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ありあまる富

椎名林檎の、「ありあまる富」が好きだ。

この歌詞はすごいよ。

なんたって

「価値は生命に従って付いてる」っていうんだもの!

「もし彼らが君の何かを盗んだとして
それはくだらないものだよ
返してもらうまでもない筈
何故なら価値は、生命に従って付いてる
ほらね 君には富があふれている」

価値は、生命に従って付いているものだ。

生命が、価値を問われるものじゃない。

わたしたちは自分のハートで、

大事なものを「それが大事」とみとめることで

財産を作り出し、それを「引き寄せる」☆☆☆

だからわたしたちには富があふれている。

BY大津さん、っていってもいいくらい(笑)?
by terasumonnmoku | 2009-05-30 17:08 | Comments(2)

5月の本・弐

・ぼくには数字が風景に見える    ダニエル・タメット(講談社)

著者ダニエル・タメット氏は、円周率22,500桁を暗礁、10ヶ国語を話す、語学と計算の天才。サヴァン症候群でアスペルガー症候群の青年である。

どちらも脳の発達障害とされている。が、障害というより、発達の仕方が大多数の人とは違う、といったほうがいいかもしれない。ただ、どれくらい違うかは個人差があり、タメット青年のように学術・芸術方面で天才的な才能を示すかと思うと、社会生活を送ることができないほどの方向に向かう場合もあるらしい。

タメット氏は、コミュニケーションをとるという意味では現在でもいろいろな困難をもっているが、語学サイトを開いて自立し、自身のたゆみない努力によって愛するパートナーと温かい関係を築き、非常に恵まれた環境で生活している。
それは障害や能力のおかげというよりも、彼自身の人間性の豊かさ、常に前に向かって着実に歩き続けようとする意志、が実った結果ということができると思う。

タメット氏の人間性に魅せられるとともに、本書では特に、数字や、計算についての文章の美しさに、うっとりした。共感覚に結びついた数字のビジョンは、まさにそこにその世界があるのではないかと見まがうばかりのリアリティがある。
純粋に美しいと本人が形容する、円周率の数字の羅列が見せてくれる風景。泡の中の二人の人が握手して、そこに一人の人が入った半分の泡がくっついて、というふうに計算してゆく三角数。
このひとが身近にいたらいいなあ。と思う。
波動をコピーして、たぶんあっというまに数学が得意になるに違いない(笑)

読みながら、彼の障害や、共感覚って、わたしのいわゆる「透視能力」に似てるなあ。と思った。
透視能力は、ほかのひとにとっては純粋な能力かもしれないが、わたしのように極端な出現の仕方をした場合は能力というより、障害と捉えたほうが対処しやすそう。形の見えない障害。そう思えば、それは単なる個性になる。違いを知って、どうしたらより快適な日常生活を送れるかを考えていけばいい。違いは個性。シンプルだ。

それができるようになったら、やがてわたしもタメット青年のように、「人との間をもっとも遠ざけていた障害が、人との間をとりもち、世界を広げる役割を果たしてくれるように」なるだろう。
障害に限ったことではないかもしれないな。透視能力的に見ていると、ひとというのは、その人のもっともすぐれたところ、すばらしいところでなにかと引っかかる(ハードな学びを得る)ようにできているらしいので、みんな結局おなじかもしれないね。わたしたちは、学ぶことによって、よりすばらしい毎日が送れるようになってゆく、(あるいは送れるようになっていきたいと思っている)生き物なんだろうな。楽しんでちょっとずつ小さな成果をあげていこう。

・あなたが「宇宙のパワー」を手に入れる瞬間     ディーパック・チョプラ(大和出版)

細胞はアポトーシス(計画細胞死)によって、常に入れ替わり、絶え間なく生命を創造・維持・発展している。この細胞レベルの死による、入れ替わりを前提とした生命維持システムが崩れた状態が、癌。古来わたしたちが追及してきた不死というものは、命の全体性という観点から見ると、大変不調和な状態であるらしい。

一つ一つの死は、創造の量子的飛躍のための機会であると、チョプラ博士は書いている。細胞は死んでは生まれ、個々人も生まれては死ぬ。星も生み出されては消滅し、銀河も、あるいは宇宙全体も何度も死んではたぶんまた、生まれているのだろう。
生と死は対立する概念ではなく、互いに互いを内含するもの。視点をどこにおくかで見え方が違うだけ。それは存在の、あるいは創造の、それぞれの局面に過ぎないのだ。

