運命

アクセス解析で、2011年10月の「たいせつな毎日」という日記を読んでくれた人がいたことに驚き、久々に、その日記を読んでみた。

自分でいうのもなんだけど、愛があるなあ。
実に愛がある。(ほかの人がどう思うかは知らないけど・笑)

夫の自死によって、妻として、人としての存在理由を全力で否定されたように感じ、
自分を失ったような期間が長かったが、
最近、ようやく、いろいろなことが理解できるようになってきた。

これも、わたしに関わり、出会ってくださった皆さんのおかげだと感謝しています。

一番しんどかったのは、お盆の前後に浮き彫りになった婚家との関係で
夫の件を公表することを反対されたり、自死がらみではよくあるように
互いに責任を押し付けて、傷つけあったり、
それでも夫の希望を考えれば、忘れ形見である息子を
ご両親に会わせるべきじゃないだろうか、
という内に秘めた葛藤が表面化して

そこに希望の会の方向性をめぐるトラブルが重なったことが
ほんとにきつかった。

よく切り抜けたなあ、としみじみ思う。えらい。

結局、婚家との一連の騒動を傍で見ていた息子の希望で
今回のお盆は、おじいちゃん、おばあちゃんには会わない。
ということになったが、それはそれで心苦しい。

で、夫のお母さんに綿々と心情を綴ったメールを書いて、送信前に読み返しているとき、
何をどう書いても、今の段階で気持ちが伝わることはなく
彼女にとってはそういうことはすべて(わたしが自分の罪悪感を軽くしたいがための)
エゴの押し付けに過ぎないと気付き、出すのをやめた。

後日、婚家との一連のトラブルを、藍の会(自死遺族の会)代表の田中さんに話したところ
「いいじゃないの。お父さんがそれだけ言えるってことは、元気だ、ってことなのよ。よかったじゃない」
と、あっさり言われてしまった(笑)確かに(^○^) 

結局、夫が自死したのはわたしのせいだ。といわれてきつかったのは、
わたし自身がそう思っていたからなんだと思う。

そう思うことに耐えられなくて、なぜ止められなかった、と、夫の両親を恨んだりしていたんだと思う。
両親もきっとそうで、わたしのせいにしなければ、生きていくことができなかったのだ。

そんな葛藤の渦中で、「夫はわたしと一緒にいて、よかったんだろうか」
と鬱々と自分を責めはじめた時だった。
胸の奥で、しかも電光石火で、夫の声が響いた。

「一緒にいて、よかったよ」

その声は疑問の余地がないほど決然としており、その時相当に凹み淀んでいたわたしには、頭に来るほど神々しく、光り輝いていた。

その時の自分のむかつき方を考えると、もしかしたら、わたしはもうすこし、
うっとりと落ち込んでいたかったんじゃないだろうか、とさえ思えるくらい。

よかったのか。

それから、尊敬する前述の田中さんに、過労死防止基本法の意見書の件で
市議の佐藤わかこさんを紹介していただき、息子さんの自死直後、
ショックのあまり朦朧としてしまった田中さんが、
わかこさんのサポートを受けて藍の会を立ち上げ、徐々に力を付けて独立し、
遺族としては初めて政府の自殺防止政策審議委員会入りをするまでの
一連の物語を伺うチャンスを頂いた。

(自分の迷走する過去のことを知る人に、遺族の後輩であるわたしを紹介してくれるなんて、田中さんはほんとうにすごいとおもう。このとき聞いた話は、まるで映画の様にかっこいい大人の物語なのだが、残念ながらここでは割愛する。)

そんなことがあって、改めて夫と彼のお母さん、
そして自分の最大の「悔い」のことを考えた。

最期に、ご両親と一緒に東京に行かせてしまったことを、わたしはずっと後悔していたのだ。
行かせなければ、思いとどまってくれたかも。と考えずにはいられなくて、苦しかった。
当初は息子と三人で東京の両親のもとに行こうと言っていたのに
それができなくなったのは、精神的混乱のさなか、夫の両親の到着とともに
彼の攻撃性が、一気にわたしに向いたからだった。

