2016年 12月 28日
かつて思春期を迎える息子に伝えて、とても良かったこと。
そうですね。支援を受けるためには、自分に起きたことをまず自分が受け入れなくてはならない。
わたしは自死遺族で、誰にでも(子どもにも)そのことを公表しており、だからこそ学校からも、塾からも、地域社会からも、サポートを得ることができました。
すごく珍しいケースだと思います。
現実には自分が、自死遺族であることを隠している場合がほとんどです。親は公表していても、子どもには秘密というケースがそれに続きます。(ただ、子どもに対する告知については最近考えが変わり、残された親が、自分の気持ちを整理できるなら、強いて子どもに事実を伝える必要はないんじゃないかと思うようになりました。が、それはそれぞれが考え、責任を負っていく問題です)
当然ですが、何が問題で、どう助けて欲しいのかを言えなければ、周りからの適切な支援は得られない。
しかし家族が突然自分でいのちを断つという、世界が突然、真っ黒になってしまった状況て、それを言葉にして伝えるのはとても難しい。
のしかかる罪悪感、差し迫った経済問題、子供の心配、折り重なる山積みの問題に頭をのっとられ、肉体的にも食べられず眠れずもうろうとした中で適切な支援を募り、生き残りを模索するためには、相当に強い意志が必要です。
同時に、周りからのどんな善意も、その状況では十分ではない。と知ることも必要です。
つらさは、あくまで自分が背負うしかない。自分以外の誰にも、自分を解放し、楽にできる人はいないこと。依存ではなく、自立という言葉を、わたしはそういう意味で使いました。
わたしは死後の生を確信しているので、なくなった家族のように命を絶ったとしても、そのつらさはなくならないと思っています。苦しみは、生きているうちに清算するしかない。
必ず立ち直れる。
そして、亡くなったご家族も、わたしたちが元気で幸せに生きていくことを望んでいます。好きでいのちを絶つひとはいない。ほんとうは一緒に、生きたかったはずだから。
コメントくださって、ありがとう。あなたの存在を知ることができて、わたしはとてもうれしいです。
最初の3ヶ月が一番つらい。
悲しいのは一生なくなりませんが、半年過ぎれば息ができるようになります。
今は、生きているだけでじゅうぶんだよ。