2015年 04月 21日
ちょっとした、多次元。
多次元についてのとてもしっくりする記述があったので、転記。
「聖書」を、「宇宙」、
「年代」を「次元」に読み替えて、読んでみてね。
「聖書がホログラム内のさまざまな深みで、
それぞれが年代に従う多様な層として現れた。
やがて聖書の全体的な構造が、
どの角度からも見ることが出来るとともに、
内容を読むことのできる、三次元コスモスを形成した。
観察軸の傾きに応じて、
異なったメッセージを引き出すことができる。
こうして聖書は絶え間なく変化しつづける
無限の知識を産みだした。
聖書は見るからに美しく、色の脈動が信じられないほどの、
素晴らしい芸術作品になった。」
(フィリップ・K・ディック 聖なる侵入)
おもしろいのが、「引き出されたメッセージ」が
その時の自分そのものであること。
そしてわたしたちは
自己の本質について
四六時中間違った認識を持ちがちだということ。
先日大津先生から、おメダイのようなペンダントを購入したとき、
そこに入れていただいたエネルギーが
それまでの自分の感じと全く違っていたのに
いたく驚いた。
友達の、及川徳子さんとも違う。
徳ちゃんのは、いかにもロック、ばりばりいくぜ!
って感じのエネルギーなのに
わたしのは、どこまでも浸透し、癒し、満たしていくみたいな
不思議なパワーで
どっちかというと、逆。
そしてそのエネルギーを確かにずいぶん前から
わたしは徳ちゃんのなかに感じていたのだ。
(波動日記の太鼓の絵がそれ。それにしてもキャッチするの早すぎるよね。)
だとすると、わたしにも
そんな部分があったのかもしれない(ノ゚ο゚)ノ ~
というか、そういうひとだった過去生の記憶だって、
あるし。。。。
(しかしその時は、あまりに清らかすぎて
人として、ほとんど機能しなかった。)
すべての人やものごとに、今見えているものとは別の世界
別の意味がある。
現に誰に会っても、わたしがそのひとの核心的にすてきだと思う部分は
殆どの場合本人の外には現れておらず、
(新しい世代は別)
自分の見ている人と
今、目の前にいる人とが別人に思え
よくわけがわからなくなる。
(あくまで三次元的に出ている人と話をしなくてはいけないので、大変)
全く見当違いなところにプライドを持って
満たされずに傷ついているひとが、本当に多い。
それって傍から見ると
アインシュタインが、小学校に行って
先生から意味のないダメ出しをくらってる、みたい。
そのひとのすばらしさは
そんなところにはない。
あなたの目が行かない、ここに、最高の輝きがあるよ。
と、言いたいけど
言っても、直接的には役に立たない。
あくまで自分で認める必要があるから。
むむん。
それを人呼んで、「学び」といい、
そういうことを、わたしもやっているわけです。
人生は、楽しい。
まあね。
大津先生のペンダント、私もお願いしました^^
どんなエネルギーを入れて頂くんだろう~~。楽しみです♡
どんなエネルギーか、教えて下さいね(^^)
もんもくさんに教えて頂いて、沢山気付を頂き、エクスペアリ・エネルギーフル活用してます。
まだまだですが。また、ご指導宜しくお願い致します♡
学びは楽しいですよね。。ホントそう思います。
でも楽しみだね~♪*゚
有難うございました。