3月の本(資本論・君の膵臓が食べたいほか)

16.マルクス 資本論・1   エンゲルス編 向坂逸郎訳(岩波文庫)

「お金の謎」に興味をもって読み始めたこの本。たぶん今まで読んだ本の中で、一番手こずりました。
使われている語彙とその概念が、今までの自分の世界にない。というのが大きい。
「ある科学の新たなる見解は、すべて、この科学の専門用語における革命を内包している」
とエンゲルスも書いていました。

ものすごくざっくりいうと
資本主義経済における問題は、労働者が、同時に消費者でもあるということ。
剰余価値は労働者の労働によってしか生まれないので、
企業が生産の効率化や資本の集中など、経営努力を行えば行うほど、
商品の価値と、働く人の賃金は下がり、市場もやせ細る。
いずれ恐慌か、戦争か、いつかの時点では必ず限界が来る。

ここを逃れるためにグローバル経済の発達、ということが起ったのですが
これは単に規模を大きくしただけで、抜本的な解決ではありません。

わたしは別に社会主義が良いと思っているわけではなく(すでに破たんしてるし)、
経済原理が知りたいから、資本論を読んでみる。と詳しい人に話してみると、
「資本論を読む必要はない。マルクスは自然環境のことを頭に入れていなかったんだよね」
と言われ、別の本を進められました。

読んでみると、確かにそうです。
企業経営においては、経営する側が「市場を育成する」ことを怠り
目先の利益のみを追うことで、様々な矛盾が起きている。
(この辺を調整するのが国家の役割だと思うのですが
それはそれでなかなか難しいようです)

同様に商品を作るにあたっては、化石燃料の使用が
将来的にどういう影響をもたらすかなどなど、地球環境の負荷のことも当然考慮に入れなければならないのに
そこがごっそり抜けている。

そのあたりは、森の木を切ったら、その分を次の世代のために植樹する。
ようなことをしていた、日本の古い伝統や
ネイティブアメリカンのひとたちのプリミティブな感覚のほうが
より全体性を意識していた気がします。

3ページごとに気絶しながら読んだこの本。全9巻中マルクスの書いた三巻目まで読むつもりなのですが、
かなり不安です~

17.マルクスる?世界一簡単なマルクス経済学の本        木暮太一(マトマ出版)


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18.大変化 経済学が教える2020年の日本と世界           竹中平蔵(PHP新書)

著者は、過労死遺族やその関係の専門家の間では悪名高い、産業協力会議・国家戦略特別区域諮問会議メンバー。
残業代ゼロ法案や、解雇の自由化などに取り組んでいる方です。
きちんと、マルクス経済学を研究された方で、
グローバル社会がこの先どのように展開していくか。
日本が今後どのように変化していくかについて、大変爽やかに書かれています。

個人的に特に反応するのは、大学教育についての部分で、
教員の流動性を高め、変化に対応できる組織作りをしよう。という記述があります。
そこで働く教員全員が、任期5年の契約の大学もアメリカにはあるそうで
研究を何だと思っているのだ。と読んでいてむかむかするのですが
ただ、個々の現実的な問題を見るのではなく
社会全体の問題として高所からざっくり切り分けてしまうと
(ものすごく残念ですが)それもありなのかもしれない。

書かれていることに腹は立つけど
わたしの知識では歯が立たない。
経済原則にしたがった、ちゃんとした意見です。


よく、本社から地方の現場に管理職が派遣され、
事情を知らず、勝手な裁量で次々にものごとを判断するために
現場に大変な負荷がかかる。
ような話を過労死の世界でも聞きますが
日本全体においても、それと同じことが起きているのかもしれません。

ただ、過労死や、ブラック企業問題の専門家の方の反論を読んでいると
例えば残業代ゼロ法案や、解雇規制の撤廃など、個々の問題についての批判には
ほんとうに頷けるのですが、
それではどう考えれば、国、企業、働く人全体がこの経済環境の変化の中で
なりたっていけるのかについての考察はなく、
竹中氏のような、日本の今後のありようから発せられる提言に比べると、弱い。

変な法案も、ちゃんと理由と背景があって出てきているので
その背景と議論できないと、解決には向かいにくい。

いずれにせよ、日本も企業も大学も個人も、変わらざるを得ない時代が来ています。
変えられるのは自分だけ。
ひとりひとりが、どう生きるか、何によって生きていくかを
改めて決めていくときなのでしょう。

19.呼び覚まされる霊性の震災学 311生と死のはざまで    東北学院震災の記録プロジェクト 金菱清(ゼミナール編)

本書のテーマは「震災における死」。
災害社会学の分野で、フィールドワークを足掛かりに学生たちが記述した論考をまとめたものです。

「震災における死」(とその受容)を取り扱うにあたって、
「霊性」ー英語のスピリチュアリティを翻訳したものですが、ここでは生者と死者が呼び合い、
現世と他界が共存する両義性の世界を指すー
という概念を打ち出したところがあたらしく、
そこがまた、わたしの知る震災遺族の、猛烈なバッシングを受ける由縁でもあります。

生と死のはざまの世界を扱うことで
人々が震災の痛みにどう向き合ってきたかを考察する。というのは
社会学というより、どちらかというと民俗学的なアプローチで
手法としてはありだと思うのですが、

愛する人が幽霊になってさ迷い歩いている。
という記述が、それがいかに慎重な配慮のもとになされようと
遺族にとって、耐えがたいことには変わりない。

問題は、東日本大震災という出来事が、
遺族にとっては極めて個人的で、なまなましい、深刻な痛みであると同時に
社会全体から見ると「歴史」でもあるということ。

「歴史」であるからには、学問的な考察は必要です。
しかし、被災から5年という歳月は、
それをするのに、十分な時間とは言えない。
だからといって、忘れることもしてはいけないわけで
そこにジレンマを感じます。

遺族にとっては、自身の当事者性をいかに超えてゆくか、
が重要になってくるだろうし、
一般社会にとっては、「他人事」を超えて
一人一人の被災者の、個別の痛みにいかに寄り添っていくか
を考えることが、カギになるでしょう。

そのように、ひたすら対話を続けていくということしか
ないのかもしれません。



20.君の膵臓を食べたい    住野よる(双葉社)

主人公の高校生の、きみとぼくの関係性がとてもよく
自分が彼女のように余命幾ばくもない状態なら、
やっぱり「ぼく」のような人と一緒に遊んでいたい。
と強く思った一冊。

「君の膵臓が食べたい」というキイワードがすべてのテーマになっていて
ここを読み取れるかどうかで、受け取るものが変わってくる。

生きるということは、ともにあるということ。
このことの意味を知っている人が
どのくらいいるだろう。

いくらでもお涙頂戴式に書けそうなものなのに
彼女の死に方が、不思議に雑な感じなのは、
肉体的にこの世に生きている、というより
限りある生を、きみと響きあいながら精一杯生きた。
という部分に
焦点を当てているからなのかもしれない。

小説っていいですね!
生きてるって素晴らしい。
亡くなってしまったひとも、
そのひとが存在してくれていたことが
ほんとうにありがたいと素直に思える。

わたしが彼の素晴らしさに感動して
いつも心を震わせていたら
彼はやっぱり、生きているということになるのかもしれない。

そんなことを考えました。


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by terasumonnmoku | 2016-04-03 21:07 | 読書 | Comments(0)

生きる意味が見つからないなら、自分で創って育てちゃおう!というブログです。やっていることはさまざまですが、常に生きることに向かっています。

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