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粒子のこども

あらわれては、消える
さざなみ製 の 神秘 の 身体

波間の頂が光ならば、底は闇。
輪郭とイデアのように

寄せては返し、満ちてはひいて
どこまでも、繰りかえす喜びよ。

頂点で我は彼になり、谷底で彼は我になり。

果てることのないダンスと

おびただしい「無」によって拵えられ

瞬間毎に変わりゆく
「在る」という 永遠。

わたしによって励起し
わたしによって愛に溶ける

粒子のこどもたちよ。

ただ、

今、

ここで

歓喜の唄を歌え
by terasumonnmoku | 2009-06-27 09:38 | Comments(0)

完全な愛の小指さん。

自転車を漕いでいて、お皿に積み上げられた、揚げ物屋さんのコロッケに見とれ、電柱に激突しました。
次の瞬間、地面に私のものと思われる爪を発見しました。
指先を見るとがっつりと裂傷があり、そこに爪がありません。
はがれたようです。
その爪を急いで拾って指にはめようとしましたが、はまりません。

コロッケ屋さんで輪ゴムとティッシュをもらい、手を押さえて家に帰り、保険証を持って病院に行きました。(ありがとうコロッケ屋さん!途中で落とした地下鉄カードを拾ってくれた中学生の女の子にもありがとう!)
ちょうど外科の先生が往診で不在で、待つこと30分。

あまりの痛みに涙が流れます。
ときどき、看護婦さんがのぞきに来てくれます。
で、飛び散った血を拭いたり、氷で冷やしたり。

そこはお年寄りの多い小さな病院です。
リハビリをしながらみんなが気遣ってくれるのが(痛みがひくたびに)わかります。
天使がたたずみ、緑のエネルギーがぽよんぽよんと、いろんなところからやってきます。

色黒でちょび髭を生やした、すこし小太りの先生が登場しました。
今度は先生が神様に見えました。
あまりの安堵感に、今中学生だったら、絶対医者になると、思ったり。
病院ってすばらしい\(^o^)/!!

消毒をし、たくさん縫って、痛み止めをもらい、大津さんのところに直行しました。

怪我をしたのは手だけなのに、ものすごいふらふら感です。
全身でびっくりです。情けないなあ~。

わたしは一生、人の痛みに敏感であろうと、心に決めました。
痛いって、ほんとに大変。

大津さんにヒーリングをお願いします。
こんどは大津さんが神様に見えます。

ちょうどやすりんさんの特別セミナーのあとで、残っていたくみちゃん、やっちゃん、ひーこちゃん((;。;)) が一緒にヒーリングしてくれました。
そして最近はやっている小声で囁く、というのをわたしの指にやってみせてくれました。

完全な愛の小指さん。完全な愛の小指さん。あなたは完全な愛の小指さんですよ。

わたしの小指は自らの存在を忘れ、エネルギー的にはそこに無い状態になっていました。
愛そのもの、と自分でいくら思っても、小指につながりません。

指がみえないな。と大津さんも言いました。
それでも、エネルギーを送ってもらい、みんなに囁かれているうちに、なんとなく指の輪郭がわたしにもどってきました。
指が指であることを思い出したのです。

完全な愛の小指さんの細胞は、完全な愛を思い出し、そこに存在することを決めました。
神経がつながってきたようです。
爪が見えてきたよ。
と大津さんが言います。
今までの爪とはちょっと違うようだけど。

骨が折れたかもしれないし、指がつぶれたかもしれないよ。と病院で言われたその指は、みんなの温かい愛を受け、失った爪の原型を創り出しました。
身体と手がつながって、エネルギーフィールドが復活し始めました。

頭と全身をヒーリングしてくれていたくみちゃん((;。;) )が、たまちゃんの脳が、光り始めたよ。といってくれました。
ほんとに全身でショックを受けていたみたい。
脳もびっくり、胃もびっくりです。

肉体感覚が無いと思っていたけど、思っていただけで、本当は常に自分の状態を把握していたんだな。ということがわかりました。
そうでなければ、小指の感覚がないだけで、あれほどうろたえるはずがありません。
大きな足の怪我ときは平気だったのに、どうして手だと、あんなにびっくりしたんだろう。
痛みというのはすごい力がありますね。

