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イン・ザ・プール

何もする気持ちにならないので、本を読んでいます。

でも、4年くらい深刻な問題でいつも頭がいっぱいで、
新しい小説を読むことも、新しいドラマや映画を見ることもほぼなかった事を思うと
ずいぶん元気になったし、楽になりました。

というわけでこの「イン・ザ・プール」
マザコンで注射フェチで下劣で、それでいて憎めない精神科医伊良部と
性格の暗い、露出狂の看護師のいる伊良部総合病院の神経科にやってくる
パニック障害、被害妄想、その他神経症の患者たちのショートストーリをまとめたものです。

著者の奥田英朗さんは、この伊良部を主人公にした二作目の「空中ブランコ」で直木賞受賞。

とんでも医師の伊良部は、患者に神経症が気になるなら
ヤクザの車に当て逃げして逃げるといい。
など、とんでもないアドバイスをするのですが
それがあまりにばかばかしくて、笑ってしまう。

でも、確かに生命の危機のなかで
神経症的こだわりを発揮するのは難しく、
そういう意味で、伊良部が患者に勧める
とんでも行動療法は
意味があるのかもしれません・笑。

ほとんどの精神病が、病院ではめったに治らない事を思うと
こういう医師が存在してもいいような気さえしてきます。
一種のホメオスタシスとして。

患者がある程度快方に向かっていくのは
伊良部が、恥ずかしげもなく、そして自分を守ろうともせず
無防備に自分をさらけ出しているせいなのかもしれない。
そういう人がもし存在したら、それこそ貴重です。
なぜって、思い切りばかにできるし、自分を見せられるから。

みんなほんとうは、伊良部のように、あたかも5歳児のこどものように
振舞っていたいのではないのかな。
まあ男性としては好かれないと思うけど、人としてはそれはそれで魅力的だし
じゅうぶんありだと私は思うのですが。

それにしても、この強迫神経症(火の元を点検し続ける)とか
怒りを押さえつけて別のところに症状が出る。
などはいかにも誰にでも?起こりそうで
日常と非日常は紙一重ですね。

自分がそうなりそうになったら
伊良部医師をお手本に、なるべくくだらない毎日を送りたいと思います。


それにしてもおもしろかった!
あまりにもおもしろかったので、さっそく続編を注文してしまいました(๑'ᴗ'๑)
届くのが楽しみです♪゜・*:.。. .。.:*・♪

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by terasumonnmoku | 2016-01-14 22:39 | 読書 | Comments(0)

最近、読んだ本。
中沢新一さんも、この「はじまりのレーニン」も結構評判が悪いようですが、わたしは好きです(^_^)

政治と言うより哲学の話。
ヘーゲルの観念論が、マルクス、レーニンの中で唯物論に進化していく様子にドキドキ💕

資本主義という言葉そのものができたのは、19世紀のイギリスでのことで
この本にも、マルクス主義の源泉のひとつとして、イギリス経済学が挙げられています。

でも、経済活動そのものを生命と同じ「生きて変化するもの」とみなし、考察を進めたのはマルクスが初めてだったらしい。
その基盤にはヘーゲルの観念論があるのですが、ヘーゲルのその思想の源には
1575年に生まれた、ドイツ観念論の父と言われたヤコブ・ベーメの独特なプロテスタント思想に基づく「三位一体論」があります。

それはどういうものかというと、①無限で底なしの父が、あこがれによって結晶化する。
②それが、子である「底」となる。
③その子である底は意志(精霊・またはガイスト)を発生させる。
と、同時に子は無限である父を映し出す鏡となり、意志はよりはっきりとした意志となり、中心ができる。
その中心が心臓であり、ロゴスとなる。

「生命」とは、この父と子と精霊とが、対等の立場で相互陥入を起こす、ダイナミックで動的な運動である。
というもので、これはもうほとんどスピリチュアルな世界なのです・笑。
・精霊は父である神のペルソナを貫いて流れ、また子を通して感覚や愛となって存在の世界に流れ出る。(始まりのレーニン)



