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遠足。

通っているフットサロンの店長さん主催の遠足に行ってみた。

総勢13人のアダルトな遠足である。

そこではじめてミチコさん(仮名)にであった。

遠足チーム最年長のミチコさんは、70代後半くらいに見えるが、実際は結構若い。
華奢な体つきで、とてもフェミニンな格好をしている。

出会いがしらに、唐突に「最近おならが出て困る」という話をされた。

「食べるものは決まっているのに、どうもおならが出て困る」

何を食べているんですか?と聞くと、

らっきょうと、笹かまぼこ

だという。

繊維が足りないせいでは?

といっても、

ほかにはおでんの糸こんにゃくとキュウリを食べるだけで、おならになるようなものはないのに、

病気かしら。

と言う。

病気かもしれないから、調べたほうがいい。

と、言われるほかの展開は、彼女の中に想定されておらず

それ以外、特に意見はいらないようだったので、

そんな宇宙食のようなものばかり食べていたら、宇宙人にさらわれます。
UFOに乗せられて連れて行かれたらどうするんですか?

といってみたが、

そうねえ。

と、さっくりスルーされてしまった。。

ミチコさんのリュックはものすごく重い。

入っているものを聞くと

みんなにあげるお菓子と、非常用の水と、通帳。という。

いつ何があるかわからないから、大事なものは全部持ってきているのだそうだ。

逆にすごく危ないような気もする。

歩きはじめると暑かったらしく、たちまち路上で洋服を脱ぎ始めた。

一枚脱いでもまだ二枚も下に服がある(その日の気温も30度越え)

こんなに着てるのよ。と下着を見せてくれた。

ミチコさんはとても痩せていて、どう見ても40キロあるかないかくらいの体格だ。

それなのにご飯を食べ終わると、一緒の席にいたくりいむぱんの助くんに、突如腕相撲の勝負を挑んだ。

くりいむぱんの助くんが勝つと、

今日はひじの調子が悪いから。

と悔しそうにしている。

そして、隣の席の真っ白君(最年少男子)に更に勝負を挑む。

白熱した勝負の末に真っ白君(そこの白い人。とミチコさんが呼んでいた。色が白いからかと思ったらTシャツが白かったかららしい)が負けると、

彼女は極めて上機嫌になり、

今日は来てよかった!

としきりに喜んでいた。

ミチコさんは、プロレスラーになるのが夢だったのだそうだ。

人を殴ったり、蹴ったりしてみたいの。

と目を輝かせている。

実際に、ひとを殴ったり蹴ったりしたことはあるんですか?と尋ねると、

残念そうに、

ないの。

と言い

ほんとはもっと勝負がしたいけど、負かしちゃったら男の人はプライドが傷つくから、このへんでやめておこう。

と、独り言のように付け加えた。

遠足の最後には、別の男性に自分の肩を揉んでもらっていた。

ミチコさんが見せてくれた携帯の中には、テレビ画面から直接うつしたという韓流ドラマの俳優の写真と、

自分がマジックで適当に描いた。という
ものすごく美しく、

そして何が描かれているのかさっぱりわからないオリジナルの絵と、ビビッドな色彩のコラージュが、大量に入っていた。

おもしろくて、とてもいい絵だった。

わたしは彼女の絵のようなものを、これまで見たことがない。

一日中寝てばかりいて、大家さんに怒られるといっていたミチコさんは

生きる意欲に満ち溢れていた。

彼女がそこに至るまで、どんな人生を歩いてきたか、さっぱりわからない。
そういう人に会うと、ものすごくうれしい。

今日もミチコさんは元気だろうか。

それにしても遠足は思いのほか大変で、最近運動不足で体のなまっていたわたしにはきつかった。

いろんなところで観光と休憩をしながら、全部で9キロも歩いたのだそうだ。
(去年は、23キロ歩いても全然疲れなかったのに(T_T))

