情報

こんばんは!皆さまお元気ですか?
わたしは元気です。

特別エナジーの前後、引き続き毎日のように、頭頂部から、首の後ろから、いろんな光がばんばん入ってきて、眩暈のするような時間をすごしています。
地球って、すごいΣ( ̄◇ ̄*)
宇宙から、とっても愛されているのね。

おかげさまでわたしもだいぶ汚れが取れて、清らかになってきました。

昔のドラマを見ても、女優さんが前思っていたより、はるかにきれいになったように感じる。

その女優さんとかぶっていた自分の汚れが、なくなったんだろうなあ。
それがなんだかわかればおもしろいのに。

ありがちなのは、自分はだめなんだ。っていう感覚かもしれないね。
そういうのがなくなってきたのかも。

何の役にも立たないのに、なんでそんなことを思っていたんだろう。
それを考えると不思議でしかたありません。

<だめ>が好きだったんだろうなあ。
最初はきっとものめずらしかったそんな感覚を、楽しめば楽しむほどそれが事実のように思っちゃった。
だめ越しの風景が、真実に見えてきてー

いまは少しずつ地球と一緒に
みんな変わってきているのだと思う。

特別エナジーを契機に、ものの見え方が変わってきました。
楽になりました。

三次元はあいかわらず難しいけど、少年野球のスコア書く練習しながらがんばってるよ~♪

前世とか生まれ変わりとかはすぐわかるけど、髪型や服装が変わっただけでその人が誰だかわからなくなる。

目の前でたくさんの人が、ランダムにいろんなことをやっているのを見ると
その気配を感じただけで倒れそうになるので、
これはわたしにとっては、曲芸のような体験です(・ิз・ิ) ノ

何を見ればいいの!?
どこを見ればいいの!

わらわらしているうちに、オーバーヒートして、寝ちゃう・笑。

生まれたばかりの赤ちゃんみたいに、形で自分に必要な情報を、選別することができないのかも。

あるいはそうではなく、単にわたしの知覚能力が、

「個体としての肉体が自分にはある」
「五感はこの個体に属しているもので、一対一に深く知るということに、この個体は向いている」

という分離感に制限されているということだろうか。

そういえば、人間というこの形は、宇宙にある膨大な情報を処理するようにはできていない。
と、長い間わたしは信じていたのです。

なぜかというと、中学生のときに、一気に大量の情報に曝されて、気が狂ってしまった宇宙飛行士の出てくるSF小説を読んだから( ̄□ ̄;)!!

ほんとうにそうだろうか。

情報が多すぎると確かに使いにくいけど、必要なレベルごとにちゃんと検索できれば問題はないのかもしれない。
グーグルみたいに、いつもはないけど、必要なときは出てくる知識、みたいになっていれば。
一気に大量に、インプットする必要などどこにもない。

違うな。

そもそも宇宙における「情報」というのは、単なるデーターの寄せ集めではなく、
どちらかというと、それ自身意志がある「生き物」のようなもの。

調べて手に入れるのではなく、アメーバーや微生物のように、生物が生きることによって、自主的にくっついてくるというか。
情報を得るというのは、生命が増殖するような感じ?
(この例はかなり不気味なので、後でもっとさわやかなのを考えてみます)

だから情報量が多くなるということは、認知力そのものの規模がアップするということで
認識できるようになる=容量が上がる=気は狂わない。
ということなのだ。

もしわたしの認知力の規模がちゃんと育って大きくなったら、何十人、何百人、何千人がそこにいたとしても、全員のそのときの状態が瞬時に別々に認識できて、それぞれに対応できて、いわゆる神のような気分がするに違いない・笑。

すごいな。本当にやりたいかどうか、後でゆっくりと自分に問うてみよう。

このように、わたしにとって普通のことが、みんなにとって普通じゃないらしいのは、
ちょっぴり哀愁を感じる部分でもあります。

みんなにとって問題であることは、わたしにとっても問題であったほうがいいのかもしれない。

そんなことないよ。と、自分でいってみたり。
わかる必要はあるな。

あなたに大切なことがわたしに理解できたら、
そこからきっとはじまるものがある。

ね。
by terasumonnmoku | 2010-03-27 21:59 | Comments(0)

