3カ月

3カ月たちました。

とうもろこしもわたしも、よろよろしながら元気です。

とうもろこしはきのう、「3カ月生き延びた記念」にあげた3000円を握りしめて
ともだちと遊戯王カードを買いにヨドバシに行きました。

次は7か月かな。

サイクルを短く切って、今年は乗り切ろう。

相変わらず、というかもうとんでもなく、わたしは忙しい毎日を送っています。

やりすぎです。

最近始めたはじめたのは「親業」のコースを受け始めたことと、デッサンの勉強を再開したこと。
あと、労災関係のサポートを、つてを頼っていきついた弁護士さんにお願いして
これから一緒に書類を作ることになったことです。

親業はもともと臨床心理学者としてカウンセリングで実績を上げていたゴードン博士という人が提唱したコミュケーションメソッドで、カウンセリングで培った技術を、より良い親子関係構築のためにもちいるために造られました。

いま、とうもろこしと定期的にカウンセリングを受けているけど、思春期真っ只中の彼にはとてもニーズが追いつかないようなので、できることは自分でしようとおもって受け始めました。

目的はこどもが、自分で自分の問題を解決できるように寄り添い、彼らが自ら成長する力を、親として最大限にサポートする。というもの。

すごくいいです。

少し勉強しただけでもとうもろこしだけでなく、いろんなひとと、存在の深い部分が共有できるようになった気がする。

ただ、家族に対してそのテクニックを効果的に使うためにはまず自分自身を徹底的に見る。必要があるので、そのへんが厳しいかもしれない。

「状況がこうだから、わたしはこんなに大変だ。」
とか、「あの人のせいで、私は辛い」というふうに柔らかく自分をごまかしていた部分を

「わたしは、○○がゆるせない。」
「わたしは○○を拒絶している」
と自分の手に持ち替えてそれを自分のものとして整理したうえで向き合わないと

効力を発揮しないのです。

これはきつい。

いま、ちょうどグリーフケアで、自分の中のネガティブな感情を、一度ちゃんと認めて、みんなの前で話す。という作業をしているのですが、(そうしろと言われたわけではなく、ただ個人的にそういう場所として、活用させていただいているという意味です。)


そういうのって、ただ出すだけでなく、現在進行形だと、出したことによって玉手箱のふたが開くように、あとからあとからぶわっといろんなものが飛び出してくるようなのです。

それで、グリーフケアの会に行った後は何日か死んでいるんですけど
復活した後は明らかに苦しみが軽くなっているので

わたしにはいいみたい。

人には勧めませんが。

この「親業」の2日間のイントロダクションコースを、はじめ1月に受けました。

夫が調子を崩し始めたのがちょうどその初日でした。

それから4日間、怒涛のように崩れていく彼を支えながら、それでも実りの多いたくさんの会話ができたのは、この考え方のおかげだと感謝しています。

わたしが自分の問題を整理できていなかったこともあり、最終的に彼を救うことには間に合いませんでしたが、その時に聞いた言葉と、親業の宿題用の会話記録が、いま、労災関係の書類を作ることに役立っている。
なんだかすごいことではありませんか。

そうそう。

彼のからだがなくなってしまったことを嘆き悲しむというのは
スピリチュアル的には、心とからだと魂が、完全に一つになっていない。という状況をさすのだ。

と、前回の日記を書いてから、思い至りました。

完全に一つになっていたら、どんな状況でもしあわせそのものなのだ。と。

いまは常にしあわせそのもの。というのはむずかしいけど、でも瞬間的にしあわせでいることなら、できる。

今、この瞬間を生きること。

過去でも、未来でもなく。

それをやろう。

そんなことを考えていたら、先日彼が共同研究でとった特許の権利を、アメリカでの特許出願のために譲渡する書類に、相続人としてサインしてほしい。という依頼がありました。

うれしかった(泣)

彼の仕事が、こうして生きて、続いてゆくことが
なによりもうれしい。

科学の世界に名前を残すことと、学校をつくることが、夫の夢でした。

どうしたら、これからも彼の命をたいせつに、一緒に生きていくことができるのか

その方法を一生懸命考えていきたいと思います。
by terasumonnmoku | 2012-04-30 19:28 | Comments(2)

桜の花と死

みなさま。

春ですねえ~

今日の仙台は雨でしたが、霧雨が煙るように降る中の桜って、桜って桜って

とんでもなく美しかったです(泣)

