カテゴリ:アート( 56 )

蜷川実花さんの色使いが好きです。

その写真展が原美術館でやっているというので、
行ってきました。
学生の頃、よく通っていたこの美術館。
御殿山の閑静な高級住宅街の中、ミャンマー大使館の隣にある。

普段なかなか見られない現代アートを取り上げるので、
気に入ってます。
緑の見えるカフェや、
1938年に建てられ、もとは有名な実業家の私邸だった建物も素敵。



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蜷川実花さんの作品には、「死」の匂いがする。
キリスト教風に言うと、メメントモリ(死を意識せよ)
どこかエロティックな感じのする極彩色の色使いの中に、充溢した生が
ふと見せる「死」。

それとは対照的に、目黒川に散った桜の花びらを
ひたすら撮った墨絵のような作品群や
なまなましく疲れた、本人のポートレイトが
ほかの作品の背後に隠された「死」を際立たせ、
その感覚が、リアルなものであることを教えてくれる。


都市の雑踏に、やわらかくうねる、極彩色の金魚を重ねた映像作品もあって、
それはなんだか「祈り」のようだった。



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追伸*一緒に「空の作品展」に参加してくれた、ともだちの羊のりえちゃんの撮る写真に
たまに、ニナミカ風の色使いのものがあり
それを見るたびにわたしは泣きそうになる。
でも、りえちゃんの作品は本家よりはるかにピュアで
これからは全然違う場所に着地していく予感。



by terasumonnmoku | 2015-04-22 21:00 | アート | Comments(0)

空の色に似てる。

マグリットの空が好きです。

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とうもろこしが生まれ、
慣れない土地での
赤ん坊とのふたりっきりの暮らしを送っていた頃、
(夫は常に大変忙しい人だったので!)

狭い公務員宿舎の壁に水色の模造紙を貼り
ちぎった脱脂綿を貼り付けて
家中に、巨大なマグリット風の空を作っていました。

子供は可愛いし、大好きなんだけど
きっと息苦しかったんだろうなあ。

その空は自分以外の誰の共感も呼ばず
実の母にすら呆れられていましたが

後にアメリカに引っ越して
なにもない素敵な家を、同じように模造紙でデコレートした時には
辛口の母にも大好評でした。

土台がいいと、才能の光り方も違うようです(笑)

昔々「空の色に似てる」という内田善美さんの
詩のような漫画を読んで
空が好きになりました。

空にたくさんの青がある。ということも
雪の降る空をみつめていると
気が狂いそうになるということも
その漫画で初めて知りました。

雪が落ちてくる空には、
「無限」に近いものがある。

今にして思うと、わたしは「無限」が怖かったのです。
その悠久とも、無限とも言える時間の中で、
ひとひらの雪片に過ぎない自分でいることが
ほんとうに怖かった。

だからこそ「空」が好きでした。
空には境目がない。

いまのところ、空の楽しみ方で一番うまくできたのは、
とうもろこしが小さかった頃
大きな窓から、
からだじゅうで「夕暮れ」を見ていた時間でした。

幼稚園の子供達と
だんだん暗くなってゆく空気と、揺れるろうそくの炎と、
徐々に色を変えていく空を、ずっと眺めていた。

日頃うるさいこどもたちが、神聖に見えました。
あれって、かなりアートだったなあ!

昨年、9月に友人4人で開催した「空の作品展」。
今年もまた秋に開くことになりました。
撮る人ごとに、別の空がある。
それはその人自身のように透き通り、
感情を映し出します。

今回は人数も増え、バージョンアップしそうです。
またいろんな表情の空が見られるのが、本当に楽しみ☆彡

わたしだけがなぜか写真ではなく絵なんですけど(笑)
絵がまざると、それぞれの写真も生きるので
それはそれでいいみたい。

少しずつ、また空の絵を描いていこう( ^ω^ )
これから、どんな空に会えるのだろう。
違う空に会うたびに、自分も深くなります。









by terasumonnmoku | 2015-04-15 21:10 | アート | Comments(2)

樹になって遊ぶ。

友人のかなちゃんが、ちょっと早めのお誕生日のお祝いに
仙台市博物館の「樹木礼賛ー日本画に描かれた木と花の美」&
すてきなLunchにご招待してくれた(^○^) 
なんてHAPPY\(^o^)/♪
かなちゃん、ありがとう!!!!!