というのはさておいて、本書の中で使われている言葉では対象依存的、というのが使いやすくていいかも。と思いました。
あと、「あなたが経験している身体は、あなたが身体に対して持っている考え全てを表現したものです。」というのもよかった。

わたしは宇宙であり、創造主である。
わたしが答えそのものである。

わたしは自分が知るべきことの全てを知っている。

そんな感じ(どんな感じなんだ・笑?)の本でした。
by terasumonnmoku | 2009-05-18 14:16 | Comments(2)

こよなく愛する。

こよなく愛する。

っていいなあ。

と、思いました。

こよなく。

死語かしら。

辞書で引くと、非常にとか、きわめて、とか書いてあります。

わたしが、こよなく愛しているものって、なんだろう?

地上的なものには興味がなく

家にも、物にも執着がなく

いま持っているもの、全部失ってもきっとすぐに忘れてしまうのに
(家族は別)

最近この、

「こよなく」という言葉に惹かれます。

大事なものについて語る人の言葉は、きらきらしている。

ちょっと

「こよなく」

につながれたい。

執着すると重くなる。
でも、ちゃんと注意して見つめないと
存在しないも同然。

というのは

実にこの世的な仕組みだなあ。

「こよなく」というのは、

ものに生命を与える、ひとつの手段でもあるのでしょう。
(程度の問題はあるにせよ)

出会いが同時に愛の共鳴をもたらすのではなく、

認めること、そして与えること、意志することによって

はじめて交流が起こるって

不思議。

不自由な自由?それとも自由な不自由?

それはそれぞれが、

ものごとの生起する原因を、

どの程度

自覚的につくっていけるかに、

かかっているんだろうなあ。。。。

いっぱいいいことを考えて、どんどんいい原因をつくっていこう。
by terasumonnmoku | 2009-05-17 00:10 | Comments(0)

しあわせの回路

映画を見るたびに誰かを好きになる。

今のわたしのブームは、女優の麻生久美子さん。

何でもありな感じが、たまらない。
なんでもありで、なんにもない感じが。

なんにもないから、なにをやっても透き通って見える。

あなたは子供時代、どんな子どもでしたか?と質問され、「自分を学校で一番可愛いと思っている、痛い感じの女の子でした。」と楽しそうに答えていた。
そういう自分の負の部分を語るのは厭じゃないでか?
と問われると、あたしそういうの平気です。ーと(そして本当に平気そう)。

たまたま行ったTSUTAYAの棚に、麻生久美子セレクションの何本かの映画が並んでいた。
それらの好きな映画についての彼女のコメントはこんな感じ。

予測不可能な感じが好きなんです。別れた彼氏にものすごく執着して、みっともないことをたくさんしちゃうような女の子の、残念な感じ、とかを見るのが好きで、
そこがたまらなく可愛いと思うんです。

並んでいる映画はまさに、そんな「残念な感じ満載」といった作品たち。
それを興味津々で見ている麻生久美子の図がわたし的には大変おもしろく、うれしくなってしまった。

いいなあ~。

おかげでわたしは、すっかりこの「痛い」とか「残念」とかいう言葉が好きになってしまいました。

うふ。

残念な感じ。

わたしにもある。

好きと執着を履き違えていたり。

大津さんに「透視能力者」といわれるのが厭だったり。

透視能力者といわれるのが厭なのは、
そこに激しく執着しているからでもある。
でもどう執着しているんだろう?とちょっと考えてみました。

それは本質ではないものに目を向けているということ。

大津さんは事実を述べているだけなのに、なぜか暗黙のうちに非難されているような気がして、
すごく厭だったけど、まあその通りだからしょうがない。

冷静になって思う。

愛と美のほかに、わたしにとって重要なものはなに一つないのに、
どうしてわざわざ汚れのほうに意識を向けていたんだろう?

本質だけを見ていればよかったのに。

うむむ。残念だ。実に残念。

昔、通っていた深夜のコンビニで、何日もお風呂に入っていないような学生を見て(いまはそんなひと、いないだろうなあ~)このひと、きっとくさいだろうなあ~と思いながら、なぜか通りすがりに思わず匂いをかいでしまうような、そんな感じ。

そのようにして、ああやっぱり。を積み重ねる。

なるほど。そういう仕組みだったのか!

