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みなさま、お元気ですか?

2月ももう終わりそうですw( ̄o ̄)w

年度替わりで、気持ちも落ち着かない感じですが、毎日いかがお過ごしですか?

先日わたしは、徳ちゃんのセミナーに行ってきました。

新しい事務所の運営と、それにともなう気づき、ご主人との学びで学んだこと、変化のときに伴って、波動も変化していて(その波動は「慈悲」のような感じ)素晴らしい内容のセミナーでした。

徳ちゃんはヴァイヴレーションヴォイスセミナー等、
外でやるセミナーも着々と増やしていて、
たくさんのひとがこれからこの波動を受けていけるのかと思うと、
うれしくなっちゃいますね\(^o^)/♪

先日は、お友達のゆうこちゃんから、「たませみ」(わたしがたまに・笑・やってるセミナーの名前です)の感想を電話してくれました。

外から外を見る。外から内を見る。内から外を見る。内から内を見る。

という大津先生の成長の4つの段階のお話について、

自分なりにわかったことを説明した回のCDの感想だったのですが、

そのCDを何度か聞くうちに、それが初めて腑に落ちた!
というとてもうれしい内容のお電話でしたっ☆彡

この「外から外を見る」というのは、

あまりにも当たり前の話としていつも先生が教えてくださっているので、

わたしも簡単に分かったつもりになっていたのですが、

自分自身のこととして改めて捉えなおすと、実はとてつもなく深いんです( ̄ー+ ̄)!

外から外を見るーというのは、人や自分をレッテルや世間の評価基準で価値判断することで、こうしてしまうと実に簡単に善悪がそこに生まれます。
そもそもは素晴らしい存在であるわたしたちを、価値なきものとして貶めるためには、このシステムが絶対に必要です。

外から内を見る。-というのは、他者の素晴らしさに気づいた状態ですね。他人はみんな素晴らしく見えます。自分を簡単に除外できます。自分はすばらしいんだ~と思っても、実感できるところまでいたっていない状態もこれにあたります。

内から外を見るー真理を学んでくると誰でもここにはまります。まず外側を見て、自分なりの判断基準で価値判断をしてから、でもほんとうはこのひとも愛そのもの。わたしも愛そのもの。というのがこういう感じに当たります。

内から内を見るー内から内を見ると、すべては愛にしか見えません。どんなありようを見せてもすべてが美しい。菩薩な感じがこれにあたります(笑)

内から内を見る。瞬間的にはできてるけど、わたしもしょっちゅう揺れ動いているかな(笑)
動いても、いいのかもしれませんけど。

そういえば、徳ちゃんがセミナーで教えてくれた、学習の6段階のはなしもおもしろかったです!

知識として知ること。行動すること。成功すること。人格を作ること。その成果を分かち合うこと。生きること。(間違ってたらごめん!)

考えてみると、教えることと分かち合うことは別なんだね。

ということはこの「わかちあい」って、「還元する」感じになるのかな。

最後の「生きること」で、感動しました。

最後にきて、そのひとは「生きた知恵の状態」になるんだね。

そういうひとにあったことがあります!
そういう人は、誰が見ても、そのひとが特別だっていうことがわかるんだよ\(^o^)/

やっていくうちに何かが変わってゆく。
その変わってゆくところに、いつも立っていよう。
by terasumonnmoku | 2011-02-27 17:59 | Comments(0)

たのしいまいにち。

なんだかとっても忙しいけど、なんだかとっても幸せ♪

な、今日このごろです(笑)

このところ個人セッションを続けてさせていただいているのですが、

昨日も、事務所でお話を聞きながら、一緒にとっても幸せになってしまった。

すべての困りごとの種が、すべての、よりよき幸福につながっている。

ということがわかったので

ものすごくうれしい066.gif

うちのもめごとも、本来の方向性をとりもどし、健やかに発芽し、楽しさ倍増しています。

響きを持ってかかわりあうことの美しさったら、もう答えられません053.gif

わたしは長いこと、社会や、大事なひとから、自分が拒絶されていると思っていましたが、自分がそう思っていたことにも気づいてはいませんでした。

前を向いているつもりで、見ないようにしていた。

それである程度は幸せなものの、間欠的にはさみしい毎日を送っていたわけです。

(拒絶されている、と思っているらしい。と気づいたのは、すべてを受け入れることを決めたあとです。)

結局のところ、されていたわけではなく、自分が拒絶していたのですが、まず自分の「拒絶」に気づくのに時間がかかったみたい。

これだけ学びを続けていて、こんな当たり前なことが、わからないなんて、ほんとにびっくりです。

それをわからないでいるために、たくさんの(自分自身への)ごまかしが必要でした。

自分を直視するのが、怖かったのでしょう。

ふたを開けてみれば、なんてことないんだけどね(笑)

光がさして、力が抜けると、風景が今までと違って見えるようになりました。

会う人会う人、みんな優しいの(笑)

なんで?って思うくらい、周り中いいひとだらけになっちゃった(笑)

波動が変わるってなんてわかりやすいんだろう!

