がないわけではないが
自分の中のそういうものに、基本的に興味がない。
感情は勝手に生起しては、減衰していく。
波のように。
大津先生は、人間の本質は宇宙と同様に発展そのもの、しあわせそのものであり、
そのひとが自分の本質に目覚めることを「悟る」というんだよ。と教えてくれた。
悟るーとは、人の前世がわかるとか、超能力が使えるとか、そういうことではない。
より深い生を生きることをいうのだ。
(その教えは、宇宙の意志を、それぞれが自分の中で、どう発現させていくか。についてであって、別に先生を神としてあがめろと言われるわけではない。
率直に言って、夫亡き後、わたしはこの世に生きる誰の言うことも、聞くつもりはない。宇宙の意志には従うが。)
日々筋トレの様に自分を肯定する練習をした結果、
不思議なことにひととのかかわりが、どんどん深くなっていった。
弱さから立ち上がり、新しい世界に続くドアを開けるためには
各段階におけるひととのつながりが、必要だった。
彼がいてくれたから、最初のドアを開けることができたのだ。
それなのに危機の時に彼自身の役に立つことはできず、
わたしは自分の中で最も大切だった夫の世界を失ったが、
今では、その美しい世界が、誰の中にも、萌芽として目覚めかけていることを知っている。
それぞれの個性のもとに、世界は輝いている。
色とりどりの花が、次々に開いてゆく。
そのようすを、夫と手をつないで、ずっと見ていたい。
そうするときに、彼がわたしの中で、いまもなお生きていることを
感じることができるから。
どんなに状況が困難で出口がまったく見えない状況にあっても、
そのせいでたとえ肉体が失われてしまったとしても、
いのちは豊かに光を放ちながら、続いていく。どこまでも。
それが生命の本質なのだ。
永遠に、わたしたちは輝いている。
あなたも。