本を読むように、人を読む。(カズオ・イシグロ文学白熱教室)

「日の名残り」「わたしを離さないで」などで知られる
日系イギリス人作家カズオ・イシグロの白熱教室を見る。

その中で彼は、小説を書く理由について
「認識の層」にアクセスできるから。
というような事を語っていて、

それはどういうことかというと
表面的な意味だけではなく
幾重にも仕掛けられた暗喩などを通し
読む人に
様々なイメージを喚起することによって
多様な意味をもたらす。

というようなことだった。

得られるイメージは
その人の人生経験や、思考の枠組みや
あるいは人種や環境などによっても
いかようにも変容するだろう。

それでなお、どこかに普遍的なものがある小説が
きっといい小説なのだ。

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よく小説って、人間みたい。
と思う事がある。
ひともやっぱりそうで、
わたしの体験によると、自分の経験が浅く
見える世界が狭い、たとえば子ども時代に観る人は
いま目に映る人々の像より、ずっと薄っぺらかった。

目立つのは、どちらかというと嘘や欺瞞などネガティブなものだし
すてきなものは、意外と目に止まらない。

一つの嘘の影に、どれだけの真実が隠されているのか
子どもにはわからない。
だから簡単に人を裁いてしまう。

認識の層の深さは、人間的な成長によってのみ深まる。

たとえば天使的な人間がいて
全ての人を美しく見ていたとしても、

ひとりのひとの影が作り出す強さや
そこから受け取ろうとしている愛は
見ることができないに違いない。

「日の名残り」はイギリス人執事の物語で
「わたしをはなさないで」は臓器提供のために育てられた子供たちの話だが
どちらも、テーマとしては
ごく当たり前の、わたしたちの問題を扱っている。

主人公はそれぞれ
感情を表すことができず、職務の中で仮面をかぶって生きている男と
いずれ必ず死すべき人間で
どちらも、わたしたち自身。

それを小説として読むと
不思議と現在の自分を俯瞰で見ているような感覚にとらわれ
自分で自分を拘束している状態も
目的のない生も
どちらも、かけがえのない、なんとも不器用で、すばらしいものに見えてくる。

職務やあるいは、臓器提供のために死ぬなら
そんな人生もいいかも。と思えてくる。

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現代の社会には、文学的な視点が必要なんじゃないかと思う事がある。
どうにもならないことを、どうにもならないままに受け止める力は
科学ではなく、文学によって養われると思うのだ。

イギリスやフランスの政治家に文学者が多いのも
なんとなく頷ける。
答えの出ない問題が
この世界にはたくさんある。

全体に目を配り
より規模の大きな大勢にとって好ましい結論を出し続けるのが政治だと
わたしは思っているのだけど、
近頃は、みんな細部にばかり目がいって
全体としては、ひどくおかしなことになってしまっている気がする。

最近、余りにも人に会いすぎ小説が読めなくなった。
一人の人は、わたしにとって一冊の本のようなもので
人に会いすぎると情報の処理が追いつかなくなる。

そのひとのぶんだけ、物質に、社会に、あるいは宇宙に開いた窓がある。
ひとは、本よりずっと深く
興味が尽きない。



by terasumonnmoku | 2015-11-28 21:23 | 読書 | Comments(0)

真理セラピスト・らくがきすと・即興ピアニスト+社会活動家(過労自死遺族/東北希望の会代表)幼少時より、生と様々な死から多くのことを学んできました。11年のセラピスト経験があり、仕事ではいのちのすばらしさについての、エナジーーワーク的なセッションやワークをしています。頭を現実的に使いながらメルヘンな世界を実現させていきたい。社会問題、スピリチュアルな仕事や宇宙のこと、日常について書いています。


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