こんなになったら、もう毎日どんなんでも、うれしくばらばたできちゃうよ003.gif

週末はお世話になった少年団の監督やコーチに、感謝のアルバムを作りました。

思わず力が入って、たのしい~(笑)

試作品も大好評。

それはもちろん!わたしに芸術的な才能があるから(くどい!)

今週はとうもろこしの小学校の卒業を祝う会もあり、

お世話になった先生からいただいたメッセージを読み上げる係りになったので、泣かないようにこれから練習しなくっちゃ!

そのメッセージたるや、先生の魅力と愛情がいっぱいにあふれたまさに号泣物なんですよ。

人生は美しいなあ~。

あ、あと、今週はくみちゃんの夜ヨガにも行きます(笑)

仲良しのK君を強引に誘ったので、これもまた、超楽しみです。

実はダーリンも誘ったのですが、忙しいから、と笑いながら婉曲に断られました。

都合のつく人は体験でレゾナンスにきてね。右のホームページから予定が見れます。

今週23日の夜は、もんもく(普段夜はなかなか出れないんですよ)に会える特典つきです(なんじゃそれは!)。
by terasumonnmoku | 2011-02-21 10:02 | Comments(2)
こんばんは!

皆様お元気ですかー?

全速力でつっぱしっております、もんもくでございます。

絵が売れて、それがまた大好評で、大いに気分をよくしています(笑)

わたしには才能がある037.gif

ので、手に入れてくれた人を幸福のほうへ、導く絵を描くことができるのです(笑)

それにしても先日の大津先生のエナジーとお話はすばらしかった\(^o^)/

いかに素晴らしかったかということを書くのは、なかなか大変なのですが、

その内容がすばらしいということは、参加した全員がわかったのでした。

波動が、全員に認知されるって、すごくないですか?

感じる人も、感じにくい人も、無条件にわかってしまう。

それが宇宙だ!みたいな。

伝授してエナジー受けられるようになると楽しいよ☆彡

まだのみんなも一緒にどうですか?

本当にこの感覚は面白い!!!!!!
(日によって違いますが・笑)

お話とセットだとふるによろこびが味わえます♪

後で思い出したのですが、エナジーの最中にハートの奥のほうから、
なにやや蛇ようのものがにゅるにゅると這い出して来て、無時成仏したのも、久々の感覚で楽しかったです。

度重なる転生にも根深く残り続けていた、何かの執着だと思うんだけど、ここにきてもまだ残っていたというのが驚きです。

そのあとで聞いたお話はことさらに格調高く、幸福感はいや増して、聞き終わった後は世界は明るく見えたよ(^○^) 

明るい世界でなにをするかは自分が決めるんだけど、ここまで連れてきてもらえるなんて、すごすぎる!と感銘を受けました。

面白いなあ!!!!!
by terasumonnmoku | 2011-02-18 22:39 | Comments(0)

神さまてきなもの

しあわせ・・ってなんだろう?

しあわせはおいしい?

たべもののように、なくてはならないもの?

わたしたちをつくっている

たんぱくしつのような?

だとしたらそれは、かみさま、みたいなものかもしれない。

わたしたちの中で、神が生きている。

わたしたちの中で、しあわせが、働いている。

いのちのように。

それで思い出したが

ずっと昔、友達が

神はいるものじゃなくて

あるものだと思う。

と、いったとき

両手足を縛られ、従順に火にあぶられている山の中の羊と、

美しい星が瞬く空と、

ゼウス的あごひげ装着の透明な人物が、

その清明な空に、両手を広げて浮かんでいる映像が、一瞬にして脳裏にひらめいた。

(友人が中国の奥地で恋人と羊を焼いて食べた話とセットで聞いたので)

その神は、荘厳だが恐ろしげで、
どちらかというと好きになれないタイプだったから

わたしは神について、

そこで考えるのをやめてしまった。

いま、神がいるとしたら、それはある固有の存在ではなく、
わたしたちを含むすべての存在の、動きのある側面、を指すのだと思う。

ある側面からみると、それは神であり、別の側面からみると、ありんこである。といううふうに。

神でもあり、ありんこでもあり、わたしでもあり、あなたでもあるこの地球で

わたしたちはあいさつを交わす。
by terasumonnmoku | 2011-02-17 19:03 | Comments(0)

