小さいけど、大きな一歩♪自死遺族支援シンポジウム

開催とシンポジストとしての登壇が決まった時から
何を話すか悩みぬいていたこのイベント、
宮城県自死遺族支援連絡会主催の


<自死遺族の現実(いま)~こんな問題で悩んでいませんか?>
http://artandlove.exblog.jp/24594609/
http://sp.kahoku.co.jp/tohokunews/201509/20150902_13046.html

が、本日無事、終わりました~。
ぱちぱちぱち(๑'ᴗ'๑)

結局、当日の朝になっても話すことがまとまらず。
胃の痛みを抱え、神の降臨を待ちながら参加することに。
開始前に出されたお弁当も随分残したので
大食いの私としてはかなりのプレッシャーだったのだと思います。

過労死は夫の問題ですが
自死遺族支援の問題は、
支援者であると同時に当事者である、
自分自身の問題です。

わたしは人が自分をどう見るかには関心がないし、
夫のことも、彼について出来ることは全てやったので、
彼を知らない人がなにを言おうが
もう動じない自信がある。

でも、それと自分が自分をどう思うかは
全く別の問題です。

自死遺族の抱える問題について考えることは
わたしにとって、「自分が自分をどう思うか」に直に向き合う。
ということ。そこがきつかった。

今回、自死遺族の差別問題について徹底的に考えた結果、

自分が辛かったり、苦しかったり、悲しかったりという感情を
自業自得で当然と思い
完全に無視して、全速力で走ってきたことが
それはそれで、とても不健全なことのような気がしてきたのでした。

助けようと思えば、誰でも助けられるほど
ひとの人生は甘くありません。
現に、わたしは命より大切な息子の苦しみについて
なにもできないでいる。

例え家族であっても別の人間であり
その家族のすることに、無制限に責任を取れるはずはない。

なのにどうして、自分が苦しむのが当然だと思うんだろう?

苦しむことで、大事な夫を助けられたはずの全能の自分に
しがみついていたかったのかもしれないし、
あるいは自分で考えたものではない
社会的規範しかも実現不可能な、に、縛られているだけだったのかもしれない。

もしかしてこれぞ「差別の本質」というものなのかもしれない。

過労死の労災申請件数はまだとてもすくないですが
自死でなくなった人の中には、就労中の30~50代男性が万単位でいて、
そのかなりの方がもしかしたら夫のように、過労による自死だったのかもしれない。

過労死なのに労災申請に踏み切れない大勢の遺族が、
動けなくなってしまう最大の理由はここかもしれません。
自分が向き合うのが嫌でも、あえてこの場所でこういう葛藤を語る価値が有るのかもしれないと思い
今日はこのシンポジウムに参加しました。

と、わたしは当事者兼遺族支援者として語り、
弁護士の土井先生が、見事に

「それぞれが自分を大切にし、それぞれの権利を取り戻し、よりよい社会、
みんなが生きることが楽しくなるような社会をつくっていきましょう」
というふうに、閉めてくださいました。

シンポジウムで一生懸命話した内容も
この日記も、言いたいことをちゃんと伝えられているかどうかはわかりませんが
葛藤にちゃんと向き合い、自分としては今のマックスでの最善を尽くせたことに
すこぶる満足しています。
全体の流れとして、すごく良かったような気がする。
土井先生の、まとめがよかったので!

結局、ちっちゃい神が降臨したのかもしれません・笑。

というわけで、頑張ったご褒美に
キルフェボンのタルトを買って帰りました~\(^^@)/
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by terasumonnmoku | 2015-09-06 21:30 | Comments(0)

宇宙真理哲学講師、らくがきすと、即興ピアニストぷらす社会活動家(過労自死遺族当事者)働くことから世界を変えるをモットーに、さまざまな活動をしています。合言葉はREBORN.大事なのは、生きることだ!


by terasumonnmoku