残念のかたまりを形成する「やっぱり回路」は、そうやってできてきたんだ。

残念。

わたしたちのやっているのはこの仕組みの働くベクトルを逆向きに変えること。

やり方は今までとまったく同じだけど、向きが逆なの。

幸福を予想して喜びを獲得する。
作るのはしあわせの回路。

やってることはかわらないのに、結果は大違い。

残念は残念なりに楽しいけど、そこはもう十分やったので、全てを過去に送り出して今を生きよう。
by terasumonnmoku | 2009-05-08 23:33 | Comments(2)

責任を取る

清志郎さんが亡くなりましたね。

大きな人だったなあ~。
みんなの日記を読んでいると、胸が熱くなります。

清志郎さんといえば、印象的だったのが、徳ちゃんの番組。
反原発を歌う、彼の歌が放送禁止になったことに抗議して、当時やっていたNHK(!!)の生番組で、まさにその歌を熱唱しちゃったの。

音源が残っていて、テープ聞きましたが
これは放送できないんで、かわりにあたし、うたいま~す。だって(笑)

徳ちゃんはスピリチュアル系の話を自らの音楽番組ですることもあり、そのことについて、いろいろいうひともいるとは思うけど、自分で企画して、放送して、責任を負う、というところが潔くかっこよく、尊敬するのです。

言うのは簡単だけど、やるのは大変だもんね。

わたしたちは自分の選択によって自分自身を規定していく存在だから。
その「大変さ」には、行動した、その後のことも含んでいる。

大津さんに自分のすることに責任を取りなさい、と何度かいわれ、ずっと考えていました。

責任をとるなんて、意味がわからない。ちゃんとしてるじゃない!ってそのときは思ったけど、絵を描いてはじめて、納得しました。

確かに取っていなかった!

絵を描いてお金をもらうということは、すごいプレッシャーです。

わたしが描く絵は、見た目はどうあれ、自分的には、その人という形をとった、高く深いレベルの真我であるわたし。

だからまず、それが今のわたしの精一杯の力で、見えているものの極北を、表現できているか否か、というプレッシャーがある。

そして、わが子のようなそれを売ってしまった以上、自分の波動を、もう今以下に落とすことができなくなった!というプレッシャーもあります。

なぜって、作品はリアルにわたしだから。
わたしが落ちれば絵の波動も必然的に下がってしまう。

うう。
恐ろしい。

そういう意味では、わたしがこの人生で、唯一責任を取り、今もとり続けているったといえるのは、数少ない作品のほかには、子供に対してくらいです。

彼を生んで、わたしは野垂れ死にする自由や、未来に対して悲観論を述べる自由を失いましたが、まあ、それ以上の価値はあるもんね。

うちの子は、「おれが死ぬまで生きていて」というのです(笑)
やだよそんなの(笑)
そのうちきっと、自分がそんな台詞をいったことさえ、忘れちゃうんだろうけど。

行動によって自分を規定し、その規定して作った形の延長線上で、かかわりが続いていくこと。
お互いの形がなくなったその後になっても。

責任を取るってそういうことかもしれない。

それは「しばられる」にすごく似ているけど、もっと「創造」に近いもの。
創造の一つの段階。
三次元の世界では、どうしてもこの「段階を踏んで遠くへ」という形式が必要みたい。

(あくまで自分が決められる範囲での段階なので、突然とてつもなく遠く、あるいは深くを意志できる才能のあるひとは、もちろんそうしたほうがいいと思います。)

決めること。

自分がどういう人間かを決める。

社会や、他者に対してどういうスタンスで、行動を展開していくかを決める。

自分が社会をどう見ているかを決める。

エネルギー的に自立し、自分が許した影響だけを受ける。

ところで最近、現実生活を意識して、人間関係において調和を図る、ひとに多少は合わせる、ということをやっているんだけど、わたしにはこれが難しい。
でもできるひとはできるひとで、どうも「あわせること」疲れているようだ。
なぜだろう?と素朴な疑問を持ち、みんなに聞いてみました。

本当の気持ちじゃないから、厭なのにやってしまうから、答えはいろいろあったけど、要はわたしがエネルギーの影響を受けていたのと同じで、自立していない、自分自身の領域を確立していないから、ということのようでした
(ちなみにこれは浅いレベルでの話です。中心を定め、本質だけに焦点をあわせていたら、全然問題はないんですけど、それを三次元的、四次元的に語ると、こういう内容になります。)

人にどう思われるかを第一にもってきて、行動すると、それは疲れるだろうし、ネガティブなエネルギーを発散している人と一緒にいて、その影響をもろに受ければとっても疲れる。

