妹に待望の赤ちゃんが生まれ、息子と二人、さくさくと会いに行ってきました!

自分がおむつを替え、公園デビューし、「モモ」を読んで寝かしつけていた妹が産んだ赤ちゃんは、孫のよう(笑)

ただ寝ているだけでうれしい(*  ̄▽) 

赤ちゃんは偉大だ。

一人では生きていけない小さな存在が、あっという間にみんなを幸せにするのですから!

もしかして大人も、余計なことを考えなければ、そんなふうでいられるのかもしれません。

にこにこしているおばあさんを見るだけで、幸せな気分になるから。

しかし、このところ移動も多かったし、いろいろなことをしすぎてまたダウン。

先日は息子にご飯を出した直後に倒れ、着替えもせず、洗い物もせず、倒れたそのままの形で朝まで爆睡し(笑)

夢を見ました。

何日か前にドストエフスキーの「貧しき人びと」を読み、
これはまさにわたしの置かれている状況だわなどと思っていたのですが、

夢の中で、それを象徴するらしいドストエフスキー的風景に、突如神々しい光が射して、暗かった世界が、完全に切り変わってしまったのです。

ばばーん。

しかも、なんでそうなったのかを覚えていないw( ̄o ̄)w

ありがちだけど、すごく残念。

でもわかったのは事実なので、そのうちきっと説明できることでしょう(笑)

なんだろう。楽しみだなあ~

わたしたちにとって、彩雲のような甥っ子がうまれると同時に変容が起こり、
やっぱりアートはいいなあ。という気持ちがもりもりと湧いてきました。

どんなに元気のないときも、美しいものは摂取できる。

わたしは世界で一番絵のへたな画家なので、そんなコンプレックスからずっと人の絵を見るのが苦痛だったのですが、描くという行為そのものがいいかも、と思えてきた。

と同時に普通のものがきれいに見えるように(笑)

不思議。

そういうわけで、近ごろは盛んに街中のアートを見て歩いています。

とてもとても勉強になります。

コンプレックスって、ほんとに役に立たないのね。

しかし、とうもろこしに、「母さんはこれから本当に楽しく生きる」と宣言すると
「いままでだってそうだったじゃない」という、そっけない回答が返ってきました(T_T)
by terasumonnmoku | 2013-02-25 21:18 | Comments(0)

学び。

偲ぶ会で東京に行く前々日、わたしは息子に嘔吐下痢をうつされ、げろげろになっていたが、その真っ最中、友達から電話をもらった。

彼はわたしが崖をよじ上っていたり、戦闘モードで弁護士さんのところに行く途中など、間の悪いときばかりに電話をかけてくるひとなのだ。

大津スクール的に言うと、「学び」ですね。

けんもほろろに電話を切り(そんな状況で出るほうがどうかしている)、翌日お詫びのメールをしたら、

「お願いです。精神科に行ってお薬をもらってください。楽になります」という、返信が来た。

それで更に激高し、激怒メールを送ってしまった。

うーむ。

しかし、大変気持ちが悪い。

彼の人となりや世界観を考えると、ごく当たり前の内容なのだ。
それは単に、純粋な思いやりに満ちたメッセージで、通常ならその思いのほうを、受け取ることができるはずなのに、その時に限ってできなかった。

話の背景が手に取るようにわかる体質故に、人の問題を一々引き受けて傷つく必要が、わたしにはない。

今回に限って、これほど腹が立ったことに対して、考えられる原因は、一つ。

自分自身が「夫に自殺された妻は、苦しむのが当然だ。苦しむことが正しく、楽になってはいけない。」と思っている。ということ。
いわゆる罪悪感、というやつですね。あるだろうな。それは。

でも本当だろうか。

「苦しみ」という言葉に象徴されるような、確固とした塊が、自分の中に本当にあるんだろうか?
どこかで刷り込まれた、ステレオタイプな思い込みを、後生大事に抱えているだけではないか。

言葉は便利だが、その便利さに、逆に支配されてしまうことがあることを、忘れてはいけない。
問題をあいまいなまま規定し、枠組みを補強する作用があるのだ。

そこまで考えて反省し、ごめんね。メールを送った。

彼はとても気持の美しい人で、わたしの混乱に拘泥することなく、あっさり元気になってくれた。

(T_T)