(こういうことはよくあって、だからわたしには宇多田ヒカル父の気持ちがよくわかる。)

傷つけられても行ってほしくはなく、彼が生き続けるためにできることは、なんでもしたかった。
もし彼が、どうしても死ななければならないなら、ここで、わたしの目の前で死なせてあげたかった。
にもかかわらずなぜ引き止めなかったかというと(そんな状況ではなかったが、それとは別に)ひよっとしたら、お母さんなら、夫を救うことができるかもしれない。と思ったからだ。

それは自分ではなく、夫のための決断だった。

あれは、ご両親に対し、いい子を演じ続けてきた彼が、人生で初めてふたりに自分をさらけ出し、思い切り甘えられる、最後のチャンスだった。
だから、最後になにも言わず、彼を東京に旅立たせてあげられたことは、
わたしが彼、および彼のご家族にできた、最期にして最大のプレゼントのようなものだったかもしれない。

それは、少なくともわたしにとっては、失敗でも無念な心残りでもなく、
ほんとうの愛だった。
そういうことができた自分を、今、わたしは心から誇りに思う。

同時にご両親も、田中さんのように、自分の息子を全力で支えようとしたはずで、
それでも加速した流れをとめることはできなかったのだ。
(田中さんに会っていなければ、ここまではとても思えなかっただろう。人との出会いは、ほんとうに貴重でありがたい。)

でも、死に際の強烈な惑乱状態の彼に接した婚家のみなさまが、わたしについてなにをどのように考えようと、仕方がないと思うし、それについて、どうすることもできない。時間が必要なのかもしれないし、時間をかけてもどうしようもないかもしれない。

人生には、そういうこともある。

いろいろなことが理解できるようになり、わたしはずいぶん楽になった。

夫の件を公表することに対しても同様だ。
これは、すべてのひとの未来のために絶対必要なことだと思うので、
夫の両親にどんなに非難されても、そのことで2人がどれほど傷付いたとしても、
わたしはやり続ける。

みんなが同時にハッピーになれば最高だけど、それがどうしても望めないときがある。
大切なのは、自分がなにをもっとも重要に思い、どう行動するかで
要は、わかってほしい。受け入れてほしい。という依存や期待や押しつけから
どこまで自分を解放できるか。ということだ。

ほとんどの苦しみは、単に個の自立の問題に起因する。

世間や他人に価値の尺度を置くのではなく
自分の頭で考え、自分の足で動き
自分にとってなにが一番大切かということを認識し、
自らを定めることができて初めて、
リスクを引き受けることができるようになり、行動が楽になる。

希望の会の方向性についても問題は同じで、
自分が最も大事に考えることと、他からの要求が対立状態にあるときは
要求されることができなくても仕方ない。とあきらめるようになった。
誰に何を言われても、しょうがない。
全体の利益のために、最大限自分が必要だと思うことをやるしかない。

いろいろなことに焦点があってきた結果、
夫の自死そのものについても考えられるようになってきた。

夫は、大林宣彦監督の「ふたり」という映画が、異常に好きで、
22年間の結婚生活で、同じ映画を5,6回以上は見せられた。

それは高校生の、できのいい姉が事故死し、幽霊として出来の悪い妹を守り、
妹は精神的に壊れてしまった母と、浮気に走る父との三人家族を支えつつ、成長する。
妹が充分成長した時、姉の幽霊は消える。という物語だ。

ひとが好きなものについて、なぜそれが好きなのか割とスムーズに説明できるわたしが
夫の「ふたり」については、全然わからなかった。

そして何年か前、最後にふたりでそのDVDを見ていた時
突然、わたしは、号泣した。

なんで自分が泣いているのか、まったく理解できないまま
でも悲しくて、苦しくて、ものすごく長い間、わたしは泣いて泣いて、泣き続けた。
このことが、すごく不思議で、忘れられずにいたのだ。