この特別展の目玉は、円山応挙の描いた国宝 雪松図屏風で
これを見るだけでも、出かけた甲斐があるほどの逸品w( ̄o ̄)w
なにがすごいかというと、格の高い松の、個性を持った生命の力が
躊躇なく、そのままに描き切られていること。

ふつう、絵に描かれている木は
うまく言えないけど、「その木」ではないし
生命のあるものですらない。
存在の影というか、形だけをなぞって中身のない、
タッソー夫人の蝋人形みたいな感じ。

同じ場所に生える、同じ種類の木であっても、一本一本波動は異なり
魂の格のようなものが、全部違う。
でも、それを描き分けられる人はほとんどいない。
波動が見えないせいもあるだろうし、
見えたとしても、
描く人にそれなりの魂の深さや精神力がないと、
例え見えても、描くことができない。
ということが、起こる。
存在感に負けるのだ。

でも、この円山応挙の「松」は違う。
崇高に、生き生きと、自分の意志で世界を生きている。
それも、ライブで。

小さいころ、森のお気に入りの樹の前に座り
樹と一体化して遊ぶ。ということをよくやっていたのだが
応挙の松は、その頃のわたしのお気に入りの樹にそっくりだった。

でも、見ているうちに
徐々にそっくりさは薄らいで行き、
わたしが好きだった樹よりその松はずっと若く
水分も多く、波動も軽やかで
結局似ていたのは、「圧倒的な存在感」と言う部分だけだった。
いずれ強烈に惹かれたことには違いない。
久々に樹になって遊び、超健やかな気持ち(笑)

ちなみに、いまでも当時のお気に入り樹をわたしは覚えていて
会いに行けばすぐそれとわかるし、
その樹とほかの木が波動的にどう違うかも説明できるけど
その樹の名前も、どんな葉っぱを持っていたかも覚えていない(T_T)
わかるのは、それが松じゃなかった。ということくらい。
当時からかたちは全然認識していなかった(T_T)

それにしても、日本画や、日本人の感性と言うのは不思議である。
西洋の油絵などで、樹木が主役になるというのは
ちょっと考えられない。
西欧の人たちにとって自然と言うのは、あくまで人間の背景、環境、道具にすぎないんだと思う。

屏風に描かれた松島の風景だって
どう考えても、空中に浮かぶ巨人の視点から描かれたとしか思えないような構図で
描きたいものを、描きたいように描いているとしか思えない。
なんだかすごく自由。

昔々の日本ではたとえば村で、みんなが理解できないような珍奇な物事に熱中する人を
「奇人」と定義して、別枠で放っておいたり
(だから、宮澤賢治や南方熊楠みたいな、とんでもないひとが時々でたのだろう)
平安の貴族が落ち込んだとき、
部屋に「物忌み」と張り紙をして
おこもりをする。
ようなことが認められていたという記述を本の中に見つけるたびに
そういう、家の中の「縁側」的な逃げ場が、
集団になくなってきたことが
いまの全体の生きづらさの元になっているんじゃないだろうか。と
たまに思う。
日本人はもともとすごくおおらかで、自由なひとたちだったのではないだろうか。

それはともかく、応挙の松はすばらしい。
仙台市博物館のこの特別展は9日までですが
普段は東京日本橋の三井記念美術館というところにあるそうなので
興味のある方はぜひ見てね!



by terasumonnmoku | 2014-11-07 11:23 | アート | Comments(0)
先月から今月の27日まで、多賀城のJUGEMUと言うカフェで
ドリプラ仲間の羊ちゃん、パンダちゃん+ようこちゃんとわたし
と言うメンバーで開いている
空をテーマにした作品展(みんなの写真と私の絵)の
超すばらしい感想を頂いたので、こっそりと丸ごと転載。

(最近こういうのが多い。しあわせ☆彡
前回の朗読会の感想を頂いた時も感激だったけれども、
この超すばらしい感想をくださった方が
お二人とも男性だったことにあらためてびっくりしています。
世の中結構いいところのような気がしてきた!・笑)
念のため、おそらくいちばんがようこちゃん、二番が羊ちゃん、三番がパンダちゃんの
感想と思われます。
パンダちゃんの空には愛がある。とかねて思っていたのだけど
同じことを感じてくださる方がいて、
我が意を得たりとほくほくしちゃいました(^○^) 


