2013年の終りに

怒涛のごとく、一年が暮れていきます。

今年は本当にすごい年で
つつがなく(とりあえず)新年を迎えられることが
まるで夢のようです。

転がるように日本が不思議な方向へ向かっていく危うさをはらんだ今
ひとりにできることは小さいけど
でも、ひとは決して無力ではない。ということを
身を持って体験しました。

来年は、今まで積み上げてきたものからさらに先をめざし
何か新しいものを、新しく勇気と元気が出るようなものを
みなさまと一緒に創って行きたいと、願っています。

今年一年、わたしにであってくださって
そして、同じ時間を過ごしてくださって、ほんとうにありがとうございます。
心より感謝いたします(^○^) 

あなたに出逢えて、わたしはうれしい。

みなさま、よい年を!
また来年も、どうぞよろしくお願いいたします m(__)m

                        とうもろこしの、入浴中の大きな歌声を聴きながら

                                  2013年12月末日
                                          てらすもんもく
by terasumonnmoku | 2013-12-31 22:55 | Comments(0)

25日、村井知事に面会していただいた。

19日のゆさみゆき県議とのエンパワーランチ会で突然この機会が決まり、
主旨に関しては紆余曲折があって、

公には「全国自死遺族連絡会」会員として
自死に対する「自殺→自死」の名称変更に対する要望を、世話人田中さんと伝える。

なかみは、知事に対する、
「過労死防止基本法」を支持する宮城県の2月議会での意見書の採択と
過労死問題について、次回正式に要望を行うので宜しくお願いします。
という段階を踏んだご挨拶。

という形に落ち着いた。

当初は、希望の会として、別立てで過労死についての要望を行う。ということだったので
言われるままにネットで検索して(!素人なので)要望書も作ったが、

過労死のことは、問題そのものが大きく、これを表だって要望すると
田中さんがほぼ一人で、6年かけて築き上げてきた自死の問題がぼやけてしまう。
というゆささんの判断で、このような形に。

考えてみれば、当然のことで、希望の会としても、わたし個人としても、みなさんから望める限りの最善の機会を頂いたのだと思う。心から、感謝している。

政治活動をしておもしろいなあといつも思うのは、自分の行動の意味が、その時にはわからない。ということ。

当事者って、そういうものなのかもしれない。

意味がわかってくるのは、終わってしばらくたった(報道を見たりした・笑)後からで、
なるほど。あれは、そういうことだったのか。と改めて思う。

規模は違うが、かつて生きていた歴史的なひとたちも、きっとその当座は、自分の行動がどんな意義を持って後世に伝わるかなんて、全然わかっていなかったんだろうなあ。

現実って、なまなましいなあ。

わたしの行動についての評価は、自分が決めることではないと思うが
今回の件に関して、個人的な収穫が二つあった。

一つは、過労死に関する要望書をつくるにあたって
さあ書きましょう、と思った時に、突然、死の直前、夫が研究費の報告書を書こうとして果たせず、パソコンを開いては閉じ、開いては閉じて苦しんでいた様子が、まざまざとフラッシュバックしたこと。

お願いだから今は仕事しないで、と言ったのに
「これは簡単な書類だからだいじょうぶ」と言いながらなんどもなんどもやろうとしてはぐったりと、自分自身に絶望していた姿が
書こうとするたびに、つい昨日のことのように蘇り、全身が震えるのだ。

そんなリアルな恐怖が自分の中に入っていたなんて、思いもしなかった。

PCを立ち上げても作業ができず、そのまま何時間も固まって
仕方がないので、ローソンでプレミアムロールケーキを買ってきたり、
わたしが精神的に師事している大津先生の「人間は、愛そのものからできているんだよ」というCDを聴いたり
TREをやったりして、なんとか立ち直り、
取り掛かってみると、あれほど苦労したのに作業そのものは1時間で済んだ。

