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事情があって、うつのことを調べなくてはいけなくなったので
今日は、こんな本を読んでいました。

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著者さわとんさんは、年度は違いますが
ドリプラの、プレゼンター仲間です。
ドリメンさんという、ドリプラサポーターの方に紹介していただき
お目にかかったことはないのですが、
FBでも、お友達になっていただきました(๑'ᴗ'๑)ありがとうございます!

仕事による過労とストレスから重度のうつを発症し、
マンションから飛び降り、幸い一命を取り留め
現在はカウンセラー、兼、日本セルフパートナーズ協会代表として活躍中のさわとんさん。
(セルフパートナーズ協会という名前には、「自分をまず一番のパートナー(味方)」にするという意味が込められているそうです)

さすがにご本人だけあって
内容に大変な説得力があります。

わたし自身は、人生において、死にたいと思いながら生きてきた時間の方が
元気に生きると決めて生き始めた時間よりも、未だに長いのです。
だから、そもそも暗くない人生を送っていた人が、
突然うつになったときにどうなるか。
という辛さの程度が、よくわからない。

想像するに、突然不幸になった人の方が
ずうっと不幸で生きてきた人よりもろいのかもしれない。
そして、そういう人には
あまり前向きな言葉は届かないんだろうなあ。
ということを思いました。

そんななかで、さわとんさんの、
<ものすごく元気がない状況の時も、
自分を見捨てずに済む方法>
は、ポテンシャルがかなり落ちている時でも
すっと受け止められる感じで、とても有効に思えます。

元気のないとき用の、愚痴っぽい友達を作る。
とか!

特に気に入ったのは、さわとんさんが、93歳の義理のお父さんに聞いた
「ひとはなぜ、生きるのか?」
についての答え。
「それだけはわからない」と、93歳のおじいちゃんは言ったそうです。

わからない。っていいな(๑'ᴗ'๑)

この件については、さんざん考えたことがあって、
生きる理由を獲得するために人は生きる。
という結論を、10代の頃に得たのです。

でもそれだと、理由が失われたら、生きる根拠も同時に失うことになる。
大変危険です。

いまは(本職のスピリチュアル系のセラピストらしく)、
「おそらく高次元にある、ほんとうのすんばらしい自分自身に同化するため」
だと思っているけど、
いずれ果てしがないので、
理性を持った大人としては、
やっぱり、「わからない」っていうのが正解なのだと思う・笑。

わからない。っていいな。
何でもかんでも簡単に説明が付いたら、
息が詰まります。
そもそも生命そのものがミラクルなので
生きることや、存在に対する畏敬の念は
必要なのではないでしょうか?

人の死亡率は100パーセント。
これを書いているわたしも
読んでくださっているあなたも
100年後には間違いなく死人です。

その日は明日来るかもしれないし、
30年後かもしれませんが
誰もが、終わりに向かって時を刻んでいることには違いない。

わたしの目標は、寿命を全うした暁に、満足感いっぱいで死ぬことで
たぶん、それはちゃんと達成できることでしょう・笑!











by terasumonnmoku | 2015-12-17 21:00 | 読書 | Comments(0)

「舟を編む」

「舟を編む」 三浦しをん


高校生の息子、とうもろこしの、
おすすめ本を読んでみました♪

辞書は、茫漠たる言葉の海を渡る船。

言葉はあまりに不完全で
粗雑な伝達手段で
だからこそ
この世界で、誰かと何かが通じ合うたびに
闇鍋で、運良く美味しい食べ物に
ぶちあたったような、得がたい幸福感を感じます(笑)


辞書編集者が主人公の地味〜なお話なのに、
辞書や仕事に対する愛がみっしりと詰まり、...
それでいてユーモラスで、
ほんとにおもしろい(T_T)


著者から取材を受けた辞典編集部の方は、
これを読んでどれほどうれしかったことでしょう!


わたしの中では、ワイシャツに黒い腕カバーをつけた、
しぶい辞典編集部の方が、

もともとこの物語が掲載されていた、
CLASSYという女性月間誌が発売されるたびに、
それをいそいそと買いに走るシーンを想像して、
胸が熱くなりました(^-^)

最後に収録されている
主人公「まじめくん」のラブレターは、必見。

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by terasumonnmoku | 2015-05-15 21:00 | 読書 | Comments(0)

中沢新一さんの「雪辺曲線論」読んでます。

この本買ったの、20年以上前。
読み始めては挫折し、読み始めては挫折し
でも処分することなく持ちつづけた。

そんな本を、最近一冊読み終えたので
調子に乗って、超ロング積んどく本、読破に再々挑戦!

