カテゴリ:アート( 57 )

友達の、女優くみちゃんが参加している

荒馬の旅企画〜.砂漠のトンネル
のリハーサルを見せていただきました*\(^o^)/*

もうもうもう、最高です!!!!
今まで見たお芝居の中で、一番好きかもしれない!

明日が本公演ということで、
残念ながら詳しくは書けないのですが、
一瞬も退屈することなく、ステージに釘付けになってしまいました*\(^o^)/*

感情や、断片的な言葉の扱いがまるで音楽のようです。
俳優さん全員が、超素敵♡
そして見ていて、もがいている自分たちの日常が、とても愛おしくなります。

どうしようかなー?と迷っている方がいらっしゃいましたら、ぜひぜひ見に行ってみてください!!!!!
絶讃おすすめ中です♡

仙台本公演は6月4日14時~、19時~、5日14時より。
こちらでチケット入手できます*(^o^)/*


c0195362_22074762.jpeg


くみちゃん、モデルのなかまきちゃんと三人でとってもらった写真!
わたしの顔が得意そうなことには理由があるのですが、
ネタばれになってしまうので、
公演が終わってからこっそりもう一枚、アップします・笑。






by terasumonnmoku | 2016-06-03 21:57 | アート | Comments(0)

Peace Love Kumamoto



c0195362_21353568.jpg



おとといの深夜、九州を思いながら、祈りを込めて描いた絵です。

今年(2016年)の3月11日のイベントは、

わたしにとっては過去の傷に向き合い
次の時代に行く節目の時でした。
余裕ができてきたからこそ
出てきたのでしょうが、ほんとうにつらかった。

そんな状況であたらしい「希望」を紡ぐことが果たして自分にできるんだろうか。
と、思いました。

でも、仲間に支えられ、即興のピアノで例年とは全く異なったフレーズの音楽を奏でた時
自分の中で、なにかが切り替わりました。

大黒柱である夫を亡くし、13歳の息子を抱え
住む家も、まともな職も、貯金もなく、あるのは借金と苦痛だけ。
というなかから、立ち上がってきた自分に、改めてつながったのです。
結果的に、わたしは「自己に対する信頼」を獲得したのでした。

ほんとうに、宇宙の采配には無駄がありません。

今、新たな被災地が必要としているのは
物質的な支援のほかには、
恐怖でも、同情でもなく
すべてを乗り越えてきた自己に対する信頼と、
それが創りだした
この、「愛と平和」だと思うから。

わたしだけでなく、あの東日本大震災を経験してきた方は、
みんな何かを乗り越えてきた。
だからわたしたちの祈りには、力があるのだと思います。

この絵がどうか、みなさんの<祈り>の方向性を定める
羅針盤のひとつとなり
九州に必要な祈りが届きますように。


by terasumonnmoku | 2016-04-18 22:15 | アート | Comments(0)
「天国にいる一つ一つのいのちに見える~!」

昨日アップした、Hope〜というこの絵に、
小学生のYちゃんが、こんなに↑素敵な感想を教えてくれました(^_^)
(ゆっき、ありがとう*\(^o^)/*ほか、たくさんの感想をくださったみなさま、ありがとうございました!)


c0195362_22184928.jpeg


ずっと昔にアップした「フクシマ」と言う絵には、
当時小学校二年生だったNちゃんという女の子(自信ないけど確か~)
がこんな感想を寄せてくれたことがあります。


「これはまるで、<あなたは、そのままでここにいていいのよ。>
って、言ってくれているような絵だね」



c0195362_09351335.jpg


絵を通して、ひとは自分自身に
向きあっています。

だからそんなふうに感じられるのは、
Yちゃんがいつも心の中に
<天国>というものを、リアルに感じているからだし、

Nちゃんは「ここにいること」自体が
「奇跡」だということを、
わかってる。と言うことに、他なりません。

子どもの感性って、すごい。
描いている本人は
そんなことはまるで考えていなくて
いつも「明確なのに形を持たない、ある特別な感覚」を四苦八苦しながら
顕しているだけなのに・笑。

この子たちだけが特に感性に優れている。
というわけではなくて、
ひとは誰しも、そういう、ある種天国的な感覚を
備えて生まれてきます。
けれども人間経験が長くなり、
大人の価値観を植えつけられていく過程で、それは徐々に心の奥深いところに
しまい込まれてしまう。

