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心と身体と魂と

息子とうもろこし一号を見ていて常々不思議に思うのは

この身体に

この心と

この魂がはいっている。

ということだ。

身体と心の動きだけを見ていたら

彼の中に、

ひとの魂を揺り動かすようなものが入っているようには、

とても思えない。

朝から晩まで食べていて、

学校でいやなことがあったときは
いやなことがあった顔をして帰ってきて、

うれしいことがあった日は
鼻の穴を膨らませて帰ってきて、

大事な試験の前は緊張のあまりご飯を残し、

時に気合を入れすぎて周りから浮き、

ほんとに子供らしい子供なのに、

魂は深い。

そういう子どもはとうもろこしだけじゃないし、近年ぞくぞくと増えていて、

わが子でなければ何の不思議も感じないんだけど、

わが子だと思うとものすごく不思議だ。

だって自分が産んだのに、魂は古いのだ。

うーんん。んんんん。

なんだか納得できないぞ。

わたしたちの心と魂は、
本人の想像以上に肉体(五感)に制約されているが、

制約を受けながらも、時折ひょこっと、深い、真我的本人部分が顔を出す。

その神秘が、たまらない。

人間関係の妙で

五感の制約で作り出したエゴ同士がぶつかり合って、

大事な人とちゃんとコミュニケーションできなくても

そのエゴをクリアすると、たちどころにいい関係が作り出せる。

エゴ、とか分離感、とか学びって、結構便利で面白い。

ちなみにわたしは相手がいくつであっても、その人との関係性がどうであろうと

自分と学びがかぶっている人に会うと瞬時にして

武蔵と小次郎の果し合い

的な気分になる。

(物理的に何かするわけではないが、エネルギー的にばちばちしたものが行きかう。)

それを具体的に友達に話すと

もんもくはまた、幼稚園の子を相手に、そんなことを!と

大変呆れられる。

年は関係ないとは思うけど

そんな自分が、結構めんどくさいんだよ。
by terasumonnmoku | 2011-01-31 18:22 | Comments(0)
ぱんぱかぱ~ん!!!!!!!!\(^o^)/

東京のlinoちゃんが、ついに!退院しました!!!!!!\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/

やった~~~~~~~☆彡\(^o^)/

linoちゃん最高~~~~~(泣)
  
ヒーリングって、すばらしい(笑)

意識の使い方を「みんなで」学ぶって、なあんてすばらしいことなんでしょう!!!!!!!!

最近レゾナンスで学んでいる人と学んでいない人(肯定的に、能動的にちゃんと自分自身と向き合っている人は大丈夫だと思いますが)とのギャップが
どんどん開いている気がします。

自分に向かっていかないと、どうにもならない時代が迫っているんだろうなあ~。
嘘がつけないというか。
ごまかせないというか。

結果がちゃんと出るっているところがすごいんだよね。

話は変わりますが、金曜のえこまきちゃんのEMセミナーに行けなかったのが返す返すも残念でした。。。

わたしの実生活上のやる気にはリミッターがついていて、限度を超えると途端に意欲がなくなります。

えこまきちゃん(えこちゃんとまきちゃん)は、おしゃれにエコだったり、EM菌だったりのことを教えてくれるので、とってもすばらしいんだよ。
(しかもへたれなわたしにやる気をくれる・・・)

残念といえば、サッカーを見逃してしまった(ToT)/~~~ 

公共心に満ち溢れた仕事をしていて、日付を間違えたの。
とほほ~(ToT)/~~~ 。

くやしいので、スポーツ新聞を買ってきました。

あと実に個人的なことですが、つい先ごろ、睡眠中にわたしの幽体部分に工事が入り

(これって、工事の内容とか方法とかは違っても、実はみんなにも起きていることじゃないか、と思うのですが、案外知る人はいないかもしれないね。)

チャクラの調整が行なわれました。

(だれがやってるんだろう。天上界?チャクラを結構絞ったんだと思います)

