最も効率的な破壊とは、創造すること。

今日は今月参加する過労死防止学会用のレジメづくり(๑'ᴗ'๑)

今日が締め切りなのに今日までやらないといういつものパターンで
そしてまた<やだなあ>と思うと
PCの調子が悪くなり、印刷機がおかしくなるという
大変なブレーキのかかりぶり(ノ゚ο゚)ノ ~

やりたいからやっているのに
いちいち引っかかるのは
現象に意味を付けているから。

ふと思う。
わたしは夫が死んだことが嫌なのだ。
だからその事実に向き合うようなことをするたびに
気持ちが抵抗する。

そんな当たり前のことを、あらためて考えたのは初めてだけど、
どう考えても、それは嫌だろう。

だから、やる。
いやだと思えば思うほど、自ら引き寄せる。
それはそこに、やりたいことがあるからでもある。

過労死は個人の問題であると同時に
社会の構造矛盾の問題である。
資本論を読んでいると、いま働くことの世界で起きている問題が
まさに必然であることがよくわかる。

わたしたちは意志を持った一人の人間であると同時に
<歴史>を生きる、ちっちゃなひとかけらでもある。
だから否応なく、大きな渦に巻き込まれてしまう時がある。

だからこそ、そこで、ただ自分の苦境を嘆くのではなく
なにか生産的なことをしたい。
もっとみんなに、そして自分もだが、<自分を大切にする>ということをしてもらいたい。
人の命は有限であり、がまんには限界がある。
我慢して、耐え忍ぶのではなく、みんなで楽しく生きていくということをしたい。

「過労死」という言葉が
1980年代に初めて一般化されたように、
古くは「人権」という概念もなかった。

それは奴隷同然の、苦しい生活の中から
先人が作り上げ、手渡してくれたもの。

わたしたちも期せずして、
<歴史>の大きな流れの中に生きている。

ただ飲み込まれるのはつまらない。

歴史に飲み込まれ、自分を失うのではなく
あたらしい歴史を創っていこう。
だってひとは、苦しむためではなく
しあわせを生きるためにここにいるのだから。

夫が死んだことが嫌なわたしが
あえてまだ、過労死防止活動を続けている理由は
そこだと思う。

ただわたしは過労死遺族で労働問題当事者ではないので
やるのは注意喚起と問題提起までになる。
当事者でない人間に、問題の解決はできない。

わたしの仕事に
労働問題は存在しないし、
わたしが仕事でサポートしていく人にも、その問題はない。

以前はものすごい怒りに駆られていたこともあって
過労死問題のほうがメインだったが、
今はどちらかというと、自分の仕事をちゃんとやっていったほうが
ひとにとっても、地球にとっても社会にとってもはるかに役に立つのではないかと思い始めていて、
エネルギーを傾ける比重が、徐々に真理のほうに移ってきている。

歴史の作り方にも、いろいろある。
最も効率的な破壊は、創造すること。
新しい価値観で生きる人が増えれば
問題そのものが成立しなくなる。

真理をやる上においても
過労死問題が土台だと迫力が違う。
その辺は強み。

そのあたりを今後じっくりと考えて行きたいと思っている。

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by terasumonnmoku | 2016-05-10 22:48 | Comments(0)