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この三位一体の運動をヘーゲルは「普遍ー特殊ー個別」三位一体の相互媒介(互いに影響し合い常に動的である)として概念を捉える、「概念論」として展開しましたが、マルクスはそこから、さらにこの三位一体論を経済活動に持っていきます。
ここから生まれたのがマルクスの「価値形態論」で
どうやら、「商品」のなかで、概念が自己変態と展開を遂げ、ついにたどり着いたところが「貨幣」だと言っているようなのです。
お金って奥深い。そしておもしろすぎます(´;ω;`)

宗教が哲学になり、観念論が唯物論になり、哲学が経済学になっていくさまに、ゾクゾク(๑'ᴗ'๑)

それにしても、仏教もキリスト教も「二元論をどうやって超越するか」というのが永遠のテーマのようです。
わたしたちが学んでいる真理は、ここに魔法のキーワード「多次元」を持ち込み
独自の一元論の世界感を成立させているところが、
すごい。と、改めて思いました。
この魔法ワードによって、「疎外」が愛によって超越される。
ということが起こる。

「多次元」って、わからないひとにはトンデモワードなのでしょうが、
実感としてあるのだから仕方がない。
ちなみに、このような、なんとかだから、なんとかだ。
という証明のつかない論法を
佐藤優さんは確か「トートロジー」と言っていたような・笑。







●二冊目の「アクティブ・ホープ」はsawa's cafe おすすめ本。持続可能な社会を、どう作っていくか。と言う物語。
個人的には、イギリスの医師が、あまりの過重労働に命の危険を感じ、意を決して立ち上がり、
裁判に勝って、見事労働環境の改善を勝ち取ったと言うストーリーに涙。
持続可能である必要があるのは、環境だけでなく、そこで生きる人間も同じです。


●三冊目の「火花」は、友人のおすすめで読みました。
確かにおもしろいです。
そして、内容は書きませんが、ラストがなんとも言えずほろ苦く、よかった。
フェリーニの「道」みたいだと思いました(^_^)


by terasumonnmoku | 2016-01-10 22:42 | 読書 | Comments(0)
事情があって、うつのことを調べなくてはいけなくなったので
今日は、こんな本を読んでいました。

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著者さわとんさんは、年度は違いますが
ドリプラの、プレゼンター仲間です。
ドリメンさんという、ドリプラサポーターの方に紹介していただき
お目にかかったことはないのですが、
FBでも、お友達になっていただきました(๑'ᴗ'๑)ありがとうございます!

仕事による過労とストレスから重度のうつを発症し、
マンションから飛び降り、幸い一命を取り留め
現在はカウンセラー、兼、日本セルフパートナーズ協会代表として活躍中のさわとんさん。
(セルフパートナーズ協会という名前には、「自分をまず一番のパートナー(味方)」にするという意味が込められているそうです)

さすがにご本人だけあって
内容に大変な説得力があります。

わたし自身は、人生において、死にたいと思いながら生きてきた時間の方が
元気に生きると決めて生き始めた時間よりも、未だに長いのです。
だから、そもそも暗くない人生を送っていた人が、
突然うつになったときにどうなるか。
という辛さの程度が、よくわからない。

想像するに、突然不幸になった人の方が
ずうっと不幸で生きてきた人よりもろいのかもしれない。
そして、そういう人には
あまり前向きな言葉は届かないんだろうなあ。
ということを思いました。

そんななかで、さわとんさんの、
<ものすごく元気がない状況の時も、
自分を見捨てずに済む方法>
は、ポテンシャルがかなり落ちている時でも
すっと受け止められる感じで、とても有効に思えます。

元気のないとき用の、愚痴っぽい友達を作る。
とか!