ふかく青い空

c0195362_112022.jpg
ふかく青い空の
濃厚な空気を

悠々とそして堂々と
この魚は泳いでゆくのだ。

わたしたちの額に浮かぶ汗が
太陽を反射する

それぞれに備わった、頼もしい二本の足で
大地を踏みしめるたび

宇宙がゆっくりと
深呼吸する。

はーとが愛を語り
きみが地球を回す。

はーとが喜びを語り
ぼくが地球を回す。

大切なものから
ゆっくりと手を放す。

さよなら。ありがとう。永遠に。つづいていく。世界に。きみに。

            *こっちにも一応アップしておきます・笑。ミクシイとおんなじだけど。
by terasumonnmoku | 2010-03-26 11:24 | Comments(0)

流血の製本とエンジェル

波動日記の製本作業は、ひーこちゃんの熱い情熱で印刷された原稿を前に
ああ!なんとかこれを本にしたい!と思った瞬間、脳裏に完熟マンゴーさんの顔が美しくもぽわーんと、浮かんだところからスタートしました。

マンゴーさんの助けを借りたら、不器用なわたしでも何とかできるかも!
と、早速連絡をとってみることに。
(なんでもできるマンゴーさんは、製本作業が得意で、以前わたしが手作り詩集を作ったときも、アドヴァイスしていただいたことがあったのです。)

優しいマンゴーさんは快く快諾。

こんなやり方があるよ!と説明してもらって、何度か打ち合わせの後、どきどきしながらマンゴーさんの事務所へ。

徳ちゃんの描いた菩薩の絵をプリントし、タイトルを入れた表紙をつけて本体と合わせ、段ボール用のペーパーナイフで綴じ目に切れこみを5ミリ間隔で入れます。

(マンゴーさんは印刷のため別ルームへ退出。ここでもんもくの流血はじまる)

ダンボール用パーパーナイフは、刃先がぎざぎで、食事用ナイフのような(ある種凡庸そうな)顔つきをしています。
それなのに、さわっただけで血が流れる、優れものです。

垂れる血に往生し、模様入りのトイレットペーパーをトイレまでちぎりに行って、それで指を抑えながら、作業を続けようとしたところ体勢に無理があったのか

立て続けにその他の二箇所も流血。

殺人現場のように床に血痕が飛び散り、(まさに))血迷って水道の水で傷口を洗ったところ
ますます流血が激しくなって(当たり前だ)

途方にくれていたところで

印刷のために別の場所に行っていたマンゴーさんが帰還。

ガ━━━━━━━∑(゚□゚*川━━━━━━━━ン!

わたしより、マンゴーさんのダメージが大きく、しばし作業を中断することに。
(ごめんなさい。マンゴーさん<(_ _*)>  しかしこの話を徳ちゃんにしたら、彼女は嬉しそうに、よりすごい流血ねたを語り出しました。マンゴーさんはわたしたちとこの話はしないほうがいいと思います(;。;) )

お茶をご馳走になり、お菓子を食べて休憩の後、ピストルのような形のホットボンド用機械を使って、ボンドを綴じ目に塗りこみます(なぜかマンゴーさんのおうちには、ホットボンド用の機械が二個もあります)。
更に木工用ボンドで背表紙部分に和紙を貼り、冷まして、冷えたらアイロンで背中部分を成型します。

そのあいだ、これを読む人の学びがぐぐっと進むように
一緒に学んだ時間に感謝しながら、(そして輪ゴムで止血し、血のにじむ絆創膏を度々取り替えながら)作業。

必要な人に徳ちゃんの愛が届きますように。

p( ̄o ̄)qw( ̄0 ̄)w!!v( ̄ー ̄)☆☆

というわけで無事に完成したのでした。
次回は徳ちゃんも製本作業に参加するそうなので、よりパワーのこもった本ができると思います。
たま画伯描いた徳ちゃんの絵も追加しました♪(もう購入済みの人には、あとで葉書サイズの同じ絵をプレゼントする企画もあるそうです!)