以下本文。


主催者と思われる方のご説明書きにもかかれているのですが、

おそらく、みなさんまったくばらばらな感想をお持ちになると思います。

だから、以下は、個人的に、私の感想です。

お一人目の方は、一番、写真に共感してしまいました。

「そうだよね。」、「うんうん。」と思わせられるような雲の写真が

印象的でした。記憶の中のイメージとしてピッタリなのです。

小学生の低学年の頃に母の田舎の海で見た雲、

中学の文化祭が終わって虚脱状態で眺めた雲、昼寝の途中で

屋根の上で見た雲、キリがないのですが、見ていてホッとできる

あの時の雲だと思ってしまいました。どうして、空の写真を見て

そう思うかわかりません。一体これだけの、共感を呼べる雲を

撮影するために、どのくらいの時間がかかったのか、

お尋ねしたくなりました。

お二人目の方は、きちっとしているという印象の作品が多い方です。

そして、空を見上げる視点が感じられる作品だと思いました。

作者が、その場所で、確かに存在して生活している、その発見や感動を

追体験できるという形での不思議な共感を覚えました。この方の空は、

生活の中に登場する空です。作品を見ながら、思わず、あれこれと

ストーリーを組み立ててしまいます。作品を見ていると、活き活きした、

前向きな発想を持てるようにも思いました。おそらく、作者のお人柄が

滲み出ているのでしょう。

三人目の方が、おそらく、今回のイベントの主催者なのだと思うのですが、

「空と遊ぶ」という題にぴったりの作品群です。よくぞ、このようなシャッター

チャンスを逃さなかったなあという感心を、まず持ってしまいます。

空に愛されているようです。この人の作品は、空そのもだと感じました。

無限の空を小さな紙に切り取っているわけですが、狭さを感じさせません。

ここが不思議なところです。自分で空の写真を撮っても、露光やピント

以前に、どうしてもさらに小さな像になってしまって伝えられないのですが、

この方の写真はそれが無いようです。

四人目の方だけが写真ではない作品です。ジャンルとしては絵画という

ことなのですが、手描き以上に手描きの人間らしさ、生き物らしさを感じる

作品群です。西洋画の大作のような細かさ、手数の多さがないことが

成功しているのかもしれません。クレーの絵を突き詰めたような、

要するに、一本の線が繊細なのです。どちらかというと、日本の筆、

書道と親和するかもしれません。勝手に名前をつけた作品、「顔」は

傑作だと思います。

注文というか、希望というか

先ず、作品を識別できるように記号とか番号をふるべきだと思います。

本当は作品に名前があることがベストだと思います。

予算の問題はあるでしょうが、部屋を暗くして、モニターで作品を

鑑賞できたら、また違った感動があるのではないかと思われました。

会場のJUGEMUは、案内表示がないのでわかりにくいです。

多賀城駅を降りて、橋を渡って、45号線を渡りきったら左折して、

ホテルルートイン多賀城駅東の手前を右折して、ホテルの建物の

玄関の反対側に建っているトレーラーハウスです。



by terasumonnmoku | 2014-11-05 21:46 | アート | Comments(0)
東京都美術館へ、ウフィツィ美術館展を見に行く。
ウフィツィ美術館はフィレンツェにあり、若かりし頃に一度現地で見たことがある。

当時はとにかく自分がネガティブで、
常時6,7体の幽霊をくっつけて歩いていたので
見るものすべてが暗かった。
綺麗に見えるものは、アートの
限定された一部しかなかった。
ボッティチェリの「春」は、その重く暗いブロックをものともせず
魂に飛び込んできてくれた、稀有な作品の一つ。

今回の展覧会では「春」はなかったが
ボッティチェリの作品が年代ごとに5つくらいならんでいて
その変遷がとても面白かった。

特に好きだったのが「聖母子と洗礼者ヨハネ」という絵で
赤ちゃんのキリストをヨハネに渡そうとしているマリアの姿が
後のキリストの磔刑を想起させる構図で描かれている。

そのすべてが、調和に満ち、美しい。
ボッティチェリにとって、キリストの磔というのは
悪でも非業の死でもなく
一連の奇跡につながる美しいピースの一つだった。
ということが、絵の中から静かに伝わってくる。
愛と悲しみと聖性と救いが、無数のきらめきを放ちながら
光の波紋のように立ち昇る。
(こういう動的なオーラが、印刷されると消えてしまう)