このようにして、事務所に行くときは息も絶え絶えでしたが、帰りには(指以外は)普通の人になっていました。
くみちゃんが車でおいしいお魚屋さんに連れて行ってくれて家まで送ってくれて(ありがとう(;。;) )、晩御飯はマグロの中落ちです。
息子のとうもろこし一号がお米をとぎ、家庭科でならったばかりのサラダとドレッシングを作ってくれました。
後片付けをしてくれたパパにも大感謝です。

遠隔してくれたまきちゃん、東京のひろこさん、nahoちゃん、さっさちゃんも、ほんとにありがとう(;。;)
nahoちゃんからのメールの、「混ざりきらないそれぞれが、あるとき違うことをしはじめたりすると自然に溶け始めることがある」という言葉が、きらきらと輝いて、胸にしみました。
ヒーリングも私たちのかかわりも、一緒だね☆

夜寝る前にとうもろこしは言いました。

かあちゃんの指が早く良くなりますように。
明日もおいしいご飯が食べられますように。

身体を通す学びは、ひとつひとつのできごとが色鮮やかで、喜びに満ちていますね。
極道の妻には、なれそうもありませんが、まあならなくても、いいや(笑)

きのうやっちゃんが包帯に貼るために(?)くれた太陽と虹のシール、捨てないで、取り替えるときに看護婦さんが新しい包帯に、貼り直してくれましたよ♪

そして小指を立てればパソコンも打てるので、いろいろな意味でばっちりですΣ( ̄◇ ̄*)

ほんとうにありがとう。全ての学びとすべての協力に感謝です!
(どうしてそんなことになったかは、わかっているのですがここでは内緒です・笑。でもまあ、すべて必然、すべてよしなんですよ・笑)
by terasumonnmoku | 2009-06-23 19:12 | Comments(10)

6月の本

・ピーターらくらく学習術     ピーター・フランクル著(岩波ジュニア新書)

彼の数学の本を、何冊か読もうとして、挫折したことがあります(;。;)
でもこれは読めました!なぜって、数学の本じゃないから(しかも子供用・笑)

外国語をどのように学習するか(彼は12カ国語を話すのです!)、どうやって、自分に自信をつけるか。
そのようなことが子供でもわかるよう懇切丁寧に、日本語で説明されています。

彼がその才能を世界的に評価されている数学によってではなく、趣味の大道芸によって、本当の自信を得ることができた。と書いていたのは、驚きでした。
人は案外、できること、得意なことによってではなく、苦手だけど好きなことによって、自信のようなものを得るのかもしれません。
そう思うと、世の中に、客観的に見て、ものすごくいろいろなことができるのに、自分に自信がない人があふれている理由がよくわかる気がします。
そういうひとはキャパが大きくて、達成感がなかなか感じられないのかもしれませんね。

・男子のための人生のルール   玉袋筋太郎・浅草キッド(理論社)

息子のとうもろこし一号に読ませようと思ったが、まだちょっと早いみたい。
成長期、思春期の男の子に、話したいようなことが、相当ざっくばらんに書いてあった。
挨拶は大事とか、5人居るのにお饅頭が4個しかないときに、一番最初に人に譲るような友達を大事にしろとかそういうひとになれとか、コンプレックスは隠すものではなく向き合うもの、とか、内容はそういう感じなんだけど、表現がすごい。
下ねたばかりで、自分が13歳の男の子だったら読みたいだろうなー。
絶対興味深々でよむだろうなあ!という感じ。
こっそりとうもろこしの部屋の隅っこに、転がしておこうかなー(笑)

・この人はなぜ自分の話ばかりするのか    ジョーエレン・ディミトリアス(ヴィレッジブックス)

原題はシンプルにreading people.
著者はプロの陪審コンサルタントで、O・J・シンプソン事件など、さまざまな事件において、より被告に有利な判決をもたらしてくれる陪審を選ぶ仕事をしている。

ひとはひとをどう「読み」、それにどう関わっていっているのか。
(著者の場合は、被告人に同情的な陪審を選び残す。ということが主要目的だが)

確かに自分も、便宜上詳しく言うと自分が不利になったり、困ったことになるため、あえて説明したくない、ということを隠すために、ごく一部だけを話して大部分を割愛したり(そしてばれそうになると、ええ?いわなかったっけ?・・・という。)、都合の悪いことに触れないように、突如話題を変えたり、しているなあと、思いながら読む。