そして、3次元対応ボディが新たに創られました。

この工事は可聴域を超えた音域の、耳に聞こえない音でされるのです。

まるでMRIの中に入ったときー入ったことはないけどーのような嫌な音です。

複数の爪で黒板をひっかいたときみたいな、巨大な音です。

ヘミシンクの機械を装着したように、右耳と左耳で違う耳鳴りがして、

音の歪みに巻き込まれ幽体離脱しちゃったかつての経験から、

人の体というのは、基本音でできている、と思うようになりました。

だからその気になれば、耳に聞こえない音の花束を使って、
一瞬で人体を消滅させたり、創造したり、することも、できちゃうんだと思います。

そういう世界に住んでいたほうが長かった気がする。

そこでは人が消滅するとき、そのひとのものも、一緒に消滅する。

死んだ後にそのひとの遺品が残るというのは、時間が創られた世界独特の感覚なんだろうなあ~。


それはともかく、音というのは光が波動を落としたものなので、

そういう意味でもひとが光でできているというのは

身体の感覚として

理解できます。

だからヒーリングに光を使うというのも

とても理に適っていると思う。

でも三次元の体の感覚を持つのは、この人生では初めての経験なので、

これと幽体感覚をつなぐツールが早急に必要で、
藁にもすがるつもりで、くみちゃんのにエナジーにいってきました!(^○^) 

その、え!も言われない素晴らしさ☆☆☆

ものすごく、肉体感覚的にリアルです。

神さま体験みたい!!!!!

どうすばらしいかは具体的には書かないので(書けないし)、ぜひぜひ、自分で
(伝授を受けた人は・笑。受けていない人は受けてから!その価値は十分あります☆)体験してくださいw( ̄o ̄)w

三次元対応ボディの使用実感は、快適です。

よく考えると、いままでものがぶれたり、輪郭が振動した状態で認識していたかもしれない。

そのかすかに震えるエナジーフィールドから、対象のイデア的部分だけを、一生懸命抜き出して把握していたというか。

半分ずれた感じで。

まだどこかがついていってない感じだけど、のんびり修正しよう1

これからの世界がどう見えるのか、すんごい、楽しみ♪
by terasumonnmoku | 2011-01-30 23:12 | Comments(2)

全然関係ないけど

恋って、

果てしないなあ~。

執着も、また果てしない。

無限に続く

一筋の道みたい。

すっごい遥かで

どこまでも行ける魔法の切符みたい。

好きな人に好かれるって、

分離した自分が

一つに

還ってゆくのに似ている。

だから安心感があるけど

でもその人もまた分離しているので

ちゃんと学びがある。

わたしたちは蜃気楼を追いかける。

このすばらしく清かで、果てしのない執着が、

空気の移ろいに描いた、美しい模様を。

重要なのは、映像のほうではなく、

美しい模様たちが奏であう、響きの影だ。

耳を開いて、静かに風の音を聴く。
by terasumonnmoku | 2011-01-28 00:17 | Comments(0)

九死に一生

駐車場を歩いていたら、とうもろこしが突然私の腕をつかんで怒り出した。

「かあちゃん、もっと気を付けて歩いてよ!かあちゃんみてると、おれは不安になるんだよ!!」

どうやら、車に轢かれそうになっていたらしい。

「だいじょうぶ!歩いているときに車に轢かれたことは、まだ一回しかないから!」
と胸を張ると、

「・・・・あるんだ・・・・(ToT)」といって

彼は、さらにがっくりと肩を落とした。

「そういえば、とうもろこしってそういうことないよね」

「ないよ!」と

ぷりぷり怒っている。

冷静に考えてみると、周りで、そんな話を、聞いたことがない。

たまたま話題にならないだけかもしれないが。

急に以前、大津先生に、ただわたしを生かすためだけに、
おつきの天使が50人も配備されていたという話を聞いたことを思い出した。

平均的な日本人は、いったいどのくらい死にそうな目にあっているんだろう。

すると早速、ミクシイにデーターが乗っていて、ほとんどのひとは4回未満。

それ以上死にかけた経験がある人は、統計全体の0.2パーセントくらいしかいないらしい。

自分はどうだろうと数え始めて、がっくりした。

偶然通りかかった人に、危機一髪危ないところを助けてもらった、というだけで3回もある。
(偶然通りかかった犬、を入れると4回もある。)

チャリで車に激突が3回。
(そのほかに生身対自転車とか原チャリとか、いろんなものに常に激突している)

そのほかに、乗っていた飛行機に落雷して緊急着陸とか、

屋上から飛び降りようと思っていたら、先客が落ちてきたのを目撃して大騒ぎ。とか。
(このひとは死ななかった。体に大きな障害が残った)