ところが晩年、メディチ家が没落し、カルトな宗教指導者がフィレンツエの実権を握ると
その静かな調和と輝きが見事に姿を消し
まるでジョン・フォードの時代劇のような光景が
絵の中に現れる。(加筆されたせいもある)
それはキリストとキリスト教が絶対的な善であり
他のものは存在さえ許されない。ような強烈さの漂う
ばりばりの二元論の世界だ。
陳腐でもある。

「聖母子と洗礼者ヨハネ」に存在するボッティチェリの調和は、
ピカソの「泣く女」や「ゲルニカ」に通じるものだったのかもしれないな
と、それを見て思う。
描かれた対象から、「意味」が剥奪され、
「調和」の前にひれ伏している世界。

普通の人間としては、自分の子どもが磔にされることを予感しながら、
あれほど静かに清らかにあることなどありえないだろうし
愛する女の「悲しみ」や「苦しみ」。「戦争」の暴力や傷を
楽しげに描き出すピカソの感覚だって、全然わからない。

でもその世界はそこに在って、わたしはボッティチェリに美を感じ
ピカソには「生命のよろこび」を感じるのだ。
じゃっかんの罪悪感に刺されながら。

ボッティチェリは見た目がまだきれいだからいいが
ピカソは破壊的である。

彼が関わった女性は、一人を除いてみんな発狂したり
自死したりしているが、
夫の浮気相手と泣きながら掴み合いをしている光景を
当の夫に感情の流れごと、嬉々として描かれたら
おかしくもなるだろう。

二元論を超えた世界は
時としてそういう残酷な表れをするものであって
受け取る側としては、わが胸の内にある意味の残滓に
抵抗を示しつつも受け入れざるを得ないような、
複雑にして微妙な気持ちになるのだが

どんなに葛藤している時も、
どんなに暗く深い淵に落ち込んでいる時でも
彼らが淀みの中のわたしを突き動かし、
後々まで続く鮮烈な影響を与えたことは間違いのない事実だ。
それほど調和と言うのは
生命にとって、大きな影響力のあるものなのだろう。
だから自分もそこをめざして、いくしかない。







by terasumonnmoku | 2014-11-05 19:58 | アート | Comments(0)

クリストの宿題。

FBで

O que passou, passou, mas o que passou luzindo, resplandecerá para sempre.
Goethe

何が行われ、しかし、光っていたし、は永遠になります。ゲーテ (翻訳: Bing)

という投稿を見かけ、突然、20年越しの宿題が解決した。
(わたしは疑問に思ったことは何十年でも考え続けていられるのだ。怖すぎる~)

これは、ざっくりいうと、
「何が行われたか、とうことではなく、そこに込められた光が、永遠になります」
というような意味だと思われる。
いろいろな場面で使える、鍵のような言葉。

前にも何処かに書いたと思うが、わたしは、
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「すべての芸術は、うちに永遠を秘めている」
というポール・ヴァレリーの言葉を信じていて、
かねてクリストと言うアメリカの現代アーティストの作品が
ものすごく好きだったにも関わらず、
瞬間芸術という作品の在り方に疑問を持っていた。

それで、彼の講演に行ったとき、本人に
「瞬間的にしか存在できない作品のどこに<永遠>があるとお考えですか?」
と(考えようによっては大変失礼な)質問をしたところ、
「見た人の記憶の体積の中に、永遠が存在する」
という答えが返ってきた。

その答えがずっと気になっていた。
何かが足りない。
納得できない。
 
今日、このゲーテの言葉を読んで、はじめて、積年の疑問が解決した。

島を囲ったり、砂漠に傘を大量にさしてみたり、渓谷に布を垂らしたりすることで
たぶんクリストは地球やそこに住む生命を、祝福し、賛美し、愛を告げる。
と言うことをしていたのかもしれない。
そこに込められたものは、少なくとも彼にとっては紛れもない「光」だった。

だからこそ、難しい幾多の政治交渉にもめげず、こうした大規模の作品を、
大量のお金を集めて次々に実現することができたのだし、
その「光」を顕わす並々ならぬ熱意に共鳴して、
応えてくれた人がたくさんいた、に違いない。
(景気も良かったし、宣伝にもなったのかもしれないが、それにしても大きすぎる。)

作品集を見ていると、ワインボトルのような小さなものから包み始めて、
だんだん規模が大きくなってきたようなので
彼の中の愛と光も、時間経過とともに育ってきたのかもしれない。
よく考えるとこれはものすごく大それた、I LOVE YOUだと思う。
YOU に入るものがとんでもなく大きいからщ(゜ロ゜щ)!!