「願はくは花の下にて春死なむ、その如月の望月のころ」といったのは
西行法師でしたが

そのせいもあって、わたしは夕暮れ時の満開の桜を見ると
亡くなった人を思います。

うまく説明ができないのですが、桜の花って、物質と霊体のちょうど中間あたりの場所で咲いているような気がする。

そして、死について考えます。

みなさんにとって、死が時としてとてもスピリチュアルな出来事だったりするのと違って
わたしにとっては、死は大変三次元的な事件です。

人が天使に抱かれていたりするのは、わたしにとってはごく当たり前のことなんだけど
その人の体があるべき場所にない。ことが、
これほどまでに自分に打撃を与える、ということが
実に衝撃的なのです。

人生のリアリティっていうのを、はじめて体感したのかもしれません。

おかげで、三次元にだいぶ焦点があってきているようで、ハードに運動しなくても、運転が普通にできるようになってきました(なんだそれは!)。

すべてが幻想にすぎないとしても、これはすごい幻想ですね。

胡蝶はどれだけ強靭なイマジネーションを持っているんだろう。

これほどの痛みすら、幻だなんて。

だからキリストは、エルコにいったのかな。
(過去日記の•キリストとエルコ。参照)

「わたしはすでに、救われているのだ」と。

存在のもう少し深い部分では、わたし自身もすでに、完全に、救われているのでしょう。

とうもろこしや、彼と一緒に、満ち足りたどこかあたたかい地平に立っているのかもしれない。

このブログのトレードマークの、右上のピンク色のスープの絵のようなところで、たゆたっていたりして。

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by terasumonnmoku | 2012-04-23 23:35 | Comments(0)

イースター

両親とともに久々にカトリック教会のミサに出できました。(わたしはどんな神様も大好きですが、実家は元来クリスチャンです(^○^) )

ちょうどイースターで、卵をもらいました。

復活祭の御ミサは久々で、とてもすばらしかったです。

お説教の最も感動的な部分はこんなの♪

「復活したキリストを見た者はいない。

誰も復活したキリストを見たものはいない。

天使たちは、遺体を探しに来た弟子に向かってガリラヤ(キリストがよく説教をした海辺の町)へ行きなさい。といった。復活したイエス・キリストがそこにいる。

復活したキリストを彼らは見つけられたのでしょうか。

それはさもない町の、群衆の中にいるのではないでしょうか。」

というふうに、神父様のお説教は続きます。

目の前のあなたの中に、復活したキリストがいる。

だからみなさんもどうか街に出て、毎日の生活を精一杯生きることで、復活したキリストに出会い、続けてください。と。

そして、ミサの中で珍しく、ニカイア信条を唱えらました。

こんなのです。

「我らは、唯一の主イエス・キリストを信ず。

主は、御父より生れたまいし神の独り子にして、御父の本質より生れ、(神からの神)、光よりの光、
まことの神からのまことの神、造られずして生れ、御父と本質を同一にして、
天地万物は総べて彼によりて創造されたり。」


死と復活。そして聖体拝領をなしたことによって
キリストは私たち自身の中に、永遠の生命を、授け(というか認識させ)てくださり、

遥か何千年もの時を経て、そのメッセージが今なおここまで届いている。

と考えただけで、わたしは遠い目になり、うっとりしてしまいます。

自分や、目の前のあなたのなかに、その永遠の生命がある。なんて。
(聖体拝領はあくまでもキリスト教的に真理を伝えるための象徴的な行為であり、別にクリスチャンでなくてもみんなが永遠の生命を持った神の子には違いない。と、私は勝手に考えています。選んだ宗教によって、人が救われたりそうでなかったりするのって変だと思う。)

神様が何万ワットもの輝きで、わたしたちの内側から光を放っています。

思わず目から星がこぼれ落ちそうです。

あ、そうそう。全然関係ありませんが最近マチュピチュの話を聞くことが多くなりました。

2012年のマヤ歴が終わる話とどうやら関係があるそうです。

マチュピチュが世界の中心になるとかそういうことが言われているそうですが

細長い帽子をかぶって過去生で神官をやっていた経験によると
マチュピチュが世界の中心になるということが重要なわけではなく、

2012年のある時間帯に、ある波動とある波動と地球と人のなかに大きな合(最近この言葉ばかりがわたしのなかでぐるぐるしていますが)を作るタイミングがあり、

そのタイミングまでにできるだけ自分の本質に焦点を合わせて生きるということをする必要がある。

というようなことな気がします。

マチュピチュの近辺にいると多少激しくずれていても救われやすいということなのかもしれないけど、単なる自分連絡で、最近ぜんぜんスピリチュアルな情報に接していないのでわかりません。

誰か知っていることがあったら教えてね。

あ、あと昨日の日記ですが、再婚とかそういうのはあくまでとうもろこしが成長した暁の話だし、相手は(誰かは知りませんが、たぶん)仙台の人じゃないので、誤解のないようにm(__)m
by terasumonnmoku | 2012-04-15 22:34 | Comments(2)

よろよろ温泉。

みなさま、お元気ですか?