特に気に入ったのは、さわとんさんが、93歳の義理のお父さんに聞いた
「ひとはなぜ、生きるのか?」
についての答え。
「それだけはわからない」と、93歳のおじいちゃんは言ったそうです。

わからない。っていいな(๑'ᴗ'๑)

この件については、さんざん考えたことがあって、
生きる理由を獲得するために人は生きる。
という結論を、10代の頃に得たのです。

でもそれだと、理由が失われたら、生きる根拠も同時に失うことになる。
大変危険です。

いまは(本職のスピリチュアル系のセラピストらしく)、
「おそらく高次元にある、ほんとうのすんばらしい自分自身に同化するため」
だと思っているけど、
いずれ果てしがないので、
理性を持った大人としては、
やっぱり、「わからない」っていうのが正解なのだと思う・笑。

わからない。っていいな。
何でもかんでも簡単に説明が付いたら、
息が詰まります。
そもそも生命そのものがミラクルなので
生きることや、存在に対する畏敬の念は
必要なのではないでしょうか?

人の死亡率は100パーセント。
これを書いているわたしも
読んでくださっているあなたも
100年後には間違いなく死人です。

その日は明日来るかもしれないし、
30年後かもしれませんが
誰もが、終わりに向かって時を刻んでいることには違いない。

わたしの目標は、寿命を全うした暁に、満足感いっぱいで死ぬことで
たぶん、それはちゃんと達成できることでしょう・笑!











by terasumonnmoku | 2015-12-17 21:00 | 読書 | Comments(0)
「日の名残り」「わたしを離さないで」などで知られる
日系イギリス人作家カズオ・イシグロの白熱教室を見る。

その中で彼は、小説を書く理由について
「認識の層」にアクセスできるから。
というような事を語っていて、

それはどういうことかというと
表面的な意味だけではなく
幾重にも仕掛けられた暗喩などを通し
読む人に
様々なイメージを喚起することによって
多様な意味をもたらす。

というようなことだった。

得られるイメージは
その人の人生経験や、思考の枠組みや
あるいは人種や環境などによっても
いかようにも変容するだろう。

それでなお、どこかに普遍的なものがある小説が
きっといい小説なのだ。

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よく小説って、人間みたい。
と思う事がある。
ひともやっぱりそうで、
わたしの体験によると、自分の経験が浅く
見える世界が狭い、たとえば子ども時代に観る人は
いま目に映る人々の像より、ずっと薄っぺらかった。

目立つのは、どちらかというと嘘や欺瞞などネガティブなものだし
すてきなものは、意外と目に止まらない。

一つの嘘の影に、どれだけの真実が隠されているのか
子どもにはわからない。
だから簡単に人を裁いてしまう。

認識の層の深さは、人間的な成長によってのみ深まる。

たとえば天使的な人間がいて
全ての人を美しく見ていたとしても、

ひとりのひとの影が作り出す強さや
そこから受け取ろうとしている愛は
見ることができないに違いない。

「日の名残り」はイギリス人執事の物語で
「わたしをはなさないで」は臓器提供のために育てられた子供たちの話だが
どちらも、テーマとしては
ごく当たり前の、わたしたちの問題を扱っている。

主人公はそれぞれ
感情を表すことができず、職務の中で仮面をかぶって生きている男と
いずれ必ず死すべき人間で
どちらも、わたしたち自身。

それを小説として読むと
不思議と現在の自分を俯瞰で見ているような感覚にとらわれ
自分で自分を拘束している状態も
目的のない生も
どちらも、かけがえのない、なんとも不器用で、すばらしいものに見えてくる。

職務やあるいは、臓器提供のために死ぬなら
そんな人生もいいかも。と思えてくる。

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現代の社会には、文学的な視点が必要なんじゃないかと思う事がある。
どうにもならないことを、どうにもならないままに受け止める力は
科学ではなく、文学によって養われると思うのだ。

イギリスやフランスの政治家に文学者が多いのも
なんとなく頷ける。
答えの出ない問題が
この世界にはたくさんある。

全体に目を配り
より規模の大きな大勢にとって好ましい結論を出し続けるのが政治だと
わたしは思っているのだけど、
近頃は、みんな細部にばかり目がいって
全体としては、ひどくおかしなことになってしまっている気がする。

最近、余りにも人に会いすぎ小説が読めなくなった。
一人の人は、わたしにとって一冊の本のようなもので
人に会いすぎると情報の処理が追いつかなくなる。

そのひとのぶんだけ、物質に、社会に、あるいは宇宙に開いた窓がある。
ひとは、本よりずっと深く
興味が尽きない。



by terasumonnmoku | 2015-11-28 21:23 | 読書 | Comments(0)

