筋金入りの<きれいごと>を生きる。

先日わたしと同じような感覚の人の書いたブログを読んだ。

人のいろいろな感情に暴露され続けると
自分がぐちゃぐちゃになる。
とか、生きていくことが拷問だったりとか
その感覚が痛いほどよく分かる。

彼女はいまひとりでインドにいるみたい。
同じような悩みを持つ人は
おんなじようなことをするんだな・笑。


●「人からもし覗かれても、恥ずかしくない誇れる心が持てるか
自分で自分を誇れる生き方ができるか」
http://kanadoko.strikingly.com/blog/a8eb793d45b

世の中にスピリチュアルを標榜する人は多いけど
わたしと同じくらいの感度の人にあったのは
このブログの人以外には、もうひとりしかいない。

でも、苦しくて自分を呪い続けた日々を抜けて
気がついたのは、
自分が人を見ている分
わたしは、人に内面を見られることにも、全く抵抗がない。
ということ。

人にどう思われるかを気にする、という前提がない

ひとがわたしをどう思っているかも
その理由もわかるから、というのもあるが、
そもそも、人の自分に対する感情に
あんまり関心がない。

(だからといって、かわいそうに思われたり
遺族枠で眺められることが快適なわけでもない。
それは自分に分離感が残っているからで
そこは自分で感情を整理していくしかない)

逆に自分の心の中も
自分に分っている範囲では
見られても全然気にしない。
というか、そのほうが言葉を使うより
ずっと楽なので、早くそんな時代が来ればいいと思う。

このブログの彼女は
わたしの同じ年の頃よりずっとしっかりしているし
いろんなことがわかっている。
だから近い将来、みごとにそこを抜けるに違いない。
そうしたら、たぶん「無敵」だと思う。

人目を気にしないということは
自由、ということだから。

というわけでこのブログ、きれいごとばかりが
書かれているように思われると思うが
それは筋金入りの、決意に満ちた「きれいごと」であって

実際のところ、わたしほどペシミスティック(厭世主義的)に
世の中(の現実)を見ているひとはいないし
その世界に耐えられる人も、そうはいないと思う。

しかし、起きていることは
すべて「過去」なのだ。

重要なのは過去ではなく、
いま自分が何を思い、どんな未来を創るかということ。


わたしは夫に<生きること>を教えてもらったけど
彼がわたしにくれたものの本当の価値がわかったのは
彼を失ったあとだった。

だからわたしは彼が教えてくれた「生きること」
しかも幸せな未来に向かって、今を喜びながら生き続けることを
絶対にやめない。

筋金入りの「きれいごとを」、力いっぱい生きていく。








































by terasumonnmoku | 2015-10-28 21:50 | Comments(0)

生きる意味が見つからないなら、自分で創って育てちゃおう!というブログです。やっていることはさまざまですが、常に生きることに向かっています。

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