よろよろしながら、わたしは元気です。

日によっていろんな感情がこみ上げてきますが、それはそういうものなのでしょう。

たぶん。きっとね。

普通に楽しく笑っているときもあるし、平気なときもありますが、悲しかったり、空しかったり、怒っていたり、リアリティがなかったり、ただ胸が痛かったり。

いろいろです。

あんまりさびしかったり、状況が厳しくなると、最後にダーリンと一緒に行った温泉に出かけます。

そこで滝に打たれつつ、しばらく号泣し、すっきりして帰ります。

前に松潤が竹内結子と出ていたドラマで、夫を亡くした竹内結子が悲しくなると海に行ってものすごい勢いで泣く。というのがありましたが、まさにあんな感じです。(見た目はだいぶ違いますが)

悲しみって抑えていると溜まるんだろうなあ~

家で号泣すると、どうも、重いものが蓄積されそうで
つい外に行ってしまう。
(何かが解放されるらしく、実際彼にも会いやすい)

よく考えたら、そこも後で浄化しておくべきなのかもしれません。
(心なしか雰囲気がどんどん悲しげになっていっている気が( ̄⊆ ̄#)   )

そうそう。
死んでもちゃんと魂は成長するんだな。って思いました。
何の時に思ったんだろう。
覚えてないけど。

でも少しずつ少しずつ、わたしも復活はしてきているみたいで
この間、今度のことがあって初めて、そうだ。家族の魂をヒーリングしよう!と思い立ち
最近はせっせと魂を磨いてます。

三人まとめてやっているので、誰のがどうなのかよくわかりませんが
いらないものはどんどん捨てて、前に進もうと思います。

先週は東京に行って、お墓参りをしてきました。

どっさりビールをお墓に(いいのかなあーといいながら)かけて、手を合わせ、とうもろこしとしみじみお花見をしながら帰りました。

夫もすっごいよろこんでました。
お墓から前のめりに体が出ていました。

前に学生さんが家にお焼香に来てくれた時も
そういえば前のめりだったと、笑ってしまった。

そういうところは、素直なんですねえ。

お墓詣りの帰りに、とうもろこしを大好きなおじさん(義弟です)に預け、
ひさびさに自分のよろよろ系の友人に会ってきました。

お互いの近況を報告しあいながら、そのあまりの不具合ぶりに笑ってしまった。

そして、その朝、ちょうどわたしが彼女の夢に登場し再婚の報告をした、
という話を聞きました。
(どんだけ人の夢に登場するんでしょうw( ̄o ̄)w)

いやいや。

大忙しです。

覚えはありませんが。

そう言えば、あなたが恋人らしき人と、有名な人たちの輪の中にいる夢を見た。
とちょっと前に母にも言われました。

むむ~ん。

それで調子に乗って、今度一緒にいるとしたら、どんな人がいいか考えてみましたが、

頭がよくて、自分の世界を持っていて

世界を舞台にばりばりと仕事をし

かつスピ系の話ができるひと。

がいいという結論に。

最後のスピ系の話を除けば、ダーリンですねえ(笑)

「人は学ぶことによって、どこまでも自由に飛んでゆくことができる」

と教えてくれたのはダーリンでしたが

今度誰かと付き合うことができたら

学ぶこと、生きることによって、どんどん自分で自分を自由にしていく。という部分を

実生活において共有していける人がいいなあ。

ハードル高くありませんかそれは。と一応自分に突っ込みを入れておこう。まる。
by terasumonnmoku | 2012-04-15 00:05 | Comments(0)

友達のかなちゃんの紹介で、ミュージシャンの方のコンサートチケットをそろえたり、数えたりする下働きのバイトを始めました(笑)