「舟を編む」

「舟を編む」 三浦しをん


高校生の息子、とうもろこしの、
おすすめ本を読んでみました♪

辞書は、茫漠たる言葉の海を渡る船。

言葉はあまりに不完全で
粗雑な伝達手段で
だからこそ
この世界で、誰かと何かが通じ合うたびに
闇鍋で、運良く美味しい食べ物に
ぶちあたったような、得がたい幸福感を感じます(笑)


辞書編集者が主人公の地味〜なお話なのに、
辞書や仕事に対する愛がみっしりと詰まり、...
それでいてユーモラスで、
ほんとにおもしろい(T_T)


著者から取材を受けた辞典編集部の方は、
これを読んでどれほどうれしかったことでしょう!


わたしの中では、ワイシャツに黒い腕カバーをつけた、
しぶい辞典編集部の方が、

もともとこの物語が掲載されていた、
CLASSYという女性月間誌が発売されるたびに、
それをいそいそと買いに走るシーンを想像して、
胸が熱くなりました(^-^)

最後に収録されている
主人公「まじめくん」のラブレターは、必見。

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by terasumonnmoku | 2015-05-15 21:00 | 読書 | Comments(0)
中沢新一さんの「雪辺曲線論」読んでます。

この本買ったの、20年以上前。
読み始めては挫折し、読み始めては挫折し
でも処分することなく持ちつづけた。

そんな本を、最近一冊読み終えたので
調子に乗って、超ロング積んどく本、読破に再々挑戦!

買ったのはそんなに昔なのに
情けないことにタイミングは「今」みたい。
例えば始めの頃に引用されている
スピノザ「エティカ」からの、この文章。

「心の強い人は、あらゆるものが神の本性の必然性から
導き出されることに特に注意する。

そのために彼が不快で、しかも邪悪であると認識するもの、
またこのために彼にとって汚れた戦慄すべきものであり、
不正で、卑しいと見えるものは全て、
そのものの理解が無秩序で、断片的で、しかも混乱しているから
生ずるということに気づいている。」

これなんて、昔は読んでも全然わからなかった。
いまはわかる。

「あらゆるものに神の本性の必然性がある。

そのため、心の強い人は、不快さが、
不快さに対する、秩序だった理解の欠如、
混乱によって、起こることを知っている。」

ほとんどのひとは、怒りが外からやってくると思っている。


でも、データーがあるからスクリーンに映像が映るのであって
逆ではない。
わたしたちの中に<怒り>があるのであって
外部に「私たちを怒らせるものや人」がいるわけではない。

それを自分でちゃんと理解しているのが、心の強いひとだ。と
スピノザは言い、
かつ、すべてのできごとには神の理が備わっており
それが理解できないのは、その出来事のせいではなく
自らの不明によるのだ。ということが書いてある。

そりゃそうだ。

でもこれ理解している人は、少ない。
真理の学びも、アドラー心理学も
実はここから始まる。
避けて通れない。

無秩序と混乱に、新たな秩序を見出していくことを、
俗に「学び」と言う。。
とかね。
むむん~。

なんてことは置いておくとして、
今度は最後まで読めるだろうか。

この本を進めてくれた友達は
「密教の本だ」
と思って読んだと言っていた。
知らないことが多すぎる。。。。

読み終わってもいない本の感想を(ないけど)
試しに書いてみました(笑)

ちなみに雪片曲線論の前に読んでいたのは、
朝日新聞出版から出ている
吉田猫次郎さんというひとの

「借金なんかで死ぬな!」という本。

振り幅大きいけど、借金の世界もある意味フラクタル。
諦めないで交渉することで、劇的に状況を改善できます。
見た目とは違うことが世の中にはたくさんある。


























by terasumonnmoku | 2015-04-17 21:54 | 読書 | Comments(0)
先日読んだ泉谷閑示先生の「普通がいい」という病は本当に面白い本で、
わたしの泣きたいくらい好きなテネシー・ウィリアムズの「ガラスの動物園」からはじまり、
同じくらい好きな、十牛図で終わる。という、たまらない作りだった。