そういう微妙なのを入れると、限りなく多い。

いまは車を運転しているので、もっと危ないかも。。

見えてないって恐ろしい(ToT)/~~~ 

しかしうちのダーリンは、横からくる車が全然見えなくて、
気にせず突っ込んで死にそうになっても、(怒鳴りはするが、)平気で隣に乗っている。

そして忙しいときは横でパソコンをやっている。

世界中で私に運転をしろというのは彼だけだ。

これってある意味、愛かもね。

おかげさまで、わたしは運転が結構好きになりました(^○^) 
だからもう、いつでもどこへでも行けちゃうよ。

それに最近はいちいち自分で自分の頬を叩いたりつねったりしなくても、
そこにあるものがそこにあるように(だんだん)見えるようになってきました。

でも、あなたがいつか路上で怪しい走りをしているターボ付きのフォレスターを見かけたら、慎重に回避することを衷心よりお勧めします。
by terasumonnmoku | 2011-01-24 17:02 | Comments(2)

すごいぞガブリエル☆彡

みなさま、ごきげんいかがですか?

一月も20日を過ぎて、今回はものすごい満月でしたね!

ビルの上でレモン色に輝く月を見ていたら、とうもろこしが、

月がそこで輝いているってことは、
太陽はこっち側にあるんだよ!

と、

光源の場所を教えてくれました。

月って自分で光ってるような印象があるけど、

見えないお日様に照らされているんだよね。

当たり前のことが不思議です(笑)

新しい年が始まって、地球のエネルギー状態がずいぶん変わった気がしています。

照らされた結果として表れているのは、

みんな、これまで見て見ぬふりをしてきた宿題に取り組む時期がきているんだなあ~

ということ。

健康状態で清算しているひともいるし、

人間関係上の問題とか、のひともいるし、

延ばし延ばしにしていた約束とか

何かの象徴でもある、物理的なトラブルとか。

わたしの場合は
三次元的な用事かな(泣)

子供会とか、町内会とか少年団とか、学校の卒業関係とか、4つも役が重なっていて、
年度末の書類に、どっさりと埋もれています。

やればやったで結構おもしろいんだけど。

ため込んでしまったのがいけないんだわ。

それに家が平和だと、やることが多い。

なんで?

ものすごい勢いで、家の中の風景が変わっているのよ。

それはともかく、

いま友達のくみちゃんが、光のワークというのをやっていて
(毎晩夜10時に意識をユートピアの実現に合わせ、みんなで光を送る)

先日、その「光のワーク」linoちゃんヒーリングスペシャル、というのに参加しました。
(仲間のlinoちゃんは現在療養中なのです)

その時間すぎた頃にlinoちゃんに意識を合わせると、

ヒーリングしようと思う間もなく、突然、見たことのないような美しい光が、

自分からわーっとlinoちゃんに向かって流れて行ったのを感じ

大変びっくりしました。

わたしというか、わたしを通して

(わたしには単体としての意識があまりないので、このわたし、は実際は、ヒーリングスペシャルに参加していた、わたしたち全員、なんだと思いますが、)

その光は、どんどんlinoちゃんに浸透してゆきます。

(光はその時だけでなく、その後も、いつも意識を合わせると
linoちゃんに流れつづけているのを感じます。)

強いて言葉で表すと、

金色の空気のシフォンに包まれた

オレンジピンクの、光でできた蓮の花が、

ゆっくりと

花びらを開いてゆくときのような

それはそれはたおやかで力強く、美しいエネルギーなの。

回転しながら、花弁が開いてゆく。

そして開いた花びらの合間から

ふあーっと、

息をのむようにきらめく光の粒子が、

あとからあとから

閃いてゆくのです。

くみちゃんに聞いてみると、はかばかしくない体調を気遣ったくみちゃんが
大津先生に相談した結果、

linoちゃんには、

大天使ガブリエルのサポートが入ることになったらしい。

もしかしたらこの光はガブリエルかもしれません。

すごいぞガブリエル☆彡
                  
ていうか、ほんとはlinoちゃんがすごいんだよね♪       
by terasumonnmoku | 2011-01-21 21:20 | Comments(2)

変容

最近、なんだか心が暇だなあ~と思ったら、家で喧嘩をしなくなっていた。

喧嘩もしないし、険悪なムードでもない。
かといって、家人が留守なわけでもない。

暇だ。

喧嘩はレクリエーションだったのか。
それなりに充実を運んでいたのか。
もしかすると??