結局同じことなんだな。

で、何が必要かというと、決めること。

どういう視点で物を見て、どんな自分を生きるかを、決める。
そのたびに決断して選択していく。

より高い見地から、より大きなレベルの調和を達成するような方向に自分を持っていく。

一つの立場を選択すると、後は以前のような関係性を誰かと結べなくなる場合もある。
それでも、新しい立場の延長上に創造的な未来があるなら、選び続ける必要がある。

わたしたちは変化している。

変化することが自然だから、現在に固執すると、物事は停滞し、不調和がそこらじゅうに起こってきます。

だから不調和が見えたら、もう別のアクションを起こすしかない。
新しい自分から行為し、発言し、それについての責任を取り続ける。

馴れないうちは、ちょっとぞくぞくするけど、だいじょうぶ。
未来にはすばらしいことだけが待っているから。


すばらしい責任をとっていきます。

すばらしい責任とすばらしい未来と、すばらしい自分を。

果てしなく続く道としてのわたしを。

選択し続けよう。
by terasumonnmoku | 2009-05-03 13:42 | Comments(0)

イカの意見。

くだらないことが書きたくなりました。

くだらないことを書いて、すご~く意味のないことをしたい。

こんにゃく体操とか

いか泳ぎとか

ああ。冷蔵庫のイカ。食べるの忘れた。

大変立派なイカなんです。

うちに来たときは、必殺仕事人のような目をしていたので、
かちんこちんに凍ったそれをまな板の上に載せ、

ともに血となり肉となって、いのちをつないでいきましょう。
うちに来てくれてありがとう。

と礼儀正しくつぶやくと、

優しい顔になりました。

どっちにしろ食べちゃうんだけど、

そのへんがちょっと矛盾。

生き物を食べるのは波動が共鳴するということと、おんなじだろうか。

んー。かもかも

でもイカ的には、こんなふうにつかまって、食べられちゃうより、
一緒に泳ぐ、とかのほうが嬉しいだろうな。

というのも、あるいは分離感でしょうか。

今日思ったこと。

世界は愛でできている。ってこと。

すっかりわすれてた。

ハートに愛はあったけど、それとこれとは別でしょって。

宇宙は愛で、いのちが愛で、ハートも愛だけど、周りにはいろいろなことがある。
みたいに、思っちゃっていたみたい。

田舎饅頭の皮みたいなところで(本質とはまったく関係のない浅いところをみて)、
だだだーん!とひっかかったりしていたみたい。

驚愕のあまり、イカと語り合ってしまった。

イカの意見としては、。まっ、それはそれでいんじゃな~い?
って感じで。

それより上手に料理してよ、だって。
もう死んでるんだから、ここはひとつ、思い切ってさ。

ほんとはもっと書くことはたくさんあるんだけど
今日はくだらなく行きたいので、またこんど!
by terasumonnmoku | 2009-05-02 22:30 | | Comments(0)

5月の本・壱

・「伝わる!」説明術     梅津信幸(ちくま新書)

ものごとが、伝わる!というのは、その置かれている相互関係がわかるということなのだそうだ。
天才的な一握りの人を除けば、理解力自体にはあまり大きな個人差はなく、頭のいい人、というのは頭の中で、難しいことを理解しやすい簡単なことに変換する能力のすぐれた人をさす、らしい。
物事はさまざまな枠組みを持っているけど、枠組みはそれぞれに応用可能なのだ。もしかしたらトランジスタラジオの説明で真理を語ることだってできるかもしれない。トランジスタラジオをつかって説明がうまくいっても、しかしそれがトランジスタラジオを越えて相手に伝わるかどうかは、保証の限りではないけれど。
アナロジー(類推)がうまくなるためには訓練がいるのだそうだ。
さまざまな要素の相互関係をアナロジーとして取り出す能力を育てるためには、まずものごとについて「どの部分が大切なのか」「これとあれの間にはどんな関係があるのか」などについて注意することが大切である。
と本書にはある。そうして身につけた自分の考え方のスタイルに沿って、アナロジーの頻出パターンにそれぞれの現象をあてはめることによって、より早くものごとを理解する能力が身についてくる。そうだ。
アナロジーには、以下の頻出パターンがある。