が、宿題は残った。ずーん。

そんなこんなで「偲ぶ会」に出席し、再発防止委員会に臨んだ。

一周忌の時に夫の父に労災関係の資料をわたし、理解が得られ、今回は父にも再発防止という観点から意見を聞くことができた。

「管理責任」というのがそれで、わたしはそれをベースに資料を作り、両家の父に見てもらった。
(夫とわたしは幼馴染で、両家はもともと大変密な関係があった。夫の父は、息子の自死のショックで大きなダメージ受け、労災の相談どころではなかったが、ようやく最近元気になりつつある。)

だから今回の書類は、両家の総意であり、そういう形で意見を言うことができて本当にうれしい。

しかしサクッと書いてはあるが、権威に満ちた6人の男性を前に、一人アウェー感たっぷりに臨んだその場のわたしは大層情けなく、きっと傍で見ていたらおもしろいほどがガクガクしていたに違いない。

それにそういうことに向き合うのは、鏡を見ながら腹を裂き、自分の腫瘍を取り出すブラックジャック的行為でもあるらしく、前後一週間くらい、びっくりするほどいろんな感情が表出する。

涙がいろんなところから出るように感じるし、感情の出所によって、その濃度や成分が違うような気がする。

労災とか、委員会でこうなのだから、裁判とかになるともっと大変なんだろうなあ。

でも、おかげさまで回復は早い(に違いない。)
そんな重たい荷物を抱えたままで生きて行くのは、なかなかしんどそうだから。

自分を解放に導くのは、真理を希求する明晰な思考力だけだと思っている。
だから、今後も精神科に行くことも、薬を飲むこともしない。

でも、思いやりはありがたく受け取るし、自分なりの方法でちゃんと楽になるよ。

おしえてくれてありがとう。Y君。

それはものすごく貴重なプレゼントでした☆彡!!!!!!!!!!
by terasumonnmoku | 2013-02-24 13:05 | Comments(0)

再発防止委員会

T大学工学部で組織された「再発防止委員会」に呼んでいただき
今回のことがあってはじめて 、

夫の過労自死の直接の原因が、震災復興に伴う過重労働と、
大学において重要な意志決定を行う場に権力のみがあり、
管理責任が含まれていないというシステム上の問題が起こした
パワーハラスメントが重なったことによるものだ。

との遺族としての見解を伝えることができました。

労災認定がおりたことで、ようやくこういう機会が得られたこと。

そして、恐らく受け入れがたいであろう遺族としての見解を、申し上げられる場を設けていただいた、大学側の皆さんの度量の深さに、深く感謝しています。

今回のことですごく悩んだのは、どこまでが「普通のこと」で、どこから先が「人道上許しがたいこと」であるのか。ことの判断が、とても難しい。ということでした。

震災復興のために、無理に無理を重ねて研究室を研究再開可能にしたタイミングで、
そこでの研究存続の希望を絶つ。というのは、誰が考えてもやってはいけないことだったとは思いますが、

大学においてどんな研究を重要視し、どんな研究を切り捨ててゆくか、は、組織の存亡にかかわる重要な問題で、当然選ばれるものもあれば、そうでないものもある。

事の背景には、自大学出身で既存の伝統的な研究を行う研究者が重用され、
他大学出身で分野をまたがる野心的な研究を行う、学内よりも、対外的に評価の高い若手の研究者が、ひどい扱いをされる。
という保守的な風潮があり、恐らく夫の件も、それだったのだと思いますが、

例えそのことが大学全体の利益を損ない、ゆくゆくはその組織体の存亡に関わるようなことになったとしても、
それは組織自体の問題で、遺族として異を唱えることができるのかどうかがわからない。

夫に死ぬ自由があったように、大学にも死ぬ自由はあるのだと思うのです。
(これは個人的感情とは別の問題だし、その選択が全体性という観点からみて不調和であることに変わりありません)

もしそれを望ましくないと思うなら、組織の中の人が自分で、別の方向性をみつけてゆくしかない。

大事なものを守りたい。
失いたくない。

という原初的自己保存欲求に起因した、ある意味正当な感覚が、
自他を傷つけ、時に生命そのものを奪う現実を見るたび、慄然とします。

存在理由の基盤となるようなものを失った時、わたしたちはどう生きたらいいのか。
何によってひとは支えられるのか。

もしかしたらそれは、基盤でも何でもないのかもしれない。
という恐ろしい可能性を、忘れてはいけない。

生々流転する変化の中で、どんな夢を見て、誰と何を分かち合ったか。

わたしたちが死んで形を失ったあと、残された人や、本人の心の中に残るのは、地位や名誉や、財産では更になく、結局それだけのような気がする。

「難しい状況に陥った時、互いに厳しさを責めあうのではなく、あえて認め合い、支え合う<希望に満ちたつながり>を持とうとすることで、ひとははじめて生きる、という選択をすることができる。