買ったのはそんなに昔なのに
情けないことにタイミングは「今」みたい。
例えば始めの頃に引用されている
スピノザ「エティカ」からの、この文章。

「心の強い人は、あらゆるものが神の本性の必然性から
導き出されることに特に注意する。

そのために彼が不快で、しかも邪悪であると認識するもの、
またこのために彼にとって汚れた戦慄すべきものであり、
不正で、卑しいと見えるものは全て、
そのものの理解が無秩序で、断片的で、しかも混乱しているから
生ずるということに気づいている。」

これなんて、昔は読んでも全然わからなかった。
いまはわかる。

「あらゆるものに神の本性の必然性がある。

そのため、心の強い人は、不快さが、
不快さに対する、秩序だった理解の欠如、
混乱によって、起こることを知っている。」

ほとんどのひとは、怒りが外からやってくると思っている。


でも、データーがあるからスクリーンに映像が映るのであって
逆ではない。
わたしたちの中に<怒り>があるのであって
外部に「私たちを怒らせるものや人」がいるわけではない。

それを自分でちゃんと理解しているのが、心の強いひとだ。と
スピノザは言い、
かつ、すべてのできごとには神の理が備わっており
それが理解できないのは、その出来事のせいではなく
自らの不明によるのだ。ということが書いてある。

そりゃそうだ。

でもこれ理解している人は、少ない。
真理の学びも、アドラー心理学も
実はここから始まる。
避けて通れない。

無秩序と混乱に、新たな秩序を見出していくことを、
俗に「学び」と言う。。
とかね。
むむん~。

なんてことは置いておくとして、
今度は最後まで読めるだろうか。

この本を進めてくれた友達は
「密教の本だ」
と思って読んだと言っていた。
知らないことが多すぎる。。。。

読み終わってもいない本の感想を(ないけど)
試しに書いてみました(笑)

ちなみに雪片曲線論の前に読んでいたのは、
朝日新聞出版から出ている
吉田猫次郎さんというひとの

「借金なんかで死ぬな!」という本。

振り幅大きいけど、借金の世界もある意味フラクタル。
諦めないで交渉することで、劇的に状況を改善できます。
見た目とは違うことが世の中にはたくさんある。


























by terasumonnmoku | 2015-04-17 21:54 | 読書 | Comments(0)

先日読んだ泉谷閑示先生の「普通がいい」という病は本当に面白い本で、
わたしの泣きたいくらい好きなテネシー・ウィリアムズの「ガラスの動物園」からはじまり、
同じくらい好きな、十牛図で終わる。という、たまらない作りだった。

十牛図とは、禅の悟りに至る過程を10枚の絵で表したもの。

なぜ十牛図が好きになったかというとたまたまこの著者の知人の方から
↓この本をもらったから。
http://www.idotservices.info/page.cgi?kouitsu+ext3

ある日少年が。牛として象徴される<本当の自分>をなくしていることに気づき
牛を探す旅にでる。
本当の自分を見つけ、本当の自分と一体化し
さらには「自分」の輪郭も溶けて、宇宙そのものとなる。
そして里に下り、童子のような好々爺になってまた、牛をなくした少年にであう。
という一連の流れにぐっとくる。

でもほんとはね。
誰も牛を無くしてなんていないのだ。
命というのは永遠で、今私たちがここに生きているということは
牛が、常に我が胸の内のともにあるということ。
そしてその牛は、あることを表面意識の自分が認めることによって
はじめてここに、その姿を現す。

十牛図は、スピリチュアル的に言うと、次元の話と同じ。
バラバラに分かれているように見えて本当はひとつ。
ただ話をわかりやすくしているだけ。

「普通がいい」という病。に話を戻すと
自信がない。とみんな言うけど
自分という限りあるものを信じろって言ったって無理がある。
信じるなら、自分の中にある無限を、信じるほうが自然なんじゃないか。
と泉谷先生は言っていて
それはほんとにそうだと思った。
そして自分のなかの、一番弱い、壊れやすいものを大切にすることが、
実はその無限に至る最短の道なんだよ。っていうしくみに、涙する。




by terasumonnmoku | 2015-02-08 21:00 | 読書 | Comments(0)

被害者意識を手放す。

4月になりました!春ですねえ~。
陽射しも新しい。

希望の会の土井先生推奨、
水島弘子著「身近な人の<攻撃>がなくなる本」を読みました。

攻撃する人は「困っている人」。

ひとはもともと「自信がない」存在なのではなく、
だれもが自己肯定にあふれた自信のある状態からスタートし、
「被害者意識」を持つことによって
「自信のない状態」を創り出していく。