実にその通りだ(笑)

そういうのって自分がやっていても人がしていても、あまりにわかりやすく、浅はかであるところから、失笑しつつもなんとなく、ある意味チャーミングな気がしていたが、もしかしたら、世の中的にはそうではないのかもしれない。今度誰かに聞いてみよう。

・ジョージア・オキーフー美の20世紀13             ジャネット・スーター(二玄社)

自叙伝のダイジェスト版。図版が豊富でとても美しい。

いつも思うのだが、砂漠には生物の気配はほとんどないのに、オキーフの絵には、なぜこんなにも生命力に満ちているのだろう。
バファローの骨さえ、生き生きしている。
今にもこの場所に全身で立ち上がり、必要な分を肉付けして、逆回しで走り去って行きそうだ。

しかし冷静に思うと、オキーフの絵の中に限らず、砂漠は確かに色や生命力にあふれている。
時として、その美しさは信じがたいほどだ。

砂は熱く、日差しを遮るものもなく、エンジンを切ると静けさが耳に痛いほどで、立っているだけで死ねるような場所なのに。
そういえば一面の雪原・・も泣けるほど美しい。
雪の原にもたくさんの色がある。

もしかして自然というのは、どういうものであっても、そもそも的に美しいものなのかもしれないな。
最高の調和がそこにあるんだ。

ゴーストランチを押し囲むように、荒涼とした砂漠が広がっている。
背後からそびえる赤い山並みを日差しが照らすと、そこにたくさんの鮮やかな色彩がそこに現れる。

オキーフはいつも黒い服を着ていた。

使う色を、意図的に抑えていたのだろうか。
そんなふうに彼女の自伝には書かれていたけど、黒は砂漠では昼間最も目立つ色だ。
抑えていたのではなかったのかもしれないな。
世界を創っていたのかも。
だって彼女の胸には、いつもお手製の銀のOKという大きなブローチが飾ってあったのだ。
by terasumonnmoku | 2009-06-21 23:27 | Comments(0)

天動説から地動説へ。

梅雨がはじまりました!

そろそろカエルが卵を産むころかな?

日本はいいなあ~と思います。雨が降るし、台風が来るし、夏は暑いし、冬は寒いし!

その季節ごとに楽しみがある。
すいか、みかん、おでんに、かき氷、こたつに扇風機、お正月のおもち、金魚、たくさんの花々。
おいしい水。

雨の日には雨の歌を聴く。
雪の日には、障子越しに、雪見酒(笑)

今週は、みんなに会う一週間でした。
みんなのおかげでいろいろとすっきりしたので、幸せです☆

最近のもんもく的大ヒットワードは、ずばり、「他人事」!

ビバ「他人ごと」!
他人ごと、という概念を知って、わたしは、人を思いやる、ということができるようになりました(笑)
なんじゃあそりは・笑!

自分のためだったらどうでもいいことだけど、他人ごと、・・・だから、ちゃんと配慮しよう♪

表面上どんな苦しみが見えたとしても、他人ごとなら、あわてなくても大丈夫。
自分のことだったら、それっ!学び時よ!っと、ムキになってじたばたすることだったとしても、そこで強制する必要はぜんぜんなくて、なによりその人の学びが進むよう、祈ればいい。
自然で、相手の負担にならなそうな範囲で、できることはさせていただいて。
ただ内に輝く愛だけを認め、温かく見守るだけで十分で。

ひとさまって感覚は、なんて素敵なんでしょう☆
別々って、すばらしい\(^o^)/!!!!!!!

わたしたちは別々に、愛のすばらしさを学んでいる。
存在すること、生きるということ、いのちを循環してゆくということを。

それは根本では同じ一つの現象ですが
あらわれている個性はべつべつで、それはそれぞれに学んでいってよくて、責任はとりあえずひとりぶんでよくて。
そのひとりぶんをしっかりやればいい。

良かれと思って変なことをやっても、ちゃんと出るひずみから、一人ひとりが学べばいい。

ものごとのなりゆきは、ほんとに宇宙の動きに似てますね♪

いまのいままで天動説の世界を生きていたんだわ!!!

物事の原因は、全て自分が作っていたのに、動いているのは周りの星なの(笑)

いま、金星が逆行しているから、恋愛がうまくいかないの!
なあんて、星占いみたいに♪

あの人のあの間違いを、いったいどう伝えればわかって(改めて)もらえるんだろう?