今にして思うと、表面意識とは全く違うところで
ほんとうは知っていたのだ。
二人が魂の学びのために、こういう経緯を予定して生まれ、
ずっと一緒に生きてきたということを。

わかっていたら、とても耐えられないから、知らずにいたのだ。
(ただ、運命は途中でいくらでも変えられるし、今回の場合も、決まっていたのはアウトラインだけで、実際死ぬことまでは決まっていなかったと思う。観念的な死と再生ですむ可能性は、常にあった。特に震災がなければ。)

いろいろなアクシデントの重なる中を、
彼はわたしにバトンを渡すため、自分の人生を精一杯生き切った。

だからわたしは、そのバトンを、死ぬまで絶対に離さない。
力いっぱい幸せに生きて、次に続く誰かに渡すまで。
by terasumonnmoku | 2013-09-24 09:35 | 家族 | Comments(2)

「自死遺族の想いを伝えるパネル展」に行ってから、どうもチャンネルが切り替わったらしく、ハードな状況に動揺しなくなりました。

いままでは、一度それを認めて「ああ!」と思ってから、本質は常に輝いている~的アファメーションを自分にかけて、渾身の力で立ち上がる。ということをしていた気がするのですが、どうも、なくなったみたい。

ひとが、どんな心理的・エネルギー状況にあろうと
状況自体が重要なわけではない。ということが、ようやく腑に落ちたのかな。

どうでもいいことなのかもしれませんが、人の苦しみを見るたびに物理的に自分が苦しむということを長年続けてきたわたしにとっては、画期的です。

ロスが少なくなったので、更に行動が早くなった。
最近とみに、相談的なことが増えているので、ほんとによかったです。

スピリチュアルな世界では、次元上昇とか、フォトンエネルギーとか、いろいろなことがいわれていて、それは科学的には全く根拠のないことなのかもしれないけど

実際にいろいろな方の相談を聞いていると、2,3日という割と短い時間内に怒涛のごとくアクセスが集中する時期があり、どう考えても、宇宙のリズムというか、人間の精神に影響を及ぼしているなにか、の存在を感じずにはいられない。

女性は月のサイクルで、情緒不安定になったり、体調が変化したりするけど、
女性に限らず、そういうことはあると思う。

いずれにせよ、自らの課題に向き合わない限り、同じ問題が繰り返し襲ってくることになるようなので
ここは、頑張りどきなのだと思います。

その問題があらわになり、解放に向かいはじめた時が、一番つらい。

だけど、課題は課題にすぎなくて、それは必ずクリアできます。

わたしたちには、そのための装備が、十分備わっているのです。

あきらめずに進んでいこうね。

全然進まないように見えても、みんなちゃんとわかっていて、
間違いなく自分の選んだ道を一生懸命歩いているのです。

自分にとっての自分は、信じるに足る存在です。

信じるに足る存在であるあなたを、愛している人がたくさんいます。

あなたはひとりではない。

自分を閉じ込め、追い詰め、孤独にすることができるのは自分だけです。

逆に言うと、自分を解放し、自分を信頼し、他者を受け入れることができるのも、自分だけです。

あなたの世界を作っているのは、あなたです。

あなたには、孤独や絶望より、愛や、希望や、あたたかい信頼の行き来や、本質に従ったやりがいのある仕事や、小さくても深い、日常的なよろこびのほうがずっとふさわしい。

ところで、本人のためにならないということで、大津先生から依存されることを避けるようにとのお達しを受けたので、同じ先生に学んでいる方に対しては、どうしても必要な場合を除き、コメントは最低限のとどめることにしました。

もうみんな、自分で学んだことを使う時期に来ているのだと思います。

だいじょうぶ。できるよ。

わたしはみんなと一緒に、新しい世界を創って行きたい。
そこでたくさん、喜びを分かち合いたい。
そういうつながりを、これからどんどん創って行きたいと、思っています。