やった!
ひーこちゃん!完熟マンゴーさん、ありがとうございました!
みなさんもどうぞよろしくね♪

ところで、きのうは徳ちゃんのエンジェルセミナーの日だったので
スキップしながら遊びに行ってきました!

お話のタイトルは「卒業」。

リアルに今を生きる、とてもすばらしいお話でありました。

いつも思うのですが、わたしたちは「今」を生きていて
その「今」には、いろいろな「現象」や「感情」や、物事の一時の沸騰状態・的なものも含まれていて

巷に在るスピリチュアルな話では、闇を認めて光の下に終結しよう
というでなければ、ただ美しい物語を語るだけがほとんどだけど

実は成長するというのは、たまに物事の、変化する途中にでくわしたりもするわけで
そこがすごくおもしろいなあ。と思うのです。

変化する前。変化する途中。変化した後。

全部を一緒に体験できるのはすばらしいなあ。と。
というわけで今日のタイトルは「卒業」でしたが、そこに集まった人みんなが、たぶんそれぞれに「卒業」するものを抱えて終結した、という感じのセミナーでした!

春だしね。
始まる感じ♪
しかしこのセミナーは録音がないので(大津さんが東京に機材を持っていってしまった)、
誰も買えません(笑)
悔しい人は自分でセミナーに参加してください(笑)

さいごにみんなで遅くまで残って
しみじみとお話できたのが楽しかった♪
一緒に学べるって、しあわせだなあと思いました。

出会って学び合って、

成長してまた語り合って、

依存ではなく、

どこまでもーどこまでも独立した、それぞれの道を

共に(!)、歩いてゆく。

朝日の当たる家のPVみたいに、ななめ縦一列行進だったり(笑・はじめてこのPVみたけど、かぶってるのに笑ってるよ)。
by terasumonnmoku | 2010-03-18 22:02 | Comments(2)

それで

こうして日記を書いては
そんな(偉そう)なことを考えていた自分を省みて反省してるわけですが

でももし世界に自分しかいなかったら
きっとなんにもわからない。

というのはあるだろうなあ。

他者がいる世界というのはすばらしい。

ところで、最近ちょっと静かなレゾナンスワークス仙台ですが
水面下で着々と、順調に育っている模様です。

徳ちゃんのわかりやすい愛のお話と、みっちゃんの、慈愛あふれるヨガを中心に
一般の人たちに真理をどんどん発信するスペースとしてゆっくりと形を整えているそうなので
できるところは参加し、わくわくを共有しつつ、その成長を一緒に楽しんでゆきましょう。
(レゾナンスワークス仙台に関してなにか質問がある人は、徳ちゃん、みっちゃん、くみちゃん、やっちゃんのいずれかに直接聞いてみてね。やっちゃんのミクシイネームはセレニティやすりん、みっちゃんはシェルティさんです。また、→のエキサイトブログ紹介部分から、直接波動日記に入れます。)

レゾナンスで学んでいる人向けに、徳ちゃんの波動日記をまとめたものも販売する予定だそうです。

先日お友だちの完熟マンゴーさんと、原稿に表紙をくっつける家内制手工業的作業をしたのですが
こちらだと、ただ読んでためになるだけでなく、
菩薩感炸裂な徳ちゃんの表紙絵を、存分に堪能することができます(笑)
その辺に立てかけておいても、きっとすばらしい気持ちになることでしょう。
(だってみんなもこの絵のように美しいんだもの!徳ちゃんだけでなく、これを読んでくれているあなたも!)
表紙つきで3500円。
ご注文は徳ちゃんまで。
あきらかに、一目で違いのわかる、やっちゃんの愛のエネルギー入りクリスタルも絶賛発売中です。


(ToT)/~~~~
by terasumonnmoku | 2010-03-10 17:27 | Comments(4)