川べりを歩いたり、縛られ地蔵を観光したり、井戸水でいろんなところを洗ったりした。

とうもろこしの野球の送迎で朝早かったこともあり、昼食後に行った瑞宝殿では、ガイドさんの説明を聞きながら、立ったまま寝てしまった。

最初は興奮していろんな人と一杯しゃべっていたが、終わるころにはすっかり無口になっていた。

今日はだるくて使い物にならないので、こんなくだらない日記を書いてみました(笑)

ルートが凝っていておもしろかったです。
ありがとうございました~\(^o^)/

ぱんの助くん。会えてうれしかったよ♪

また一緒に遊びましょう!!!!
by terasumonnmoku | 2012-09-21 20:34 | Comments(0)

性善説と性悪説。

ネパールの旅日記が終わるともなく終わってしまいましたが、実は一番お世話になった人のことを書いていません。

どうしてかというと、どこまで書いていいかわからないから!(爆)

それは元赤軍派の闘士Rさんで、わたしたちは、びっくりするほどこの方によくしていただいたのです。

私たちに限らず、Rさんは誰にでも親切で、ずっと酔っぱらっていて危ないことばかり言っていることを除けば、とても優しい紳士的な人物です。

学生運動に興味を持ち、実際に体験した人にもう一度(一度チャンスをゲットして会いに行ったときは、わたし自身が幼すぎて、何を聞いていいかわからなかった)会ってみたいという長年の願望があったわたしは

もう狂喜して、いろんなことを教えてもらいました。

スターリン主義がどういうもので、トロッキーがなぜ亡命したか。
日本での学生運動が互いにどういう位置関係にあったか。
文化大革命で毛沢東が何を目指していたのか。そしてどこが問題だったのか。
Rさん自身が、なぜ運動に身を投じ、実際どういうものだったか。

わけのわからないことばかり聞いてすみません。

でも、わたしは毛沢東が大好きで、それは彼がピカソのように見えるから。と言ったら
わかる。と言ってもらえたのが、超うれしかった(笑)

これは通じないでしょう。ふつう。

本を貸してもらったり、一緒にポカラ遊覧飛行を楽しんだり(笑・天気が悪くて実際にはたどり着けなかった)
ご飯をごちそうになったり、買い物に連れて行ってもらったりetcetc

高校の時、資本論は3ページで挫折したわたしも、「共産党宣言」は読めました(笑・とりあえず。理解したという意味では勿論なく。)

読んだ感想は、「マルクスは、人を信じていたんだな」ということでした。

問題は、資本家と階級社会にあり、その制度を壊し、労働者を学習させれば、自動的により良い世界が出来上がる。

と考えていたように思えるのです。
(Rさんにそういうと、共産主義っていうのは基本的に性善説だからね。と教えてくれました。)

実際は他者を搾取したり、支配したりする欲望は人間ひとりひとりのなかにあり、組織を作り直したり、各構成員を入れ替えたところでその関係はなくならない。

自分と家族。大きく考えても自分の国以外の人々の苦痛は、どうでもいい。

という感覚を、

わたしの師匠である大津先生は分離感と表現しますが、

この分離感がなくならない限り、この先世界がどんな政治体制をとったとしても、
今の状況が変わるとは思えない。

善悪はひとのなかにあるのであって、体制にあるのではない。
たぶん毛沢東は、社会の中にある膠着した価値観やヒエラルキーを破壊しようと知識階級を農村に放逐したり、文化遺産を壊したり、子供に親を密告させたりしたのだと思うけど

暴力的なやり方では人の価値観は変わらない。

そこを変えるにはすごく長い時間が必要だということを、毛沢東は考えなかったんだよ。
とRさんは言っていました。

すごく印象的だったのは
わたしが夫の発明に対する特許の書類にサインして、大学側に権利を譲渡した。という話をしたときに
「それはすべきではなかった」と、強く言われたことです。

特許を持っているにはお金がかかるし、共同研究だからほかの人にも迷惑がかかる。
それにその発明でいいものが製品化されて、みんなの暮らしが今よりよりよいものになったら、本人がうれしいと思う。