どんなに周りが最低に見えても、それはすべてではありません。
動き続けよう。

はてしない未来へ。
by terasumonnmoku | 2013-09-22 09:15 | Comments(0)

先日、1年8か月生き延びた記念で、RADWIMPSの、
コンサートに行ってきました。

息子にとって、RADWIMPSは特別なバンドです。
とうもろこしは、父親が亡くなった直後から、
ずっと彼らの音楽に支えられてきたのです。

特によく歌っていた「有心論」の歌詞はこんな感じ。

「2秒前の自殺志願者を 君は永久幸福論者に変えてくれた
そんな君はもう いない いない いない いないけど

この心臓に君がいるんだよ 全身に向け脈を打つんだよ
今日も生きて 今日も生きて そしていまのままでいてと

白血球 、赤血球、その他もろもろの愛を送る」

何日も何日も続いた眠りの訪れない長い夜を、
iPodから流れるこの曲を絶叫しながら彼が過ごしていたようすを、
つい昨日のことのように思い出します。
(本人は記憶がないらしい。よほどきつかったんだろうな。)

「母さん。この曲(有心論)聞かせてあげたら、父さんは死なずにすんだかな。」
と聞かれ、答えられなかった。

去年の夏、ギターを始めた後は、毎日毎日「おしゃかしゃま」ばかり弾いていました。
ひどい熱中ぶりで、休みの日は10時間。

音楽があってほんとに良かった。

コンサートはいろいろな意味ですごかったです。

4時開演なのに(本人の希望で)朝10時・朝一番ーのバスに乗り、
そこから結局午後3時まで、豪雨の中で並んでいた。
会場があまりに広くて、人があまりにも多くて、全然会場にたどりつかないのです。

そして開演してみると、2万2千人もいるとはとても思えないようなまとまりぶりで、
ひたすらメンバーが音楽を楽しんでいて
聴いている人ののりが静かで、ちょっとびっくり。
(お客さんはほとんどが20,30代前半って感じかな。男女半々くらいなのが意外でした。)

「今を生きている俺たちが人間の代表で
俺たちがこの世界を創っているから

いろいろなことがこれからもあるとおもうけど

みんなであきらめず、幸せな世界を創って行こう。
そういうやつらを、俺はDADAっ子と呼ぶ」

ボーカルの野田洋次郎さんが静かな口調でそういうと、
みんな、おー!でもYEAR!でもなく、
ただ、しーんとしており、
「DADA」という曲が始まって初めて盛り上がったり。

それにしてもわたしは生というか写真でもあんまりよくこの
野田さんを見たことがなかったのですが
野田さん、たぶん街中で会っても、わからないと思う。

メディアにあまり出ないからそうなのか
どうなのかよくわからないけど
ある種の人には「神」とされるこの人が
すごく普通に見えるのが不思議でした。

そこで際立っているのは音楽で、歌っている本人ではない。
というのが、とても珍しかった。

音楽って、本来そういうものなんだろうけど
違う場合が多い気がする。

それにしても、わたし自身は音楽で人生が変わった。という経験がないので
とうもろこしが、じゃっかん羨ましかったりします。

特に邦楽は、ことばに乗っているエネルギーを感じるのがしんどくて、
高校くらいから、全然聞けなくなってしまった。

RADWIMPSにも、なかなかえぐい詩の曲があり(腸でなわとびとか!)、
最初聴いたときは少しきつかったけど、
最近、ものすごくきれいに聞こえるようになりました。

重かったのは音楽ではなく、わたしの心だった(笑)
by terasumonnmoku | 2013-09-20 21:05 | 家族 | Comments(0)