という考え方が、大変参考になりました。
(何もできない赤ん坊が、なぜ全能感にあふれているのか、というなぞが解けます)

相手の土俵にあがって被害者役を引き受けるのではなく
「攻撃」を、困っている人の問題表明と捉え
それに対してどういう行動をとるかを
改めて自分が選ぶ。
という立ち位置は、快適です。

態度を自分で決められる。
そこに反応してもいいし、しなくてもいい。

自由だ。

いざ「攻撃」を受けた時のショックは
転んだ時の「痛み」のようなもので
それに対して何かする必要はない。
というところもよかったし、
話しには直接関係ないけど、
著者の水島先生の顔写真がすばらしい(笑)

気持のよい考え方をする人は、見た目も気持ちいい。
見るだけで爽やかです。
爽やかで、かつ社会的にも成功している人が増えているのは、うれしい。

なぜこういう本を読んでいるかと言うと
意外とわたしは繊細なので(笑・いやまじ)
というか、今まさに人生の総括のようなことをしているため
自分の中から出てくる、変なもの(たぶん被害者意識)
に向き合わざるを得ない、やむに已まれぬ事情があるのです。

だいぶ前から、普通にしているときはいいのですが、
真顔で写真にとられたりすると
自分の顔に必ず「不満」と書いてあるのが見え
秘かにやだなーと思っていた。

先週熱を出して、ネガティブな感情が出てきた後は
大分薄くなったのでよかったです。
(そんなこともあって、泣き顔や、怒った顔がきれいなひとに、無条件で憧れます。)

「不満」と書いてあるのが見えたって
中身がわからなければ手放せない。
なかなか面倒です。
鏡を見るたびに、いちいち「ああ。不満、って書いてある」と思うのも
更に面倒です。

被害妄想のなかで、わたしって特別だわ。
と、うっとり思っていた時期が長かったけど
別に特別でも何でもなく、極めてよくある葛藤の持ち方だった。
と、最近思う。

ところで、夫がサポートしている研究者の方が
大変なことになってしまいました。
こういうのを見ると
「死ぬ」って、結局、何の解決にもならないんだなぁ。と
改めて思います。
夫は真面目な人だったし、亡くなる直前に、
自分が研究において力が及ばなかった部分を
すごく反省していた。
だから、亡くなった後もその続きをしていて
彼女を支えながら、いろいろなことを考えているに違いない。
生きるのも死ぬのも、シビアです。
逃れられない。

この本の中で
「攻撃」に対する考え方を変えることで
「<攻撃>そのものが実は存在しなかった」
というような解決のしかたが記述されていました。
そういうものかもしれません。

個々の人生におけるさまざまな課題も
煎じ詰めれば最終的に「課題そのものが、存在しなかった」
と、いう解決の仕方を見せるのかもしれないと思う。

でもどうなんだろう。
それで実際解決すると、
ぽか~ん。という感じになってしまいそう。

どうも荘厳さに欠けるような気も、するなぁ~。




















by terasumonnmoku | 2014-04-01 14:16 | 読書 | Comments(0)

つながりの作法

サブタイトルー同じでもなく違うでもなく     綾屋紗月・熊谷晋一郎著(NHK生活人新書)

以下敬称略

日常にあふれる温度、光の刺激、音、色彩などの情報を無制限に受け取ってしまうために、そこから意味を認知するための取捨選択ができず、適切な自己像を生み出すことが困難な、(外界に対し開きすぎてつながれない)アスペルガー症候群の綾屋と、

外界からの刺激に過度の身体的緊張をおこしやすく、社会との適切な情報交流を行い難い、(身体の結合が強すぎ、状況の変化に適応するのが難しいーつながりすぎる)痙直型脳性まひ車いすユーザーの熊谷による、

当事者研究(浦河・べてるの家、浦川赤十字病院精神科ではじまった、精神障害者と家族のためのリハビリテーションプログラム)を用いた、

他者と安全につながる方法を模索する著書。

「わたし」という自己像は、純粋に内面的な部分と、
他者からの認知によって構成される公的な部分とに分かれていると思うが、
その両者の「わたし」が、ある程度一体化した時、
ひとは幸福を感じるようにできているのだと最近思うようになった。

なぜ最近かというと、わたし(もんもく)の場合、長いこと他者のいない、他者からの認知によって共同制作される「私」を必要としない、ある種自閉的な世界に生きてきたからであるのだが、