なあんて、

「あの間違い」は、まず「わたし」に、必要だったから、あらわれたのに!

わたしがくるりと太陽の周りを、それまでよりもちょっとだけ深い角度で回ったから、目に見える風景が変わっただけ。

ただそれだけで、全てが違って見える。

レゾナンスの愛の学びは、天動説から地動説に変わることなんだな。
(そして更に道は続いてゆく~♪)

ホームページはこちら↓!
(まかりまちがって、ここに来てしまったあなたも、ぜひ、愛の学びを!)

http://www.resonance-therapy.com/index.html
by terasumonnmoku | 2009-06-19 11:09 | Comments(2)

エネルギーで遊ぶ。

前回、お話させていただいて何日か後、十字架の上の瀕死のキリストの、喜びのエネルギーを再び体験しました。

それは「透視」で読んだエネルギーよりも何倍も重層的で、鮮やかで、深いコクに満ち、細胞全体が第九でも歌っているのでは、というほどの輝きを放っていました。

一瞬だったけど、すごかった!

比較するとコンビニで買った105円の白ぶどうジュースと、
ドイツ産の超高級白ワインくらいの違いです。

完全にその波動をわがものにした、というわけではなく、ただ垣間見ただけですけど。
これはご褒美的なものだったのかもしれませんね。
みんなの前で話せたから。

そのすぐあとに、マイミクのさやりさんの(高次元の)ミルキーなエネルギーを感じたのですが、更に何時間か後に、PCを開いてみると、彼女の日記に唐突に、「インマヌエル」という言葉が登場していました。

キリスト教的にはインマヌエル・イエス=イエス自身をさすとか、そういうふうに習った気がします。
宇宙のシンクロニシティの完全さにびっくりです。
どっかがつながっていたんだね。

わたし自身の波動は、すでにいろんなひとと混じりあってしまっていて、くる波動を特定することが難しいのですが、さやりさんはわかります。
共通する部分が少ないから。

そういうのってすごくいいなあ、と最近思います。

違うっていいなあ。

これぞ肉体を持つ醍醐味ではないかしら。
別れているっていいなあ。
別れていると、会うことができる!

これからは、あんまり混ざらないで居ることにしよう(笑)

人間は、さまざまな色の光のでできている、とスピリチュアルの本で読んだことがあります。

でも、その色の光にもさまざまな波動ー振動のリズムとか幅とか粒子の大きさとか、その他もろもろー、の違いがあって、やみくもに共鳴すると、わけがわからなくなります。

自分自身に調和がきちんと取れていなかったころ、わたしはよく、いろんな人のエネルギーを読みすぎて、いろんな波動に共鳴しすぎて、いつにもまして意味不明な人になり、大津さんに助けを求めては、救出してもらう、ということがよくありました。

「大津さん。わたし、ちゃんと混ざってない粉末ジュースになっちゃった気がするんです!」

しょうがないなあ、とばかりに大津さんはわたしを隣に座らせて、人生はよろこびだよ~。ひとは愛そのもの、完全そのものなんだよ。という話をしてくれたのでした。
穏やかな調和のエネルギーに満たされ、だんだんわたしは落ち着いて、帰るころには普通の人(?)になっていました。大津さんの愛の波動はすごいよね。

それはともかく。

世の中には、いろんな色の光がありますね。
わたしは最近まで、ずっと赤が苦手でした。

赤って、たぶん、三次元の世界に四次元をリンクするような、逆に言うと超常的なものを、形にしていくような、そんなエネルギーなんだろうなあ。
だから赤ちゃんが赤いんだし、鳥居も赤だし、鬼も赤だし(青いのも居るけど)襦袢も赤だし、還暦のちゃんちゃんこも、金太郎の腹掛けも赤なんだろうなあ。

聖なるものと、怪しいものは、ずうっと昔は出自が一緒だったに違いない。

(これはもんもく的極論です。あしからず。)
by terasumonnmoku | 2009-06-14 23:18 | Comments(0)

