はじめて枯れた花をきれいだと思った。

先日公園を歩いていて、
落ちた椿の花を見つけました。

はじめて枯れた花を、きれいだと思った。







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日本人の美意識って、すごいですね。
わびさびや、陰影を礼賛する価値観は
その裏に光に満ちた満開の季節があって初めて成り立つ。

自らに内なる豊かさがあってははじめてなりたつ、世界観です。

死の際に立って生を寿ぐような。

岡倉天心は名著「茶の本」のなかで、
「茶道の要義は、<不完全なものに対する崇拝>にある」
と説きました。

茶道は禅の儀式の発達したものとされていますが、中国で起こった道教とも密接な関係を持つそうです。
その道教は、おもに美学の点で、
アジアに大きな影響を与えたらしい。

憂き世の中で己を空にして、
現在そこにある調和の中に美を見出してゆくこと。

>われらこそ神と自然の相会うところ、きのうとあすの分かれるところである。
「現在」は移動する「無窮」である。「相対性」の合法な活動範囲である

いまここで見いだされる美が、
現在を永遠にする。
そこが芸術の存するところであり、
相対性の極致でもある。

満開の花がきれいで
枯れた花がきたない。
というのは、ただの主観の問題。
頭の中で仕切った、
小さな定義づけにすぎない。

重要なのはいのちの循環が、
そこにあるということ。

役割を終え、地面に落ちた椿の枝の中では
もう、次の花芽が準備されているのです。

*いま、ぽつぽつと<茶の本>を読み直していて
お茶が、ツバキ科の植物であったことを知りました。
落ちた椿の花を見て、<茶の本>を思い出したもの偶然ではないのかも・笑。





by terasumonnmoku | 2016-05-05 21:04 | Comments(0)

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