と思って、ふと気づくと、家でハートロッカーという映画を見ていた。

イラクに送られた爆弾処理班所属兵士のお話。

主人公は戦いと危険に中毒し、
より強い刺激を求めてクレイジーに戦場をさまようのだ。

なんという、シンクロ。

わたしみたい。

わたしの戦場は、とても平坦だったけど。

不毛な争いを抜けると
この闘いの埋まっていた場所に
平和と光と神さまが住んでいると思っていたが、

どうやら光の地平へは、新たに、意識的に道を作らないと行き着けないらしい。

平坦な戦場が戦場でなくなったからといって、
すぐにすべてが花々と星々とで満たされるわけではないようだ。

でももう戦争状態には戻らないと思う。

戦う意味を失ってしまったから。

ひとと、ひととの愛って、とても不思議だ。
お互いに関心がないと成立しないのに、関心がありすぎると傷つけあう。

愛とお金はよく似ていて、それらが包み込む欲望の輪郭をくっきりと描き、
こってりと暑苦しい情熱のボリュームを増幅する。

愛のためにひとは思いもかけない姿に変容する。

愛するあまり、必死に相手を縛りつけて、期待した効果とは全く逆に、その人がどんどん自分から離れていくように仕向けてしまったり。

追いかける側が相手にふっと関心を失うと、手のひらを返すようにもどってきたり。

わたしたちって、ちょっと愚かで、かわいいね。
by terasumonnmoku | 2011-01-17 22:54 | Comments(0)

つながりの作法

サブタイトルー同じでもなく違うでもなく     綾屋紗月・熊谷晋一郎著(NHK生活人新書)

以下敬称略

日常にあふれる温度、光の刺激、音、色彩などの情報を無制限に受け取ってしまうために、そこから意味を認知するための取捨選択ができず、適切な自己像を生み出すことが困難な、(外界に対し開きすぎてつながれない)アスペルガー症候群の綾屋と、

外界からの刺激に過度の身体的緊張をおこしやすく、社会との適切な情報交流を行い難い、(身体の結合が強すぎ、状況の変化に適応するのが難しいーつながりすぎる)痙直型脳性まひ車いすユーザーの熊谷による、

当事者研究(浦河・べてるの家、浦川赤十字病院精神科ではじまった、精神障害者と家族のためのリハビリテーションプログラム)を用いた、

他者と安全につながる方法を模索する著書。

「わたし」という自己像は、純粋に内面的な部分と、
他者からの認知によって構成される公的な部分とに分かれていると思うが、
その両者の「わたし」が、ある程度一体化した時、
ひとは幸福を感じるようにできているのだと最近思うようになった。

なぜ最近かというと、わたし(もんもく)の場合、長いこと他者のいない、他者からの認知によって共同制作される「私」を必要としない、ある種自閉的な世界に生きてきたからであるのだが、

それはさておき、いずれの「わたし」も
常に情報の出入り、によって絶え間なく作り変えられているのが、
ひととして健全なあり方であるだろう。

人が存在するということには、変化すること。が前提として含まれている。

父母、こども、性別、社会的地位、などなどの役割をどのようなスタンスで行うか、

意識や仕事や取り組むべき課題へのモチベーションの持ち方、
身体の状況、天気、政治経済状況、周りの人の人間関係、

変化するわたし(たぶん変化しているのは周りではなく自分なのだろうが逆に見える)
の前に立ち現われる世界を前に、わたしたちは絶え間なく、自己像を更新し続ける必要がある。

揺れることで倒壊することを防ぐ建物のように
変化すること、が自然なのだ。

そうしないと脆弱な自我は、どこかで悲鳴を上げる。

ある上司の下では問題なく通っていた自己像が、
別の上司の下では全く通用しないということもよくあるだろう。

いい子を演じるのが快感だったときもあれば、
その同じ行為が自分の首を絞めてゆくように感じることもある。

常にわたしたちは成長し、それに伴い環境も揺れ動いている。

ゆえに、わたしたちは常に自分を変化させ、よりハッピーな自己像を創造し、世界をより住みやすいものに変えてゆく必要がある。

べてるの家、とともにアメリカのAAからはじまった薬物依存アルコール依存回復プログラムを用いたダルク女性ハウスの実践について書かれていた。
そこで語られた「依存症のわたしたちって、変化したくないんです」(その後の不自由ー上岡陽江)という言葉はとても説得力があるものだった。

