マヤ文明のちっちゃい謎。


ギャラリーチフリグリで行われた


建築の目を持つ大林政夫×遺跡マネジメント中谷可奈による
雑談の授業『人が入った地面から始まる人の落とし物忘れ物』

という一年続いている企画に、はじめてお邪魔しました(๑'ᴗ'๑)
希望の会の子ども企画でお世話になっている
建築家の大林先生と
地底の森ミュージアム学芸員の中谷さんによるコラボです。

今回は対談というより
メキシコから帰国したばかりの遺跡好きの中谷さんの
マヤ遺跡見学報告がメイン。
マヤについて、ほとんど知識のなかったわたしには
驚きの内容です(ノ゚ο゚)ノ ~

マヤの人が生贄好きとは知らなかった(´;ω;`)
あの、たくさんある高いピラミッド型の神殿の上では
定期的にひとの生贄がささげられ
非常に文化的に(残虐ではなく)血が流されていた。とか。

それは、ある一定の期間を過ぎると力が弱くなる太陽を
元気づけるため、だったのだそうなのです。
神に身を捧げる生贄となるのは、光栄なことだったらしく
多くの人は文句も言わず、粛々と死んでいったらしい。

特に衝撃的だったのは、マヤの人々が、
人口調節のために<戦争>そして<生贄>を積極的に行っていたこと。
マヤ社会では、一般大衆と支配階級が明確に分かれ、
戦争は支配階級の仕事だったそうで
戦争に負けて兵士が捕虜になると、どくろの飾りのついた開放的な場所に留め置かれ
そこで捕虜たちは(逃げられるのに)逃げるでもなく、
順番に死を待っていたらしい。

そしてその「階級」は
明確に分かれてはいるものの固定化されてはいなくて、一般人でも
何かに秀でていた場合は支配階級にひきあげられ
ダメな場合は王様でも地位をはく奪されるという
融通無碍なものであったらしい。

恐るべしマヤ。

そこでの死生観というのは、どのようなものだったのだろう。
死がおおごとではなかったのか。
平均寿命が短く、死の身近な社会で
命の意味を神に捧げることに求めるのは、自然だったのか。

今回このブログ記事を書くにあたって
ざっくりマヤの歴史を調べてみたのですが
紀元前後に起こり、4~9世紀に全盛を迎えた。
ということしかでていないのです。
頼みの綱のWIKI先生も
出典が怪しそうなので引用するのをあきらめました。
謎が謎を呼ぶ、マヤ。

今回のように大きな地震が起き、たくさんの人が被災し、
いまなお不自由な生活を強いられているというのに、
なお原発は停止されず、というような世の不条理を見るにつけ
このような人類の悠久の歴史に思いをはせることが
大変心の慰めになります。

つまるところわたしたちも滅亡したマヤの人々のような
歴史の一辺に存在する泡のようなものでしかなく、
何かが起こるたびに大勢が死に、
それでも誰かは生き残って、人類は続いていく。
大きな川の流れの一滴のようなもの。

だからこそ今を喜び、よいものを未来に残していきたい。
そういう、過去からの手紙のような財産が
書物や、キリスト教のミサのような儀式の形で
わたしたちにはたくさん残されている。
昔の人も、きっとそう思って生き、死んで行ったのでしょう。

写真は、蛇?の帽子をかぶったマヤの神様。
表情がとってもシュールです~


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by terasumonnmoku | 2016-04-22 21:49 | Comments(0)

生きる意味が見つからないなら、自分で創って育てちゃおう!というブログです。やっていることはさまざまですが、常に生きることに向かっています。

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