菩薩セミナー

というわけで、お話させていただきました。
お集まりくださったたくさんのみなさま、まことにありがとうございました<(_ _*)>
とっても勉強になりました。

これからどんなふうに学びをすすめ、どう自分を持ってゆけば良いのか。
愛をどう感じ、表してゆくか、その方向性のようなものが、ようやく見えてきた気が、しています。

一時間。長かったです。反省点もたっぷり。
でも、お話させていただくことができて、ほんとに良かった066.gif 

今回のテーマは「生と死」でした。
正確に言うと「死」かな。

わたしは前半生を死にとり憑かれるようにして生きてきたので、今この時点で一度みんなと一緒に、そこをクリアしていきたいなあと思ったのです。

ここ二ヶ月くらい、その思いに向き合ってわかったことは、生と死、という、二つのものがあるのではなく、愛のある側面を生と呼び、別の側面を死と呼ぶ、というようなことを、わたしたちは、しているのかもしれないなあ。ということでした。

絶え間なく流れ続ける愛、という川の流れがあったとして、
そこに日ざしが当たり、水面が光を反射したときの、あるきらめきをわたしたちは生といい、別の輝きを、死と呼ぶ、ようなことを。

二元論のもとで成立する世界を作るために、それは必要なことだったのでしょう。

生と死を別の言葉で置き換えると、男性性と女性性というふうにも言えますね。
つまるところ、陰陽の世界です。

そこまで考え、ようやく、自分がなぜ「死」に、異常に執着していたのかがわかりました。

わたしの知っている宇宙に、死→失う、という感覚はないから。
エネルギーは変化してはいますが、失われることはない。
そしてその変化は、喜びであって、不幸ではありません。

失うってどんなことなんだろう!と、御霊のわたしは思っちゃったのでしょう。

それで選んだ方法が、三次元感覚をほとんど持たずして、第3の目全開で生きていく。
しかも自分の状態には気づかずに、ということだったのだと思います。
これなら誰の不幸も、たちどころに我が物になるというものです。
もう、失い放題です。

結果わたしにとって生きるというとは、空中に漂うそこらじゅうの人たちの「死にたい」波動を、常に収集して歩く、ということにあいなりました。

6の8までは、自分の感情と、流れ込んでくるひとの希死欲求の区別が、つかず
6の9で価値判断をやめ始めたあたりで、ようやくそれが「拾い物」ということが、認識できるようになりました。
共鳴が起きなくなったのは、7に入ってからです。

間接的に共鳴するだけでなく、実際にもたくさんの死を、そばで見てきました。

その周りで悲しみ苦しむ、たくさんの人に会ってきました。

壮絶な死もありました。

殺人、病死、アルコールによる緩慢な自殺、意図せぬ事故死、大切な人の死をゆるせずに、全身がゆっくりと麻痺してなくなった母。
子供を殺して自分も死ぬという友人と、夜中連絡をとり続けたこともあります。
(その友人は後日命を絶ちましたが、子供たちは残していってくれました。)

90歳100歳を越えた人の、なんとなく華やいだお葬式も見ました。
インドの道端で死んでいた幸福そうな死体や、臨死状態のひとの顔もみました。
(ほんとにお花畑が見えたそうです)

失う、ということにはたぶん時間が関係しているのでしょう。
時間を設定することによって、初めてわたしたちは、「失う」ことができるようになったのだと思います。

大切な人の死に遭遇した時、わたしたちはその人の姿を求め続けることで、絶え間なく、そのひとを失うことができる。

時間のある世界では、わたしたちは、求めることによって、失うことが可能になります。

(宇宙には、過去から未来へ流れてゆくというありかたをする時間、というものは存在しないのではないか、とわたしは思っています。時間のない世界では、存在すること=刻一刻と変化すること、であり、同じ状態が継続するという、概念、そのものがない気がするのです。)

わたしたちは愛そのものであり、表面的にどんな現われをしようと、決して愛から離れることはない。

なのになぜわざわざ形ある世界、分離の世界を作り、そこで学ぼうとしたのか。

そう考えたとき、形のない世界、7次元以上の世界では、愛は愛にしか見えない。
と、ふと、思いました。
そこでは愛は愛以外のなにかのようには、とても見えないのです。

逆な言い方をすると、わたしたちは形をもってはじめて、一見愛でないようにみえるもの、を手に入れることができた、のかもしれません。

意味があるから物が存在するのではなく、愛のエネルギー(波動)は、形を得てはじめて、意味を獲得したのではないか。
意味を獲得することによって、わたしたちはものごとに別の解釈を許すことができるようになったのではないか。

