世界は美しい。珠的我流仏教解説。

今回草薙龍瞬さんにお目にかかるにあたり、仏教について例によって付け焼き刃のお勉強をしました(^_^)

我流の理解になりますが、
感動しちゃったのでシェア。


無常であるものは、
わたしではない
 
草薙龍瞬著「これも修行のうち」で  
引用された、サンユッタ ニカーヤの言葉

では、仏教における「わたし」とはなにか?

仏教学者中村元氏訳の、仏陀「真理のことば」
によると、

・ニルヴァーナ(涅槃)=作られざるもの。
・個人存在を構成している諸要素の生起と消滅とを正しく理解するのにしたがって、その不死のことわりを知りえた人々にとっての喜びと悦楽なるものを、彼は体得する。

この文章の珠的超訳はこちら
⬇︎

現象は「作られたもの」にすぎない。

「現象」のなるたるかを知り、そのすべてを取り払ったのちに残るものが本来の「わたし」である。
本来の「わたし」とは永遠であり、不死であり、また「ことわり、理〜宇宙の法則、秩序」そのものでもある。
これを知っていくことで、
人は喜びと悦楽を体得する。

そのありようを、ニルヴァーナと呼び、作られざりしものと規定する。


龍瞬さんによると、悟りにはさまざまな段階?があるが、悟った状態をニルヴァーナと考える考え方もあるそう。

また、仏教では、心がわからない状態を、「無知」、または「無明」というのだそうです。

大津先生の「智慧」は光である。と共通するものがありますね(^_^)

わたしたちは自分の心の根本を「知」ることで、明、光を獲得する。

そんなことを思いながら伺った龍瞬さんの法話。中で引用された、釈迦の最期のことばに感動しました。

1.世界は美しい。人生も、美しい。
2.アーナンダよ。わたしはお前に感謝している。(アーナンダとは、最期まで釈迦の身の回りのお世話をした弟子なのだそうです)
3.人生は短い。怠ることなく、それぞれの人生を成就せよ。

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なお、龍瞬さんご自身は悟りには踏み込まず、あくまで仏教のテクニカルな知恵をシェアするにとどめていらっしゃいました。

これは、悟ったらそれで終わり。という現代における小乗仏教的な風潮を疑い、真にひとを自由にする教えはなにか。という考え方を追求した結果と思われます。それはそれでとても重要ですね(*^_^*)

珠的には、ニルヴァーナを獲得したひと。真に悟ったひとは、決してそこで終わるのではなく、千手観音のように、ありとあらゆるさもないわたしたち、一人一人に寄り添い、真の救いを成し得ようとするもの。

故にそこを目指すことはとても大切と考えています。もちろん、テクニカルなところも大事にしながら!

せっかくの機会なので、もう少し、仏教における、悟りとはなにか、あるいは仏教そのものについて、お勉強してみたいと思っています☆

なんて長々と書いてしまいましたが、
結局のところ、


世界は美しい。人生は美しい。

の一言に尽きるのではないだろうか。
一見、この世界がそしてわたしたち自身が、どんな現れを見せていても、
それが変わることはないのです^_^









by terasumonnmoku | 2016-08-07 12:10 | スピリチュアル | Comments(0)

宇宙真理哲学講師、らくがきすと、即興ピアニストぷらす社会活動家(過労自死遺族当事者)働くことから世界を変えるをモットーに、さまざまな活動をしています。合言葉はREBORN.大事なのは、生きることだ!


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