「自死遺族の想いを伝えるパネル展」をみるために、盛岡に行ってきました。

行くにあたって、主催者の方と直接連絡を取り、
だいぶ前から日程を決めていたはずなのに、
出かける当日の朝、突然身体に力が入らなくなりました。

全然動かないのです。

それで無理やり服を着て、意志の力で体を引きずるようにして、
なにかとても<どろん>としたものを頭にのっけたまま、新幹線に乗りました。

普段頭がバチバチしたときは、休むか、セルフヒーリングすると楽になるのに、
そのときばかりは全く効きません。

鏡を見ると、自分の顔つきもにごっています。

なんでだろう。と
いろいろ考えた結果、どうも、「自死」という現実に
直面するのが、きつかったらしい。

内に秘められたものが、その時になって、
どっと出てきたのかもしれない。

盛岡の駅まで迎えに来てくれた友人のかなちゃんに

「わたし、すごく行くのが嫌みたい。なんか出てきちゃったし。」というと、

そうなんじゃないかと思った。
他にいろいろ予定を入れなくて、よかったね♪と言ってくれました。

「こういうのって、突き抜けるしかないのかなあ」
往生際悪く、わたしがぶちぶち、ぶちぶち繰り返しても、

相手にならず、ただ笑っています。

それで二人で、あまちゃんで一躍有名になった
クルミの香りのする「まめぶ」を食べて景気づけして、
ゆっくりゆっくり会場の岩手県民会館まで歩いて行って、

入口正面に飾られた、どこかの銀行のCMに出てきそうな、
さわやかな女の子の大きなパネルの写真を見た瞬間、

一瞬にして、頭に乗っかっていた<どろり>としたものが、
消えてなくなるのを感じました。

それは、どこにでもいる、というより、
誰もが好きになってしまうような、まだ20代そこそこの女の子の写真でした。
満面の笑顔で、友達とジャンプしている写真。

普通の、というより、街中で見るより、ずっと清冽で、
美しい人たちの明るい笑顔が、そこには並んでいました。

家族に愛され、家族を愛し、一生懸命生きてきた人の写真です。

ああ。そうだったんだ。
なにがわかったのかわからないけど、
心の中で別のスイッチが入った気がした。

写真の隣のキャンプションには、
それぞれの皆さんの死に至る過程が、
注意深く、簡潔に記されていました。

不正経理を断って、半年間に9回の転勤。
過重労働。
パワハラ。いじめ。

でも、あくまで写真はおだやかで、しあわせそうな家族の日常なのです。

「自死した人は、特別に暗かった人でも、弱い人でもない。
みんなと同じような普通の人間なんだということをわかってもらうためには、
写真がきれいじゃないといけないんだよ。」
と、主催の大阪「働く者のメンタルヘルス相談室」伊福さんが教えてくださいました。

パネルをきれいに作るために、何度も何度も焼き直し、作り直すのだそうです。
想いのこもった写真は、悲しいキャンプションを跳ね返すように、
きらきらと光っていました。

なんとこのパネル展で、たまたま仙台から訪れていた藍の会
(自死遺族の会代表)の田中さんにお会いし
びっくりしたのですが
田中さんによると、自死遺族が直接かかわっていない同種の企画は、
「まるで遺影展示会」とのことでした。
実際、来る前に自分が想像していたのも、そんな感じだったかもしれません。

わたしたち遺族にとって、亡くなった家族は、唯一無二の大切な存在です。
死に方がどうでも、全然関係がないのです。
そういう思いが、切々と伝わってくる、
それはとても美しい写真展でした(T_T)

「帰りたいね」
写真展が終わった後、田中さんと家族みんなが揃っていた「時」を
しみじみと懐かしみながら
かなちゃんが連れて行ってくれた、
ロッジ風の古い喫茶店で「あずきパフェ」を食べました。
(正確に言うと、かなちゃんと田中さんがあずきで、
わたしはチョコレートパフェだったのですが、どうでもいいですね・笑)


昔風のそのパフェは、切なく甘く、どこかとても透き通った味がしました。

ソフトクリームと氷の違いはあるけど
宮澤賢治が、亡くなる前に妹トシに食べさせたかき氷も、
もしかしたらこんな味がしたのかもしれない。
by terasumonnmoku | 2013-09-12 21:53 | Comments(2)

東京オリンピック!