そして時には国境をまたいで、難しい交渉をまとめたのは、
先ごろ亡くなった奥さんのクロードの功績で
だから現実化したこれらの作品群は、クリスト一人によるものではなく
彼ら夫婦の共同作品ということができるかもしれない。
ふたりの想いの上に、行政側の許可を出した人、お金を出した人、
製作作業に関わった人、これを目撃した人などなどのたくさんの共鳴が重なって
この「囲まれた島」↑のような物語ができていたのだ。
そういうことを考えると、クリストの世界は、夫婦二人の人間的な愛からスタートした、
地球規模の作品群-光の共鳴ということができ
たぶんわたしは、そういうところにもものすごく惹かれていたのだと思う。

なるほどー。そうだったのか。
だから彼の作品が、こんなにも気になっていたんだ。

今日は、満月。
疑問が解決するのに
特別なタイミング(たぶん・笑)ものすごくすっきり!

写真は、マイアミの11の島をショッキングピンクの布で囲った彼の代表的な作品。
「囲まれた島」のプロジェクトです(^○^) 





by terasumonnmoku | 2014-04-15 23:49 | アート | Comments(0)

311つなげよう希望の光

長町びすた~りで行われた、イベント「311つなげよう希望の光り」に参加しました。

2年前の311は、徳ちゃんくみちゃんがジャックした
エフエム泉の「星空プロジェクト」特番で、
夫へのラブレターを読んでもらう。
という公私混同なことをしていて(笑・この日記のどこかに埋まっているはず)
昨年はここ、びすた~りで、徳ちゃんの読む、
世界的なデザイナーで、ピースコンダクターの稲吉紘実先生著の
「この星が絵でうめつくされたら」の物語にピアノで音楽を付けていた。

その大好きな稲吉先生に、一年ぶりの再会!!!!
会うなり「顔が変わったね」と言われました(笑)
やっぱり、昨年はまだひきつっていたんだろうなあ。
かなり、渦中だったので。

「おおごまだらになりたい」は、初めて読んだ時から泣きそうで
実際に弾いたらどうなっちゃうんだろう。
と、どきどき。

イベント開始直後の「おおごまだら」
徳ちゃんの声に導かれるように鍵盤に触ると、
ふつうに字を追って行ったときとは全然異なった感覚が、
立ち上がってくるのを感じました。

悲しみが、わたしたちのからだのなかで、強い力を持った光になり
まっすぐに進む道になってゆく。

エネルギーが変容するその場に居合わせたような、不思議な感覚。

その後、参加されたみなさんの復興の物語の後で、
20時46分に部屋のあかりを消して、
被災女性が作ってくださったローソクに火を灯し、

星空プロジェクト参加の世界中の方々と
希望の光をつなげました。http://311hoshizora.jp/

ろうそくが本当に美しくて、炎が鮮やかに浮かび上がる。

最後に「この星が絵でうめつくされたら」の朗読。

即興とはいえ、迷子にならないように調性やリズムや、主要なモチーフの
大体のイメージを決めてスタートするのですが、
はじめてみると、想像したものと全く別物になっていて、
弾いている本人がいちばんびっくりしました!

ピアノ、おもしろいなあ。
ピアノは独学で、いままでずっと「いいんですかっ!」という感じでやっていたけど
すっごくおもしろい。
鍵盤の上で音を紡いでいるだけで、別の世界に行けちゃうみたい。
音楽が、ドラえもんのどこでもドアみたい。

とうもろこしにも言われました。
「母さん、楽しそうにピアノ弾くようになったね」(笑)

あたたかな素敵な会に、みなさんと一緒に参加せていただきましたことを
とても光栄に思っています。
びすた~りで、みなさんとともに、祈りを寄せることができて
ほんとうにしあわせに思いました。 

これからまた、新しい毎日がはじまりますね。
いつが、人生最後の一日になっても悔いの残らないよう
悲しみを力強く抱きしめながら、元気いっぱい生きていこう。
だいじなひとと、微笑みを交わしながら。








by terasumonnmoku | 2014-03-12 21:35 | アート | Comments(0)
朗読イベント「魂の約束。ことだま、ことのは、そしてひかりえ」
終わりました~。

平日の午後という中途半端な時間なのに、沢山の皆様にいらしていただいて
ほんとうにありがとうございました!