存在することすら気づかないほどの、深部に。

奥底に格納されたそれこそがまさに、生きている実感だったり、
生きることの喜び、と言うものだったりします。
誰もが子どもの頃は、自然に持っていたもの。
持っていることにも気づかず
忘れてしまっているけど、
決して失われることも、損なわれることもないもの。

そこで遊び、そこで笑い、
そこで夢をみて、そこで愛をわかちあってきたところ。

長い眠りから覚めて、
わたしたちはすこしずつ、その場所に還って行くのです。


by terasumonnmoku | 2016-04-01 21:36 | アート | Comments(0)
曾我蕭白(しょうはく)の龍が好き。
この生の絵をはじめて見たとき、
あまりの迫力にしびれた。

c0195362_21492069.jpeg
(ボストン美術館所蔵 雲龍図 部分)

蕭白は1780年代に生まれた絵師。狂人と呼ばれ、
同時代には伊藤若冲、円山応挙などがいる。

蕭白は「本当の絵が欲しければ俺に言え。絵図が欲しければ応挙でよかろう」
などということを言っていたらしい。
応挙の松もすごくいいけど、
蕭白の絵には
それとは異なったよさがある。

人の欲望や狂気を正面から冷静に描き、
当時は不吉の象徴と言われた「虹」を
富士山と並べて金泥で美しく描き出す。

すごく不思議なのは、この鷹に襲われようとしている鶴の絵と

c0195362_21495269.jpeg
(波濤鷹鶴図屏風 部分)

腹を空かせてへたりこんだ鬼に、自分を食わせようとしている釈迦の前世の童子の絵で

c0195362_21501553.jpeg
(三重県継松寺 雪山童子図)

それはイタチに追われて井戸に落ち
どうせ死ぬならイタチの餌になりたかったと嘆き
神様に自分の体をさいわいのためにお使いくださいと祈り
夜空に燃える星になった。
という宮沢賢治の蠍の話にも通じる
「ほかの命のための犠牲」というテーマで、

同じ現象が、悲痛にもなり、宗教にもなり、どこか悦楽的にも描かれうるということが
目で見るととても斬新。
魂の進化的序列を無理やり付けると
 鷹に追われる鶴<蠍の火<雪山童子
の順で、偉さが増していくのかもしれない。

ほかの存在に喰われる。というただそれだけの現象に
これだけの解釈があることが、たまらなくおもしろい。

先日引用したレヴィナスには続きがあって、
わたしたちを幸福にする全てのもの=糧に対する死活的な欲求は、単なる欠如ではない。
「幸福は欲求の<満たされないこと>によって、満たされるのである」

というふうに展開していくのだけど、

食うものと食われるものという構図の中に
「わたし」という単体を考えるだけでは理解しにくい
満たされない、ことによって満たされていく一連の現象が
とてもうまく描かれているような気がする。




by terasumonnmoku | 2016-03-08 21:48 | アート | Comments(0)
今日は納品でした(๑'ᴗ'๑)

注文いただいてから4年!
完成までにかかった時間としては
いままでで最長です(ノ゚ο゚)ノ オオォォォ-

二枚組。
というところも、今までとは違っています。

もともとライトグリーンがベースのエネルギーの方で
向かって左手の感じの絵はすぐに描けていたのですが
なんともピンと来ない。

生き物のように、波動が立ち上がる感じが必要なのに
なかなか着火剤が手に入らない感じのまま、4年。

次の段階に向かう絵を描いているので
その進捗はご本人様の魂の成長にかかっています。
いくら透視能力があっても
ないものは描けない。

発芽を待つ時間が続きました。
そして、「今なら描けるかも!」というタイミングでの今。

ようやくハートの内側から
いままでなかった、「発展する秩序の中の自由とよろこび」のエネルギーが立ち上がり
ついにそれを捕まえることができました(´;ω;`)

でも、そのエネルギーはまだ生まれたばかりで
発芽を描いただけでは反応が薄いのです。
その前の段階、ライトグリーンのきらめきの中に
自由とよろこびが光を放ち始めたところが必要だったようで
結果、二枚組での販売となりました。

現在のところライトグリーンの絵のほうが反応が強いですが
やがて右側にバトンタッチしていくもよう。

ご本人様に伺ったところ、やはりかなりな混迷が続いていたようで、
ご自身でもタイミング的に今だと思いました。とのことで、
ばっちりだったようです( *˘ᵌ˘)♪
一緒に次を見つけていたのかもしれませんね。


あなたの魂の扉を開けるKey Art。
波動共鳴装置としての絵です。

不思議なことに、注文を受けて書いた絵は
写真ではほとんどパワーが伝わらない・笑。
そして、完全オーダーメイドなので
ご本人様以外の方には
本当の意味での効力は持ちません。

というわけで、ご注文はいつでも、どなたからでも受付しておりますが
実際に出来上がるまでの時間のお約束はできないのです。
また、魂の成長・発展進化を加速させるという意味で
大津先生、またはその系列のどなたかのもとでの真理の学習を
同時に受けられることをおすすめしております。

価格帯は現在のところ2~10万くらいです。

どうぞよろしくお願いします!

