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artandlove☆もんもく日記2

極めて主観的で個人的な、人の見え方。

なぜか突然凄まじく忙しくなり
ほぼ一日中、誰かと話をしていたり、メールをやり取りしていたり、締め切りに追われて作業していたり、
何かのセッティングをしていたりする。

恐ろしくバリエーションに富んだ人間関係の中で最近思うのは
ひとは、ひとが全然見えていない。
ということw( ̄o ̄)w

ひとというのは、わたしにとっては魂に対する心の開き方や
光や色の具合はちがっても、基本的にはどのひとも
掛け替えのない美しさ、輝きを持った存在だ、という点では同じである。
(心と魂の違いについて興味のある方は、徳ちゃんのブログのこちらの記事を参照ください! http://ameblo.jp/golden-universe/entry-11880038933.html

それぞれちゃんと個性があって、そのときの照明の具合によって
同じひとがすばらしく見えたり、すばらしくなく見えたりするだけ。
なのでわたしは自分のことを別に変だとは思わないし(笑)
たまに誰に会っても、なんとなく同じ人とずっと一緒にいるような錯覚に陥るのだが
ほかのひとには、どうやらそうではないらしい。

*でも居心地の良さには違いがある。誰でも心が魂に開いていて、ネガティブな想念が創ったコンプレックスや汚れが少ない人のほうが好きだからだ。元気になるし、一緒にいて楽だから。それは汚れが少ないぶん、光が内側から素直にあふれているというだけで、その人が格別ほかの人に比べて優れているわけではない。-ちなみに魂にも経験値による違いというのがあり、それはそれでまた別の話になる。

*あと、オーラと言うのは、わたし的には、肉体を創るために魂から照射される光が心を通して広がったものであり、かつ、ー細かい接続の仕方はいまいちよくわからないがーもっと高次の段階の光と、魂を介してメビウスの輪のようにリンクするように見える。あくまでもそのひとの心を通して展開する性質があるらしく、汚れがある部分は暗くよどんで見える。汚れ自体が重要なわけではないし、成長する過程で味わったり出したりすることが必要な段階もあるので、それ自体はどうでもいいような気がする。

*が、健康的には、全然どうでもよくない。よどんだ部分が整理しきれなくてたまり続けていくと、現実において病が発生する。でもほとんどの場合は、学びが進んだり、たくさん笑ったり、ポジティブに考えたり、泣いたり、運動することによってきれいになってゆく。

*怒りについては、怒るのが悪いとは言わないし、怒りの感情を抑圧するとぞれはそれで病気になってしまったりするのだが、出したものは必ず自分に返ってくるので、人や自分を傷つける形でこの感情を表出するのは勧められない。
経験によると、怒りは悲哀の抑圧された表れで、悲哀は愛の抑圧された表れなんだと思う。
幾段階にも自分を偽って、わたしたちは自分の現在を生きている。
喪失と変化は、痛みを伴うという前提を強固にもち、わたしたちはそこでさまざまな体験をすることを選んでいる。
ここを完全に飛び越えた境地を「悟り」という。
今の段階で思うに、悟ったとしても個として人の形態を持つ以上
怒りや悲しみの感情が消滅するわけではないだろう。
ただ、そこに振り回されたり、支配されることがなくなり、
それさえも豊かに味わうことが、できるようになるような気がする。


話題は戻るが、一般的にはその人のすばらしさも、すばらしくなさも
一回思い込みによる前提ができてしまうと
その前提のもとに色眼鏡で見続ける。という習性が人間にはあるらしく
照明の具合が変わって、変なところ、自分に許容しがたい部分があぶり出しにされると
一転して「そんな人だとは思わなかった!」ということが、起きるらしい。

それは別にその人のせいではなく
その人の個性が、その時置かれたシチュエーションに沿って、異なった現れ方をするだけなのに
「すばらしい」という受け手側が自分でつくった前提が崩れると、
裏切られたような感じがするらしい。

なんだか、みんなが人が恐い。という理由が
初めて分かった気がする。

ちなみにひとのエネルギーの動きは
かなり粗雑なかたちだが、しいて言えばこんな風に見える。↓


http://www.huffingtonpost.jp/miraischop/gif_b_5538912.html

実物はカラーだし、一つ一つの粒子も小さいし、運動性も高く複雑かつ調和が取れていて、美しい。
(病気なんかで症状が出ている物は、美しいとはとても言えないが、それでも規則性はある。一個一個の粒子の大きさや形も、その波長の特性によって異なっている。波動の高いもののほうが振動も細かく、粒子が小さく、繊細な形をしていて、優美。)


存在そのものも、無限の要素、沢山の波動の集合体からできているけれども

たとえば、その人の真実がこもった言葉(語られる内容は苦しみの体験とかでも)には
ほんとうにうっとりするような、感動的な質感や運動性や、光の陰影が込められている。
わたしにとって「真実のことば」は、具体的な物質以上にうれしい、とてつもないプレゼントだ。

それは放たれた瞬間にハートに届き
ひとを愛で満たし、勇気を与える(涙)

この説明が通じるかどうかわからないけど
http://www.barks.jp/news/?id=1000104767

の波長の波を構成する、成分の部分が、見えているんだと思う。
一々全部把握していると人間として機能できなくなるので
いつもまじまじと観察しているわけではない。
だから自分がどんなふうに見えるかと、わたしに聞かないでね。
消耗するので(見ることにではなく、その人に伝わる形で翻訳することに疲れる)、こういうことを答えるときは、
自衛のためにプロとして、相当高額な謝礼をもらっています(笑)





by terasumonnmoku | 2014-06-29 11:14 | Comments(0)

スピリチュアルアーティスト/セラピスト/時々社会活動 前過労死等防止対策推進委員。勝手に自死防止活動推進中。スピリチュアルとリアルをアートで融合し、人の繋がりの力で新しい世界の創造を目指しています。

by terasumonnmoku