変化しないために依存を選んだ。
だから克服するためには、変化し続ける日常に、いかに自己を添わせてゆくか。

自らが自らの選択によって変わり続ける。とうことを決意しなくてはいけない。

確実に状況をコントロールできるような手法を手放して、
自我を常に新たな状況のもとに開示すること。

たしか岡倉天心の「茶の本」にあった、

「 茶の湯は即興劇である。そこには無始と無終ばかりが流れている。」
という文章がこれにあたるのかもしれない。

(別の訳で、この「即興劇」部分を「開かれた祝祭」としてあったのを見た気がするのだが、原文をどうしても発見できなかった。意味合いを考えるとここは、開かれた祝祭、としたほうがぴったりくるような気がするのだが、残念!)

常に開かれ、交流し、新たななにかに生まれ変わっている。
始まりもなく終わりもなく、永遠の現在ー今だけがそこにある。

わたしたちは宇宙にひらめく無限のパルス。

自己の存在の連続性に執着するのは愚かだとわかっていても
無限はあまりにもはてしない。

恐怖を断ち切り、
瞬間の中の永遠を感じ取るためには
自己の奥深くまで立ち入って白日の下にさらし、すべてで目いっぱい生きる(交流する。受発信する。)必要がある。



最初に戻るが、わたしには公の自己像。というものがない。

それは透視能力があるとか、4次元までしか意識が下りてきていないとかいうことの、
本人に感じられるきわめて具体的な顕れであって、
わたしは、この本を書いている綾屋さんや、熊谷さんと同じように
3次元的にものが見えないという、障害をもったひととして、自分を認知している。

困ることも多く、
特に親しい人との個人的な関係において大変困ったことを作り出す原因になっている。

なぜかというと、ひとは他者を否定したりさばいたり、
あるいは現状を打開するための解決策を見出すために、
この客観的な自己像から材料を持ってきて問題を指摘しあうことが多いが、
わたしに対しそれは全く効力をもたないために、当たり前な会話が成立しないのだ。

なぜそれが問題なのかがわからない。

それは関係の遠いひとにとっては刺激になろう。
しかし家族はつらい(に違いない。)

それはさておき(おくのか!?w( ̄o ̄)w!)

いいことももちろんあって、その副産物として、人のことが自分のことのようにわかる。
常に判断基準が自分自身である。とか。

あるいは妬みとか、人を嫌う感情から基本的に自由であるというのも挙げられる。

人をうらやましく思う。というためには、そのひとが自分と違う必要がある。
誰かを嫌いになるためには、距離がいる。

唯一わたしがうらやましいと思った人がいて、その人をうらやましいと思った、と友人にいうと、「うらやましいと思うということは、本来もんもくが、それを持っているということなんだよ」と言われたことがある。

「持っている」という言葉に違和感を感じ、そのことについてずっと考えていた。

うらやましかったのは、わたしが人生の目的のように思っていたことを、そのひとはできるけれども自分はできない。と思ったからなのだが、よく考えると方法が違うだけで私も同じことができるということが分かったので今はうらやましくない。

違和感を感じたのは、その「持っている」感覚のほうだ。

誰かが持っていたら、自分は持っていないんだろうか。
そんなことがありうるのか。

同じ場所にふたつのものがない。
というのとおんなじくらい、不思議だ。

ひとが持っていて、自分がない。
ということは、自分が持っていることとおんなじだ。
(だから人のものは自分のものになるのか?うーん。それとこれとは違うような)

わたしに必要なのは<経験>であって<もの>ではない。
だから昔からなんでも体験したいし欲しがる割には、それに執着することはない。

「持つ」「所有する」というのは、
きっと三次元にしか起こりえない感覚なんだろうな。

しかしその「ない」という感覚が紡ぎだす分離感は強烈であるらしく、
本書の中でも、綾屋の精神的トラウマを再現するカギになっている。

同僚の昇進をねたむ気持ちが、自分の無価感に結びついてゆくさまは、
大変な迫力がある。
彼女のそう強いとはいえそうもないアイデンティティが、今にも壊れてしまいかねないところまでいくのだ。

