人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

artandlove☆もんもく日記2

感情の解放と、ほんとうの会話。

一人っ子時代が終わり、11歳下の妹が生まれたとき、
わたしはものすごいヤキモチを焼いた。

それはそれは壮絶なヤキモチで、
わたしは部屋を転げまわり
汗だか涙かわからないものを
噴出させて泣き喚き、
近所中の注目を集めていたことを
今でも覚えている。

不思議なことに、当時焼いたヤキモチはもうどこにも存在せず
あれはいったいなんだったんだろう。とさえ思う。
まるで、病気のようだった。

うちの妹はわたしより様々な点で秀でているので、
今やきもち焼いても全然おかしくないと思うが、
見事にない。
わたしたち姉妹は順調に年を取っているけど、
それでもわたしにとって、妹は小さなまま
愛おしく、大切な存在で有り続けている。

それは、成長のかなり早い段階で
周囲に多大な迷惑をかけながら、
ネガティブな感情を使い切ったからに違いない。

でもこれは、王者のように育った
しょうのない一人っ子だったからできたことで、
家族の平和が自分の態度次第で壊れてしまうような
むずかしい家庭に育っていたりすると
きびしいだろう。

抱え込んだ悶々としたものは
大人になり、安全な場所を獲得したとき
あるいは危機的状況に陥った時に、
噴出する。
それを目の当たりにし、そんな自分自身に圧倒されてしまう人が
多いのではないか。

学びはひとそれぞれ。いいも悪いもない。
みんな最適のタイミングで、最善の学びをしている。
どんなみっともない感情も
必ず終わる時が来る。
時にはこの人生では方がつかず、来世にもちこす人もいるとは思うが、
かならずいつかは終わるのだ。

先日聞いた講演会の中で、野田先生は
自死遺族のなかに残される
「とりかえしのつかないことをしてしまったという思い、自分や故人に対する怒り、
復讐心」などの「自責感」について、
それも亡くなった人とのつながりを持つための、
ひとつのコミュニケーションであり、
人間の会話は、いろいろな形でできることの表れである。
とおっしゃっていた。
ともにあること。には、いろいろな形がある。

当日の講演会の資料の中に、2014年7月に起きた、
高一同級生殺害事件の加害少女が中学の時に書いた作文が引用された
先生のインタビュー記事があった。
非の打ち所のないエリート家庭で育ったご自慢の少女。
親の理想を生きる少女の内側に、空虚が育つ。

作文の内容は、こう。

「僕が人生で本当のことを言えるのは、これから何度あるだろうか。
涙ぐむほど美しいものを、見ることは。
悲しみに声を枯らすことは。僕は何度心から生を叫べるか。」

これほどの美しい感性を持った子に、欺瞞に満ちた世界を生きるのは辛かったろう。
彼女は精神科に連れて行かれ、精神薬を飲まされ、妄想を加速させていった。
彼女のこれからの人生に、本当の生を生きる人との出会いがあるようにと、
祈らずにはいられない。

ここまで極端な例ではないが、
多かれ少なかれ、抱えているものはどの家庭も
似たり寄ったりであるように思う。
自分の意思ではなく、人の目を通して生きる生は、貧しい。

ほんとうの自分に立ち戻り、ほんとうの会話をしよう。
生が深まれば、世界は涙ぐむほど美しいものに変わる。
悲しみに声を枯らし
心からの生を叫びながら生きていこう。

それは、言うほどかっこいいことではないけど、
でも、わたしはそれでいい。




























by terasumonnmoku | 2015-04-05 21:05 | Comments(0)

スピリチュアルアーティスト/セラピスト/時々社会活動 前過労死等防止対策推進委員。勝手に自死防止活動推進中。スピリチュアルとリアルをアートで融合し、人の繋がりの力で新しい世界の創造を目指しています。

by terasumonnmoku