十牛図とは、禅の悟りに至る過程を10枚の絵で表したもの。

なぜ十牛図が好きになったかというとたまたまこの著者の知人の方から
↓この本をもらったから。
http://www.idotservices.info/page.cgi?kouitsu+ext3

ある日少年が。牛として象徴される<本当の自分>をなくしていることに気づき
牛を探す旅にでる。
本当の自分を見つけ、本当の自分と一体化し
さらには「自分」の輪郭も溶けて、宇宙そのものとなる。
そして里に下り、童子のような好々爺になってまた、牛をなくした少年にであう。
という一連の流れにぐっとくる。

でもほんとはね。
誰も牛を無くしてなんていないのだ。
命というのは永遠で、今私たちがここに生きているということは
牛が、常に我が胸の内のともにあるということ。
そしてその牛は、あることを表面意識の自分が認めることによって
はじめてここに、その姿を現す。

十牛図は、スピリチュアル的に言うと、次元の話と同じ。
バラバラに分かれているように見えて本当はひとつ。
ただ話をわかりやすくしているだけ。

「普通がいい」という病。に話を戻すと
自信がない。とみんな言うけど
自分という限りあるものを信じろって言ったって無理がある。
信じるなら、自分の中にある無限を、信じるほうが自然なんじゃないか。
と泉谷先生は言っていて
それはほんとにそうだと思った。
そして自分のなかの、一番弱い、壊れやすいものを大切にすることが、
実はその無限に至る最短の道なんだよ。っていうしくみに、涙する。




by terasumonnmoku | 2015-02-08 21:00 | 読書 | Comments(0)

被害者意識を手放す。

4月になりました!春ですねえ~。
陽射しも新しい。

希望の会の土井先生推奨、
水島弘子著「身近な人の<攻撃>がなくなる本」を読みました。

攻撃する人は「困っている人」。

ひとはもともと「自信がない」存在なのではなく、
だれもが自己肯定にあふれた自信のある状態からスタートし、
「被害者意識」を持つことによって
「自信のない状態」を創り出していく。

という考え方が、大変参考になりました。
(何もできない赤ん坊が、なぜ全能感にあふれているのか、というなぞが解けます)

相手の土俵にあがって被害者役を引き受けるのではなく
「攻撃」を、困っている人の問題表明と捉え
それに対してどういう行動をとるかを
改めて自分が選ぶ。
という立ち位置は、快適です。

態度を自分で決められる。
そこに反応してもいいし、しなくてもいい。

自由だ。

いざ「攻撃」を受けた時のショックは
転んだ時の「痛み」のようなもので
それに対して何かする必要はない。
というところもよかったし、
話しには直接関係ないけど、
著者の水島先生の顔写真がすばらしい(笑)

気持のよい考え方をする人は、見た目も気持ちいい。
見るだけで爽やかです。
爽やかで、かつ社会的にも成功している人が増えているのは、うれしい。

なぜこういう本を読んでいるかと言うと
意外とわたしは繊細なので(笑・いやまじ)
というか、今まさに人生の総括のようなことをしているため
自分の中から出てくる、変なもの(たぶん被害者意識)
に向き合わざるを得ない、やむに已まれぬ事情があるのです。

だいぶ前から、普通にしているときはいいのですが、
真顔で写真にとられたりすると
自分の顔に必ず「不満」と書いてあるのが見え
秘かにやだなーと思っていた。

先週熱を出して、ネガティブな感情が出てきた後は
大分薄くなったのでよかったです。
(そんなこともあって、泣き顔や、怒った顔がきれいなひとに、無条件で憧れます。)

「不満」と書いてあるのが見えたって
中身がわからなければ手放せない。
なかなか面倒です。
鏡を見るたびに、いちいち「ああ。不満、って書いてある」と思うのも
更に面倒です。

