自分が好きになる。

ドリプラ世界大会のプレゼン用に、生まれて初めて「事業計画書」なるものを
(「マンガでやさしくわかる事業計画書」という、ぽこちゃんに借りた本を読みながら)
つくってみた。

誰に頼まれたわけでもなく、わたし以外の人には必然性もない、
地味な作業だ。
誰もいない砂浜で、砂のお城を創っているみたい。
しかも、やればやるほど、現在地がどこで、
自分がなにをしていようとしているのか
まったくわかっていない!
という驚愕の事実に気づく。

初めてのことをするときは、いつもそんなものであって
動けば動くほど、自らの小ささがよくわかる。
でも、進んだ分だけ、ひとがその場所でなにをやっているか。
それがどれほどすばらしいことなのか
が特典のようにあぶり出される。
その分だけ、目に見える世界が
美しく豊かになる。
だから、まあ、やっただけのことはあるんだと思う。

その事業計画書は、つくった。
というだけで、内容はお粗末なものだし
自分で読んでも、このひと(自分だけど)が
いったいなにがしたいのか、よくわからない。
まさに、隔靴掻痒という感じ。

ほんとうにやりたいことを、形として顕わすって
かっこよくいえばミケランジェロが、大理石の中に
芸術のイデア(真髄)をみつけ、
そこに向かって彫像を刻んでゆくのにも似ている。
重要なのは、そこに何を見るか。
ということなんだけど
わたしはミケランジェロではないので、
そこになにがあるかが、まだわからないのだ。
(「知っている」って決めちゃえばいいんだな。原因を創る)

スティーブ・ジョブスさんだって、ホリエモンさんだって
事業計画書を書いたかどうかは知らないけど
最初はひとりで、こういう砂上の楼閣としてプランを練り
ビジネスを展開してきた。
と思うと、この浮世も、
案外ロマン成分に満ち満ちているような気がする。

しかし、やみくもに動いている時と違って
自分が事業計画書なるものを書いている事実には、
びびる。
これを創っても作らなくても、わたし自身の方向性は変わらないとは
思うのだが(実際書いたほとんどのことは今やっていることの延長線上にある)、
無意識に人を巻き込んでいくのと、意識的にそれをやるのとは
感覚的に次元が違う。

実のところ、世界大会に参加することを決めた時点では、
こういうことは全く考えていなかった。
「考えていなかった。」
というより、想像することもできなかった。

少なくとも「想像」することができるようになり
その分だけ実現に近づき、
(なぜなら、具体的に「想像」できないことを達成するのは不可能だから)
わたしは自分のことが、少し好きになった。

事業計画書を書くのは、なんだかわからないが大変つらい作業で
しかも、その出来は悪く
何を言いたいんだかさっぱりわからないのに
とっても、意外w( ̄o ̄)w

やりたいことに向けて、動いたってことにたいする満足なんだろうか??
ひとの心(自分だけど)というのは、相変わらずよくわからない( ̄ー ̄)




















by terasumonnmoku | 2014-11-06 09:04 | Comments(0)

宇宙真理哲学講師、らくがきすと、即興ピアニストぷらす社会活動家(過労自死遺族当事者)働くことから世界を変えるをモットーに、さまざまな活動をしています。合言葉はREBORN.大事なのは、生きることだ!


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