みなさま、おはようございます!

なんと、オリンピックが東京に決まってしまいましたw( ̄o ̄)w

というわけで、わたしは、世界の楽観性に、打ち震えています(笑)

福島の現状は、ネイチャーで指摘されるほど危ういのに、オリンピック。
IOCや日本政府のみなさん、ご自分が何を選択されたのか、
わかっていらっしゃるのでしょうか。
わかってないんじゃないかなあ~。

これはもう、人智を超えた何かが働いたとしか思えない。

先日、なぜか突然スイッチが入り、とうもろこしの家庭教師の先生に

「嫌なことには想像がつくけど、いいことには想像がつかない。
だから一見状況がどんなに悲惨そうに見えても、

突然すべてのピースがそろって、
ものごとが劇的に良くなる瞬間が、あるんだと思う!」

というような内容の演説をしていて、
自分で自分の言うことに甚く感心してしまったのですが
(笑・そういうことがよくある)

これもそうかもしれない。

問題は山積しているし、未来はすぐには見えなくて
どこに走ればいいのかもわからない。

でも、だからこそ、どんな状況においても、
自分の速度で自分の距離感で、
より良い明日に向かっていくことは、できるし

それが無限のつらなりの中で、
重要なピースになっていく、ようなことがおこるんだ☆彡

いつか<<<<<<<<<<<<<<

なんてことを改めて思いました。

ここ何日かで、また空気感がずいぶん違ってきたような気がするなあ。

とうもろこしも風邪ですが、体調を崩している方も多いのではないでしょうか。

いらないものを、みんなで一斉に放出しているのかもしれないね。

どうかどうか、ご自愛ください。
みなさんおひとりおひとりが、ほんとうに大切な存在なのですから。

というわけで、わたしも結構よろよろ生きてます(笑)

最近、ものすごくいろいろな出会いがあり
日によって、会う人の性別も、年代も、社会階層も、話す話題も違うので
たまに、頭が爆発しそう(笑)

頭の周りに雲をかぶったように、考えたことや詰め込んだ知識が、
秩序を獲得する前の状態で漂っている感じ。

夫がよくそんな感じで歩いていたことを、懐かしく思い出します。

大変だったろうな。

自分にできることがあるのが、ほんとうにありがたいです。

しかし、激動ですね。
個人的にも、この先暇になることは、もうない気がする。

昨日はその三日前に出逢った方と、
蔵王にジャガイモ掘り(!)に行く予定だったのですが
雨で流れて、ちょっとほっとしました。

やりたいことはたくさんあるけど、肉体があると限界があります。

限界をその時々で設定しているからこそ
おもしろいのかな。


ところで、わたしの関わっている過労死東北希望の会では、現在署名活動のほかに、

1.地方自治体への「過労死防止基本法の制定を求める意見書の採択」の要請と、

2.基本法制定を目指す議員連盟に、参加していただけるよう、議員さんに対する働きかけを行っています。

もし、このブログを見ていただいている中で

1.については、仙台、登米、多賀城以外の東北六県の市・町議会議員さんに有力なコネをお持ちの方

2.については、東北に限らず、このひとはわたしのいうことなら聞いてくれるわ!というような国会議員さん(できれば自民党で、当選回数の多い方)への有力な(しつこい・笑)コネをお持ちの方がいらっしゃいましたら、
   
ぜひ、karousitouhoku@gmail.com まで、ご連絡ください m(__)m
みなさまのご協力を、切に求めています!
by terasumonnmoku | 2013-09-09 10:24 | Comments(0)

「あまちゃん」(と「半沢直樹」)にはまっている。

震災後、アキが岩手に帰る回を、泣きながら見た(笑・いつものように)

帰るのも残るのも、行くのも苦しい。
というようなセリフを聞いて、

それぞれの思いを想像しているうちに、
去年、福島から子供を連れて、遠い地に避難している友人に会い、
「地元に残っている人びとに対する複雑な思い」
を聞いた時のことを思い出した。