そのようにして得られた生は、それまでのものとは違っているような気がします。

希望というつながりから得られた新しい生命が、
厳しい現実を別な形の発展に変える、母胎となるのではないかと思うのです。

わたしたちはこの希望をシェアし、すべての立場の皆さんとともに、よりよい未来に向かって歩んでいきたい。
そう願って今回この過労死遺族の会に<希望の会>という通称をつけました。」

会への支援をお願いする有力者の方への手紙に、わたしはこのような文章を書き

この日の再発防止委員会でも趣旨を説明して、賛同と協力をお願いして帰ってきました。

その翌々日の14日、河北新報に「希望の会」の記事が大きくのって、大変びっくりしました。

記者の方に取材依頼はしていたものの、準備段階のこのタイミングで記事が掲載されることは想定外で、
もう時期が来ているんだなあとの実感を、強く持ちました。
(このブログに会のことを書いていなかったのは、まだ設立していなかったからです)

時代の変わり目ですね。
みなさんにもいろいろなことが起こっていると思います。

できればそれぞれがそれぞれに自らの限界を超えて(こだわりを手放して)、周りの方と
「希望に満ちたつながり」を創っていっていただけたらいいなあ、と切に思います。

そのようにして、新しい未来がつくられていくのだと、わたしは信じているのです。
by terasumonnmoku | 2013-02-18 11:06 | 労災申請関連 | Comments(0)

偲ぶ会。

みなさま、お元気でお過ごしですか?

相変わらずわたしは、怒涛の毎日を過ごしています。

先週末は東京で、在アメリカ(UCSB)時代の留学仲間のみなさんが「偲ぶ会」を開いてくださり、息子、夫の両親とともに参加してきました。

子供たちの成長ぶりに驚きましたが、10数年の時を経てなお、このように夫の死を悼み、思い出を偲んで集まってくださることに、みなさんの彼への温かい思いを感じることができました。

ありがたいことです。

楽しい思い出のスライドショーに笑い、わたしたちの人生にとってもきらめくような時間を参加者のみなさまともに過ごせたことを改めて感謝しました。

とうもろこし自身はまったく記憶になく、あれがおれ?と不満そうに写真を眺めていましたが(笑)、
夫の両親にとっても、とてもとても大きな励みになったようです。

でもこうした皆様の温かいお気持ちに接するにつけ、本人が生きている間に、自分でそのプレゼントのような思いを受け取ることができていたら、ほんとうによかったのに。とも思うのです。

あの最期の亡くなり方で、これほど周りの方によくしてもらえる人もそうそういないでしょうし、それだけ本人が立派に、精一杯の人生を生きた、ということなのかもしれませんが、だからなおのこと、残念でなりません。

誰もが、手の中にある自分の価値や宝物に気づかず、簡単に自己を否定したり、他を羨むことによって、求める物を自ら拒絶する、というようなことをしているのでしょうね。

だから簡単に不幸になってしまう。

ほんとうは持ってるのに。

もったいないことはやめよう。
by terasumonnmoku | 2013-02-15 19:56 | Comments(0)

今夜の晩御飯は味がないよ(味噌汁's)

というRADWIMPSの詩がすごい
と感動する息子とうもろこし一号(14歳)に

「そういう時もあるよね。父さんが死んで三カ月くらいは、ごはんの味がしなかった」と正直に感想をいうと

「あの頃、母さん自分を押さえつけていたからね。むちゃくちゃ無理してたから。」
と答が返ってきた。

「とうもろこしを抱えて、どうしていいかわからなかったんだよ。
いまもどうしていいかわからないけど。」

「おれはお荷物だからね」

「荷物じゃないよ。もっと大事なものだよ」

「荷物でしょ」

「・・・・・うん。母として、君のことを何とかしないといけないと思っていた気がする。
でも、君には二本の立派な足が生えているからね。」

「足が生えてるって、なんだよ。やな言い方だなあ」

「その足で、自分の力で、、どこへでも立派に歩いて行けると思うことにした。」

「思うことにした?」(笑・見逃しません)

「いや、思うよ」(笑)