こちらは、及川徳子さんのブログ
絵の感想が書いていただきました(๑'ᴗ'๑)
http://ameblo.jp/golden-universe/entry-12109909390.html


c0195362_20434848.jpeg

背景を消そうとして挫折しました・笑。
こっちもゆっくり成長を目指します。





by terasumonnmoku | 2016-02-20 20:43 | アート | Comments(0)

お絵描き中。

お絵描き中です(๑'ᴗ'๑)

マンダラを描いていたら
燃えてしまった(ノ゚ο゚)ノ オオォォォ-

c0195362_19372103.jpeg






角度によって色も表情も違うように写ります。
絵の具、楽しい♪゜・*:.。. .。.:*・♪

c0195362_19373870.jpeg

by terasumonnmoku | 2016-01-27 21:00 | アート | Comments(0)
きみにわかってもらえるだろうか?
もし、<冠を戴いた>を描けば、わたしはもうおしまいだ。
そしてもし、ほんとうにわたしが食器セットとパンを、
あたかも自然に即したように平衡させ
色合いの差をつけるとすれば、必ずやそこには王冠と雪と、
すべての震動があるに違いない。
                       BY セザンヌ

これが、今日最高に感動した言葉。

現象学の発展に尽くした、メルロー・ポンティの「意味と無意味」のなかにあったものです。

メルロー・ポンティは1908年生まれの哲学者で、
世界をおもに人間の体から柔軟に考察することを唱えました。
その哲学は「身体性の哲学」とも呼ばれ、
従来は対立するものと考えられてきた<自己の概念>と<対象の概念>を、
知覚における認識の生成まで掘り下げました。

例)アイスクリーム  
アイスクリームの概念のない人ー対象を、触ると冷たい。暖かい場所に置いておくと溶ける。
などの、単なる<現象>としてしか見ることができない。
アイスクリームをアイスクリームとして認知するためには、アイスクリームという言葉(記号)を知る必要がある。

こういう考え方を「現象学」といい、ここからさらに、構造主義に発展していくのですが、
それはともかく、最近、哲学にはまっています(๑'ᴗ'๑)

なぜなら、<現象>に興味があるから。
正確に言うと、<現象>が教えてくれることに、大変興味があるのです。

高校時代に哲学にはまっていたときにも、
フッサールの「現象学」でつまづいて
先に進めなくなってしまいましたが

ものすごおく大人になって、師匠に出会い、真理を学び始めた時も
結局<現象>にひっかかりました。

なにか悩みができて、相談するたびに
「現象に振り回されている」と師匠はいうだけなので
ほんとうに困りました。

そもそも自分には、<現象>というものがなんなのか
まったくわかっていなかったのだ。
ということに気づくまで、
ずいぶん時間がかかりました。

<現象>を事実、もしくは本質と混同していたのです。

<現象>というのは、WIKI先生によると
人にとって)見えるもの、つまり(外面的な)<<現れ>>のこと。
出来事を、それが存在するかどうか、本当かどうか、といった、
その見える<<現れ>>の背後にあるものは問題にせずに、
その観察された<<現れ>>として扱うとき、それを「現象」と呼ぶ。対義語は<本質>

どこからどこまでが現象で、どこから先が存在そのものなのか。
存在の本質とは何か。
または、仮象とは?
という問題は、科学や、哲学や、認識論などの分野でも意見が分かれ
取る立場によって、定義が変わります。

そらあ、いきなり言われたって、わからないよなあ!