それはさておき、いずれの「わたし」も
常に情報の出入り、によって絶え間なく作り変えられているのが、
ひととして健全なあり方であるだろう。

人が存在するということには、変化すること。が前提として含まれている。

父母、こども、性別、社会的地位、などなどの役割をどのようなスタンスで行うか、

意識や仕事や取り組むべき課題へのモチベーションの持ち方、
身体の状況、天気、政治経済状況、周りの人の人間関係、

変化するわたし(たぶん変化しているのは周りではなく自分なのだろうが逆に見える)
の前に立ち現われる世界を前に、わたしたちは絶え間なく、自己像を更新し続ける必要がある。

揺れることで倒壊することを防ぐ建物のように
変化すること、が自然なのだ。

そうしないと脆弱な自我は、どこかで悲鳴を上げる。

ある上司の下では問題なく通っていた自己像が、
別の上司の下では全く通用しないということもよくあるだろう。

いい子を演じるのが快感だったときもあれば、
その同じ行為が自分の首を絞めてゆくように感じることもある。

常にわたしたちは成長し、それに伴い環境も揺れ動いている。

ゆえに、わたしたちは常に自分を変化させ、よりハッピーな自己像を創造し、世界をより住みやすいものに変えてゆく必要がある。

べてるの家、とともにアメリカのAAからはじまった薬物依存アルコール依存回復プログラムを用いたダルク女性ハウスの実践について書かれていた。
そこで語られた「依存症のわたしたちって、変化したくないんです」(その後の不自由ー上岡陽江)という言葉はとても説得力があるものだった。

変化しないために依存を選んだ。
だから克服するためには、変化し続ける日常に、いかに自己を添わせてゆくか。

自らが自らの選択によって変わり続ける。とうことを決意しなくてはいけない。

確実に状況をコントロールできるような手法を手放して、
自我を常に新たな状況のもとに開示すること。

たしか岡倉天心の「茶の本」にあった、

「 茶の湯は即興劇である。そこには無始と無終ばかりが流れている。」
という文章がこれにあたるのかもしれない。

(別の訳で、この「即興劇」部分を「開かれた祝祭」としてあったのを見た気がするのだが、原文をどうしても発見できなかった。意味合いを考えるとここは、開かれた祝祭、としたほうがぴったりくるような気がするのだが、残念!)

常に開かれ、交流し、新たななにかに生まれ変わっている。
始まりもなく終わりもなく、永遠の現在ー今だけがそこにある。

わたしたちは宇宙にひらめく無限のパルス。

自己の存在の連続性に執着するのは愚かだとわかっていても
無限はあまりにもはてしない。

恐怖を断ち切り、
瞬間の中の永遠を感じ取るためには
自己の奥深くまで立ち入って白日の下にさらし、すべてで目いっぱい生きる(交流する。受発信する。)必要がある。



最初に戻るが、わたしには公の自己像。というものがない。

それは透視能力があるとか、4次元までしか意識が下りてきていないとかいうことの、
本人に感じられるきわめて具体的な顕れであって、
わたしは、この本を書いている綾屋さんや、熊谷さんと同じように
3次元的にものが見えないという、障害をもったひととして、自分を認知している。

困ることも多く、
特に親しい人との個人的な関係において大変困ったことを作り出す原因になっている。

なぜかというと、ひとは他者を否定したりさばいたり、
あるいは現状を打開するための解決策を見出すために、
この客観的な自己像から材料を持ってきて問題を指摘しあうことが多いが、
わたしに対しそれは全く効力をもたないために、当たり前な会話が成立しないのだ。

なぜそれが問題なのかがわからない。

それは関係の遠いひとにとっては刺激になろう。
しかし家族はつらい(に違いない。)

それはさておき(おくのか!?w( ̄o ̄)w!)

いいことももちろんあって、その副産物として、人のことが自分のことのようにわかる。
常に判断基準が自分自身である。とか。

あるいは妬みとか、人を嫌う感情から基本的に自由であるというのも挙げられる。

人をうらやましく思う。というためには、そのひとが自分と違う必要がある。
誰かを嫌いになるためには、距離がいる。

唯一わたしがうらやましいと思った人がいて、その人をうらやましいと思った、と友人にいうと、「うらやましいと思うということは、本来もんもくが、それを持っているということなんだよ」と言われたことがある。

「持っている」という言葉に違和感を感じ、そのことについてずっと考えていた。

うらやましかったのは、わたしが人生の目的のように思っていたことを、そのひとはできるけれども自分はできない。と思ったからなのだが、よく考えると方法が違うだけで私も同じことができるということが分かったので今はうらやましくない。

違和感を感じたのは、その「持っている」感覚のほうだ。

誰かが持っていたら、自分は持っていないんだろうか。
そんなことがありうるのか。

同じ場所にふたつのものがない。
というのとおんなじくらい、不思議だ。

ひとが持っていて、自分がない。
ということは、自分が持っていることとおんなじだ。
(だから人のものは自分のものになるのか?うーん。それとこれとは違うような)