1)因果関係・・・必要は発明の母  必要→発明、母→子
2)きょうだい関係・・・原因は一緒で別の結果、台風による雨と風  台風→雨・風  母→子供1・2
3)共起関係:一緒に起こる
原因が共通かどうかは別として、二つの物事が同時に発生したり、同じ場所に存在することを意味す     る。例)アメリカ、ロシア(同じ地球上に存在)例2)暴力的なテレビ番組を見たい暴力的なゲームで遊んでいる子供は、他人に暴力を振るいやすくなる。という調査結果からわかること=「暴力的なテレビとゲーム」と「暴力的なこども」は共起関係にある。 (因果関係とまではいえない。どこまでいえるか、関係性に注意が必要)
4)じゃんけん関係:強さの序列が一回りして一番が決まらない。例)鶏と卵
5)トレードオフ:自転車のギア、あちらを立てれば、こちらが立たず。どこでバランスを取るかが重要
6)コントロール:一方が他方を支配している(社長→社員)
7)ボトルネック:一部が全体の容量、能力を決めている。集団行動でかかる時間は一番遅い人の動ける時間にかかっている。
8)ピラミッド:上に行くほど小さく、食物連鎖
9)雪だるま式:変化がどんどん加速していく
10)鏡関係:別でありながら、本当は一つ、コインの裏表、食生活=体型
11)無関係
アナロジーで類推すると、こぼれるものもあるということを、忘れないようにしよう。

・人生の作法    西部邁(飛鳥新社)

「自分とはなにものか、人生の目的とはなにか、他人とどう付き合うのか、家族とは」等のテーマを考える方法を、優しい語り口で綴った本。

人生の目的、の項は読み応えがあった。
いわく、人生における目的と手段の関係は、常に自分の視点をどの高さに置くかということにかかっている。

「人生の目的」地へ、到達するたびに更新し、果てしなく追求してゆくとき、目的は次々に手段に変わり、最終到達点は超越の次元のはるかかなたに消える~ということがおこる。

例)東大合格→高級官僚→日本の指導者→国家の繁栄→世界の平和

(一つの目的を達成した時点で満足しようとすると、人生から意味性が失われる。)

逆に、目的達成の手段を、下へ下へとたどってゆくと、手段のもっとも下の部分は、おのれ自身の身体ということになる。
究極の手段である身体もまた、未知である。

「語りえぬ超越性の次元と、知りえぬおのれ自身の身体の次元、この両極端にはさまれ、しかも時間意識をもって、ぼくたちは目的に向けて手段を動員している。そういうつかの間の瞬間が今現在である」

と著者は書いている。

びろーんと空間に伸びた蛇のような、時間を含んだ存在としてのわたし。

次に興味深かったのは、「お金や名誉や地位は、社会においてせめぎあい、価値の矛盾に平衡を取ろうとする多くの人の、経験と、思索のなかから分泌された産物である可能性が大いにある」というもの。

確かにそうだろう。あちらが立てばこちらが立たずという、矛盾しあう価値観のぶつかり合いの中で、金銭や、名声を介在し装置として用いることで、ものごとの関係性を単純化し、平衡をとろうとする。
その仕組みが形骸化していたり、うまく機能しない場面がたくさんあったとしても、これまでの全体の流れの中で、それはたぶん最善の方法であった違いない。
そうでなければ、人類の長い歴史の中でその仕組みが残っているはずはない。
それは、わたしたちが調和をとるための、大事な手段であったのだ。全てが変化しているから、齟齬が起きてきているだけで、調節機構自体に善悪はない。

新しい調和を作り出すシステムが必要だ。
拡大に向かうのではなく、かといって縮小に向かうのでもなく、循環するような方向性で。
めぐるたびに豊かになってゆくような方向で。せめぎ合う価値感が、肯定的発展的に調和に向かってゆくような形で。

そこにいたるまでの、小さい目標と小さい手段を一つずつ考えていこう。

・あなたはなぜ段取りが悪いのか   渋谷昌三(アスペクト)

段取りをよくするためには、目標とゴールを明確に設定する必要があるのだそうだ。明確なビジョンを持つ。それをすることによって、大体の反響を予想する必要もあるのだそうだ。
段取りの基本形式は、日常生活の中にあることが多いので、新しいやり方や新しい段取りを身につけるためには、日常生活の行動様式を見直してみることも大切だ。と、この本に書いてあったので、やってみた。車が運転できるようになった(笑)
by terasumonnmoku | 2009-05-01 17:46 | Comments(0)

真理セラピスト・らくがきすと・即興ピアニスト+社会活動家(過労自死遺族/東北希望の会代表)幼少時より、生と様々な死から多くのことを学んできました。11年のセラピスト経験があり、仕事ではいのちのすばらしさについての、エナジーーワーク的なセッションやワークをしています。頭を現実的に使いながらメルヘンな世界を実現させていきたい。社会問題、スピリチュアルな仕事や宇宙のこと、日常について書いています。


by terasumonnmoku
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