たぶん、この過去の傷も、今回のことがなければ表面化することなく、
じわじわと、わたしや、息子の生活に影を落としていったことだろう。
要望書をつくることで、少なくともこの部分はクリアできたんだと思う。

この書類を提出することはなかったが、結果的にすごいリハビリだった気がする。

もうひとつは自死遺族として、活動する。ということ。

過労死問題に取り組むことのなかには、当然その中に夫が自死した。ということも含まれるのだが
過労死全体からみると自死は一部分であり、たぶんそこに、微妙な逃げがあったのだろう。

自死遺族である。ことを前面に出して公に活動することは
わたし個人の自尊感情をはなはだしく傷つけるのだ。

そこをちゃんと見ないといけないよ。ということを
今回のことは教えてくれた。

人間の死亡率は今のところ100パーセントで、どんなひともそこを免れることはできない。
自死・殺というのは、単にひとがどうやって死んだかを説明する言葉であり
事実として確かなことは、夫が死んだ。
というただそれだけ。(それ自体、受け入れ難いことだが)

そこに更に重くネガティブな意味を付けているのは、誰でもなく自分なのだということを
わたしはちゃんと受け止めたい。

正直言ってそれをやろうとすると、なんだか血まみれな感じがする。
そう思うのは、自分の自尊感情が、「こうあるべき」という表面的な思い込みに支えられているからで
ひとはたぶん、そんなものよりも、はるかに輝かしい存在なのだ。

彼が最後にどんな方法で死んだにせよ、その人生は豊かで、愛に満ちたものだった。
彼が、わたしや息子を含めた多くの人に、希望を与えてくれたことには間違いのない事実なのだ。

その人生から苦悩を選ぶか、幸福を選ぶかは、
他者が決めるのではなく、わたしの責任である。

強烈な苦しみは、常にその当事者に、アイデンティティの再構築を迫るんだろうなあ。
でも少なくとも今、わたしは自分の中の「ブラディ・メアリー」を
なんだか愛おしく感じる。
だから少しずつ、少しずつ、玉ねぎの薄皮を剥ぐように、進んではいるのだと思う。

こういう悲痛な部分は、同じ自死遺族にしかわからないと思うし、わかってもらわないほうがいい。
そして自死遺族であっても、そこが見られないひとがほとんどであることを嘆くつもりもない。

ただ、自分は、可能な限りちゃんと受け止めていきたい。
「たくさん泣ける人は、たくさん笑うことができる。」
という精神科医の野田先生の言葉を思い出す。

これからもたくさん泣いて、たくさん笑っていこう。

心を全開にして。

泣くときは一人で泣くが、笑う時にはぜひ一緒に!
とうもろこしやみなさんとともに。

あなたがどこで、なにをしていたとしても、あるいはなにもしていなかったとしても
それが全てということは絶対にない。
by terasumonnmoku | 2013-12-27 10:11 | Comments(0)

と、いうわけで、クリスマスも無事終わり、年末感ゼロの師走を過ごしています。

みなさまはいかがですか?
掃除とか、してるのかな?

徳ちゃんの大掃除の日記を読みました!

大変不思議なんですけど
毎年この時期は家事でわしわししていたのに
今年はすっかり「お仕事」モードで
業務連絡の嵐(笑)

徳ちゃんと、なんだか立場が逆転したみたいだね。と二人で笑いました(^○^) 

掃除。してないなあ。
このままいくと、きっと年賀状も書かないに違いない。
あ、でも明日はとうもろこしの先生が来るので、掃除しなくちゃいけないんだった。
とうもろこしの先生は、たいしくんというのですが、最近彼女ができたせいで、
常に全身からあふれるほどの喜びを漂わせてます(笑)

顔を見るたびに、笑ってしまう(^○^) 

彼女のるなちゃんは、何を隠そうわたしが紹介したんですけど(自慢)、
むっちゃいい子で、ふたりとも極上の魂の持ち主です。
(て、この日本語、あんまり通じないような気もしますが・笑)