わたしに必要なのは<経験>であって<もの>ではない。
だから昔からなんでも体験したいし欲しがる割には、それに執着することはない。

「持つ」「所有する」というのは、
きっと三次元にしか起こりえない感覚なんだろうな。

しかしその「ない」という感覚が紡ぎだす分離感は強烈であるらしく、
本書の中でも、綾屋の精神的トラウマを再現するカギになっている。

同僚の昇進をねたむ気持ちが、自分の無価感に結びついてゆくさまは、
大変な迫力がある。
彼女のそう強いとはいえそうもないアイデンティティが、今にも壊れてしまいかねないところまでいくのだ。

自分の感覚を共有すること。
経験を分かち合える安全な場所を確保することが、緊急に必要になる。

自分の焦燥を言語化し、それを一般化し、誰かと経験を共有することが、救いになる。
解決はしなくても。

解決策なんて、逆にないほうがいいのかもしれない。

解決は、この経験を言語化し公共化することによって、
その衝撃に耐えうる新たな自己像を作り出すという試みの過程に、
自然に本人が行なってゆくものなのだろう。

この体験をシェアするーというべてるの家の当事者研究の方法は、
すごくわかりやすかった。
ここでAAの、依存症の回復プログラムが使われているのも納得である。

あまりにすばらしいので、依存症回復プログラムで使われているお祈りと基本的な考え方の一部を抜粋して掲載してみた。
もしここまで読んでくれた人がいたら、↓みてみてね。

「平安の祈り」

神様、わたしにお与えください
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを
変えられるものは変えていく勇気を
そして二つのものを見分ける賢さを

AA(アルコホリークスアノニマス)12の伝統より

・わたしたちのグループの目的の中の最高の権威はただ一つ
 グループの良心の中に自分を現される、愛の神である
 わたしたちのリーダーは奉仕をまかされたしもべであって、支配はしない

・各グループの目的はただ一つ
 今苦しんでいるアルコホリークスにメッセージを運ぶことである
by terasumonnmoku | 2011-01-07 18:24 | 読書 | Comments(2)

1Q84

・1Q84  BOOK3  村上春樹(新潮社)

一月近くかけて読んだ。最後はよかった。
うちののんちゃんと最近読んだ本についての話をしていて

空気さなぎは、四次元と三次元、あるいはもっとほかの世界をつなぐ、通路のようなものなんだと思う。
という自分の感想を言ってみたら、
「そうかもしれないわね」としばし考えた後で、「でもそれは男性の通路であって、女性の通路ではないわね」
と答えが返ってきた。

確かに。

ここでわたしは四次元ということばを、物質界に対置する心の中の世界。
と言うような意味合いで使っているが、まず心の中に作られたものが、次の段階として物質界に生み出されるーと言う順序のようなものを考えた場合、女性にはわざわざ「空気さなぎ」を使う必要性はぜんぜんない。

産めばいいから。

男性と女性はネガとポジが反転しているよう。

男性は現実の上にロマンを構築し、女性はロマンの中に現実を手繰り寄せようとしている。

わたしたちは、その一種脳梁的な、長~いトンネルの真ん中で、出会うようにできているに違いない。

・王様ゲーム         金沢伸明 (双葉社)

モバゲータウン(携帯小説などの無料でさまざまなエンターテイメントが楽しめるサイト)で閲覧数1700万突破の、大ヒット超絶ホラー小説。
とうもろこし一号の野球少年団で、大ヒット。
ぐるぐると回し読みされるその本を、とうもろこしの横から取り上げて読んでみました。

とある学校のクラスに、王様からのゲームの指示メールが届き始める。
従わないものにはつぎつぎと罰が下される。

キスとか性交とか、年頃の男の子が好きそうな命令がさくっとあり、その罰が首吊りとか、失血しなど、すさまじいもので、そうでありながらゲームの説明は一切ない。

そしてだんだんみんな死んでしまうのだが、壮絶な状態でありながら、あんがい執着なくさらっと死ぬ。

バトルロワイヤルに似ているけど、熱いものとか、滾るものが感じられないのがとても不思議。

さわやかな、八墓村みたいなのだ。

でもおもしろく、一気に読んでしまった。残念なほどおもしろい。このおもしろさは、なんなんだろう。
もうちょっと良く考えてみよう。


・知らないと恥をかく世界の大問題   池上彰(角川SSS新書)
by terasumonnmoku | 2010-08-23 18:04 | 読書 | Comments(0)