そのアーティストさんは、チケット売り過ぎなんです。

それにしても世の中いろんな仕事があるもんだ、とびっくりですね。

息子のとうもろこしが、微妙な年ごろなので、拘束時間が長いと難しい。ので
素晴らしいタイミングです♪

ミュージシャンごとにファン層も異なり、クレームの入り方が違ったりするんだって。

おもしろいなあ~。

大学の先生も理系と文系で全然感じが違うし。

物事の捉え方もその人のいる世界ごとにずいぶん違っているんだろうな。

文系の大学といえば、ショックなできごとがあったので、とうもろこしと二人で、大学の臨床心理学教室に定期的にカウンセリングに通っています。

その教室にはユングの箱庭療法に使うらしい、ミニチュアの動物やら人間やら植物やらのグッズがずらっと並んでいて、大変素敵な眺めなのです。

箱庭療法って、まだやったことないけど、一応いろんなことの展開が落ち着いて、話すことがなくなったら、ぜひチャレンジしてみたい。

それにしても、大好きな河合隼雄さんの本で読んだことしかなかった大学のそういうところに、今まさに自分が通っているなんて、それはそれでびっくりです。

人生ほんとに、いろんなことがありますねえ。

最近はそれとは別に、グリーフケアという自助グループにも通ってみていて
そういう心理療法というかグループ療法的なものがあるということを、私は今回初めて知りました。
(わたしのお気に入りの、アラノンから来ているらしい。)

やはり家族に死別したお母さんたちが集まって、粛々と自分の経験について語るのですが
不思議なことにその集まりのサークルに参加した瞬間、感情のバルブがぼわっと開いて、
まだ何も始まる前からいきなり号泣モードになってしまったのには驚きました。

波動なんだろうなあ。

自動的にバルブが開いたりしまったりするのは。

でも、あれですね。

感情を解放したほうが悲しみが早く癒える。とされているそうですが
そんなにしょっちゅうバルブが開いているのも、それはそれでしんどいので、たまでいいと思いました。

そういう関係の本を読んだり、会に参加したりして思ったのですが、こういう経験をした人はそのようになる。というのは、やっぱりある種の思い込みというかステレオタイプなものの見方のような気がしました。
キュープラー・ロスさんの提唱した、死の受容の段階のように、悲しみの受容の段階というのもありそうですが
それを進めたり遅らせたりする原因は、精神衛生の専門家の方にお伺いしてもよくわからないそうです。

執着なんでしょうけど。

昔は目の前でどっさり人が死んでいたのですから、なにか自然に立ち直る方法があったはず。
人とのかかわりの深さなのかな。どうなんだろう。かかわりが薄いから執着してしまうのかしら。

9人の子供のうちの一人が死ぬのと、一人っ子が死ぬのとではもちろん意味合いが全然違いますが、
生きて死ぬ。というあたりまえのことが、あたりまえでなくなっているから、一つの死がこれだけ痛いということがおきているのかもしれない。

死があたりまえでないということは、現代では生について、逆にきちんと考えられていない。という意味でもあると思うのです。

スピリチュアルというなんとなくふわふわしたものではなく、神話とか祈りとか、はてしなくどこまでも続く生命の連鎖とか。そういう大きくて広い視点が必要なのかもしれない。(いわゆる真理というやつですね)

というわけで、わたしはわたしの人生を生きていくことにしました。

だから自分として復活してゆけばいい。

まだそれがどんなふうかはわからないけど、それが人と違う道のりであっても、全然かまわない。
(なぜそう思うかというと、まだちゃんと復活できていそうな人に会ったことがないからです。この先会えるのか。でもそれを願うより、自分が向き合ったほうが早い気がするなあ~)

でも、いろいろやってみないと、自分が何にどのくらい傷んでいるのかとか、そういうこともわからないので、とりあえず一通り試してみようと思います。

とうもろこしにも、きっと最善のサポート体制がみつかるはず。

みんなが一緒にいてくれるから、きっとだいじょうぶ!

あでぃゅ~☆♪
by terasumonnmoku | 2012-04-04 22:53 | Comments(6)

http://www.rikkyo.ac.jp/aboutus/philosophy/president/conferment/

感動しました(涙)

ごめんなさい。ここから飛べるようにできません(泣)

くやしいのでコピペします。

中略

しかし、マックス・ウェーバーが指摘したように、社会的な諸制度は次第に硬直化し自己目的化していきます。人間社会が健全に機能し存続するためには、既存の価値や疑われることのない諸前提を根本から考え直し、社会を再度価値づけし直す機会を持つ必要があります。