というと、開発のために一人でも不幸になった人がいたとしたら、そんなものはいらないんだよ。

といわれました。

すべての発展、生産は、常に内側に破壊を含んでいる。

それは善悪ではなく、秩序のバランスの問題なんだと思うけれども、

知らないうちに科学の進歩を当たり前のように善だと思っている自分がそこにいることに、
改めて気づかされてしまった。

ことことに関する結論はまだ自分の中で出ていないので、今後じっくり考えていきたいと思います。

そして先日、「日本駆け込み寺」のボランティア・ミーティングで、代表の玄秀盛さんにお会いしました。

わたしの大好きな歌舞伎町で、駆け込み寺という24時間体制のボランティア組織を開いた方なのです。

これがまた、Rさんとは全然正反対の「性悪説」を信奉する方で
その上で、今目の前で苦しんでいる人を救っていこう。という活動をされています。

ひとは追い詰められるとどんなことでもする。
だからいくら法律的に悪であったとしても、いきなりすべてを否定するようなことをしてはいけないんだというとこを、実例を挙げて説明してくださいました。

ずいぶんと危ない橋を渡ってきた方のようで、ヤクザとのもめ事も数々あり、いったいどうやって、暴力団の人と話をつけるんだろう?と疑問に思っていたら、
帰り際にボランティア仲間の美しいお姉さんに、ヤクザとの正しい接し方を実地で教えてもらっちゃった。

決してびびらないこと。ダメなことはちゃんとダメだということ。が大切なのだそうです。

なるほど。
(後で本で読むと、実際はこうするっと書けるようなものでもなく、コネがあるか。最後はどちらの肝が据わっているか。の比べっこにかかってくるようでしたが。)

でも、権力を持ってきれいなことを言いながら、自分の手すら汚さずに平気で残酷なことをする偉い人のほうが、よっぽど始末が悪いなあと思う。

人間対人間という感覚が通用する分、ヤクザのほうがずっとましなような気がする。

しかしそういうところが自分にもまったくないかというと、じっくり考えるとやっぱりあるので
まず自分からなんだよね(泣)

Rさんと玄さんは、考え方はまったく対照的だけれども、最終的に誰もが幸せに生きて行ける社会をつくために全力を尽くす。という意味では同じで、そこに深く打たれました。

全世界の平和を目指して、最後は人民戦線に行っちゃったRさんと、
一人の人の人生を立て直すために、暴力団とやりあい、役所に物申す玄さんのあり方は、

社会秩序を混乱させるという点では、方法に問題があるのかもしれないけど、

ものすごく、希望のようなものを感じる。

「人間ってやつは、悪いことをしながらいいことを思い、いいことをしながら悪いことを考えるようなものなんだよ」
と、悪人を魅力的に描くことに定評のある池波正太郎さんが、どこかに書いていましたが

結局は人と人のつながり、ってやつなんだろうなあ。

なんでこの結論になるのかわかりませんが(笑)

2人ともものすごく澄んだ目をしているのです。

そんな素敵な大人に会えて、ほんとにうれしい。

性善説も性悪説も、たぶんどっちも正しく、どっちも間違っているんだろうな。

すべての人の中に、すべての要素があって、そのどこを紡ぎだしていくかをわたしたちは日々、目の前の人のと関係の中で選んでいるに違いない。

どんな状態でも、本質のあなたはすばらしい。

だからそんなわたしたちに、ふさわしい選択をしよう。

ところで、実際に闘争することになったら、いつでも現役にもどって助けに行くよ、とRさんは言ってくださいましたが、横断幕とか、火炎瓶とかトカレフとかカラシニコフが出てきそうで怖いです。

わたしは、お金や謝罪や、もっともらしい事情説明よりもっと大きなものを求めているので、社会秩序を順守しつつ、鈍く強烈で、長期にわたる影響を及ぼすことのできる、合法的で決定的な手段を、これからじっくり考えていきたいと思います。

ちょぴりスリリングで、刺激的なその過程で、どうかたくさんの人が一緒に幸せになりますように☆彡
by terasumonnmoku | 2012-09-19 13:21 | 駆け込み寺その他 | Comments(0)

サイキックパワー

以前サイキックエネルギーと、愛のエネルギーを使い分けられるようになった!

