2014年 07月 19日
美しいこども。
彼のことを、本気で心配していた時は、この美しさがまったく見えなかった。
塾や、学校に行けなくなりそうだとか、
成績が急降下して、将来が滅茶滅茶になるんじゃないか。
なんていう、今考えるとどうでもいい、来てもいない未来の不安で頭がいっぱいで
苦悩の中で必死に生きようとする彼を
まるで見ていなかった。
自分が十二分に辛いのに、母がそれじゃあ、きつかったろう(T_T)
今も成績は超低空飛行だけど
勉強しようとはしているし、プレッシャーも感じている。
ひとにつながり、人間関係を自分で創ろうとしているし、
やりたいことを見つけ、そのなかからできることを少しずつ少しずつ、
自分の力で実現しようとしている。
自分の頭で考え、悩んで、動いて、なにかを摑んでゆく過程こそ、まさに「生きるということ」だ。
そのようにしてとうもろこしが一つ、何かをつかむたびに、輝きを増してゆく様子を、
途轍もなく美しいと思う。
彼が、まだ子どもらしさを保っているうちに(それも、あと僅かなのでしょうが)
そこに気づけて、ほんとうによかった。
とうもろこしに限らず、こどもはみんな、すごい。
みんな自分のお父さん、お母さんが大好きで
お父さんとお母さんが不幸だと、自分のせいだと思う。
以前、2日間の放浪の果てに、真っ暗なオーラを背負ってうちにたどりついた家出少年は
最後の夜、手作りの革の財布を出して、わたしに見せてくれた。
「これ、おとうさんが作ったんだ。
教室に習いに行ってできた初めてのやつだから、自分で持っていたかったんだろうけど、
ぼくにくれた。」
家でどんなことがあったんだろう。きっとひどい思いをしたんだろうに、
うちに来てもずっと黙っていた彼は、わたしにはじめてそんな話をすると、少し元気になって家に帰って行った。
喧嘩する両親を心配して、そっと玄関に折鶴を置いて学校に行く女の子や
お母さんが不安定になったことが心配で、夜泣きしてしまう小学生。
苦しい状況の中で必死に生きている子どもたちを見ていると、その心の美しさに、泣きそうになる。
親だって完全ではない。
今生きている大人の中で
しあわせいっぱい!といつも思っている人がどのくらいいるだろう?
ほとんどの大人が、ごくたまぁに「幸せ」を、ちらっと垣間見るだけなんじゃないだろうか。
親が不幸なのは子どものせいではないのに、
なぜか子どもは自分を責める。
だから、「自分が悪い子だから」「自分が嫌い」と思う子が増えてしまうのも当然だ。
全ての大人も、かつては誰かの頼りない、小さな子どもだった。
もしあなたが、「自分が嫌い」だと思うなら、
そばに幸せなモデルがいなかったからに違いない。
だからといって自分の状況を今さら親のせいにしても、環境のせいにしても
なにも変わらないし、はじまらない。
何かを変えたければ
わたしたちは、一から「しあわせ」を始める必要がある。
自分を好きになったり、大切にしたり、しあわせを感じる
練習が。
あなたもわたしも、とうもろこしや、すべての子どもたちと同じように
はじまりは「美しい子ども」だった。
複雑怪奇なこの世界で、熱心に周りに振り回されているうちに
心を亡くしてしまったような気がするだけで、
美しい子どもは、いまもわたしたちの中で、ちゃんと生きている。
ただ、気づいて、一緒に生きて、くれるのを待っている。