<   2013年 01月 ( 4 )   > この月の画像一覧

一周忌に寄せて

夫は所属していた研究室の教授退官に伴い、
平成18年に東北大学工学部の助教から
准教授に就任。

分野の異なる新教授から独立し、
独自の研究室を構え、
他大学出身の准教授だけの研究室
という難しい立場を、
人一倍精力的に働くことで、
確かなものにしてきました。

入念な準備で臨む講義に対する評価も高く、
平成21年には工学部研究科長賞を受賞。
学生さんたちとのつながりは、
卒業後も続いていました。

震災のあった平成23年は、
特に意欲に満ちた年であり、
前年度比の13倍の研究資金を獲得。
基準の倍近い数の学生さんを一人で育て、
数多くのプロジェクトを抱えた状態で、
東日本大震災に被災。

彼の研究室の入っていた建物は全壊し、
数年をかけた億単位のプロジェクトは壊滅。
通常の講義や、度重なる海外出張を含めた
進行中の業務を抱えたまま、
独力で復興作業に忙殺される日々が続きました。

亡くなった24年の1月は、
失った研究室を再建するまでの、
長期にわたる流浪の生活が終わり、
プレハブの新しい研究室が整い、
据え付けた実験装置を立ち上げ、
研究再開の意欲に燃えていた頃でした。

新年度の実験予定について
学生さんたちと熱くミーティングを行ない、
家族でにぎやかに外食をした翌日、
正式に大学から研究室閉鎖の意向を伝えられ

翌々日に、激烈な不安発作を発症。
それから僅か一週間後、
燃え尽きるように亡くなりました。

その後、紆余曲折はありましたが、
労働基準監督署の裁定で労災を認められ、
大学側からも労働災害として、
ご挨拶を頂くことができました。

研究室の存続は、個人がどうこうできる
ものではないと思います。
しかし、たとえ東北大学と方針が違っても、
どこにいても、立派に評価を受けることの
できた人でした。
震災さえなければ、主人がそこまで
追いつめられることはなかったのにと、
残念でなりません。

自殺、という方法で亡くなりはしましたが、
彼は誰よりも家族と、仕事を愛しておりました。

愛していたからこそ、
自分の限界を超えたことにも気づかず、
働き続けてしまったのだとわたしは思っています。

だからこそ、彼が最後に残した痛みではなく、
本来抱いていた愛を大切にして生きていきたい。

誰よりも懸命に生きた人でした。
彼がもしこの場にいてくれたとしたら、
言いたい言葉は謝罪ではなく、
きっと「ありがとう」だったことでしょう。

それは大切なみなさまへの、
限りない尊敬と感謝を込めた、
果てしなく重い「ありがとう」
であっただろうと思います。

もうこの世にはいない主人に代わって、
ここで、みなさまに感謝の言葉を
ささげたいと思います。

いままで、ほんとうにありがとうございました。

         平成25年1月31日  
                                            (内)


























More  続きはこちら
by terasumonnmoku | 2013-01-31 20:37 | 過労死 | Comments(2)

生きる意味

思春期の息子と一緒にいて嫌だなあ~と思うのは、彼がわたしにそっくりだ。ということ。

この間、偶然彼の大学ノートの裏側に、右下に大きなそして(人のことは言えないが)下手な字で黒々と
「生きる意味」と書いてあるのを見つけてしまった。

彼の父は、極めて現実的な人だった。

自分の人生には意味がないから死んでしまおうと思ったことはあっただろうが、
死ぬ寸前まで、そこで思考を停止して、でも責任があるからやっぱりがんばろう。
と方向転換していたように思う。

自分を矯正して矯正して、がんばりきれなくなった時に死んだのだ。

生きることにどんな意味があるか、については、深くは考えたこともなかった気がするし、実際にそれが必要になったときには、もう余力が残っていなかった。
(この二つはそっくりに見えて中身が全然違う。最初の-意味がないから死んでしまおうーは単なるナルシズムだが、下の部分-意味を問うーは世界の見方を変える可能性ー学びを孕んでいる。)