天地明察・ほか

天地明察     沖方 丁(角川書店)

2010年の本屋大賞受賞作品。時代小説。渋川春海(1639-1715年)という、実在のお城の碁打ち衆の家に生まれた若者が、
算術に興味を持ち、時代の優秀な人々の力を借りながらその延長線上の天文学ー暦の作成。および改暦の実現にいそしむという物語。

出てくる人物が良い。へこんだり、やる気を見せたりする春海。算術の天才、一瞥即解の士、関孝和。北極出地観測隊を率い、後に改暦と渾天儀製作(地球儀の宇宙版)を春海に託し死んでいった建部昌明、伊藤重孝、改暦を春海に密かに命じた会津藩主保科正之、神道の師山崎闇斎、水戸光圀。登場人物のキャラが立っていて、ぐっとひきつけられるのだ。

魚屋の息子に生まれ京都に出て、吉田神社に仕える卜部吉田家の神道を継承し更に発展させた、神道研究家、吉川惟足の思想がいい。

「天照大神は世を治めた要領は、次の三つの他はない。

まず己を治めて正しくし、私をなくすこと。

仁恵を重んじて民に施し、民を安んじること。

多くを好んで問い、下情(世情)を詳しく知ること。」

神の働きを意味する<誠>、その働きに達するための<敬・つつしみと読みます>、実践の方法たる<祓い>。天地万物の本源たる神は、人間一人ひとりのうちにも在る、という思想。
ちなみに会津若松の藩主保科正之は、神道上の称号を取って、土津(はにつ)公と呼ばれるが、その土(はに)とは、宇宙を構成する万物の根源であり、その最終的な姿を意味しているのだそうだ。
神と霊と人の心を結ぶもので、神も霊も心も、結局は同じものが別の形をとっている。

沖方 丁氏によると「神道はゆるやかに、かつ絶対的に人生を肯定している」という。

禊の本意たる「身を殺ぐ」という言葉にさえ、穢れをそぎ落として清めるー意味はあるが、穢れを消滅させる。かがれたものを滅ぼすという意味合いはないらしい。

左手は火足すなわち陽にして霊。
右手は水極すなわち陰にして身。
拍手とは、陰陽の調和、太陽と月の交錯、霊と肉体の一体化を意味し、火と水が交わり、火水(かみ)となる。

拍手は身たる右手を下げ、霊たる左手へと打つ。
己の根本原理を霊主にさだめ、身、従う。

このとき、神は火水に通じ、神性開顕となって神意が下りる。
手を激しく打ち鳴らす音は、天地開闢の音霊、無に宇宙が生まれる音である。
それはアマテラス大御神の再臨たる天岩戸開きの音に通じる。

光明とは、いわば種々に矛盾した一つとなって発する輝きである。

恐れや迷いを祓い、真に求めるものを自らに知らしめ、清廉潔白となる。

・・・・・・・・・・なるほど。
俄然、神道に興味がわいてきました。

・松下幸之助に学ぶ人生論         飯田史彦(PHP研究所)

松下幸之助が、飯田先生の枕元にたたれ、この本を出すように依頼した、らしい。

といういきさつは別として、わりと普通な幸之助さんの本です。
すでに出版されている資料をまとめつつ編集したものである。

「願望の達成とは、願望の程度によって成り立つ」とか「やらねばならないと信じて行ったときに本当の勇気がわく」とか

「100人までは命令で動く。1000人になるとしてください、という心の柔らか味がないと人はついてこない。10000人になるとくださいでなく、頼みます。になり、更に数が増えると拝みます。という気持ちがないと動かないのやないかな」

「宇宙根源の力は、善人悪人の区別なく、全ての人間に平等にその恵みを与えているのである。」

「学問や体験によって認識した真理を、信じあう心の上にあてはめてなければならない。この信ずると言う心の働きを、正確な理解のうえにのせて生かしていくことが、信解両全」

「繁栄をもたらすものを、真理だと考えていいと思います。」

「完全な成功とは、恵まれない地位にあっても、貧乏な境遇にあっても、人に誹謗されても、心からほんとうにその逆境を愉しみ、笑いうることをいうのではないだろうか。」

という部分が、とても良かったです
by terasumonnmoku | 2010-06-10 23:58 | 読書 | Comments(0)

サブタイトルは、-運を戦略的につかむ勝間式4つの技術ー

著者は今をときめく経済評論家(兼公認会計士)

最初NHKの仕事学の番組で知り、後に著書を書店でみかけ、テレビで見る本人の印象と、著書に対するわたし自身のイメージにギャップがあるところに興味を持って読んでみた。