分離して始めて、愛とは別なものからスタートして、愛にもどっていく過程を、はじめられるようになった。

それは、美しい愛そのものである自分しか知らなかったわたしたちにとって、とてつもなく魅力的な学びに見えたことでしょう。

ちょっと、宝探しに似ています。
わたしたちは、宝探しをしに来たのかもしれない。
ちょっと込み入った仕組みだったから、なかなか正解にたどり着かなかったけどね。

ここまでわかったとき、わたしはようやく「死」の学びを終えて、第3の目を閉じることができました。

それに、もう遊んでいる余裕はないのです。

朝のニュースで北朝鮮の核実験や、アメリカの象徴であるGM破綻をやっていました。
わたしたちは一刻も早く全員で、波動をあげる必要がある。

とにかく、自分のできることで愛を表す、ということでいいのです。

働く人が愛のある仕事をするようになれば世界は平和に成ります。
家庭が平和になれば、世界は平和になります。
まわりとの調和を持って、喜んで生きていくだけで、世界は平和に成ります。

わたしたちはつながっていて、一つの小さな変化もどんどん響いて、別のどこかにつながっている。
あなたが昨日許せなかったことを今日許せば、世界の果てでどこかの少年が、手にしていた銃をおくかもしれない。

そんなふうに。

宇宙とわたしたちは隙間なく一体であって、わたしたちの一人ひとりが一瞬ごとに世界を生み出しているので、今この瞬間の心の使い方がとてもだいじになってくる。
それぞれにそれぞれの場所で、積極的に愛を表していけたらいいなあと、思います。
だってわたしたちは、愛そのもの、であるのですから。

先日偶然、ボブ・ディランの、「風に吹かれて」という歌の歌詞を読んで、
(それは苦しみはいつ終わるの?答えは風が知っている。ひたすらリフレイン・・・という内容の詩だったんですけど、)子どものころを思い出しました。

小さいころ、わたしは風に名前をつけて、風を自由に操ることができたのです(笑)
気のせいかもしれませんけど(笑)(名前をつけていたのは事実で、それは何種類もありました。)

わたしは最初から答えを知っていたんだ、と思いました。
でも、この人間社会で、それがなにを意味するかは、わからなかった

教えてくれたのは大津さんでした。

それが愛だということを教わることができて、ほんとうに、よかった。

         ☆ ☆ ☆

みんなにも、同じチャンスがありますように。
(形は違ってもね)

         ☆ ☆ ☆

第3の目を閉じたおかげで、前回のエナジーの際、わたしの名前になんと「ヴィーナス」がくっつきました!
男が子供を生んだといわれ続けたわたくしです。
ヴィーナスと呼ばれる日が来るとは思わなかった。
すごいなあ!

今回は最初と最後に、大津さんの文章を読みました。

最後に読んだ  「喜びよ、人々の心に響け
           喜びよ、地球の全ての生命に響け
           喜びよ、宇宙の果ての果てまでも」

という部分で、前に波動をあわせた十字架の上のキリストのその後につながりました。(過去日記からの掲載分キリストとエルコの項参照。)

死の寸前のキリストは、この↑「喜びよ!人々の心に響け!」のような波動だったのです。

日の光をいっぱいに浴びた大きな木が、日差しに葉の緑をきらめかせている。

その風に揺れるきらめきの一つ一つが、周囲で叫んだり怒鳴ったり、泣いたり、あるいはキリスト自身を傷つけたりしているひとの、ほんとうの姿なのだと、キリストは捉えていたのだと思います。
だから彼の波動がそんなにも喜びに満ちていたのだ、と、わたしは思う。

自分の形は失われても、永遠の愛や命や喜びは、ともにその経験に臨んだ人々の中に、その人たちが言い残し、書き残したものの中に残り続ける。
姿かたちは変わっても、着実に、連綿と、何世代にも何世代にもわたって。

命は、損なわれることも、失われることもない。

永遠に形を変えながらあり続ける、確かなもの。

怖がることはなかったんだ。
by terasumonnmoku | 2009-06-08 15:44 | Comments(0)

宇宙真理哲学講師、らくがきすと、即興ピアニストぷらす社会活動家(過労自死遺族当事者)働くことから世界を変えるをモットーに、さまざまな活動をしています。合言葉はREBORN.大事なのは、生きることだ!


by terasumonnmoku
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