るなちゃん。よかったなあ。
学び自体はあるにせよ、なんだか二人が会えたら、もう大丈夫な気がする。

徳ちゃんのブログ経由で彼女と知り合ったのは今から6年くらい前ですが
一番強烈な思い出は、るなちゃんがまだ高校生の頃に、
生死をかけた緊急の電話をもらった時のこと。
状況が状況だったので、本人は覚えていないかもしれないなあ。

その時わたしはとうもろこしの野球少年団の合宿中で
カレーの鍋をかき混ぜながら、
非常事態のるなちゃんと2時間くらい(ほんとに緊急だった)話し、
家に帰ってからもそっとフォローの電話をいれたりしていたのですが、
結局その場しのぎ以外にできることはほとんどなく、

彼女がこれまでに過ごしてきた、
残酷なまでに過酷なたくさんの日々を思うと、
今の状況はまるで夢のようで、泣けてきます(T_T)

すごいな。ほんとにすごい。

「いま、ここにいてくれてありがとう。るなちゃんが生きていてくれて、ほんとにうれしい。」
というと、
「わたしも、もんもくちゃんのことを考えると、生きていてくれてありがとう。って思うんです」
と、輝くような笑顔で彼女が言うので、
また「じーん(T_T)」としちゃったり。

怪しい(笑)会話になってない(笑)

るなちゃんも、11月末に大きな山を越え、
ひととして急激に成長してたいし君に出逢ったので、
これを読んでくださっているみなさんにも、
その山を越えたところに華々しい出会いや、
目くるめくような幸運が待っているのかもしれない。

人生というのは、ポイント制になっているんじゃないかと、わたしはたまに思うのです。

状況が困難であるのは、あなたが悪いからじゃない。
そこから何かをつかみ取り、より大きな人間として成長する力があるから、
その力を発揮するために、いろいろなことがあらわれてくる。と。

まあ、たぶん、わたしもそうなんだろうな!

村井知事に会ったことを書こうと思ったのですが
それはまた今度!

だって、幸せなニュースって、思うだけでHAPPYになるんだもん(*  ̄▽) 
これはわたしにとって、今年最高のおしらせでした\(^o^)/

おめでとう(T_T)ありがとう(T_T)
なんだかよくわからないけど、ものすごくうれしいです(T_T)
by terasumonnmoku | 2013-12-26 18:09 | Comments(2)

Merry Christmas!

みなさま、どのようなクリスマスをお過ごしですか?

わたしはひさびさにのんびりと、家でクリスマスご飯をつくり、ふたりでケーキを食べて、
息子のギターに合わせて

「ふゆのお~風がつめたあい~ひとりい~燗をつうけるう~なんとかなんとかあ」

というようなでたらめな歌詞を付けて演歌を歌ったり、
適当にかっこよさげなメロディーをくっつけたりして遊びました。

彼もいつ、「今日はデートだから」と、さっくりいなくなるかわからないので
いまのうちに悔いの残らないように、ちゃんと楽しんでおかないといけません(笑)

今年のスーツ活動も明日で終わり。
いやあ。今年はよくがんばりました。
しかしもう、来年の予定もばんばん入ってきているので
2014年もなんだかすごそうです。

どこまでいくんだろう。わたし。

問題はメンタルですね。
ほかのことではだいじょうぶなのですが、
過労死問題などで、なにか新しい行動をしようとすると、
自分の中から、突然、びっくりするような感情が昏々と湧きでてきて、
激しく消耗することがあるのです。
やりたくてやっていることなので、来年は、
その辺を特に気を付けて、上手にクリアしていこう。

TRE(トラウマ解放エクササイズ)は、わたしのような問題を抱えた人には
ほんとうにいいかもしれない。

何かのきっかけで、奥底から身体の中にしみだしてきた「恐怖」は、
ヒーリングとか、前向きな考え方ではなかなか取れず、
TREのぶるぶる体操が一番効くような気がします。