楽しかった~~~~~~。
徳ちゃんの朗読する、るなちゃんや大津先生のことばに、音を紡いでいて
ああ。わたしは本来、こういうことがしたかったんだよなー。
と、改めて思いました。

るなちゃんの言葉、よかったなあ。。。。。
深くて、生き生きしていて、豊かであったかい。
しあわせーって感じ♪
それがうつくしく振動する徳ちゃんの声で響いてくるんだもの。

あなたがいてよかった。
わたしがいてよかった。
ここからすべてが、はじまっていくね。
ハートの中心からどんどん、どんどん、HAPPYが広がってくる。
音も広がってくる~~~~~

しかし、感覚的な記憶はあるのに、普通の記憶がないのです。

実際のところ、状況がよくわかっていない。
どんな言葉にどんなメロディをどのように合わせて、結果どうだったのか
さっぱりわからない。
音で考えているときは、ことばの意味を拾ってないのかも。
別のところで生きているのかもしれないなあ。

泣いていた人がいっぱいいたらしいんだけど
そういうのもわからない。

素潜りする、ジャック・マイヨールになった気分(笑)
すごく遠くから帰ってきたような。

ぼーーーーーーーーーーーーー。
ふと気づくと会場がすっかりあったまっていて
おや?みなさん、なにがあったんですか????
みたいな(笑)

うれしかったなあ~。
ほんとうにやりたいことをすると
こんなにうれしいものなんだなあ~。

と、思いました。

徳ちゃん、るなちゃん、ありがとう!
みなさま、ほんとうにありがとうございました。

ああ。
まだしばらくぼーっとしていたい。

余韻に浸っていたいけど
明後日に備えて指の体操の続きをしなきゃ~(^○^) 

あ、そうだ。るなちゃんから、「絵のない絵本ーこの星が絵でうめつくされたら」の著者・稲吉先生にいただいたものと同じ感想をもらってしまいました。
物語や言葉が、実際に「おりてきた」ときと、ピアノが奏でたのがまったく同じ音楽でした!って(^○^) 
うれしかった~♪

うふふっ(*  ̄▽) 
下りてくるその瞬間を音に変換しているんだから、当然さ~(鼻息荒い)
しかしそれをやっているわたしって、いったいなにものなの?と、ふと疑問に思ったり。

普通の自分じゃないことは確かだな。
誰でもなく、誰でもある。
海底二万マイルのネモ艦長みたいな。

それを真我と、ひとはいうんだろうなあ。
徳ちゃんの真我も留奈ちゃんの真我も私の真我も、みんな同じ一つのものだから
こんなにきれいに共鳴するんだろうなあ。

普通の人間としてそれを考えると
眩暈がー

by terasumonnmoku | 2014-03-09 18:14 | アート | Comments(0)
友人のかなちゃんと創っている「篳篥(ひちりき)&ピアノ」ユニット、
11Stepsの「風の音・光の音」コンサートが無事終わりました。

大雪の、大変な状況のさなかにもかかわらず、いらしてくださったみなさま、
ほんとうにありがとうございました。
心から感謝しております。
雪のために今回はお会いすることができなかったみなさま。
これからも活動してゆきますので、またの機会にぜひ、いらしてくださいね!(^○^) 

趣のある古民家レストラン「びすた~り」に響く篳篥の音色は、最高でした。
かなちゃんの篳篥は、回を重ねるたびに、どんどんと深みを増してゆくのです。
深々と降り続く雪のなか、聞いてくださる皆様や、漆喰の壁や、温かみのある太い梁に音が浸透してゆくようすが、ほんとうに美しかった。

みなさまと、その場を一緒に作ることができて、うれしかったです。

かなちゃんの「君が代」は、海に上る朝日の匂いがする。
希望に満ち、あたたかく、輝いている。
世界の、どこにもない響きです。
あのシンプルな楽器は、奏でる人の精神性を、ダイレクトに伝えてしまうんだろうな。

仲間内で楽しんでいるのがもったいなくて、どうしてもこの音を他の方に聞いてほしいと思いました。
それが、長いブランクの末に音楽活動を再開した、わたしの動機です。

篳篥は大変デリケートな楽器で、一本で音楽として成立させることが難しい。
でも、うまくピアノを合わせれば、モダンジャズみたいになっちゃうかも!
そうしたら、コンサートも開けちゃうかも!