そして話題は、わたしがいかに勝手な人間か、ということに移り
「それはそうかもしれないが重要なポイントはちゃんと押さえているし、
勝手だからといって、人に嫌われたことはない。」
と演説すると(よくわからないけど、たぶん・笑)

「でも、ほっといてくれるのは、すごくいいよ」
と彼は言い、満足そうに家じゅうに広げたNゲージ(電車)の模型を発進させた。

そして、机を拭こうと彼のノートを持ち上げたら
今度は裏に大きく

「虫」

という字が書かれていた。
(その前までは、もっているすべてのノートの裏に「生きる意味」と書いてあったが、駆け込み寺の新宿ライブに参加したあたりから、虫、になった。本人によると、「虫は殺しても死なない気がするから」)

わかりやすい(笑)。

夫が亡くなって、一番気がかりだったのが息子のことだった。

それで大量に本(「ぼくの父さんは自殺した」「自殺で残された人のサポートガイド」「自殺って言えなかった」などと、グリーフケア関連)を読み、

ヒーリング、ネパール旅行など、本人に嫌がられながらも思いつく限りのことをやり、
実際にお会いすることができた、ありとあらゆる方に相談した。

具体的に参考になったのが、
ゴードン博士の提唱した、カウンセリングの技法を日常の人間関係に応用する「親業」の考え方と、

精神科医でノンフィクション作家の野田正彰さん
(喪の途上にてー大事故遺族の悲哀の研究ーで講談社ノンフィクション賞受賞)と、

日本駆け込み寺の玄秀盛代表にいただいた、貴重な言葉だった。

親業で、当初は団子のように縺れきっていた自分自身の葛藤と
息子の問題を、分けて整理する方法を学び、

野田先生にはPTSD(心的外傷後ストレス障害)は、存在しない。
とする考え方もあることを教わった。

本を読んだり、同じ立場の子供たちのことを知ってわたしが恐れたのは、
大きな精神的衝撃が、彼の将来にわたって影響を及ぼす可能性だった。

野田先生にお会いした時は夫の死から半年たっておらず、
とうもろこしにも抑鬱的な反応があり、

「楽しいという感覚がなくなってしまった」状態だったので
将来にわたって影響が残ったらほんとうにどうしよう。
という不安があったのだ。

でも、先生に突撃して事情を説明し、将来にわたって後遺症が残る可能性を伺い、
親としてどうあればいいのかを尋ねたところ、

「戦争被害者のような、もっとひどい状況の人でも、立ち直れる。
ひとには、自分で自分の傷を癒す、すばらしい回復力が備わっているんです。
だからそれが働くように、彼の混乱し、矛盾する気持ちを、そのまま、受けとめてあげてください。
それが、回復の大きな力になります。」

と、言われた。

(よく考えればこれはヒーリングの考え方そのものだが、ことが息子!の精神的な傷になるともう、居てもたってもいられなかったんだと思う。)

精神科医として東ヨーロッパや中国、ベトナムにおける戦争加害者、戦争被害者の精神病理学的研究をされている野田先生の言葉は、鋼のような強さを持っていた。

偶然だが玄代表も、基本的にはPTSDはない。という考え方だそうで
同じように突撃して「親としてどうしたらいいか?」と尋ねたところ

「大変やな。」とつぶやかれた後で

「息子の中には、三つくらいの自分がおるような感じやと思うわ。
それをな。息子は自分で整理せなあかん。
あんたは、黙ってみてるしかない。
でもな。全部終わったことや。これからや。
ゆるゆる、やっていったらええ。
いっぺん息子連れてきや。待ってるで」

という答えが返ってきた。

結局のところ、何一つ解決したわけではない。
でも、すごくうれしかった。

わたしの問いかけは、すごく重かったのに、玄代表はその重さをそのまま受け止めて、
返してくださったのだ。

そんなひとに会ったのは、初めてだった。
(問題がハード過ぎるせいか、この相談を持ちかけると、ほとんどの専門家の方が受け止めきれずに、のけ反りながら斜め下でキャッチする。まあ、感覚的に・笑)

後日とうもろこしに、玄代表の話をしたら、「いいねえ~」と言って、すごく喜んでいた♪

最近思うのが、わたしたちも、戦争で今まさに傷ついている人も、寒さに凍え、飢えて死にかけているような人も、その生きる世界は、見た目ほど違わないのではないか。

ということである。

わたしたちは、明日地雷を踏む可能性は薄いかもしれないが
心にはたくさんの地雷を抱えている。
だから夫のように、ある日突然死んでしまったりするんだろう。

同様、どんなに悲惨そうに見える戦地の人たちの毎日にも、あたたかい思いやりや、子供たちの笑顔ややさしさが、きっとある。
だから、どんなにひどい傷があっても、生きていくことができるんだろう。