たぶん細胞の中に、過去の恐怖が記憶されちゃっているんだろうなあ。
時間をおいて、自分が行動しようとすることで、
それがちょうど処理できる分量ずつ、表に出てくるに違いない。

でもぶるぶる体操で、一度外に放出してしまうと、二度と元に戻ることはないようなので
確実に楽になり、動きやすくなります。

トラウマ解放テクニックについては、HPもあるので、興味のある方は覗いてみて!
見た目不気味なのが問題ですが、これは単なる運動で、ひとりで
できて、おまけに何の装備もいりません(^○^) 

(もともと死や苦しみに対する経験値が高く、とうもろこしと生きていくために、自分自身のすべて―頭と気力と体力ーが必要なことがわかっていたので、精神状態が滅茶苦茶な時も病院で薬をもらうことは考えませんでした。-全然眠れないときもあったので、アメリカのドラッグストアで買った、メラトニンは飲んでいたことがあります。-なので、服薬した場合との比較はできませんが、個人的には、風邪薬を飲んだ時と同じように、薬で症状を和らげると、回復に時間がかかる、ような気はします。でも症状が余りにも激しいとき、一時的に頼るのはありだと思う。)

キリストは最後の晩餐で弟子たちに割ったパンと、ぶどう酒を
自分自身の血とからだとして与えることで、
すべてのひとに永遠の生命がある、ということを伝えようとしました。
のちに復活を遂げる、自分自身と同じように。

2000年たって、ほとんどの教えが風化してしまっても
その儀式だけはいまもなお、ミサの中で続いています。

今日も、世界中の教会で、聖体拝預が行われているんだろうなあ。

そんな夜に、形を変えながら、永遠に続いていくわたしたちの生命(魂)のことを考えながら、
今日は速攻で寝よう。

みなさまの魂が、しあわせでありますように☆

                   クリスマスイブの夜に

                     もんもく
by terasumonnmoku | 2013-12-24 22:06 | Comments(0)

及川徳子さんのこと☆

余りにも消耗したので、友人のセラピスト&アナウンサー及川徳子さんにラブコール。
ひさびさにお茶をした。
常に変わらない、さわやかでフェアなたたずまいに
森林浴的な喜びを感じる(^○^) 

ただ顔を見ているだけでうれしい。

彼女をタロットのカードのイメージで言うと、「節制」
規律と節度ー慈愛と献身。
男性性と女性性、霊と肉、無意識と顕在意識等の相反するエネルギーの絶妙な調和。

(なぜ唐突にタロットか、というと、最近タロット占いの仕事を再開したから。
これが楽しい♪♪)
 

徳ちゃんに対しては昔から絶対的な信頼がある。
それは、理由も、説明もないもので
出会った直後から、今も変わらない。

わたしは、もともと一人でなんでも耐えるタイプで
最近になるまでひとに相談というものをした経験がなかったが、
彼女だけは別だった。
(今はやりたいことが大きすぎて、持っている材料が足りず、あらゆる人を頼り、相談しまくっている)

夫が自死した直後、東京に向かうために飛び乗った電車から、唯一電話できたのも、
お骨を持って地元に帰った状況で、家族以外で最初に会ったのも徳ちゃんだった。

葬儀の時、「姉を宜しくお願いします」と頼んでくれた妹の言葉を受けて
「支えるから!」とさわやかに(その場にいたわけではないが絶対そうだと思う・笑)答え
言葉の通り、ずっと支え続けてくれた。

あとで妹が、徳子さんは、本気なんだね。。。。と、びっくりしたように言っていた。
本気も本気、その本気のレベルとしたら途轍もないものなのに、
重くないから、圧迫感がない。

徳ちゃんはこの夏に癌になった。

それは過労死の仕組みと同じで、並外れた能力と自制心で
あらゆることを一人で抱え込んだ結果起こったことだと思うけど、
それから彼女はご主人や、大津先生や、みんなのサポートを受けて、
超人的な速さで再生し、今も日々健康を創り続けている。