個人的には、カントの、現象は物自体と対比され、
物自体と主観との共同作業によって構成されるものと考えた。
別の言い方をすると、現象というのは物自体に主観の構成が加わった結果のものであるとし、
人は現象が構成される以前の物自体を認識することはできない、というのや、

ヘーゲルの、「本質は現出する」と言われ、“「本質」は「現象」となることによってのみ存在する”。
という考え方が、結構しっくりします。
ちなみに、もんもく語訳によると、ヘーゲルの<本質>は、プラトンの言う<イデアー真に存在するもの>と同義です。

カントとヘーゲルの違いは、<存在>に対する、それぞれの認識の深さの違いなんじゃないかと
勝手に考えています。
言葉の定義が、著者によって、そして翻訳者によって異なっているので
言葉につめこまれた中身を読みこみながら考える必要があり、
ほんとはドイツ語読めたほうがいいんだろうなあとしみじみ思う。

で、冒頭に書いたセザンヌは
物自体の形を超え、そこに自分が無意識に付加している枠組みや意味付を超えて
<食器セットとパン>の本質の現出そのものを描き出せたら、
それは現存する美の深淵、震えに満ちたその本質そのものにたどり着けるはずだ。

ということをいっているわけで、
なんだかそれはすごいなあ。と思ってしまったのです。

セザンヌのりんごがあんなに美味しくなさそうなのに
妙にわたしたちの心を打つのは
たぶん、そこにりんごや、りんごを描こうとするときに画家が持つ当時の前提を
軽々とぶち壊すものがあったからなのでしょう。

これはたぶん、固く、すっぱく、一つ一つが重く、でも皮をむいた時に
鮮烈な香りが匂いたつ、実に美しいりんごで
しかも遠近法を無視し、並び方が物理的に成立不可能な形で描かれている。
なのに、りんご部分だけでなく、絵全体のすみずみまでもが、りんごの存在感に充満しているのです。
りんごが、りんごであることさえ超えるほどに、りんごをやっている。

ここに、王冠があるかどうかはわかりませんが
雪と震動は、なんだか見える気がする(๑'ᴗ'๑)

c0195362_20460605.jpg


http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/cezanne_pommes.html 
さまから、画像お借りしました。



by terasumonnmoku | 2015-12-26 21:06 | アート | Comments(0)

光を下ろす。

ここしばらく、ずっと徳ちゃん、こと及川徳子さんの
あたらしいエネルギーの絵を描いていて
ようやくそれが完成しました(๑'ᴗ'๑)

現時点では、これ以上は行けない。
というところまで
追い込んで描いた絵。

落書きをしているときはいいのですが
本気で描くと
変なところが疲れるらしく
いまは虚脱状態です。

本体はいずれ見られると思うので
楽しみにしていてね( *˘ᵌ˘)♪

描いていて思ったのは
ああ。わたしはこうやって
「光を下ろす」ということを
これからしていきたいのだな。
ということ。

あれが悪い。これが悪い。ということに
心の底から嫌気がさしてしまった。

良い職場環境を作る。
と、大切な家族の過労死から必死に立ち直ろうとしている
皆様とともに歩む希望の会の活動はするけど
それ以外のことはもう、いい。

自分自身が罪悪感に苦しんだり
何かが悪いと責め立てることは
不条理を無くすことにも
いのちを大切にすることにもつながらない。

「光を下ろす」
の「光」は
一般に言う、単にきらきら光っているものではなく、
いのちであり、愛であり、新しい秩序の体系であり
「法」であり、
それ自体が「生きている知恵」そのものでもあります。

単なる輝きではなく、
それを手にした人の
生命の力を増殖し
新しいなにかを生み出すもとになるものです。

客観的に形を捉えることが難しいので
いままでまるで自信がなかったのですが、
今回やってみて、それを見て、人がどう思うかは関係ないのだということを知りました。

わたしは、誰も見たことのない、生きている絵を描くことができる。
それは文章を書くより
人前で話をするより
ずっと影響力が大きい。

徳ちゃんの絵を描き終わったとき
徳ちゃんの存在に対する感謝の思いで
胸がいっぱいになりました。

ひとがこれほど深く、ありがたく、ダイナミックに美しいとは
驚き以外のなにものでもない。

そして徳ちゃんは真理を学んでその場所に向かいつつあり、
それは決して特別なことではなく、
きちんと真理を学び、自分の人生に向き合いさえすれば
誰もが、そのようであることができるのです。

どれだけたくさんのひとが
自分の真の美しさや、可能性に気づかず
不幸なままに人生を生きていることだろう。

わたしたちは、どこにでも好きなところにいくことができるし
どのように<ある>こともできる。
そういうことを、わたしは自分の描いた絵に教えてもらいました。










by terasumonnmoku | 2015-12-22 21:36 | アート | Comments(0)

絵との再会。

先日でかけた台湾で
ひさびさの再会がありました!

