応挙と若冲の木の話と、家族の時間。

最近、木が好きです(๑'ᴗ'๑)

前から好きだったのですが
いろいろ余計なものを感じるのに忙しすぎて
目に入らなかった。

今住んでいる町は
そこここに大きな木があって
コンクリートの合間から元気に枝を伸ばしてくれている。


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子どものころは、近場に森があったので
木登りばかりしていました。

ひとりで森に遊びに行くこともよくあって
ひとといるときもそうなのですが、
木を見ていても、油断すると木に同化してしまう。

以前師匠の大津先生に言われたことがあるのですが
わたしのなかには、
その頃同化した木の<存在>が
ちゃんと残っているらしい。

特別に好きだったのに名前も覚えていない木。

ある日円山応挙の松の木の絵を見に行ったとき、
その時の木の佇まいにその松がとても似ていて
心がどーんと突き動かされました。
(右側の絵です.実物はこれの50倍くらいいい)
こんな再会のしかたもあるんですね!


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日本画を書く人の中では
伊藤若冲も大好きなんですけど
若冲はとても細密な絵を描くのに
応挙のような、「存在の深さを語る」的なリアリティはない。

(若冲の有名な絵。画像転載を禁ズとかいてあるので、こちらのリンクで見てください)

形を細かく描いていくことで
逆に本質から遠ざかってしまうって、おもしろいですね。
そしてそれは、実生活でもありがちなのかもしれません。

住んでいる町の
水がほしかったり、クリスマス時期に装着させられる変な電飾をがまんしてくれていたり
行きかう人を静かに見守ってくれている木々たちを見ていると
心が、<しん>となります。

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みんなそれぞれに生きていて
それぞれに何かを思っている。
意外と人間に興味を持っていて
わたしたちを好きでいてくれる。

今日、車を運転中に、7、8年くらい前、家族三人で植樹した
輪王寺というお寺の森を見かけました。

植えた時には1メートルにも満たなかった小さな苗木が
すっかりふさふさになっていて、
うれしくなってしまった!
(この写真では全然わかりませんが向かって左奥のほうに、植樹した木が植わってます・笑)

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やっておいてよかったな。
三人の家族の時間が、そこに残っている。

そのように時間をかけて育っていくものを
これからわたしたちは
どのくらい残していけるだろう?

ほんとうにたいせつなものは、それだけなんだと思います。



by terasumonnmoku | 2016-07-12 21:02 | アート | Comments(0)