とそこらじゅうで自慢していたのがあだになり、

なぜか突然、それも徳ちゃんに、デモンストレーションをしなければならない羽目に陥りました。

サイキックパワーは、わたしが過去生でヨギだったときにやっていた伝授をやろうとする過程で出るのですが
女優のように、気持ち作りから入らなければならないのです。

穏やかで幸せな気持ちだと出なくて、攻撃的でエゴイスティックな気分を作る必要がある。

そうすると、目がつり目になるといわれましたが、ほんとだと思う。大津先生に学んで、エネルギーが変わる以前は、今より全然つり上っていたと思う015.gif

具体的な方法は

①つり目になる。

②伝授をする相手の、一番から五番までのチャクラを制御する。
  (やり方は秘密)

③第七チャクラから一気にエネルギーを入れる。

④第三の目を活性化させる。

というもの。

するとどうなるかというと、

頭が締め付けられるような感じがして、くらくら、ぎらぎらした光が、第三の目にあふれる。

ような感じになる。らしい。

ただ、徳ちゃんの場合はオーラがでかいだけあって、チャクラの制御に手間取りました。

(オーラの大きさはチャクラの活性度合いにより決定され、
チャクラの活性度は本人の学びの進捗具合によって決まるので、
当然学びが進んだ人のほうがチャクラは大きく開いている。バランスはそれぞれ違いますが)

普通の人のチャクラはほとんど動いていないし、伝授を受けていても他の人ならさほどでもないので、一瞬でできる。
が、しかし今回チャクラのコントロールに手こずったせいで、出力を相当上げる必要があり、

そのせいで!あろうことか、

自分のやっていた伝授の一部始終を思い出してしまった031.gif

第三の目を活性化させた後、さらにエネルギーを入れ続け、頭頂から第一チャクラまでパワーを貫通させて、一気にクンダリーを上げる。

という鬼のように恐ろしい伝授だったのです。

なんてことをやっていたんだろう020.gif

そんなものを本気でやったら、ひとが壊れてしまう。
(当時はヨガの修業をたっぷりと積んだ人だけが対象だったので、みんながみんな壊れたわけではないでしょうが、でも全員無事だったわけでもないと思う。)

チャクラは本来、そのひとがどれだけ自他をゆるし、

そのひとのいる正にその位置で、どれだけ愛をあらすことができるか。

という、

いわば魂の学びが進むことによって、

1~7までがお互いに調和をとりながら、

自然に開いてゆくものです。

局部的に無理やりあけるものじゃない。

不幸な人には不幸ななりの、病気の人には病気の人なりの、絶妙なチャクラバランスというものがある。

そこを無理やりサイキックな力で開いてしまうと、精神のほうが持たない。

というわけで、そんなことを得意げにやっていた過去生の(まあ今もそうでしたが・泣)自分に、超げっそりしてしまいました。

更にげっそりすることに、たぶん今でも、愛のスピリチュアルなエネルギーとかいって、サイキックなパワーをさく裂させている人がいっぱいいるんだろうなあ。ということです。

やれやれ。

わたしのやった伝授途中まで。を受けて、徳ちゃんは、(いつもやっているヒーリングとは違い)ほかで経験したサイキックな感じとほんとにそっくりだった。と言っていました。

そりゃそうでしょう。

そのものだもの。

問題は、通常ひとはそんなにいろんな種類の波動を、意識的に使い分けられるものでもないし、
そもそも、エネルギーを出している本人が、自分のエネルギーの質に、気付いていない場合がほとんどだということです。