息子がまだ幼いころ、人間関係に悩み、自分自身がわからない。と立ちすくむ姿を見て、「俺にはああいうところはない」と首をかしげていたこともあったから、彼の哲学的な問題をどこまでも深く考えてしまう傾向は、夫というより、わたしに似たのだろう。

親として、自分の子供に生きる意味を問われるのは、かなりきつい状況だが、
(母としての答は、参考でしかない。それは彼が自分で解を見出さなければならない問題だからだ。)
息子にとって、社会的に大きな評価を受けていた父親の、仕事上の失望による死、という体験は強烈で、
どうしてもその辺は通らざるを得ない道なのかもしれない。

わたしは一人で孤独に考え4年かけて答えを出したが、彼はなぜか母に問う。
たぶん、わたしのなかで処理しきれていないものがあるからに違いない。

最近、自分自身について思うのが、とりたててこれが自分、といえるようなものがなくても
いいのかもしれないな。ということだ。

なにか特別なことをしていなくても、誰かに誇れるようなものがなくても、元気で幸せに毎日を生き、出会う人と生産的な何かを分かち合ってゆければ、それで人生の目的は達成されているのかもしれない。

シェアするためには場所が必要なので、絵を描いたり、仕事をしたり、文章を書いたりまあ、いろんなことをしているけど、目的は他者とある感覚を共有することにあり、なにかを達成するためではない。
だから成果自体は問題ではない。

その「ある感覚」というのは、説明するのが難しいのだが、共同作業によって一つの限界を超える。的な感覚だ。

たとえばすごく難しい現象があったとして、そこからなんとかしてより良い状況を創り出していこうとする。
そのときに、相手が悪い。というパターンから、全体の責任、システムの齟齬に前提をもどし、みんなでどうしたらより良くしていけるのかを考えようと設定をフラットにしてゆく。
大概理念ばかりが先行するだろうが、共有された理念というのは、案外強い拘束力がある。
9条なんて、その最たるものだ。
行きつ戻りつしながら、より良くなってゆけばいいのだと思う。
でも、どんな時も、最良を願う心が誰の中にもあることだけは、忘れてはいけない。

そのように働きかけて、心の深い部分に何かが届き、そのひとが肩書を忘れた一人の人間に立ち返ったときに、蘇る人の中にはそれが蘇り、実際に現実を変える力になる。ようなことが(規模はそれぞれだが)起こるーとわたしは信じている。

そのひとりのひとのなかに、なにかがヒットした感覚というのがとても好きだ。
相手の中のとても深いものと、自分の中のとても深いものが、握手する感じ。
国境を越えて、はるかな地平に到達する的な(壮大に言えば・笑)

先日、友人の陶芸作家eikoちゃんと、庭を見に行ったとき
「わたしは陶芸が好きだから、毎日毎日陶芸のことばかり考えているけど、もんもくちゃんは何を考えているの?」

と聞かれ、

そんな風に答えた。

アートと、スピリチュアルと、現実の社会的な活動と、過労死の問題に取り組むことには、一見なんの関連もなさそうだが、わたしにとってはすべて同じである。
目指しているのは、そこを通して関わる人の深いところと、心を込めて握手していきたい。ということ。

その瞬間、自他の境界はなくなり、より大きな世界へジャンプする。ようなことが起こる気がする。

わたしという人間はすべてが中途半端で、見ようによっては痛々しいだろうが、
なにものでもないからこそできることがある。

なにものでもないから、誰とでも話せるし、なにものでもないから、みんなでありうる。

それが、わたしにとって生きる、ということであり
そんなふうにしてこれからもずっと、夫との途切れた対話を続けていくのかもしれない。

時折、わたしは自分が夫の望むような完全な人間ではなかったことをひどく悲しく思うが、彼自身不完全であったからあんなふうに死んでいったのだし、不完全であったからこそ夫婦だったのだろう。

だから夫との対話は、自己の不完全性に対する、救済や許容あるいは解放ーのような意味合いを持っている。

岡倉天心は「茶の本」において
われわれは「不完全」に対する真摯な瞑想をつづけているものたちなのである

と自らを記述したが、お茶に限らず誰のやっていることも、結局はそういうものに行きあたるような気がする。

物事の限界において、自己が超越される。
有限が無限になり、善悪の果てに宇宙が立ち現れる。

そこに道が現れ、生命があふれる。

願わくば、共に歩む過程で、同じように息子の中にも道ができてゆきますように。
by terasumonnmoku | 2013-01-25 20:59 | 家族 | Comments(0)

憎しみの終り。

寒いですね!