と、さらっと書いているが、見つかった時すでにステージ4の状態であり
ステージ4というのは末期癌といっていいほどだったのだ。

その状況でも仕事に行くという、余りにも強い自制心に腹を立て、
わたしは毎日のように病院に通い、頼まれもしないのに怒り続けた(笑)
でも、完全にからだに向き合い、健康を創り出す。と心を決めてからは見事で
その彼女の姿に、自身を信頼し、
人生を(大津スクール的に言うと全ての存在の源であるただ一つの「いのち」を)愛する。
という決意のようなものを、常に感じている。

徳ちゃんはめきめきと元気になった。

リーディング(霊視)とかチャネリングとか、世の中に怪しげなことは山ほどあるけど
わたしはこれこそが真にスピリチュアルな出来事であり、
ほんとうの奇跡だと思っている。

なんといっても、術後5カ月で、腫瘍マーカーの数値は完全に正常になり
ライブに行けちゃうくらいなのだ。

彼女の存在は、今、きらきらと輝いている。
目に痛くもなく、眩しくもない愛の光で。

ほんとうにたいせつなものは、目に見えない。
それは心で感じるしかない。

彼女を見るたびに、そういうことを思う。
そして、スピリチュアルな世界の仕組みがなにもわかっていなかったころから、
彼女の素晴らしさを知っていた自分を、誇りに思う。

徳子さんの存在を、声を、ことばを伝わって
波紋のように美しい世界がひろがっていきますように。

どんなことにもたじろがず、常に変わらぬ穏やかな平静さで、
わたしが支えてもらったように、たくさんのひとが徳ちゃんに出逢い、
自分自身に気付いてゆくことができますように。
 
by terasumonnmoku | 2013-12-12 09:16 | Comments(0)

怒涛の一週間が終わりました(^○^) 

今日は久々にいっぱい寝て、だんだん目つきが鋭くなってきたとうもろこしを、希望の会をサポートしてくださっているカウンセラーの先生に引き合わせたり、一緒にバッティングセンターに行ったりして過ごしました。

寒かった~。

いろんな活動をしているおかげで、様々な出会いに恵まれ、
とうもろこしにも恩恵があることを、幸せに思います。

この出会いが徐々に確かなものとなり、わたしと息子だけでなく、
いまそれを必要としているたくさんの方の力になっていきますように。

それにしても先週は露出度が高かった。
ドリプラ東北魂の告知でテレビに出て、過労死防止基本法の法案の提出にからんで記者会見にも参列させていただき、損保の会社の講演もして、それぞれに自分の中では葛藤があり、頭も体も全く忙しかったです。

ドリプラはほかの過労死関係の活動とは違って、
ふつうの社会に、自分の夢を訴えかけていく。というイベントです。

過労自死遺族である自分が、こんな公の場で楽しそうにしていていいんだろうか。
と忸怩たる思いがあり、もやもやした罪悪感を、整理するのに時間がかかりました。

わたしの場合、行動自体には迷いがなく、
自分がなにをどう感じようが必要なことはするわけで、
するからには楽しくできてしまう。

ただ、単に考えているときと違って、公の場で行動に移そうとするとブレーキが軋みをあげる。
自死遺族への差別意識って、自分にはないと思っていたけど、あったということに、初めて気づきました。
結局、ことが自分の気持ちの問題だけなら、
そんなものはドリプラの意義の前にはどうでもいいという結論に達し、 
行動したことで、その辺のもやもやを整理することができて本当に良かったです。

わたしが自分の葛藤をクリアし、明るい世界を突き進んでいくことが
他の遺族や、いま苦しんでいるみなさんが、
社会に自分の苦境を訴えやすくなり、
よりよいかたちでその後を生きる道につながっていく。
そしてそれが、わたしたちの未来を創って行くことになるのだと
単純に信じています。