(著書は開放的で、シンプル。
だが、テレビで見る感じは、慎重で石橋を叩いて進むよう。
インタビュー対象に接しつつ、同時に頭のなかの電算機ーコンピューターではなくーがカチカチと音を立てて、同時進行でさまざまな情報を処理している、という感じ)

ただのインタビュアーではないから、物を考えているように見えるのが当たり前なのに、なぜかとても不思議に思う。

わたしのなかの評論家。の範疇をはみ出している。

情報処理の仕方が、人と違うのだ。
普通の人は、自分なりの情報の整理棚を持っていて、そのストーリーにはまらないものは
スルーするように制御している。
入れるとしても、ちょっぴりずつだ。
(それはちょうど、みんなの頭の入り口(?)に、見張り役の小人が立っていて、その情報が要か不要か、
新しい情報を受け入れても、主要自分キャラ=プライドーがダメージを受けないか、を常に慎重に検閲しているみたいなのだ。)

しかしこのひとの頭の中には、ダイレクトに入れられるブラックボックスのような仮置きスペースがあり、既存の棚で整理がつかないものは家に持ち帰って内容を再度吟味する。という感じなのである。

しかも彼女はブラックボックスに新しい情報が入るのがうれしくて、
必要があればそれに合う棚を新たに作らなくては、というような真剣さを持つのだ。

新しい情報が自身にとって画期的なものだったとしたら
棚そのものをそっくり変えるだけの用意がある。位の勢いだ。

もしかしたらこのひとは、自分が興味を持って人に接するときに、
最初から「結論」を持つ。ことをしていない人なのかもしれないな。と思った。

マスコミ(といっていいのかどうかわからないが)で働く人の中で、
それが限定された対象であったとしても、「結論」ー別の言い方をすると先入観ーを持たずに接するというのは、かなり珍しいことなのではないだろうか。
自分なりの訓練によって、かなり広く大きい範囲で情報を処理することができ、その取り扱いにすぐれている。ということなのだろうなあ。
別の言い方をすると、アイデンティティがきちんと確立されている。ということなんだろうなあ。
さらに本文中の言葉を使うと、アサーティブな振る舞いが、頭の中でもできている。ということなのだろう。

このアサーティブという概念は、まさに今の私のテーマ。
Assrtive-Having or showing a confident and forceful personality.
自信があり、説得力ある人柄の印象を持っていること、または示すこと。

アサーティブな振る舞いとは、相手も自分も大事にする自己表現の技術。

それは本当に自信を持っている人の謙虚な振る舞いであり、問題が起きたときに情報を包み隠さず共有し、智恵を出し合って共同で問題を解決していこうという発想であるらしい。

本当の意味で相手を大切にする。それがビジネスパートナーでも、プライベートでも。ということなのかもしれないなあ。

成長するたび、失われバージョンアップして更新する性質を持つ私たちのエゴは、
古いバージョンの自分を守るため、いつも汲々としている。

だから、ただの予感程度でも、自分の存在に不利な匂いをかぎつけると、たちどころに臨戦態勢にはいる。
そうするとわたしは過度に防衛的になり、成長のためのチャンスがうまく生かせなかったりーということを長いことしてきた。
しかしそんなことをして、わたしはいったい何を守ってきたのだろうと思うのだ。

全てを明るみに出し、問題をシェアすればよいではないか。

すばらしい。
タイトルもすばらしい。

読み進むうちに↑これが著者が薦める「フォトリーディング」の手法でもあるんだな。ということに思い至った。
著者は本を読む。だけでなく、人に会って何かを吸収しようとするときに、こういう方法を使うのだろう。
このやり方は大変効率がいいと思う。
フレームワークごと、相手を取り込む。

誰かが主張する方法や言葉は、その考え方の枠組みごとでないと使えない場合がほとんどだ。
だからただ好きなところを好きなように摂取するだけでは、役に立たない。

なるほど。

半年以上本が読めない時間が続いていたが、久々に最初から最後までちゃんと本を読んだ。

ビジネスを基盤に置いた精神世界の本、として読む。
精神性をいかに高め、現実世界にそれを生かしていくかということが丁寧に書かれている。

シックスセンス的なものを大事にしたり、原因と結果の法則および引き寄せの法則を多用したり(自分の成長パスに有利なよう考える内容も想定して未来を作ってゆく)大きな目標設定をまず決めておくとか。

人に感謝されることが原動力というのはよくわからないが、でも利他精神とか、より大きな目的のために今を設定してゆくという感覚はとてもすばらしいと想う。

香山リカさんと論争しても、論点が違いすぎて難しいだろうなあ。
未来は作れる。と考える人と、どうしようもなく不幸は在る。と思う人に接点があるようには思われない。
どうしようもないことがあると思うことには、意味があるのか。そこから未来につながる何かが生まれるのか。
ということも、精神が健全なら考えられるけど、香山さんの相手の患者さんにはすぐにはむずかしいだろう。