こちらでは今日も雪が降っていました。

昨日、夫の勤めていた大学の工学部を代表して、部長さんがはじめて家にご挨拶に来てくださいました。

昨年末に事務手続きに伺った際、事務長さんから何か要望はないかとお尋ねがあったので、いままで、諸先生方には個人的に大変よくしていただいたが、大学(工学部)を代表したかたちのご挨拶が、一切なかった。

前部長さんには、こちらからコンタクトを取ってはじめて面会できたが、
事件からひと月以上たった時点の面談だったにもかかわらず、
事情をご存じなかったことが、納得できない。

謝罪してほしいわけではなく、
いままで一緒に働いた仲間として、大学(工学部)を代表して
餞の言葉のようなものがいただければ嬉しいし、
ひととして、わたしたちにはそれを要求する権利があるのではないかと思う。

もしそういう思いを感じることが出来れば、わたしたちも救われるし、遺族としてみなさんの発展を心から祈ることができる気持がします。

と申し上げたことがきっかけで、今回の運びになったのです。

部長さんは心のこもった丁寧な追悼の言葉を、夫の位牌に向かって読んでくださり、そのなかの

研究室で大学院に進学したすべての学生が、博士後期課程の道を歩んでいることは、先生が教育者として、またひととして学生に慕われていたなによりの証左だと思います。



永遠に先生を我々大学の仲間として忘れることのないよう、ここにお誓い申し上げます。

の「仲間」という部分に

号泣しました。

彼は知を愛し、科学することの喜びを学生さんに伝えることのできる稀有な才能のある人でした。
だから、単に教育賞をとったということだけではなく、そのことの意味まで言葉で掬い取っていただけたことに、感動しました。

研究上の業績はデーターとして残りますが、彼がなしてきた最大の業績は、かたちにならない。
それは生きているひとの中で、彼にかかわった皆さんが前に進むたびに、花として咲き続けるような種類のものなのでしょう。

わたしは、夫を研究者、教育者として大変尊敬し、誇りに思っていたし、
震災さえなければ、ほかにどんなことがあったとしても、どこででも
立派に評価され得る人だったと今でも信じています。

だからそんな彼が追い詰められ、自分の業績を否定しながら死んでいったことが、本当に悔しかった。

先生たちが帰られた後、堰を切ったように涙が流れ
わたしは、労災が下りた時以来ひさびさに、頭が痛くなるまで泣き続けました。

それはこのことがあって初めての、夾雑物のない、純粋な悲しみでできた涙だった気がします。

いままで、どれだけ怒っていたんだろうか。

怒りを手放さないと、思い切り泣くこともできないなんて、皮肉なものですね。

でも、もしかしたら大学(工学部)のほうにも一年という時間が必要だったのかもしれない。

工学部では独自の試みとして、今年から、夏休みを長くとれるように調整をしたのだそうです。

創造的な研究には時間が必要だから、とニュートンの主要な歴史的発見が、偶然手にした18か月の休暇の間に生まれたたことを引き合いにして、他の方を説得しました。と、部長さんがおっしゃっていました。

うれしかったです。

すこしでもみなさんが楽になり、よりよい環境で安心して研究ができるようになるといいなあと、心から思います。

そして夫の夢が、どうか皆さんの中で続いてゆきますように。

ところで、わたしはこの話を誰にでもしているのですが
昨年からよりにもよってわたしが佳境にいるときに、なぜかいつも連絡をくれることになっている元勤め先の保険会社の営業員さんにこの顛末をお話したところ、なんと一緒に泣いてくれました(笑)

彼女が連絡をくれるとき、わたしは大層機嫌が悪く
(なにしろマックス状態の時にばかりコンタクトがある人だったので・笑ーこれぞ学びなんだろうなあ)、
基本的に大体いい人なわたしが、彼女にだけは特別に厭なひとであったので
それでもなお、一緒に泣いてくれる気持ちがとてもうれしかった(^○^) 