過労死防止基本法の法案提出の立ち会わせていただけたのは、ミラクルに素晴らしいことでした!
たまたま自民党のワーキングチーム(やっと立ち上がった)のヒアリングで発言するよう、
過労死家族の会のみなさまから呼んでいただき、できることがあるのがうれしくて駆けつけましたが
その時は、その晩法案が提出されることは、知らなかったのです。

実際のところ、あまりにも素人すぎて、会議に出ても、話の展開を把握するだけで必死です。

その場に必要なことを、言われた枠組みに沿って発言するのも精いっぱい。
でも一生懸命向き合ったおかげで、すごい収穫がありました。

人事院、厚労省、財務省、中小企業団体中央会、総務省、それぞれの出席者の方が、
自民党の議連の皆さんの前で
無味乾燥な過労死関係の統計を読み上げているとき、
東北の脳・心臓疾患、精神疾患の労災認定人数が
(それは地方公務員だけの数字でしたが)23年度から突然倍になっている数字を見て、
泣いてしまった。

認定されるのはとても大変なのに、それでも倍。
どれくらいたくさんのひとが、その背後にはいるんだろう。

夫のことだけでなく、被災地の人間として、
その数字一つ一つの後ろに生きた人間がいたのだということを
政治が動いている場でいうことができ、ほんとうにありがたく思いました。
(もともと、そのようなご配慮のもとに呼んでいただいたのだと思いますが、あまりに展開が早すぎて考えが至らなかった。)

過労死防止基本法が今国会で法案を提出し、通常国会での再審議を目指すことができたことについては、
これは実行委員会と全国の過労死家族の皆様の、獅子奮迅のような大活躍の賜物で、
わたし自身がそこに貢献できたことはほとんどないのです。

にもかかわらずそういう場に呼んでいただけで、ここで苦しんでいるたくさんの皆さんの声を代弁でき、素直にうれしかった。巡り合わせなのかもしれません。

というわけで、あの記者会見は身の置き所がない感じで、かなり憔悴して写っています(笑)

ちょうど特定秘密保護法のデモが、永田町のいたるところで展開されていました。
何キロも何キロも、たくさんの人が手をつなぎ、反対の声を上げていました。
一度にいろんな活動に参加することはできないので
心の中でエールを送って帰ってきました。
それぞれの場所で、がんばりましょう。

翌日は損保の会社に呼んでいただいて
過労死を防ぐセミナーに講師として参加しました。

遺族の中には保険会社と係争中の方も多く、
そういう意味でも、これもまた、内心ハードルが高かった。

ただ、損保(や、生保)のなかでも、たくさんの方が過労死されていることは事実です。
わたしは保険会社の勤務経験が長く、そのうち6年は窓口で苦情もたくさん受けて来たし、なかには営業の方がノルマに追われて自死したり、一番尊敬していた支社長が心不全(たぶん過労死だったのだと思いますが)で亡くなったのも見ました。

お金に善悪がないように、保険自体にいい悪いはないのだと思う。
ただ使われ方によっては、どちらにも転ぶ怖さはある。

だから、遺族として労働災害はリアルな出来事である。ということがいえたのはよかったのですがそれを誰にでも起こり得ることとして伝え、労働環境の改善に意識を向けられたかには疑問が残り、あとで一人反省会をしました。

組んで講演した社労士さんが、残業代を減らすために裁量労働制をつかいましょう。
といった鬼気迫る発言に、突っ込めなかったのも心残りでした。
(裁量労働制には様々な規制があるのに、単に働く人を無制限に使うためにこれが利用されている場合が多く、法的なトラブルが頻発しています。どんな規制があるかというところまでまだ勉強がおいついていなかったのが敗因(T_T))

この社労士さんは、その危ない部分をものすごい速さで流し、企業の特別休暇にはどんなものがあるかを残りの10分にわたって、意味なく詳細に説明していたので、
きっとご自分のされていることに、多少の罪悪感はあったのでしょう。