ブログさん

ミニストップのプリンパフェが好きだ。

そもそも好きなうえに、よくいくご近所の店では、桐谷美鈴似の美少女が、にっこり笑ってプリンパフェを渡してくれるので

ますます好きになってしまった。

彼女のブログでみる感覚も結構好き。

妙に第三者的なのがおもしろい。

見た目ガーリーで、中身がおじさん。とか、
(きりたにさんが、おじさんだといっているわけではない、ので念のため)

おばあさんなのに、中身は少女とか、おやじなのに波動は姫、のような、外見と中身にギャップがある人が好き。

若くても年を取っていても、自分の恥をさらして、ちゃんと生きてるひとに、たまらない魅力を感じる。

そういうひとを、かっこいいと思う。

というか、そういうギャップの中に、そのひとの一生懸命さ、のようなもの、希望や願いや夢や数多くの美しいものを、わたしは見ているんだと思う。

覚悟を決めて恥をさらしている人の波動は、きれいで読みやすい。

でも、いいわけのたくさんあるひと、自分自身に、ちゃんと向き合っていない人の波動は

べたついたり、もやったりして、エネルギーの団子みたいになっていることが多い。
(もちろん、いつもそういう状態ではないんだろうけど)

意識としては、まだ未分化な状態なのかもしれないな。

ところで、人が自分自身をどう認識するか。

というのは必ずしも周囲の感覚と一致するわけではないので、常にどこかには、ずれが生じる。

特に顕著なのが拒食症のひとの身体感覚で、
拒食症に陥ってしまうと、鏡に映った自分の姿が痩せ衰えていれば衰えているほど、美しく見える・・・・ものらしい。

これは太っていても同じことで、太っていても、鏡を見て自分が太っていることを、認識できなかったりする場合がある。
食事の量も、どちらかというと、頭で作るイメージがほとんどで

何を多いと思うか。

というのは胃袋とはさほど関連性がなく、純粋に思考傾向の問題なのだ。

年齢に関する感覚もそれぞれで、実年齢が60で本人の感覚は20代とか、も、よくある。

以前ブコウスキーの本で、プールサイドで、老女が18歳の少女の身振りをしていた。
という文章を読んだとき、

なんとなくその書き方が、いかにもみじめな感じであったので、

これはおそろしい。

自分はそういう風にはなりたくない。と考えたが

だいぶ大人になって、老女が少女であるのは、当たり前だ。と思うようになった。

感覚や感情というのは、麻痺していない限り年を取らないんだと思う。

あるいは自分で自分を押さえつけない限り。

とうもろこしが通っている昭和風の小さな理容室には、
85,6歳になる世話役のマダムがいる。

彼女は行くたびにとうもろこしに漬物だの、きんぴらだのをどっさりと食べさせ、
帰りにはお菓子とジュースを持たせてくれるので

いったいうちの息子は何をしに行ってるんだかよくわからないのだが

(髪を切るのは50才になる彼女のご長男さん)、

その美しいマダムは、

「あたしはもう80も過ぎてだいぶになるんだけれど、
気持ちだけは20代のままなの。

だから、恋愛ドラマを見ても、すうっと主人公になれるのよ。

でも鏡を見ると映っているのはおばあさんなのよ。ほんとにびっくりするわ。」

と言っていた。


画家のジョージア・オキーフが、晩年、

50くらい年下の、スティーグリッツとは似ても似つかない肉体労働系の男性に、
身の回りの世話をさせていて
(のちの男性は結婚し夫婦で世話を続けた)、

気難しいオキーフが、彼におひめさま抱っこされてうれしそうにしていた写真とか見ると、

わたしはこれをどう理解していいか、わかりません(ToT)/~~~ 

というところがあったんだけど、

そういうのが楽しいのかもしれない。と最近思うようになった。

生命というのは、ちゃんと生きて入れば、いくつになっても、日々鮮やかになってゆくものなのだろう。

オキーフは、きっと彼女の愛した砂漠のように、シンプルで、分かりやすいひとがよかったのかもしれない。

彼の俗物性とかが、たまらなく面白く思えたに違いない。
それはそれですごい。

今日立ち読みしてきた「くじけないで」という、96歳の詩人柴田とよさんの詩にも、96歳でも恋はするのよ。と書いてあった。

96歳の恋、なんて、考えただけでわくわくするではないか。

ガラス越しにキスとかしちゃいそうだ。

で、なにがいいたいかというと、自分の中のわくわくを年齢や、性別や、もろもろのあるべき規範で押さえつける必要はないってこと(笑)?
by terasumonnmoku | 2011-02-03 20:54 | Comments(0)
不思議なことといえば、先日気が付いたこと。

ダーリンが出張した国には、ほどなく混乱が起こる。

彼は、きわめてまっとうな仕事をしているのだが、

アイスランドに行くとひと月後に国が破産し、
エジプトに行くとデモで治安が悪化し、パキスタンやモスクワに行くとテロが起こる。

アメリカから家族で帰ってきたときは、
その半年もたたないうちに911!