ちなみに、過労死防止基本法の署名活動にも協力してもらっちゃっているのです。
なのでこれを読んでくださっている方の中にわたしに協力していただけるお気持ちのある方がいらっしゃいましたら、ぜひ、署名を集めてたくさんください!
どんなプレゼントをいただくより、ずっとうれしいです♪
by terasumonnmoku | 2013-01-17 21:29 | Comments(0)

新年

寒中お見舞い、申し上げます。

2013年。明けましたね!

みなさまはどんなお正月を過ごされましたか?
わたくしは、怒涛のごとく(とうもろこし企画の普通電車で)全国を旅しておりました。

いやあ、疲れた~

一番南?西?は宮崎まで。そこに至るのになぜか金沢や、新潟や山梨や長野を経由するという謎の行程でした。

1週間の旅の間、全4日は電車に乗っていたw( ̄o ̄)w

まだお尻が痛いです。

京都では、福島から避難している友人の祐子さんに会いました。

祐子さんはいま、避難中の家族(京都在住で総数が800人になるそう)が集うためのオープンスペースとして、「みんなのカフェ」を設立準備中。
彼女とは具体的に、たとえば東電や、政府に今後どう語りかけていくかなどについてディープに話し

立場は違っても、目指すところは一緒だね♪というところで、激しく意気投合☆彡

すごくすごくうれしかったです。

最近そういうのがとっても多い。
ネパールで会社を立ち上げ、現在奮闘中の友人とも
未来はこんなふうになるといいね。
それぞれの場所で愛のある世界を、できるところから着実に創って行きたいね。
と会うたびに話している。

やっていることは違っても
一人が全体のために、全体が一人のために、最高の調和をもって機能できる社会を目指す。
というところではみんな一緒で、いつもそこに感動します。

そういう仲間がこれからいっぱい増えていくといいなあ。
ああ。きっとそうなるんだろうなあ。

世界中のいろんなところで、同じ種類の夢や、希望や、興奮をシェアしていきたい。

それにしても、日本はいいところですね!
ダイヤの正確さといい、景色の美しさといい、なんともいえないものがあります。
安全だし。

でも乗り継ぎ時間があまりにもタイトで(2分っていうのもあった)、どっさり持ち込んだ食料もつき、ひもじくても調達できない時間が長かったのは辛かったです。

瀬戸内海で、巨大なかみさまの柱を見ました。
感動だったなあ。

日本のかみさま、今年は元気です。

今回のお正月は、九州に住むおばのところで過ごしました。

大家族の中で、わらわらとすごすお正月。ぶりと鶏肉と丸いお持ちの入ったお雑煮をたくさん食べて、甘え放題に甘えて、すっごく、あったかい。

とうもろこしは、小さな女の子たちから絶え間なく突撃を受け、うれしそう(笑)でした。

おじに、高千穂に連れて行っていただきました。

天岩戸神社。ほんとにきれいだった!
しかも、ぜったいここ、以前居たことがある(笑)

友達もいいけど、親戚もいいなあ~(*  ̄▽) 

年末に思ったのは、わたしの友達も親戚も家族も、みんなすごい。ということ(^○^) 

すなおになればなるほど、ひとはみんな美しくなるものなのかもしれないね。

2013年は、どんな一年になるんだろう。

個人的にも、なんだかすごいことになりそうです。


みなさまにとっても、この一年が、すばらしいものでありますように!

心からお祈りしております☆彡
by terasumonnmoku | 2013-01-08 22:35 | Comments(0)

真理セラピスト・らくがきすと・即興ピアニスト+社会活動家(過労自死遺族/東北希望の会代表)幼少時より、生と様々な死から多くのことを学んできました。11年のセラピスト経験があり、仕事ではいのちのすばらしさについての、エナジーーワーク的なセッションやワークをしています。頭を現実的に使いながらメルヘンな世界を実現させていきたい。社会問題、スピリチュアルな仕事や宇宙のこと、日常について書いています。


by terasumonnmoku