情報も思いも力だし、持てる力をどう扱うかは本人しだい。
そこはそれぞれが自分で考えるしかない。
by terasumonnmoku | 2010-04-10 03:02 | 読書 | Comments(0)

4月の本(奇跡の脳)

・奇跡の脳  ジル・ボルト・テイラー 著  竹内薫訳(新潮社)

著者は著名な神経解剖学者。
37歳で、脳卒中のため、左脳の言語機能や、身体の境界、空間と時間を把握決定する機能を持つ方向領域連合野の機能を大幅に失う。

本書は著者が、そこから8年かけて回復(社会復帰)してきた過程と、
左脳の機能を大幅に失った状態で見た世界とはどんなものであったかを綴った物語。

機能喪失してからの世界の記述は、学術書ではなく、スピリチュアル関係の著書のようだ。

彼女はそこで、宇宙との無条件の一体感、エゴを超越した完全性、至福を体験する。
平和で安全で満ち足りていて、全てと一体であり、何一つかけたものがない状態。

存在をエネルギーとして感じたり、宇宙との一体感が無条件にあったり、
身体が流体に感じられたりするのは、
深いスピリチュアルな体験を除いては、通常はこんなふうに左脳に致命的な障害をおった場合に起こることらしい。

左脳が認知能力を取り戻した後は、その一体感は失われる。

わたしたちが体験する「現実」を創りあげる左脳の物語作家が、
物事に批判的な厳しい注釈をつけ始め、
自分がどんな思考を選び、どんな思考を望まないかを厳しく峻別する必要がでてきた。

と、彼女は書いている。

ネガティブな思考が自分にどんな感覚をもたらすか、について考え、それを選択しない自由を獲得した。

と。

たとえば危機的、あるいは極度に否定的な反応を引き起こすような事態に遭遇したとき、ほんとうに感情的な混乱がまき起こるのは、神経系が反応するわずか90秒の間だけなのだそうだ。

その90秒間さえやり過ごせば、それ以上その思考や、その「現実(というのは常にバーチャルなものだという前提をもって)」を、受け入れるのを拒否する自由を、わたしたちは持っている。
(これはやったことがある。怖いという思いをじっと耐え、90秒が過ぎると、情況は何一つ変わらないままで、恐怖は消滅する。一度ちゃんとやり過ごすと、同じことでは反応しなくなる。すっごく不思議)

左脳の代替能力が目覚め、日常生活が可能になり、身体の感覚がもどって世界が再びくっきりとした輪郭に包まれても、右脳がもたらす至福を、思い出すことはできる。らしい。

外界の知覚と外界との関係が、神経回路の産物。というのはとてもよくわかる。
(これは右脳マインドの感覚らしいが)

逆に言うと、左脳が優先される世界では、その神経回路の産物が、常に当事者によって、
存在を確認され続けている、ということがいえるだろう。

ものごとはそれがある、と思うことによってのみ、存在が可能になる。
ある。と思うことによって、その瞬間だけその状態が実現される。

わたしにとって、わたしの身体や名前や性別や、経歴なんかは、エネルギー的には存在しないもの。

という感覚で生きていると、ものごとを形にすることはすごく大変だ。
そもそも最初から完全に一つという感覚が強すぎたら、
別に自分がががんばって何かする必要は、なくなってしまう。

わたしにも、リハビリが必要かも。と読んでいて反省した。

(しかし何度か見直したが、三次元に復帰するための手順自体は、そう詳しく書いていない。歩くことによって身体を極限まで使う。というのと、勉強によって頭を極限まで使う。のがよかったらしい。というくらいだ。後、小さな成果を重ね、手順を踏むということ。考えたら、彼女は個体として三次元の世界を生きるためのビジョンをすでに持っていたのだから、ビジョンがないひとがやるのとは違うかもしれない。)

最近激しい運動は始めたので、今度は段階を追って、形にこだわるということに挑んでみよう。

好きな思考を選び、全体性の充実に思いをはせながら、左脳を立派に使いこなせるように。
そして好きな形をこしらえることができるように。

まず、スタートは、身体がここにあるとおもうことからだな。

とほほ。
by terasumonnmoku | 2009-04-10 16:03 | 読書 | Comments(0)

生きる意味が見つからないなら、自分で創って育てちゃおう!というブログです。やっていることはさまざまですが、常に生きることに向かっています。

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