被害妄想のなかで、わたしって特別だわ。
と、うっとり思っていた時期が長かったけど
別に特別でも何でもなく、極めてよくある葛藤の持ち方だった。
と、最近思う。

ところで、夫がサポートしている研究者の方が
大変なことになってしまいました。
こういうのを見ると
「死ぬ」って、結局、何の解決にもならないんだなぁ。と
改めて思います。
夫は真面目な人だったし、亡くなる直前に、
自分が研究において力が及ばなかった部分を
すごく反省していた。
だから、亡くなった後もその続きをしていて
彼女を支えながら、いろいろなことを考えているに違いない。
生きるのも死ぬのも、シビアです。
逃れられない。

この本の中で
「攻撃」に対する考え方を変えることで
「<攻撃>そのものが実は存在しなかった」
というような解決のしかたが記述されていました。
そういうものかもしれません。

個々の人生におけるさまざまな課題も
煎じ詰めれば最終的に「課題そのものが、存在しなかった」
と、いう解決の仕方を見せるのかもしれないと思う。

でもどうなんだろう。
それで実際解決すると、
ぽか~ん。という感じになってしまいそう。

どうも荘厳さに欠けるような気も、するなぁ~。




















by terasumonnmoku | 2014-04-01 14:16 | 読書 | Comments(0)

つながりの作法

サブタイトルー同じでもなく違うでもなく     綾屋紗月・熊谷晋一郎著(NHK生活人新書)

以下敬称略

日常にあふれる温度、光の刺激、音、色彩などの情報を無制限に受け取ってしまうために、そこから意味を認知するための取捨選択ができず、適切な自己像を生み出すことが困難な、(外界に対し開きすぎてつながれない)アスペルガー症候群の綾屋と、

外界からの刺激に過度の身体的緊張をおこしやすく、社会との適切な情報交流を行い難い、(身体の結合が強すぎ、状況の変化に適応するのが難しいーつながりすぎる)痙直型脳性まひ車いすユーザーの熊谷による、

当事者研究(浦河・べてるの家、浦川赤十字病院精神科ではじまった、精神障害者と家族のためのリハビリテーションプログラム)を用いた、

他者と安全につながる方法を模索する著書。

「わたし」という自己像は、純粋に内面的な部分と、
他者からの認知によって構成される公的な部分とに分かれていると思うが、
その両者の「わたし」が、ある程度一体化した時、
ひとは幸福を感じるようにできているのだと最近思うようになった。

なぜ最近かというと、わたし(もんもく)の場合、長いこと他者のいない、他者からの認知によって共同制作される「私」を必要としない、ある種自閉的な世界に生きてきたからであるのだが、

それはさておき、いずれの「わたし」も
常に情報の出入り、によって絶え間なく作り変えられているのが、
ひととして健全なあり方であるだろう。

人が存在するということには、変化すること。が前提として含まれている。

父母、こども、性別、社会的地位、などなどの役割をどのようなスタンスで行うか、

意識や仕事や取り組むべき課題へのモチベーションの持ち方、
身体の状況、天気、政治経済状況、周りの人の人間関係、

変化するわたし(たぶん変化しているのは周りではなく自分なのだろうが逆に見える)
の前に立ち現われる世界を前に、わたしたちは絶え間なく、自己像を更新し続ける必要がある。

揺れることで倒壊することを防ぐ建物のように
変化すること、が自然なのだ。

そうしないと脆弱な自我は、どこかで悲鳴を上げる。

ある上司の下では問題なく通っていた自己像が、
別の上司の下では全く通用しないということもよくあるだろう。

いい子を演じるのが快感だったときもあれば、
その同じ行為が自分の首を絞めてゆくように感じることもある。

常にわたしたちは成長し、それに伴い環境も揺れ動いている。

ゆえに、わたしたちは常に自分を変化させ、よりハッピーな自己像を創造し、世界をより住みやすいものに変えてゆく必要がある。

べてるの家、とともにアメリカのAAからはじまった薬物依存アルコール依存回復プログラムを用いたダルク女性ハウスの実践について書かれていた。
そこで語られた「依存症のわたしたちって、変化したくないんです」(その後の不自由ー上岡陽江)という言葉はとても説得力があるものだった。