かなちゃんは、渦中の混乱期からずっとそばでわたしを支えてくれました。
思えば彼女とのコラボも、夫の死がきっかけです。

結局、彼が道を作ってくれた。
音楽が響いている家が欲しいと言っていたのに、
こんなにも長い間、買ってくれたピアノを弾かなくてごめんね。

わたしが夫を失ったように、かなちゃんは、津波で故郷を、長く続いた家と畑と伝統を無くしました。
ふたりで創るこの音楽は、祈りだと思っています。
失ったすべてのものに、感謝を伝えたい。
そうすることで、わたしたちがともにあった時間を愛し、大切な記憶を引き継ぎ、ずっと一緒に生きていきたい。

演奏する場そのものもすばらしかったのですが、今回、更に感動的だったのは、自分自身が、このイベントをわくわくしながら楽しみに待てたことでした。
夫が亡くなった直後から、ほとんど眠らずに動き続けきて、ハードなことだけでなく、楽しいこともたくさんしましたが、
楽しむためには、感情の葛藤があり、常に気合が必要だった。

その行動をする前から楽しみにできていたか?というと、そうでもなかった気がする。
もちろん、全部やりたくてやっているのです。
ただ、自分の中のわくわくとは結びついていなかった。

このへん、うまく説明できる自信がないし、
その時点では全然そうは思っていなかったのですが、
ほんとうの自分、というより、わたしってそういうひとよね。というバーチャルな感覚のもとに日付を決めて
無理やりいろんなことを、こなしてきた気がする。

「わたしって、幸せだし、別に何にも問題ないのよねー」といいながら、
顔に思い切り「不満!」と書いてある人をよく見かけますが、きっとわたしもそうだったんだろうな。

まあしょうがない気もします。
大変だったんだろうし。(みなさんと同じように、やってる本人はよくわからないー爆!)

だから、今回自分が純粋にわくわくできたことが、すごくうれしかった。
かなちゃんは、どんな音を奏でてくれるだろう。
みんなはどんなふうに、それを聞いてくれるだろう。
そこに自分はどういう色をつけていくことができるのかな。

細部を見れば道は果てしなく、それはどの世界も同じです。
でも、音楽は楽しい。
まだまだ成長の余地がたくさんあることが、勇気をくれるのです。

身体の中で絶えず鳴り響いている音を、正確に表現できるようになりたいな!
練習あるのみ(^○^) 

11Steps の演奏会は終わりましたが、ここから三月頭まで
友人の及川徳子さんの朗読とのコラボイベントが続きます。
興味のある方はぜひ、こちらもよろしくお願い申し上げます♪

このたびは、ほんとうにありがとうございました!!!!!!










by terasumonnmoku | 2014-02-17 11:56 | アート | Comments(0)
塩釜のギャラリー、ビルドスペース。

フランスの著名なアーティスト・ジョルジュ・ルースのアート・プロジェクト
「松島2013 ネガ/ポジ」の映像を拝見し、代表の高田彩さんにお話を伺いました。

震災で被災し、取り壊しが決まった松島のカフェ・ロワンに、
このアート・プロジェクトに参加されたみなさんによって描かれた
大きな青い星。

カフェのほとんどの場所では、
バラバラの青いひろがりでしかないその色が、
ある一点からだけ星に変わるその様子が、

まるで、いまここで、
わたしたちみんながやっていることのよう。

ちぐはぐで、痛々しく、うまくいかない。

そんなことも、こうしてある一点からだけは、
美しい星の像を結んでいるのかも知れない。

そしてゆっくりと、桜の花びらや、
光の陰影をうちに溶かし込んでいるのかも知れない。

ジョルジュ・ルースは日本の俳句が大好きで、
わたしが個人的に大好きな山頭火の句に影響を受けて
この作品を構想した。
ということを彩さんにいただいた記事で読み、
二重にうれしかったです(笑)

ソフィ・カルが「最初のとき・最後のとき」で描いた世界で受けた
どうしても処理できないなにかの
完結した姿をここで見せてもらえたような気持がしたことも
秘かな感動でした(^○^) 

写真は先月26日に終わった展示のもようです。

来年3月頃、東京で展示されるようなので、お近くの方はぜひ
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by terasumonnmoku | 2013-06-17 22:11 | アート | Comments(0)

宇宙真理哲学講師、らくがきすと、即興ピアニストぷらす社会活動家(過労自死遺族当事者)働くことから世界を変えるをモットーに、さまざまな活動をしています。合言葉はREBORN.大事なのは、生きることだ!


by terasumonnmoku