そういうシンクロはほかにもあって、

たとえばわたしの住む場所には、
なぜかお墓や神社や仏閣が複数あり、

住んでいるうちに、ぞくぞくと、徒歩圏内に新興宗教やスピリチュアルな店、
あるいは占いの館、などができてしまう。

呼んでいるんだろうか?むむん。

エジプトでは混乱のあまり情報統制が行われているようだが、ツイッタ―は可能らしい。

情報を管理しようとしても、できない時代が来ている。

暮れに近所のコンビニで、大騒ぎしながら国に荷物を送っていた、
三人のエジプト人のおじさんたちは元気だろうか。

寒空の下で、店員さん、客の私、エジプト人、みんなで頭を突き合わせ、片言の英語を駆使して(全員片言の英語しか話せなかった。それはそれでまったくおもしろかった)、苦労しながら荷物を送る算段をしたのだ。

数日後には国に帰るといっていた。
奥さんと子供が待っている。と顔をほころばせていたのだ。

どこかで何かが起こるたびに、平安に素晴らしい方向に、ことが落ち着いてくれるように祈る。

すべての混乱が、より素晴らしい未来に続いていることを信じている。

そのエジプト人のおじさんのことを考えていたら、

急に、わたしたちは個々に、独立した形で、この地球上に生きているように見えるが、

見えない世界で、実は、ジャガイモのように、蔓で互いにつながっているのかもしれない。

と、思いついた。

目に見えない紐帯のような、蔓。

宇宙の中心からのびた、生命というその蔓に、たくさんの実が成っている。

蔓は単に生命、というだけでなく、
いろんな次元に重なってつながりを作っていて

訪問すると国情が荒れるとか、

住むとすぴ系のものに囲まれるとか、

好きな学びはがんばることとか、

合わせるより否定するほうが好きとか、

そういう全体の傾向みたいなものからもできている。

個人が死んでも、記憶は残る。

それは別の蔓になった別の実が、記憶してくれているということでもあるが、
地球意識の、ある特定の時空間の記憶、のようなもの・・・ともいえる。

昔、生物が絶滅したら、その生物が持っていた記憶も、一緒に失われてしまう。
と言った友達がいたが

生命が失われると、持っていた記憶は形を変えて、残った存在そして、地球の総合意識、のようなものに引き継がれると、と、いま、わたしは思う。

なぜって、わたし自身が、見送ったたくさんの友人の記憶で
ある部分構成されているし

そしてそのひとの持っていたエネルギーに
いつでも、アクセスすることができるから。

死の影に彩られた、激しく絶望的で、耽美な恋の話とか、憎みつつ愛した実母との葛藤とか、亡くなったわが子を追いかけて、静かに死んでゆく母とか、、それをなすすべもなく見つめる家族とか。

彼らが、どれだけむき出しの愛であったのか。という、リアルな物語が
わたしの中に、たくさん残っている。

経験した人は、すでに失われてしまっても。

記憶のうち重要なものだけが、昇華され、大切なエキスとなって、拡散してゆく。

個体としての生物のなかにも、地球意識の中にも、それは残るに違いない。

それを部分的に感覚したのが、アカシックレコードだったりするんだと思う。

やり方さえ知っていれば、アカシックレコードに接続するのは簡単だ。

でも、当然ながら、自分が成長した場所までしか、データーを読むことはできないけどね。

人類集合意識というより、人類単体意識なんだよ。と以前大津先生は教えてくれた。

わたしたちは、自分で思うより、はるかに「みんな」なんだろうな。

みんなのなかから、ぽっかりと水面に顔を出した、氷山の一角のような自意識で、人の目を気にするようなことをしている。

なんて、

なんだかとってもかわいらしいね。
by terasumonnmoku | 2011-02-01 17:52 | Comments(0)

宇宙真理哲学講師、らくがきすと、即興ピアニストぷらす社会活動家(過労自死遺族当事者)働くことから世界を変えるをモットーに、さまざまな活動をしています。合言葉はREBORN.大事なのは、生きることだ!


by terasumonnmoku
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