大手メディアの緩慢な死と、個人メディアの台頭。

今日はサポセン・市民ライター講座
市民ライターの皆さんからの取材を受ける日でした。

「活動のやりがい」がテーマです。

市民活動サポートセンターの企画
ということから、質問の切り口が、それまで
メディアの方に聞かれてきたこと
とは全く異なっており、そこが大変新鮮で、魅力を感じました。

市民活動を応援するという立場がいいのかな?
いままで怒りによって突っ走ってきて
<やりがい>について、考えたことがありませんでしたが、

やっているからには当然<やりがい>はあり、
そこに新たに気づくことができたことが、収穫でした(๑'ᴗ'๑)

過労死という重いテーマに対し
みなさん真摯に関心を持ってくださったこと。
誰にでも共通する、大切な課題だとおっしゃっていただけたことが、
ほんとうにうれしかったです。
記事が仕上がるのを、楽しみにしています。



先月厚労省の労災支給状況の昨年の数字が発表された関係で
このところ取材問い合わせがが続いており、
先日も大手メディア(テレビ)の記者さんとお話をしたのですが、
そのときの放送案がすごかった(ノ゚ο゚)ノ ~

わたしが自宅の台所で家事をした後、
夫の仏壇に手を合わせる絵を撮りたい。
というのです。

動きがほしい。というのと、故人とのつながりを強調したい
そうなのですが、
こういう画像、みなさんは見たことありませんか?

なにかかわいそうな目にあった人が
朝の情報番組で流される映像です。

そのひとは、震災遺族だったり、経済的に困難を抱える父子家庭だったり、
交通事故被災者だったり、難病に苦しんでいたりといろいろあるのですが
絵は一緒。

結局、なんでもいいんだろうなあ。

状況も抱える困難も、抱いている思いも一人一人全部違うはずなのに
出し方が同じだから
みんな同じように見えてしまう。

そんなものに出てしまったら、過労死が、単なる個人のかわいそうな話にされてしまう。

提示された絵について、ほんとうにつまらない。
と正直な感想をいったからなのか、ほかに事情があるのか
結局その話は流れてしまいました。

いま、ネット上で話題沸騰の三宅洋平の選挙フェスのもようも、
大手メディアには流れない。


それはまた逆に、変化を恐れる視聴者がそういった平板な報道を求めている。
ということでもあるのかもしれません。
不幸は、ただ不幸な出来事、特別な人に訪れる特別なできごとであったほうが
好都合だし、楽です。
ひとはみんな、しあわせに生きたい。
善を求める心が悪を創りだすように、
幸福を求める気持ちが、不幸を創りだしていく。

でも事実には善も悪もなく、
ただの事実でしかありません。

誰の人生にも
受け入れがたいことの一つや二つは必ずある。
幸福でありつづけること絶対必要条件の一つには、
必ずその「受け入れがたい不幸」をその人の人生の中でどう昇華していくか。
という課題が含まれている。

いま、息子とうもろこしもそうですが
若い世代の人はほとんどテレビを見ることはありません。
情報はYOUTUBE から収集し、
自分の言葉で語る人、目の生きている人の声に反応し始めています。
情報をどう集めるかで
その人の住んでいる世界は、大幅に変わります。

自分の言葉で語り、目の生きている人であり続けるためには、
自分の体で傷つき、自分の頭で考え、起きたできごとをポジティブに変換していくことによって
熟成させたうえで、言語化していく必要があり、

それをいいと思う世代が増えている。
だからこういうことにも
終わりが近づいているのでしょう。

それにしても現在取り組んでいる過労死問題。
今日も取材なのに、市民ライターの方々にお知恵拝借のようになってしまった。

これをどうプロデュースし、どう発信していくと
みんながよりよくなっていくような、
生産的かつ発展的な関心を集められるのかが、課題です。








by terasumonnmoku | 2016-07-03 21:54 | Comments(0)