それぞれの置かれた場所で、みんなよりよい明日を夢見たり、絶望したりしながら生きている。
そのことが、とてつもなく尊いように思う。

明日が来ても来なくても、夢を見ても絶望しても、いずれ一生懸命生きていることには違いない。

自分も含めた(笑)その一生懸命さに、泣けるのだ。

足がない人は車いすで、
生えている人はその立派な二本の足で
どこまでもみんなで一緒に、歩いて行けたらいいなあ。

冷静に考えると、こういう痛々しい日記をアップするのもどうかと思うが
それを抜きにして人とつながるということがもうできないので
読んでくれる人がいるうちは書きつづけようと、再度決意しました(笑)

そういう自分が、なんとなくおかしい(^○^) 

そしてそんなわたしに、あきらめず関わってくださる皆様に
深く深く感謝する、この頃なのでした。
by terasumonnmoku | 2013-02-04 14:23 | 家族 | Comments(4)

一周忌も無事終わりました(^○^) 

前回アップした「一周忌に寄せて」は、夫の両親のリクエストで、
法要の参考資料としてお寺にお渡ししたものです。

ご住職さんは読経の前にこの全文を読んでくださり
そのあとで、それまで聞いたことのないほど美しい響きのお経をあげてくださいました。
(義母も感動していたので、客観的にもすばらしかったようです・笑)

なんにせよ、故人のひととなりや、遺族としての思いをわかっていただくというのは、
大事なことなんだなあと改めて思いました。

今回はじめて婚家にも今まで作成した労災関係の資料や、
その後の展開に関する書類を渡すことができ、
互いに持ち合っていた感情的な軋轢も、ようやく少しずつほどけてきた気がします。

時の経過は、偉大ですね。

一つの出来事が起きて、各人の思いが衝突し
痛みがさらに増大してゆくとき

そのなかでそれぞれが、自分の人間性をどう回復していくかというのが、
重要な鍵になってくるんだろうなあ。
と、うまく言葉にはできませんが、そんなことを思います。

自分と同じ人間がすべてのかかわりの中で生きていることを、
わたしたちはなぜ、すぐに忘れてしまうのでしょう。

もしかしたら自分自身が笑ったり泣いたりする人間だということを、
どこかで忘れてしまっているからなのかもしれないね。

というわけで、とりあえず一つの山場を越えて、わたしは元気です。

盛大に嘔吐下痢になったとうもろこしも、一緒に山を越えたみたい。

相変わらず、とりとめもなくいろんなことをして、おもしろいひとに会ってます。

きのうは命日対策で助っ人に来てくれていた友人のかなちゃんとダンスパーティに行き、
30代の滅茶苦茶かっこいい韓国人の女の子と意気投合してきました(笑)

彼女は、日本人はなぜ輪になって踊るのか?としきりに不思議がり、
果敢に自分に近づいてくる男の子を、Shut up!JUST DANCING!!!と追い払い、
「若い子はエネルギーがあるだけで、つまんな~い!」と言い放ちます(笑)

胸の中のもやもやしたものが、すっきり(^○^)

タヒチ生まれの男の子や、ムスリムのひととカンナムスタイルを踊って
家に帰ってとうもろこしと、復習しました。

とうもろこしの「江南スタイル」はかわいい(親ばかです・笑)

節分なので、豆まきもしました。

うちではダーリンがいつも鬼役で、彼が豆に追いやられて、ベランダで悄然と項垂れたりするのが大好きで
2人だけでは絶対やりたくなかったけど、豆まきは重要な行事だったので

かなちゃんに一緒にやってねと訴えると
彼女は喜んで、少し可哀想な鬼になってくれました。

ありがとう。かなちゃん。

「ひさびさに大騒ぎして楽しかった」と、とうもろこしが言っていたよ(T_T)

そんなふうにみんなで、どんどん楽しくなる毎日を生きていきましょう☆彡
by terasumonnmoku | 2013-02-03 13:26 | Comments(0)

生きる意味が見つからないなら、自分で創って育てちゃおう!というブログです。やっていることはさまざまですが、常に生きることに向かっています。

by terasumonnmoku
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