藍の会主催の、精神科医 野田正彰先生の講演会に行ってきました。
「喪の途上にて」「うつに非ず」などの著作でも知られる野田先生には
以前息子とうもろこしが、ものすごい状態だった時に
相談に乗っていただいたことがあるのです。
(先生についての過去記事はこちら↓
http://artandlove.exblog.jp/19226649/)

うつ状態と、鬱病はまったく違うものだというお話に衝撃を受けました。
鬱病は、なぜそれが発症したか、原因の特定ができないものであるのに、

今は、不眠や、過労、人間関係の悩みや、
環境の変化による落ち込みなど、本来の鬱病には当たらない症状で、
依存性の高い精神薬を過剰投与され、結果、廃人にまで追い込まれる人が増えているのだそうです。


凄惨な現状の告発のなかで
ひとは、ひととの関わりの中で成長し、
自らの困難を抱えたまま、それを克服してゆく。
どんな人にも、それだけの力がある。
薬は補助的なものに過ぎない。
本来の精神科医療は、もっとちゃんと人の話を聞き、
人が自ら立ち直る力をサポートするためのものなんだ。
という医師としての信念についてのお話がすばらしかった。

といっても、こう書くと、当たり前のような気もします。
でも現実に、当たり前じゃなくなってしまったのはなぜだろう?
先生によると、1980年頃までは先生のような考え方が主流で
うつ状態に効果も定かではない
強い薬を投与するようなことは、なかったそうです。

薬が売れれば、お金が動く。ということはあるにせよ
問題の本質は、わたしたちが自分自身の<生きる力>を
信じられなくなってきたことにある気がする。

受け入れがたい現状と折り合いをつけたり、病を癒したりするために
わたしたちにもともと備わった内なる力を信じられなくなり、
それを外に求めるようになった。
だからこういうことが起こってきたんじゃないのだろうか。

自分が精神科に行くことを考えたことはありませんが
わたしも息子については危なかった。
単に愛する者が傷つき苦しむのを見たくないだけなのに、
それを、心配や愛だと思い、
自分が彼を信じていないから、とは思っていませんでした。

野田先生に会わなければ危なかった。
(いろいろありますが、いまは元気!出会いに本当に感謝です。)

欲求があればそこに経済活動が生まれる。
残酷ですが当然の事実です。
自分に起きたことを考えてみると、マスコミの広報活動とか、社会の風潮とかいろいろ要因はあっても、
息子を精神科に連れて行こうと一瞬でも思ってしまったことの
背景には、<人間の実存>に対する認識の貧しさがありました。
彼が持ちこたえられると思えなかった。

たぶん、いま薬害で苦しんでいる人のほとんどが
当時のわたしと同じなのではないかと思います。
危機にあるときは、どうしても視野が狭くなる。
怖いし、それを脱出した後の姿を想像することは難しい。

だから、人と関わること。
誰のうちにもある<生きる力>を信じる人の存在が必要です。
それが光の道となり、蜘蛛の糸となって
その先の<生>につながってゆく。

ほんとうは精神科の医師の先生が
それをしてくださると効果倍増なのですが
現実は厳しい。野田先生だけ、ひとにぎりの良心的な医師だけでも大変です、
なんの権威もなくても、わたしは自分がしてもらったように
誰のうちにもある、内なる<生きる力>を
ちゃんと信じて、生きていくひとでいよう。と思いました。

この社会(人間とか人権の話ではなく単にシステムとしての社会です)には、
絶対の真実などない。
ひとつの社会における正しさとは、
そう考える人が何人いるか。
という、人数の問題に過ぎない、とわたしは考えます。
だから、世界を変えるためには、内なる力を信じる人の数を増やすことが
一番の早道だけど、

まあ、なにごともまず自分からなのだ!





by terasumonnmoku | 2015-04-01 21:00 | 精神科医療 | Comments(0)

グリーフケア研究会主催の精神科医泉谷閑示先生の、
「精神科医療者のための自死未遂者対応研修会」
に行ってきました。

もちろんわたしは精神医療者ではないし、
泉谷先生に対しても全く知識がなかったのですが、
頂いたフライヤーに掲載された泉谷先生の経歴の
「大学時代に音楽理論や、作曲法の個人教授を受ける。
エコールドノルマル音楽院に留学。」
の部分に猛烈に惹かれてしまったのです。

精神科医かつ、かなり専門的な音楽教育を受けた人。
妄想が膨らみます。
どんなひとだろう?
クラッシク音楽をこよなく愛したナチス高官みたいだったらどうしよう?

行ってみるとそんなことは全然なく、
お話のほとんどが、「真理」の話で、びっくり(ノ゚ο゚)ノ オオォォォ-

曰くフロイトの時代は、快楽<への意志>の時代。
アドラーの時代は、権力<への意志>の時代。
でも快楽も権力も、獲得してしまうと、生きる意味を再び喪失してしまう。
<への意志>というのは単なるベクトルで、
なにに、というより、この「ベクトル」そのもの、
常に何かに向かっていくということが大事。
そういう意味で<なにか>の部分に入るのは、
<美・真理・愛>のような
無限なるもの、であることが望ましい。
                                

また、2000年までは、機能不全な親子関係に起因する
ボーダー(境界性人格障害など)な人々の、
どちらかというと「熱い自死未遂者」が多かった。

2000年以降は、「生きる意味の喪失」というような
「冷たい自死未遂者」が増えている。
生きる意味がわからない人⇒なにがしたいかわからない。
なにがしたくないかもわからない。
それは、頭と心と体が、バラバラに機能しているから。

泉谷先生によると、心と体はいつも調和がとれていて、
矛盾がないのだそうです。ここはwant,like,快と不快を「判断する」場所。
頭は逆で、must,shouldなど、計算、比較、未来予測などを担当する。

「判断」は、頭ではなく心がするもの。という部分が
おもしろかった。
だから頭と心の連絡が途絶えてしまうと、自分が何を望み
どうしたいのかが全然わからなくなる。

そもそもはエデンの園で、アダムとイブが善悪の知恵の実を食べてしまったところから
この矛盾は発生していて、二元論に全ての根源がある。
この時から人間は、矛盾を内包するハイブリッドな存在になった。

よって、心(体)と頭の間にある蓋をあけ、
偽の自己を破壊し、本当に感じているその人の気持ちに
アクセスすることができれば、
そのひとは自分で自分の問題を解決できるようになり
生きる意味を問わずとも、さもない日常に喜びを見出し
生きていくことができるようになる。

葛藤があり、それを認識している
というのはどちらかというとまだ健全な状態なのだ。
というところがとても印象的でした( ^ω^ )

肝心の音楽が独特の治療法に与えた影響について質問すると
薬に頼らないので、精神療法のほとんどが会話によって行われる。
そのコミュニケーションのベースに
音楽がある。とのこと。
感情の盛り上がりに沿って、心を動かしていくのだそうです。
究極だわ(;`Д´)<

お昼をはさんで5時間の講義があっという間でした。
あまりに面白かったので、先生の著書
<「普通がいい」という病>を読むことにしました。
楽しみ<<<<








by terasumonnmoku | 2015-01-25 22:37 | 精神科医療 | Comments(0)

本名・前川珠子 らくがきすと・即興ピアニスト・セラピスト&震災復興途上の過労自死で夫を亡くしたひとりの遺族として、さまざまな活動をしています。東北希望の会代表、全国過労死防止センター幹事。高校生の息子<とうもろこし>と二人暮らし。なお、このブログは完全にプライベートな立場からの発信であり、東北希望の会のオフィシャルな活動とは基本的に関係ありません。

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