一種類しか知らなければ比較の対象がないからわからない。


巷にあるほとんどのスピリチュアルなエネルギーは、4次元とか5次元の、なんだかわからない微弱な影程度のものなので、ほとんど影響を気にすることはないと思うけど、

こういう仙人系のエネルギーは(自分で出しておいてなんですが)ほんとに怖い。

わかりやすいから、何か特別なものを感じた気がするだろうし。
(ところで、伝授ではなく、単にサイキックがかった波動を醸し出しているときは、どちらかというと気分が高揚して、自分的にいけてる感じが―個人的には、というかひとのもーします。覚醒してるチックな。つまり、本人はいい気分なわけで、これは勘違いするはず。)

ああ。みなさんどうかどうか気を付けてね007.gif


前述のエネルギーですが、入った瞬間に辞めたにもかかわらず、徳ちゃんは頭が痛くなり、自分のヒーリングで取っていました。

こんなことを喜んでやっていた自分がすっかり嫌になってしまった。

これはもう、ぎらぎらして得意になっている人以外にはやらないことにしよ014.gif
by terasumonnmoku | 2012-09-14 22:51 | スピリチュアル | Comments(0)

草間弥生の水玉LOVE。

こんにちは!みなさまお元気ですか?

てらすもんもくです~(^○^) 

今日も気持ちの良いお天気ですねえ。

きのう、藤崎で草間弥生とルイ・ヴィトンのコラボのショーウィンドをみかけ、びっくりして写真を撮り、FBにアップしたら、今年のヴィトンは水玉ですか!というコメントをいただきました。

水玉、かわいいかも!って。

その言葉に、すんごい感銘を受けてしまったw( ̄o ̄)w

あまりにも彼女の著書の
「第三章 淋病星雲精液拒否宣言」
とかの印象が強烈だったので。
(しかも本質的には今もどこも変わってないと思う)

そうかー

性的なメタファーって、普段はそこに特化した部分以外はないことになってるけど、考えてみればシヴァ神のご神体もリンガだしなー

そういえば、仙台のアーケードにもリンガが祭られていた気もするしなあー

ダイナミックな生命の流れというか、そういうものが欲望を刺激するって
考えてみればあたりまえのことなのかもしれません。

なんでびっくりしたんだろう。

むむーん。

だからどうということはありませんが、唐突にわたしはこれでいこう。と思ってしまった(笑)

キッチュな呪術の世界で生きてこう。

生命の流れをとりもどそう。

ああ。みんなでいるってすばらしい。
ものすごくたくさんの扉が、どこにでも開かれているようだよ。

ところで、わたしが別の意味で敬愛する岡本太郎さんは
天然の草間氏とは異なり、実は大変理性的な方で、かなり意識的に「いろもの」をやっていたような気がします。

そういうのも楽しいかも。

ちなみにアップした写真はこれ
c0195362_11493943.jpg


ちょっと、すごくないすか?
by terasumonnmoku | 2012-09-08 11:48 | アート | Comments(4)

単にだらだらした近況。

こんばんは!

カンタ・ティモールから走り続けてほぼ10日。

さすがに刺激が強すぎて、ひさびさにバグりました(トホホ)

カンタ・ティモールと、方丈の海の間に、大津先生の特別エナジーとダーリンの開かずのPCと格闘する。というコマンドが入ったのです。

ただでさえ感受性が強いのに(いや、ほんとに)こんなにいつも興奮していたら、疲れちゃうよ(でも、自分のせいだからなっ・泣)

そういえば、カンタ・ティモールの実行委員会のブログに、上映会の最後に行われたライブのもようがアップされていると言われて、見てみましたが
あれは、やるもんであって見るものではないですね(T_T)

ものすごい、踊ってました。

怖い。

怖すぎる。

その何日か前に、自転車で走行中、安全指導の男性に続けざまに怒られる。
ということがあり、

注意されるたびにむかついていたのですが
(でも掟破りをしていたわたしが悪いんです。彼はただ、そのように世界の秩序を守っていただけだったのに。恐ろしい顔で睨みつけちゃってごめんなさい(T_T))、

後で冷静になって考えると、きっと怒られても、わたしは好きなようにすると思うのです。
(ちなみに、車を運転中は、道路交通法にきわめて忠実です。よくあるように、わたしにも自分なりの規則があり、それが世の中と常に一致するとは限らないのです。)