変化しないために依存を選んだ。
だから克服するためには、変化し続ける日常に、いかに自己を添わせてゆくか。

自らが自らの選択によって変わり続ける。とうことを決意しなくてはいけない。

確実に状況をコントロールできるような手法を手放して、
自我を常に新たな状況のもとに開示すること。

たしか岡倉天心の「茶の本」にあった、

「 茶の湯は即興劇である。そこには無始と無終ばかりが流れている。」
という文章がこれにあたるのかもしれない。

(別の訳で、この「即興劇」部分を「開かれた祝祭」としてあったのを見た気がするのだが、原文をどうしても発見できなかった。意味合いを考えるとここは、開かれた祝祭、としたほうがぴったりくるような気がするのだが、残念!)

常に開かれ、交流し、新たななにかに生まれ変わっている。
始まりもなく終わりもなく、永遠の現在ー今だけがそこにある。

わたしたちは宇宙にひらめく無限のパルス。

自己の存在の連続性に執着するのは愚かだとわかっていても
無限はあまりにもはてしない。

恐怖を断ち切り、
瞬間の中の永遠を感じ取るためには
自己の奥深くまで立ち入って白日の下にさらし、すべてで目いっぱい生きる(交流する。受発信する。)必要がある。



最初に戻るが、わたしには公の自己像。というものがない。

それは透視能力があるとか、4次元までしか意識が下りてきていないとかいうことの、
本人に感じられるきわめて具体的な顕れであって、
わたしは、この本を書いている綾屋さんや、熊谷さんと同じように
3次元的にものが見えないという、障害をもったひととして、自分を認知している。

困ることも多く、
特に親しい人との個人的な関係において大変困ったことを作り出す原因になっている。

なぜかというと、ひとは他者を否定したりさばいたり、
あるいは現状を打開するための解決策を見出すために、
この客観的な自己像から材料を持ってきて問題を指摘しあうことが多いが、
わたしに対しそれは全く効力をもたないために、当たり前な会話が成立しないのだ。

なぜそれが問題なのかがわからない。

それは関係の遠いひとにとっては刺激になろう。
しかし家族はつらい(に違いない。)

それはさておき(おくのか!?w( ̄o ̄)w!)

いいことももちろんあって、その副産物として、人のことが自分のことのようにわかる。
常に判断基準が自分自身である。とか。

あるいは妬みとか、人を嫌う感情から基本的に自由であるというのも挙げられる。

人をうらやましく思う。というためには、そのひとが自分と違う必要がある。
誰かを嫌いになるためには、距離がいる。

唯一わたしがうらやましいと思った人がいて、その人をうらやましいと思った、と友人にいうと、「うらやましいと思うということは、本来もんもくが、それを持っているということなんだよ」と言われたことがある。

「持っている」という言葉に違和感を感じ、そのことについてずっと考えていた。

うらやましかったのは、わたしが人生の目的のように思っていたことを、そのひとはできるけれども自分はできない。と思ったからなのだが、よく考えると方法が違うだけで私も同じことができるということが分かったので今はうらやましくない。

違和感を感じたのは、その「持っている」感覚のほうだ。

誰かが持っていたら、自分は持っていないんだろうか。
そんなことがありうるのか。

同じ場所にふたつのものがない。
というのとおんなじくらい、不思議だ。

ひとが持っていて、自分がない。
ということは、自分が持っていることとおんなじだ。
(だから人のものは自分のものになるのか?うーん。それとこれとは違うような)

わたしに必要なのは<経験>であって<もの>ではない。
だから昔からなんでも体験したいし欲しがる割には、それに執着することはない。

「持つ」「所有する」というのは、
きっと三次元にしか起こりえない感覚なんだろうな。

しかしその「ない」という感覚が紡ぎだす分離感は強烈であるらしく、
本書の中でも、綾屋の精神的トラウマを再現するカギになっている。

同僚の昇進をねたむ気持ちが、自分の無価感に結びついてゆくさまは、
大変な迫力がある。
彼女のそう強いとはいえそうもないアイデンティティが、今にも壊れてしまいかねないところまでいくのだ。