彼女は避難しているママたちのグループを組織していて、
いろいろな場面で自らの現状や、実際の被害がどれだけひどいかについて
オフィシャルにアピールする必要があるのに
残った人の思いを知るにつれ、福島がいかに危険か。
という話を、強い調子ですることができなくなった。
これから自分はなにを発信していけばいいんだろう。
と、悩んでいたのだ。

「福島の人は、原発事故という人為的な原因で、
昔から受け継がれてきた土地で、連綿と育んでいた文化や生活や、
こどもを安心して育てることのできる安全な環境を、根こそぎ奪われた。

それは人が生きていくために最も大切なもので、
決して失われてはいけないものだったんだ。
っていうことなら、言えるんじゃない?」というようなことをわたしは言い

その最も大事なものを守るためには、
環境に負荷の少ない効率的なエネルギー循環とか、
誰もが安心して働き、子どもを育て、生きていくことのできる仕組み作りを、
みんなで考えてく必要がある。

個人のできることは少ないけど、お互い、自分のいる場所で、一生懸命やっていこうね。
と盛り上がって別れたが

後日、彼女がアメリカの大学で「持続可能な社会」についての講演を行ったことを知って、
涙が出るほどうれしくなってしまった。

一つの講演や、一つの新聞記事、自分が落ちているごみを一個拾ったくらいのことで、
世の中が変わると思うほどおめでたくはないが、
それでも、できることをやっていくしかない。

それで、いいんだと思う。

ものごとは、小さなピースの無限のつらなりの中で、できている。
すべてが、関連し合っているのだ。

だがしかし、それなのに、あきらかに本人に不利になるようなことを、
なぜひとは度々選択するのか。
ということを、兼ねて大変不思議に思っていたのだが
最近、疑問が解決した。

それは「利害」や「損得勘定」というもので、
そのひとが、小さい集団における、射程距離の短い、短期的な利益しか見てない場合、
どうやらそういうことが起こるらしいのだ。

人間関係や、社会全体の流れというのは、
ダイレクトに対象との関係だけで測るものではなく、
どちらかというとビリヤードのように、
一つの動きが、また別の動きを呼ぶ。というのに近いのに

多くの人が、次の球のことしか考えていないようなのだ。

たとえば、福島がいつどうなるか全然分かっていないのに
大真面目でオリンピックを誘致しようとするような。

どう考えても東京がオリンピック開催地に選ばれる気はしないが
(選ばれたら選んだ人達の楽天性にわたしは感動する)
そういうことは、政治に限らず、どこにでもある。

この、みんなにはごく当たり前であるらしい、損得、利害などの概念は
境目のないエネルギー的世界の住人であるわたしには、実は全然理解できない。

一つ一つ積み上げて、たくさん考え、ようやくいろんなことが腑に落ちるようになっただけで
自分や家族のことを、さして特別に、利益を守らなくっちゃ、
とかは思ったことはなかった気がする。
なぜなら、人が苦しいと、その人と同様か、それ以上に自分も苦しいから。
(だいぶ修業が進んだので、もうだいじょうぶ)

そういう人と結婚して、何十年も一緒にいてくれた夫は、大変だったろうなあ。

以前、「恵まれない人に愛の手を」運動の一環として、
目にするすべての募金箱に僅かでも、必ずお金を入れる。
ということを思いつき
喜々として、それをやっていた時、

横で見ていた夫が、いかにも不本意そうに、

「そうじゃないだろう。恵まれない夫と息子に愛の手を、だろう。」

と、当時まだ小さかったとうもろこしと語り合っていたのを
懐かしく思い出した。

一緒にいてくれて、ほんとにありがとうです。
by terasumonnmoku | 2013-09-06 10:00 | Comments(2)

篳篥(ひちりき)