自分の感覚を共有すること。
経験を分かち合える安全な場所を確保することが、緊急に必要になる。

自分の焦燥を言語化し、それを一般化し、誰かと経験を共有することが、救いになる。
解決はしなくても。

解決策なんて、逆にないほうがいいのかもしれない。

解決は、この経験を言語化し公共化することによって、
その衝撃に耐えうる新たな自己像を作り出すという試みの過程に、
自然に本人が行なってゆくものなのだろう。

この体験をシェアするーというべてるの家の当事者研究の方法は、
すごくわかりやすかった。
ここでAAの、依存症の回復プログラムが使われているのも納得である。

あまりにすばらしいので、依存症回復プログラムで使われているお祈りと基本的な考え方の一部を抜粋して掲載してみた。
もしここまで読んでくれた人がいたら、↓みてみてね。

「平安の祈り」

神様、わたしにお与えください
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを
変えられるものは変えていく勇気を
そして二つのものを見分ける賢さを

AA(アルコホリークスアノニマス)12の伝統より

・わたしたちのグループの目的の中の最高の権威はただ一つ
 グループの良心の中に自分を現される、愛の神である
 わたしたちのリーダーは奉仕をまかされたしもべであって、支配はしない

・各グループの目的はただ一つ
 今苦しんでいるアルコホリークスにメッセージを運ぶことである
by terasumonnmoku | 2011-01-07 18:24 | 読書 | Comments(2)

セサミンな日々

お正月もようやく終わり、ほっと一息ついています。
普通の生活が始まったかなあ。

先日とうもろこしくんも無事12歳になり、お誕生日をにぎにぎしくお祝いしました!

とうもろこし君のリクエストは、マグロどんぶりとカツオのお刺身(しぶい!)

おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさんから
ありがたくも山のようにプレゼントあんどお電話が鳴り響き

幸せなお誕生会でした。

(うちではー実家も婚家も、住んでいる場所が全国に散らばっているので、お互いにお誕生日の人に電話をかけあい、電話口でハッピーバースデイの歌をうたう。という習慣があります。
妹に歌った時は、ちょうど彼女が夜の街で飲み会の最中だったので、電話口でがなる私ととうもろこしの叫び声が、さぞかしシュールに響いたことでしょう。)

とうもろこしのおばである、わが可愛い妹から届いたプレゼントには
大量のゴマグッズ(ごま油、練りごま、すりごま)が封入されていて

その日、朝からなぜかごま油を買わなきゃ!
とセサミンのことで頭がいっぱいになっていた私は、
スーパーで購入した自分の1本を加え、一気にごま油持ちになりました。

ありがとう!妹よ♪
(とうもろこしくんは、かのマニアグッズを、夜寝る前に楽しそうな顔で享受しています★)

送ってくれたからごま油を思ったのか、
それともごま油について考えたからそれが送られてきたのか。

卵が先か鶏が先か。

よくわからない。

でも最近現象化は確実に早くなっていて、
それはわたしとあなたのちょうど中間のスペースで起こるので、

もしかしたらそこでは、個体として輪郭が溶け、
お互いの希望と希望が入れ混じるという、
不測の事態がおこっているのかもしれない。

(ほうらなにをいっているかよくわからなくなってきた!)

たぶん思ったよりもわたしたちは互いに共鳴し合っていて

どちらがどうというわけではなく

明確にはっきりと創られた原因が、

より現象化しやすくできている。

ということなんだろうな。
by terasumonnmoku | 2011-01-06 17:41 | Comments(0)
今年もどうぞ
よろしくお願いします!

お友達のロビンさんが
10月に東京でやった個展の模様を
写真付きでアップしてくれました。

本人が出ているので超怖いのですが
見られなかった人もいると思うので
よかったらあそびにいってみてね★



http://flyrobin.exblog.jp/page/2/

  
by terasumonnmoku | 2011-01-01 23:18 | Comments(0)

宇宙真理哲学講師、らくがきすと、即興ピアニストぷらす社会活動家(過労自死遺族当事者)働くことから世界を変えるをモットーに、さまざまな活動をしています。合言葉はREBORN.大事なのは、生きることだ!


by terasumonnmoku
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