だから、今度怒られたら、せめて愛想よく、さわやかに、やりたいことをやろうと決めた。

という話を後日やっちゃんにしたら、大笑いされました。

「もんもくちゃん。それは二重にひどいよ!」

そんなことがあった直後に臨んだテベ。

ふーむ。。。。

一つの決意が、思わぬところに波及するとは。

そのほかは美しい監督との静かなショットがアップされているすてきなブログです。よかったら見てね♪

ところで、ダーリンの開かずのパソコンには、わたしの恐れてい呪いのメールも、怪しいサイトの会員登録もなく、一生懸命な日々の努力の後だけが残っていました。

今となっては、なにをそんなに恐怖していたのか、自分でも理解できません。

きっと彼のエネルギーの残滓を通して、見えないものを見ていたんだろうなあ。

大きな恐れを手放して、残ったのは、すばらしい夢を見せてくれた彼への感謝でした。

その夢は、これからもわたしや、とうもろこしや、彼が大切にしたたくさんの学生さんや、周りの皆さんの、滋養になってくれることでしょう。

どんな死を選ぶかが重要なわけではなく、その生に何を見て、何を実現しようとしたかが大事なんだな。

彼の生き方や、エネルギーの使い方の中に、すべてを見失ってしまうほどに極端なものがあったのは事実なので、その選択の一つとしてああいう亡くなり方があったことは、なんとなく納得がいくのです。

その極端さがまた魅力の一つでした(T_T)

不思議なことに、彼が亡くなった今のほうが、愛情を感じる。ということです。
いつもいつも、一緒にいるような気がする。
実際そうなんでしょうが。
最近、女子力が上がった。と友人にしきりに言われるのですが(まじか・笑)そういうことも影響しているのかもしれない。

形が見えると、本質を見失う。という良い例なのかもしれません。(T_T)

このパソコンをあける。という作業ひとつをとっても、実は結構大変で、さまざまな紆余曲折があったのですが、方法を模索するその過程で、人のつながりというのは、なんとありがたくもすばらしいものなんだろうと、泣きたくなるほどの感動を覚えました。

一人では(物理的にもできなかったのはもちろんですが)特に精神的に、難しかったと思います。

そして、そのカオス的状況の最後に、ひろみんが、救援隊として書類と雑貨を整理し、秩序を再構築する、というまことに創造的な、アクティブ・ライフ・ヒーリングにきてくれて、ようやく事態は解決に向かいました。

ダーリンの開かずのパソコンを開けるのも、自分を立て直すのも
不思議なご縁でつながってくださった、みなさんの大きなお力があったからできたことだと思います。
感謝です(T_T)

それにしてもひろみん、ぐだぐだでごめん!わたしのセッションは後日また改めて(T_T)
by terasumonnmoku | 2012-09-07 21:46 | Comments(0)
生きる。ってなんて、かっこ悪いことなんだろう。

と、思った。

そして、

かっこ悪いことは、なんて、かっこいいんだろう。

とも思った。

たくさんの感情が、揺り動かされる。

ないことになっていた絶望や、せせら笑い。
せき止められた涙。

失われた世界に対する激しい執着

行き場を失った思いが、出口を探して怒涛のように押し寄せる。

リアルに体験される感情には、名前がないし、単純に一つのレッテルで呼べるようなものでもない。

それは、ただの情動の盛り上がりとして感じられる、もやもやしたある種の「感覚」にすぎないが
舞台の上で、役者さんたちが演じてくれる「感情」には
「怒り」とか、「悲しみ」や「恐怖」のような、わかりやすい商標がついている。