かねてより仕込中の、友人かなちゃんのひちりき(篳篥)と、ピアノの音楽ユニット
11steps ー、おかげさまで先月8月25日に、ようやくデビューしました。

なぜ11stepsか、というと、わたしたちは二人とも、
あの震災で人生が大きく変わってしまったから。
かなちゃんは故郷、宮古にある実家を流され、ご両親はいまだ避難所暮らしなのです。

ユニット名は、邦楽とクラッシク音楽を融合させた、
大好きな武満徹さんの歴史的な作品、November Steps に、勝手にちなんでいます。

この音楽空間を一緒に体験してくださるみなさんとともに
失われた命や、大切な記憶に祈りを捧げ、そこに光を灯して、
どこまでも一緒に生きていく。ようなことがしていきたい。

そういう意味で、形は違えど音楽活動も、希望の会も、わたしにとっての主旨は同じで
たぶんかなちゃんも、そう思ってくれていると思う。

篳篥は不安定で、調整の難しい楽器なのですが、
デビューコンサートはお客さんがほとんど身内だったこともあって
かなちゃんは何かが降臨したようにできがよく、感動しました。

演奏が終わった後、「かなさんの篳篥の音は、エゴのない、
ほんとうに純粋な感じがしますね。」といってくださった方がいて
そこを一番伝えたかったわたしとしては、まるで我がことのようにうれしかったです(T_T)

(楽器はみんなそうだけど、篳篥は特に、
それを吹いている人の思いがダイレクトに出る気がします。
音の神様に仕える、というようなかなちゃんの音色は、
めったに聞くことのできない種類のものだと思っています。)

後日、縁あって麻を祭る青麻神社という場所でも演奏させていただいたのですが
そちらはアウェイでもあり、短い時間の中で
どう音程を調整していくかなどの課題も残ったけど、
こればかりは場数を踏むしか手がないので、(主にかなちゃんが・笑)がんばります。

(はじめていった青麻神社はとてもすてきなところで、
神殿で、かみさまに会いました(^○^) 
ご本人いわく、豊受大神という方だそうで、
あとで調べたらトヨウケビメという伊勢神宮にも関わりのある豊饒のかみさまでした。)

前述のミンジェルパールちゃんに、第一回目のすばらしい感想をいただいたので
宣伝を兼ねて、以下に転載します!

<ひちりき>~~~~~~~☆彡

25日の日曜に 篳篥奏者の加奈ちゃんと電子ピアノの珠ちゃんが
アトリエ ハモンにてデビューしました。

篳篥は空間を浄化する・・・


おふたりが音を奏ではじめると空気がさわさわ〜と変わってきました。
1曲目が終わると私は 「凄いね〜凄いね〜」と呟いていました。


曲が進むにつれてその場にいた人たちが
それぞれ色々な体験をし始めました。

純粋な心の加奈ちゃんの篳篥の音色
加奈ちゃんに対する珠ちゃんの愛の音色

ただただ キラキラキラキラ〜としていました

聞きにきた人たちも感動してその日は終わりました。

次の日 朝目が覚めたら 私は心の中で
「もうウソはつきません。
  人が良くなることだけ願います。」

と無意識に何回も何回も言っているのです。

涙流しながら、ずっとずっと心の中で言っていたのです。

加奈ちゃんの篳篥と珠ちゃんのピアノは
空間という外側だけではなく、そこにあるもの全部を浄化したのでした!

その後 私はなぜか創造主のことを思っていました。
ハートの真ん中がせつなくて創造主のことしか思えません。

水曜はネパールの友人からメッセージが届きました。
Happy birthday KRISHNA !!!

クリシュナ神の聖誕祭の日でした。

二日の火曜は青麻神社で2時から篳篥とピアノの演奏がありますよ〜 


*ミンジェルパールちゃん、私たちにチャンスと素敵なレビューをありがとう!!
そして聞いてくださったみなさん!ほんとにありがとうございました\(^o^)/
未熟なわたしたちですけれども、よかったら、
これからも、どうぞよろしくお願いします m(__)m
by terasumonnmoku | 2013-09-05 16:56 | Comments(2)