かよちゃんの新居に飾っていただいていた
6年前くらいに描いた、当時のかよちゃんの数年先の絵です↓

c0195362_21465887.jpg

なつかしい~!!!!

この絵を描いた時、かよちゃんはまだ今のご主人に出逢っておらず
当然、台湾に来ることも決まっておらず
今とは全く違う生活と、人生を歩いていました(๑'ᴗ'๑)
どちらかというと、八方塞がりだったんじゃないかしらん。

当時二人とも時間がなくて
朝7時に品川のカフェで待ち合わせして
絵を渡したことをよく覚えています・笑。

くもりが晴れるかのように、しあわせいっぱい夢いっぱいで、
いま、まさにこの絵の感じを、楽しそうに生きているかよちゃん。

たまたま、クリスタライズ・アーティストのるなちゃんに
昨年、作ってもらったという
サンキャッチャーを見せてもらったら、
驚いたことに、色の感じがそっくり~( *˘ᵌ˘)♪


c0195362_21472048.jpg



わたしの絵って、ほんとにタイムマシンみたい・笑。
当時奥底に隠されていたものが、
ちゃんと姿を現し、ピカピカと輝いているのを見るのは
ほんとうにうれしい。

雨の日も晴れの日も、あの絵はかよちゃんのそばで
一生懸命働いていたんだな!

それって、なんてすばらしいことだろう。

あんまり忙しくしないで
まじめにそろそろ絵を描こう。
とちょっと反省しました(๑•̀ㅂ•́)و✧

忙しいと何かやったつもりにはなるけど
意外と大事なことはできていないのかもしれない。

ほんとうにわたしのしたいことは
いまここにあるけど
時間のベールに隠されていて見えない美や、愛や、よろこびを
かなりな距離から描き出すことなのです。

ずっと以前から
「世界ハッピー化計画」というのをひとりで勝手にやっていたのですが
先日、夢ハンカチに自分の夢を書く企画があって
それを書いたとき、

あ・これはもう終わったな。
ということが、わかりました。

いちいち<ハッピー化>しているような場合ではない。

わたしは、
もう世界はHAPPYだ。
ということを、認めるだけでいい。

どんなあらわれを目にしても
それだからこそ。さらに。

ここに、しあわせを見ていこう。
WITH LOVE

by terasumonnmoku | 2015-12-10 21:46 | アート | Comments(0)
「絶望をすることが悪いことではなく、必ずみんなに絶望は訪れる。
あなたにも、わたしにも。」

今日見かけた強烈な言葉。
わたしが大好きな
彫刻家 佐野美里さんの、お友達の言葉なのだそうです。


c0195362_20322771.jpg
この作品は佐野さんの絶望と、
葛藤の中から生まれました。
この作品に出逢えて、わたしはうれしい。

彼女が彫刻を続けてくださっていることを、
心からありがたく思います。

絶望はあっても、そこでどんなふうに生きるかを、
わたしたちは選択することができる。

人生を投げることも、そこで笑うことも。
わたしは、たくさん笑って生きていきたい。

ひとりでも、多くのひとと(๑'ᴗ'๑)

↓佐野さんの記事はこちら。
https://www.facebook.com/tosaminosa/posts/744244352364898?comment_id=744525172336816&notif_t=share_reply

そうそう、今日の「いばや通信」のテーマが
「百の慰めより、一回死ね」だったんだけど
http://ibaya.hatenablog.com/entry/2015/09/24/131739

わたしにも、
自分は一度死んだ。

と言い聞かせた時期があります。

感情に過度に溺れなくなるので
これは確かに、有効だった・笑。

前に進むために、安全な場所で、自分の感情を解放するのは大切なことだけど
開放しすぎて感情を暴走させ、そこに溺れてしまっては、いけないんだよね。
なぜなら、苦しむ時間が長くなるから〜(*ΦωΦ*)
死んだと思えば、案外耐えられるものです 。



by terasumonnmoku | 2015-09-24 20:31 | アート | Comments(0)

真理セラピスト・らくがきすと・即興ピアニスト+社会活動家(過労自死遺族/東北希望の会代表)幼少時より、生と様々な死から多くのことを学んできました。11年のセラピスト経験があり、仕事ではいのちのすばらしさについての、エナジーーワーク的なセッションやワークをしています。頭を現実的に使いながらメルヘンな世界を実現させていきたい。社会問題、スピリチュアルな仕事や宇宙のこと、日常について書いています。


by terasumonnmoku
カレンダー