大学は、そのために人間社会が自らの中に埋め込んだ、自らとは異質な制度だと言うことができるのではないでしょうか。大学はあらゆる前提を疑い、知力の及ぶ限り考える、ということにおいて、人間社会からその存在を認知されてきたのです。
既存の価値や思考方法自体を疑い、それを変え、時には壊していくことが「考える」ということであるならば、考えるためには既存の価値や思考方法に拘束されていてはならない。つまり、大学が自由であり得たのは、「考える」という営みのためには自由がなければならないことをだれもが認めていたからに他ならない。大学の自由とは「考える自由」のことなのです。
言葉を換えると、大学は社会から「考える」という人間の営みを「信託」されているということになると思います。

ところが、東日本大震災とその後の原発事故は、大学がそのような「考える」という本来の役割を果たしていないし、これまでも果たしてこなかったことを白日のもとに明らかにしてしまった。少なくとも多くの人々の目にそのように見えたのに違いありません。大学への信頼が崩れたのはそのためではないでしょうか。

しかしさらに考えてみると、大学への不信はもっと以前から存在していたのではないかと思われます。ある時期から、もはや大学には「考える」という役割が期待されなくなったのではないか。
社会が大学に求めるものが、「考える」ことよりもすぐに役立つスキルや技術に特化してきたことはそれを示しているのではないでしょうか。


皆さんの中には、これから社会に出ていく人も、大学院生として後期課程に進む人も、また、大学や研究所で研究者としての歩みを続ける人もおられることでしょう。社会人として働きながら本学に通い、これから次のステージを目指している人もたくさんいるに違いありません。
皆さんがどのような途に進まれるにしても、ひとつ確実なことがあります。
それは皆さんが、「徹底的に考える」という営為において、自分が社会的な「異物」であることを選び取った存在だということです。

どうか、「徹底的に考える」という営みをこれからも続けてください。そして、同時代との齟齬を大切にしてください。

~~~~~~~~~~~~~~~~吉岡総長の祝辞引用おわり。

どうかみなさん。異物としての自由を、めいっぱい生きてください。
by terasumonnmoku | 2012-04-02 09:48 | Comments(0)

インドに行きたい!

こんばんは!最近しきりにみんなの夢の中にでてきている、てらすもんもくです。
すごいなあ~

2,3日の間に、なんと6人の人から「夢に出てきた」
と言われました。

迷惑です。
ごめんなさい m(__)m

やろうと思ってやっているわけではないので、ゆるして!

ていうか、思ってもらっているんだよね(T_T)

ありがとう\(^o^)/

おかげさまで元気です。
もちろん。
いろんなことはありますが。
でもみんなもそうだよね。

それにしてもやたらにみんなの夢に出てくる癖はなんとかしたいっす。

この間、今日は誰かとお昼を食べるらしいけど、そのだれかっていったい誰なんだろう?と思ってお店に入ったら、隣にホワイトシスターさんがやってきて、超びっくりしました。

そんなことが続いている今日この頃。

先日は偶然行ったカフェで、20数年ぶりに知人のシタール奏者の AMIT ROYさんのライブのお知らせを見つけ、驚愕し

今日再会しました!

すごい!

ちゃんとおぼえてくれたし、今度遊ぼう!と言われました!
うれしい。音楽もすばらしかったのよ(T_T)
音が。天上の音楽みたいで。しかも暖かく優しくなっていて(ToT)/~~~
生きててよかった。。。。。

おもえばカルカッタの、AMITさんのおうち(まだお互いに結婚前で、AMITさんは大家族で住んでいた)に遊びに行った時も、わたしは仲の良い友人を亡くした直後で、その死をどうやって受け止めればいいんだろう。みたいなときだったので

因縁を感じます。

それからインド仲間とは音信不通になり、わたしは本格的に混迷期に入ってしまったので、過去と現在が断絶したようになっていたのに、

ここでまたつながるって、どういうことなんだろう。。?

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それにしてもインドに行きたい。

とうもろこしのことが落ち着いたら、いつか必ずまた行こう。
こんな気分にインドはぴったりです。

写真はAMITさんが最近出した、311というCDにサインしてもらったもの☆彡
と、ライブのチラシです。

わたしの本名を知っている人は、face bookに 2ショットを載せたので見てみてね♪
じゃっかん痩せましたが、元気です(笑)
by terasumonnmoku | 2012-04-01 22:32 | Comments(0)

生きる意味が見つからないなら、自分で創って育てちゃおう!というブログです。やっていることはさまざまですが、常に生きることに向かっています。

by terasumonnmoku
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