見るともなく人を見ていると、変わりたい!と口では言いながら、実際は大部分の人が、
全然そう思ってないんじゃないかなあ~と思うことがある。

変わりたいはずなのに、いつも同じようなことをしている。
意外性がない。というか。

その人の行動範囲をはみ出るようなことを言ったりやったりは滅多にしない。というか。

だから立ち居振る舞いや、そのひとのあり方に、
本人が醸す波動領域を離れた意外性を感じる人を見るとうれしくて、
(そういうチャンスはめったにないが)
なぜそうなのかをわかるまで徹底的に考える癖がある。

意外性がない。というのは行動やあり方に限らない。

本人が作ったものと作られたものの関係も、同じである。

例えば映画。

どんなに奇をてらったようなシチュエーションの映画でも、
この監督はこんなラインの映画を撮るなあ~という範疇に留まったところで作られていることが多い気がする。

不気味な世界が好きな監督が、商業的に意識してラブコメを作っても、やっぱりどこかに隠し切れない不気味さのオーラが漂ってしまう。みたいな。

そういう意味で、最近見た映画の中でとても不思議だったのがスパイク・リー監督。

このひとは大変賢そうな、扇動的でかつスタイリッシュな映画を撮るとわたしはおもうのだが、ひとつだけどうにも納得できないことがある。

それは自らの監督作品に、いつも、どうしょうもないような、箸にも棒にも掛からないような男の役で登場することである。

しかもヒッチコックのように、ただ茫洋と出るのではない。

し、それにだからといって主たるストーリーに対して何か建設的なものごとをなす、というわけでもない。
なのにその存在自体がとても気になってしょうがない。という出方をする。

映画と本人が、全然あってない。

それが気になって仕方がなくて、先日、友人である女優のくみちゃんに聞いてみた。

スパイク・リーさんにとっては、何かを考えてそこに向かっている役で出るというのは、逆にとても簡単なことなんだと思う。

こういう何も考えていない役、それでいてストーリー展開に予測がつかなくさせてしまうような役を演じるほうがずっと難しいんだと思うよ。とくみちゃんはいっていた。

なるほど。

そうなのか。

言われてみればそうかもしれない。
彼はだいたいいつも、不確定因子としてそこにあるひとの気がする。
直線に進むんじゃなくて、物語りにスペースをもたらす。

なんだっけ。
英語で言うと、トリックスター!!!!!!

やろうとおもって、映画全体の効果を考えて、自分を冷静に取り扱って、考えてやってるんだ!!!!!!

そこで更にはたと感動する。

わたしが一番最初に人の行動にびっくりしたのは、なんと姑ののんちゃんでした。

彼女は絶え間なく、家族全体の、健康と調和と繁栄に心を配っているため、
そのために必要とあらば、それこそなんでもするのだ。
新幹線に乗って途方もない距離を平気で日帰りしたり、みんながびっくりするような、驚きの企画を立てたり。

なぜびっくりするかというと、彼女が自分より少し大きなものに照準を合わせているために、
彼女のエネルギーを読んでいるだけでは、次の提案の予測がつかないのだ。
それを知ったときわたしはとっても感動したものだが上には上がいて、

その次に出会ったのが大津さん。
大津さんは更に規模が大きく照準は「ユートピア創造」にあわせて自分をカスタマイズしているので、
ほんとに予測がつかないのだ。

見るたびに新たで、ほんとに退屈しない。
明日は別人になってるかもしれない。
このわくわくはなにものにも変えられない。

人間に生まれてよかった!!!!\(^o^)/!!!!!!!
というのはおいておいて。

結局重要なのはどこに理念をもって、どういう受発信をして、自分をどう取り扱うか。

ということだと思うんだけど。

みんな「じぶん」という固まったものがあると思っているらしく
だから行動や発想や受発信の自由度が低いのだろう。

マハトマ・ガンジーが、イギリスからのインドの独立運動を指揮したとき、その運動の根底にあった非暴力不服従思想(この思想を彼は造語で真理の把握と名づけている)が生まれたきっかけもより高い理念の下に彼が受発信した結果ということができるだろう。

武器に武器を取って戦うのではなく、非暴力不服従でいくというのは、ものすごい勇気がなければできないことだと思うけれど、彼は自分の人間としての弱さより、よりたかい真我の我をえらんだに違いない。
(自叙伝によると、彼は自分の一生を真理の探究のために捧げたとあるが、その真理とは=神であるそう。)

たぶん、大きくても小さくても世の中のびっくりするような素敵なことって
そういうすこし大きなものに照準を合わせた高い理念のもとの受発信(ハートが脳を使って考えるといってもいいが)がもとになっているんだろうなあ。と思う。

しかし、と、ここで一つ反省する。

人のことをどうこう思う前に、まず自分!