自分の感覚を共有すること。
経験を分かち合える安全な場所を確保することが、緊急に必要になる。

自分の焦燥を言語化し、それを一般化し、誰かと経験を共有することが、救いになる。
解決はしなくても。

解決策なんて、逆にないほうがいいのかもしれない。

解決は、この経験を言語化し公共化することによって、
その衝撃に耐えうる新たな自己像を作り出すという試みの過程に、
自然に本人が行なってゆくものなのだろう。

この体験をシェアするーというべてるの家の当事者研究の方法は、
すごくわかりやすかった。
ここでAAの、依存症の回復プログラムが使われているのも納得である。

あまりにすばらしいので、依存症回復プログラムで使われているお祈りと基本的な考え方の一部を抜粋して掲載してみた。
もしここまで読んでくれた人がいたら、↓みてみてね。

「平安の祈り」

神様、わたしにお与えください
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを
変えられるものは変えていく勇気を
そして二つのものを見分ける賢さを

AA(アルコホリークスアノニマス)12の伝統より

・わたしたちのグループの目的の中の最高の権威はただ一つ
 グループの良心の中に自分を現される、愛の神である
 わたしたちのリーダーは奉仕をまかされたしもべであって、支配はしない

・各グループの目的はただ一つ
 今苦しんでいるアルコホリークスにメッセージを運ぶことである
by terasumonnmoku | 2011-01-07 18:24 | 読書 | Comments(2)

1Q84

・1Q84  BOOK3  村上春樹(新潮社)

一月近くかけて読んだ。最後はよかった。
うちののんちゃんと最近読んだ本についての話をしていて

空気さなぎは、四次元と三次元、あるいはもっとほかの世界をつなぐ、通路のようなものなんだと思う。
という自分の感想を言ってみたら、
「そうかもしれないわね」としばし考えた後で、「でもそれは男性の通路であって、女性の通路ではないわね」
と答えが返ってきた。

確かに。

ここでわたしは四次元ということばを、物質界に対置する心の中の世界。
と言うような意味合いで使っているが、まず心の中に作られたものが、次の段階として物質界に生み出されるーと言う順序のようなものを考えた場合、女性にはわざわざ「空気さなぎ」を使う必要性はぜんぜんない。

産めばいいから。

男性と女性はネガとポジが反転しているよう。

男性は現実の上にロマンを構築し、女性はロマンの中に現実を手繰り寄せようとしている。

わたしたちは、その一種脳梁的な、長~いトンネルの真ん中で、出会うようにできているに違いない。

・王様ゲーム         金沢伸明 (双葉社)

モバゲータウン(携帯小説などの無料でさまざまなエンターテイメントが楽しめるサイト)で閲覧数1700万突破の、大ヒット超絶ホラー小説。
とうもろこし一号の野球少年団で、大ヒット。
ぐるぐると回し読みされるその本を、とうもろこしの横から取り上げて読んでみました。

とある学校のクラスに、王様からのゲームの指示メールが届き始める。
従わないものにはつぎつぎと罰が下される。

キスとか性交とか、年頃の男の子が好きそうな命令がさくっとあり、その罰が首吊りとか、失血しなど、すさまじいもので、そうでありながらゲームの説明は一切ない。

そしてだんだんみんな死んでしまうのだが、壮絶な状態でありながら、あんがい執着なくさらっと死ぬ。

バトルロワイヤルに似ているけど、熱いものとか、滾るものが感じられないのがとても不思議。

さわやかな、八墓村みたいなのだ。

でもおもしろく、一気に読んでしまった。残念なほどおもしろい。このおもしろさは、なんなんだろう。
もうちょっと良く考えてみよう。


・知らないと恥をかく世界の大問題   池上彰(角川SSS新書)
by terasumonnmoku | 2010-08-23 18:04 | 読書 | Comments(0)

宇宙真理哲学講師、らくがきすと、即興ピアニストぷらす社会活動家(過労自死遺族当事者)働くことから世界を変えるをモットーに、さまざまな活動をしています。合言葉はREBORN.大事なのは、生きることだ!


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