遺族だからこそ、できることだったのに、できなかった自分がふがいない。

勉強しよう。

(ちなみにすばらしい社労士さんもいっぱいいます。どの世界でもほんとうにひとそれぞれで、わたしはドリプラや、希望の会で、志のあるたくさんの社労士さんにサポートを頂いています。その皆さんと一緒につながって、これからも活動を続けて行きたいと思っています♪)
by terasumonnmoku | 2013-12-08 21:13 | 過労死 | Comments(0)

変化の時。

ものすごい勢いで、時間が流れていきます。

いろいろなことで頭がいっぱい。
さっき、とうもろこしとばんごはんを食べていて、
あれ?と思ったら、それが今日初めての食事だった(笑)

何かに夢中になると、ほかのことが全部抜けてしまう。
(とうもろこしには食べさせてます。念のため)

きのうは朝から晩までずっと人と話していました。
会う人によって、話題が違う。
そんな日がすごく多いなあ。

話題の順番は、

・労働問題→岩手に新規事業をどう根付かせるか→仙台荒町商店街の主こうごろうさんの、フィリピン台風支援募金を集める方法についてのレクチャーなどなど。

また別の一日。

・ソーシャルビジネス→モラルハラスメント→道教の宗教儀礼について。

ちなみにテーマごとに人は変わってます。

そういえばスピリチュアルなことはほとんど話さないなあ。

以前は誰と話しても、ずっとおなじひとと話している気がしていましたが
最近は個性がよくわかるようになり、おもしろさ倍増中。
本を読むより、ネットを見るより、ひとが好きです。

出会いと、自分が行動した数だけ、世界が広がるところが楽しい。

わたしは石橋をたたいて渡るタイプではなく、
石橋を渡ってから叩くタイプなので
常に後から、自分の行動の意味を学習しなければなりません。

ようやく頭の整理がついてきて、本がまともに読めるようになってきたので、
今さらのように過労死について、勉強中。

過労死問題についてもそうですが
法律を創ろうという活動をしてから、どのように法律ができるのかを勉強したり、
政治家に連絡を取ったり、働きかけた後で
政治の仕組みを調べたり、順番がいつも逆(T_T)

こんなことでいいのだろうか。

過労死問題の本を一気に読んでいくと
この問題が、単に労働分野にとどまることなく、資本主義の構造的欠陥や、貧困問題や、金融工学が生み出したお金の流れの変化や、企業のグローバル化や、少子高齢化の進行などなどのいろいろな社会課題と切実にリンクしていることがよくわかります。

企業や組織や国家を、ひとつの生命体として考えると、激動する世界経済の波を受けながら、自身を保持拡大し、再生産を行うために、中の人間が容赦なく犠牲にされる。
というのは自然な成り行きなのかもしれない。

会社のために。というと、簡単に個々の人間性が切り捨てられてしまったりするのも
そういうことなのかもしれない。

貨幣経済というのは、価値の交換を大規模に行うための、単なる方便にすぎないのに
その方便の集積にすぎない営利が、企業活動の目的のすべてになってしまうのは切ない。

確かに少し前までは飛ぶ鳥を落とす勢いだった企業が
あっという間に見る影もなく衰退してゆくのを見ると、そら恐ろしくなります。

きっと経営する人たちも、政治家も、みんな恐いんだろうなあ。

まさに変化の時ですね(T_T)
だから、いま、ひとりひとりにできることがたくさんある。

社会というのは、誰かが勝手に良くしてくれるものでも、
未来永劫そこにあるものではなくて、

わたしたちのひとりひとりが、
自らの意志で創って行くものだから

みんなで変えていきましょう。
それぞれの場所で!
by terasumonnmoku | 2013-12-03 23:47 | Comments(0)

生きる意味が見つからないなら、自分で創って育てちゃおう!というブログです。やっていることはさまざまですが、常に生きることに向かっています。

by terasumonnmoku
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