キャラ設定の裏にあるもの。

自分のキャラを作りこみすぎ、
人に合わせすぎて疲れる。
という話をたまに聞く。

わたしの学びには、自分のキャラを作って人間関係をしのぐというのはなく、
キャラの作り方も、その人が演じているということも
よくわからない。(見ているものが人と違うので、同じ人にしか見えない)

けれど、例えばみんなの前で明るい自分を演じていて
ひとりになると暗くなる。
というのがあったとしても、
その明るい自分が「嘘」ということでは、ないんじゃないのかな。
と、単純に思う。

ただ、半分なだけ。

誰に対しても、
自分のすべてを見せるのは難しい

同じ年齢で、同じ集団に属していたとしても、共通な部分はそこだけで、生活環境も、そこで育まれた価値観も、土台になる人間関係も違う。

自分とあからさまに違う部分を見せられても、すぐには理解できず、受け入れにくいことが多い。
なぜなら、差異は、愛や教育や知性で受け入れていくものだから。

なのにお互い「普通」または、
普通以上に見られたい、という幻想があり、
その仮定的幻想の普通(またはそれ以上)をベースにつながったり、排除しあったりするから、わけがわからなくなる。

どんな人の魅力も多面的で、ダイヤモンドのような複雑な光を(本来は)放っている。
けれども残念ながらその輝きは、
本人が表面意識で認めた分しか、表には現れない。

ひとが自分のことを暗いーと思う場所の奥に、
深い愛情や、色鮮やかな感情の豊かさが凝縮された形で詰まっているのを見たことがあるけれど、
その人の場合、本人的にそこを認めるのにはまだ時間がかかりそうだった。

わたしの人生にもそれなりの困難があるけど、みんなにはみんなの大変さがある。
学びは本当に人それぞれで、
世の中意外と、平等なのかもしれないなあ!

と思う、さくらの頃でしたー٩(ˊᗜˋ*)و✧*。


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by terasumonnmoku | 2016-04-09 23:01 | Comments(0)

生きる意味が見つからないなら、自分で創って育てちゃおう!というブログです。やっていることはさまざまですが、常に生きることに向かっています。

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