だからわたしたちはお芝居を見ながら、もう一度人生を整理することができるのかもしれない。

それでも、題材が題材だけに、あの震災を、自分の体験と二重写しに読み込んでゆくような辛さがあった。

まだ痛みがあまりに生々しくて
この芝居を見られない人も、たくさんいると思う。

津波が去った後の、海とヘドロのにおいのする空気の中で
日常を紡ぐ大切な場所が、突如異次元に変わり

どこかお祭りのような時が過ぎ、ふと我に返って
徐々にほんとうの困難がやってくるところを、巻き戻して見るような

そういう鈍い苦痛の中で、
役者さんたちの、残酷なセリフの合間にほの見える優しさが、辛かった。

傷つけたくない。

よりそっていたい。というあたたかい気持ちが、痛い。

でもそれが、きっと今なのだろう。

わたしたちは同じ痛みを共有している。

だからこそ、今ここで、中途半端な心と体のままで、言うことがある。

みんなで。

お芝居を見ながら、人生で自分が本物の苦痛を感じた時と同じように、胸が痛かったし
自分の悲しみは、客観的にみるとこういう風に感じられるんだろうなあ。
という不思議なおもしろさや距離感も感じた。

悲劇は客観性を持つと、喜劇に変わる。

ジェットコースターに乗ったような感情体験の終わりは
びっくりするほどのカタルシスだった。

悶々と芝居を見ていた私は、最後に驚くほど大泣きし、そんな自分がすごくおかしかった。

ここで昇華されても、結局海には放射能で汚染された魚しかいないし、
大切な人は帰ってこない。

残念なことに、それが人生なんだろう。

生きる。ということは、何かを保証されて予定された毎日を過ごすことではなく
本来そういうぎりぎりのところで体験される、スリルとサスペンスに満ち満ちた行為であるに違いない。

最終的には誰かが生き残ればいいのだ。
できれば、その誰かが、心ある人であってほしい。
だからなにかを伝え続けたい。

この「方丈の海」というタイトルは、三島由紀夫の「豊饒の海」とかぶっているのだろうか。

だとしたら「豊饒」が、「方丈」になってしまった理由はなんだろう。と、ぼんやり考える。

圧倒的な海の力と瓦礫の山と、破壊された生活。それらが醸し出す生活感を。

切り取られた「方丈の海」は、滑稽で親しみ深く、
壁となって襲来した海のそばのこの土地で
失われたたくさんの命や時間とともに、わたしたちは生きていく。

という、アイロニーに満ちた決意を、鮮やかに浮かび上がらせる。

故郷というものは、あるように見えて実在しない。
人も場所も、刻々と変化して、川の流れのように常に動いている。
ただその変化が、通常はゆっくりで気づかず、普遍的な何かがそこにあるような気がするだけで。

本来わたしたちは瞬間と瞬間の間を移動する旅人であり、そういう意味では誰もがデラシネにすぎない。

だから約束の地とは、具体的な場所ではなく、

わたしたちが踏みしめた大地と、そこでぎゅっと胸の奥に握りしめた拳の中にある。
ようなもの、なのかもしれない。

失ったものを、たぶん何度でも、わたしたちは作り出すことができるし、作り続ける。
魂、という、その幻影だけでも。

怒り、憎み、悶え、苦しみ、のたうちまわりながら
胸の奥に握りしめた拳に隠した、乳と蜜をそっと味わうような

わたしにとって「方丈の海」は
そんなお芝居でした。

心臓が鼓動を打つたびに、この血管を流れてゆく、
甘く切なく、微妙に塩辛い乳と蜜こそが
実在するわたしたちのカナンなのかもしれない。


このお芝居を作ってくださった皆さんの勇気を、心から讃え感謝します。

「方丈の海」を体験できてよかった。

なにもわからずに見続けてきた演劇を、はじめて、すごい。と思いました(泣)
by terasumonnmoku | 2012-09-03 20:31 | 最新情報 | Comments(0)

真理セラピスト・らくがきすと・即興ピアニスト+社会活動家(過労自死遺族/東北希望の会代表)幼少時より、生と様々な死から多くのことを学んできました。11年のセラピスト経験があり、仕事ではいのちのすばらしさについての、エナジーーワーク的なセッションやワークをしています。頭を現実的に使いながらメルヘンな世界を実現させていきたい。社会問題、スピリチュアルな仕事や宇宙のこと、日常について書いています。


by terasumonnmoku
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