自分が思ってもいない素敵なことをたくさん思いついている状態を
まず発信しなくちゃね(笑)
by terasumonnmoku | 2010-03-08 19:15 | Comments(0)

泣く女

小学校の授業参観にいくと、
息子、とうもろこしの教室の壁に
ピカソの「泣く女」の塗り絵が、貼られていた。

色とりどりに塗りわけされ、それが女の顔であることさえ、わからないほど。

いつもきれいな色を使うとうもろこしの絵だけ、くすんだ色調で塗られているが、
あとは花吹雪のよう。

授業が終わって、わけをきいてみた。
「くすんだ色にしたのは、絵の具がなかったから?」

「ちがうよ!泣く女だから、くすんだ色のほうが本当だと思ったの。」

ちゃんと考えていたのか。

「泣く女がくすんでないところが、この絵のすごいとこかもしれないよ」

答えてしまってから、言うんじゃなかったと後で後悔する。
ちゃんと話しあって、もっと一緒に考えればよかったなあ。
今後は気をつけよう~。

家に帰って、ピカソの愛を失って苦しむドラ・マールを描いたといわれる
「泣く女」の複製画をじっくり眺めた。

絵の中で、ドラ・マールは実にしっかりと泣いていた。
すばらしい「泣き」。
ピカソにとっては、実に満足の行く「悲しみ」だったかもしれない。
絵画的で、美しい。

別れ話のような混乱のさなかに、恋人から、
自分の、ある一つの感情だけを
好奇心満々で注目される。
というのは、結構大きなダメージを受けそうなシチュエーションだな。
と改めて思う。

人と人として愛し合う。というのではなしに
純粋に、そのひとのその感情の表出を愛でる。

のは、今のわたしには理解できるけど、かつては許容できなかったし、
今になってもそれほど一般的な感覚であるような気はしない。

もう何年も前になるが、ピカソに無性に惹かれ、駆り立てられるように作品を見て歩いた時期があった。
美術館だけでなく、小さな画廊も周ったし、海外にもでかけた。

そしてピカソの展覧会の前には、(可能であれば)かならずカツ丼を食べた。
理由はわからない。

ピカソと喜びを共有するためには、その度に途轍もないカロリーが必要であるような気がしていたのだ。

例えば中世の宗教画なんかは、(エル・グレコとか)
見終わったらげっそりだが、それを見るためのカロリーはいらない。

感情を激しくかきたてられるエゴンシーレなども、見終わった後に心地よい疲労感は残るが、カロリーはいらない。

いるのはピカソだけなのだった。
意外・・・だからなのだろうか。
彼の絵には、ひとの固定概念を平気で突き崩す、強い意志を感じる。
泣く女、のように。
(このひとはデッサンだけで人を感動させられるのに、それだけではつまらなかったらしい。感動させる、のではなく、その先の風景をみたかったんだろうな。)

だいぶ学びが進んだせいで、この頃は、余計なカロリーを消費しなくてもピカソが見られるようになってきた。
分離感が減ると、抵抗も少なくなるらしい。
(あのカツ丼が有効だったかどうかは疑問が残るが)

というわけで、最近は冷蔵庫にゲルニカを貼っている。

愛の絵に見える。
by terasumonnmoku | 2010-03-05 23:27 | Comments(0)

生きる意味が見つからないなら、自分で創って育てちゃおう!というブログです。やっていることはさまざまですが、常に生きることに向かっています。

by terasumonnmoku
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