身近な人の死をどう受け止めるか。それをどう支えるか。

毎日人に会っています。
人に会うのが好き。

プロフィールを公開しているので
いきなりディープな話になることも多い。
今日お会いした方は自死遺族で
でも誰にもその話をしたことがないとおっしゃっていました。
よくある話です。

本日の話題は、死による喪失をどう受け止めるか。家族の自死を巡る家族間の葛藤。
グリーフ・ケアと
亡くなった人との関係性、など。

日常的に身近な人を残酷なシチュエーションで亡くされた方に会います。
そういう時、いちばん心がけているのは
「喪失を<癒す>ことは誰にもできない」ということ。

その上で、その方にどんな感情が吹き出していたとしても、ジャッジするのでも、励ますのでもなく
プレーンにまるごと受け止めること。
どんな感情を持ったとしても
それは間違いではなく、それがすべてでもない。
感情が流れ、時を越えて変化して行くままに
ただ受け止めてそこにいる。
一人で惑乱するより
そばにひとがいたほうがいい。
でも巻き込まれてはいけません。
あくまで別の人間として、そこにいなくてはいけません。

人が死ぬのは、当たり前で
喪失は誰にでも起こる。
わたしが今生きているのも
たまたまで、5分後には死んでいるかもしれない。

そんな当然のことを、みんな、忘れているような気がします。

死はありふれていますが、生はその度に一度限りの奇跡です。
いま自分が生きていること。
そのすべてがかけがえがない。

そして死んでしまったとしても魂には意識があって
わたしたちが思いを送ると魂は喜んでくれます。
どんな死に方をしたとしても
そのひとが大切な家族であったことには変わりはない。
一緒に過ごした時間は
永遠に残るのです。

亡くなった人の存在、亡くなった人との何を大切にして生きていくかは
残された一人ひとりが、自分で選ぶ問題です。
悲しみ続けて壊れてしまってもいい。怒り狂っておかしくなってもいい。
自分に嘘をついてもいいし、元気に楽しく生きてもいい。
自分の行いの結果を受け取り
リスクを犯すのは本人です。
誰にはばかることはない。

大切な人の命が失われてしまった今、たとえ傍からどのように見えようと
それが本人にとって、一番の祝福で、至福な状態なのだと思います。
どんなかたちでも、愛している人と
一緒にいられるということだから。

けれども、人が死ぬのは嫌ですね。
時とともに受け止めるられるようにはなっても
決して慣れる。ということはない。

そんなふうにして、わたしたちは命の重さとそのとてつもない価値を、リアルな体感として知っていくのだと思います(^_^)

c0195362_22073848.jpeg












by terasumonnmoku | 2016-03-01 22:06 | Comments(0)

生きる意味が見つからないなら、自分で創って育てちゃおう!というブログです。やっていることはさまざまですが、常に生きることに向かっています。

by terasumonnmoku