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artandlove☆もんもく日記2

命日と夢のつづき。

命日前日。30日の明け方に、ひさびさに夫の夢を見ました。

亡くなって、三度目の登場です。
最初は「100日法要」
二回目は昨年5月。あたらしい仕事を始めた。という内容で、今回。
(興味のある方は、2013年5月夫の新しい仕事。参照ください)

「ひさしぶり」と雑然とした埃っぽい部屋の、黒い大きな椅子にどっかりと座って、手に持っていた書類をとんとんと揃えながら彼はいい、

「ほんとはもう、あっち行ってなきゃいけないんだけど、なんかここ、居心地良くてさ。」
そして書類を見て「さて、これもこれも終わったな。」とつぶやき、
名残惜しそうに、じゃあ。と、手を挙げると、彼がサポートしている、若手女性研究者らしき人のあとを追って、行ってしまった。

夢にしては鮮やかで、でも意味がさっぱり分からない。
いったいなんだったんだろうと思いながら起きて、テレビをつけると、夢で見た人が、出ていました。

東京でもなく、大学の人でもなく、なんだかみさこさんでもなかったけど、似てる。
それからずっと、夢のつづきを見ているよう。

もしそうだったら、なんてすてきなんだろう。

この日は午後るなちゃんとたいしくんがうちに交際の(!!)ごあいさつに来てくれて
HAPPYオーラをまき散らしつつ(*  ̄▽) 、三人で話しているうちに
夫がるなちゃんに、わたしと、とうもろこしのことを頼みに行ったらしい。という話題になりました。

「ふたりをお願いします」と彼はいい
「なにもできません」というるなちゃんに、
「いいんです。自分には、ふたりのことをいつも心に置いてくれている人に、お願いして歩くしか、もうできることがないんです。」

そういえば、夫が亡くなった後しばらくの間、頻繁にわたしが友人の夢に出ていた時期がありました。
もしかして夫が、わたしたちのことを頼んで歩いてくれたおかげかな。ありうる~(^○^) 

ひとが多次元的存在であるように、亡くなった人も多次元なのだと思うのです。
ただ、肉体の部分がないだけ。
夢で逢うその人は、より現実で一緒にいた状態に近いけれども、
それだけでなく、いろいろな表れをします。

たとえば夫は、上記の夢のほかに、昨年自民党本部の会議に出席した時、わたしが発言する間俗にいう幽霊のような形でずっとそばにいてくれましたが、―アイイスの霊界通信のときもそんな感じですーもっと神々しいときもあります。

年末彼のお母さんのことで悶々としていたときに「だいじょぶだよ」と言ってくれたり、
車を運転中に危険を知らせてくれたりするときは、ハートの内側にフラッシュのような光がさす感じで、
そこに言葉や音声や、ちょっとした身振りや、感情が全部含まれている。

職業柄夫以外の方の声を受信することもあります。
面白いのは、亡くなった方も、ずっと同じではなく、家族の方の思いが変わることで、変化する。ということ。
寂しげで、きつそうに見えた方が、家族が再び彼女を愛しはじめ―苦しむのではなくーると同時に、やわらかくまるくなったり。自信を取り戻したり。
からだがあってもなくても、一緒に生きているということには変わりないのでしょう。

ちなみに、自死したからといって、夫の魂が特別に穢れたり、
取り返しのつかない傷がついたようなことはありません。
魂は成長度合いによって大きさが異なり、輝きも違っていますが
魂自体に「罪」とか「悪」とかいう感覚はない。
そこには学びと反省があるだけです。
今ここに生きる、あなたやわたしのうちにある魂と、ありようとしてはまったく変わらない。

「見える」範囲は、人によって違うのでしょうが
誰かが「見える」という場合、ほとんど幽体の話に限定されている気がします。
幽体は苦しむことができるので、そういう意味では肉体にとっても近い。

魂は、苦しむことも、悩むこともなく、常に変わらず輝いています。
そして今生での役割と学びを終えると、喜んでつぎの転生の準備を始めるのです。


















by terasumonnmoku | 2014-02-01 10:21 | Comments(0)

スピリチュアルアーティスト/セラピスト/時々社会活動 前過労死等防止対策推進委員。勝手に自死防止活動推進中。スピリチュアルとリアルをアートで融合し、人の繋がりの力で新しい世界の創造を目指しています。

by terasumonnmoku