三回忌

月日が経つのは早いですね。
おかげさまで、三回忌が無事終わりました。
こうして両家和やかにすごせたことを、心から感謝しています。

夫の両親は、わたしの活動に反対で、今回の法事の相談の場でも、何度もそのことを言われました。
わたしとしても、承知の上でしていることなので
そうである以上、最悪三回忌が別々になってしまっても、仕方がないと覚悟していたのです。

結局、夫の母の意向で、三回忌は一緒に行い、会食はなし。という形になりました。
そこで今度はわたしの両親が立腹し(!)、また葛藤がありましたが、
あまりにも心細いから一緒に来て。というと、そういうことなら!と快く参加してくれることになりました(^○^) 愛だなあ~。 

結局、法事の後はそれぞれの両親と、わたしと義弟が別々に食事をし、
とうもろこしは義弟のお嫁さん親子とカラオケに行き、
最後に義弟とわたしが息子たちと合流する。というイレギュラーな形に。

おじさんに欲しかったギターのアンプを買ってもらい、大好きないとことカラオケにも行けて、とうもろこしは大満足です\(^o^)/
みんなで大事なお父さんを悼むことができて、ほんとによかった。

いまは夫の両親と同居しているお嫁さんに、夫の母の様子を聞き、
嫌な思いをさせて申し訳ないと思っている。という話をすると、
彼女はにっこり笑って、
「おばあちゃんは、だいじょうぶ。もんもくさんと、とうもろこしくんが元気に生きてくれるなら、なんでもいいのよ。」といってくれました。
じーーーーーん。泣けてくる。

方向性は違っても、悲しいのは同じです。
だから、ほんとうにベストだったんだと思う。

痛みに直接向き合うということは、むずかしいことのようだ。
ということを、つい最近知りました。
はげしい個人差があり、ひとによって必要な時間が違う。
一生向き合えないままに、終わってしまう人もいます。

このブログを読んでくれたあるマスコミの方に、
「みんながあえて見ないようにしていることを、書かれるんですね。」
といわれたことがありますが、特にそうしようと思っているわけではありません。

そもそも最初から、人の感情も自分の感情も、容赦なくむき出しに並んでいる場所で生きているので、
向き合う以外の選択肢がない。
それはわたしにとって、スーパーの陳列商品を見るようにリアルな世界です。

たぶんすごく痛々しいことも書いているのだと思いますが、
わたしから見ると、誰の人生もあんまり変わらない。
自分のことだから書けるということが、ある意味救いなのかもしれない。

アイデンティティが確立していない状態で、異常に高い共感能力を持つのというのは、ほとんど拷問です。世界中の人の苦悩を、自分の問題のように感じる。

それが実際しんどくて、自分についても他の方についても、いつも前向きで、HAPPYでないと絶対厭で、だめなんだ。と思っていました。

しかしそんなひとは存在しない。
だから誰に対しても(当然自分に対しても)、常に苦々しく批判的なところがあったのです。
それが最近ようやく、ポジティブな部分だけではなく、痛々しいのも、苦しんでいるのも、全部含めた人のすごさーというものが、だんだんわかるようになりました。

夫の両親がわたしの活動に拒絶を示すのも、わたしが猛烈に動かざるを得ないのも、
どちらも夫が、それだけ大切な人だったからで、根本にあるのは、愛なんだと思う。

愛の表現が違うだけで、思いは同じなんだと思う。

そう思えるようになったのは、自分と同じか、あるいはもっと大変な状況のなかで、それでも会うたびに元気になってゆく自死遺族の皆さんに会ったから。
この出会いは大きかった。

人って、ほんとうにすごいと思う。

「人間にはどんな悲惨な状況の中からでも、立ち上がる大きな力があるんです」と、教えてくださったのは精神科医の野田正彰先生でしたが、実際にそれを見せてくださったのは、同じ遺族の皆さんでした。
自分のことはわからなくても、人のことはわかる。

きっと誰でも、そうなのでしょう。
必要な装備は、最初から、そろっているんだ。
わたしが苦しかったのは、それが信じられなかったからなのです。

そんなことを考えながらFBである記事を読み、そういえばもう何か月もとうもろこしの「死にたい」を聞いてない。ことに気づきました。

確か「おかん」のライブあたりからです。
*興味のある方は、家族カテゴリの、とうもろこしと新しい出会い~をご参照ください。

思春期らしく、些細なことでブチ切れては携帯を壊したり、メガネを床にたたきつけて、後で苦労してはいますが、手負いの野獣のような見るも無残な暴れ方は、なくなりました。

その代りのように、わたしの親ばかぶりに拍車がかかるように(笑)
特別な理由もなく、そうなったというのが我ながら可笑しいです。
相変わらず、部屋は汚く、勉強もさしてしているようには見えないのに、
突如として世の中に一人くらい、なんの根拠もなく、きみは最高!と思う人がいてもいいんじゃないかと思うようになってしまった。

新幹線で帰る途中、とうもろこしが、お財布の中から「おかん」のYOUさんにいただいた、サイン入りのピックを出して、見せてくれました。

「いつも持ち歩いてるんだよ」
と、にっこり。

絶望を潜り抜けて獲得したHAPPYは、ひとを幸せにする。
きっととうもろこしも、そんなふうに育ってくれることでしょう。

立派なお父さんを持った、立派な男の子である彼を、心から誇りに思っています(^○^) 
by terasumonnmoku | 2014-01-27 10:36 | Comments(0)

ことばの力。

みなさま、お元気ですか?
今日はよく晴れて、とても気持ちのいいお天気です(^○^) 
怒涛の時間がすぎて、ほっとしてます。

実際は、やることが山積みなんだけど、なぜかそんな気がしない。
「自分が」というところを捨てると、楽になるのかな。

先日のブログの大反省の後、影響力のある政治家の方の事務所(本人ではなくただ事務所!)にご挨拶に行くことになり、さあ、そろそろと思った時、またむくむくと「おれがやるぜ」みたいな気持ちが盛り上がりました。それと同時にさあーっと細胞が固まり、体がしんしんと冷えてきて、びっくり(笑)

ものすごい効果です。「やるぜ」と思っていたのは、ほんのちょっとの間だったのに、そんなに大きなダメージを受けるなんてw( ̄o ̄)w
それで必死に、マザー・テレサが言っていたように「わたしは神が使われる、小さな鉛筆です」的な謙虚な気持ち(まあ、どの程度できているかはわかりませんが)に意識を立て直していくと、あっという間に身体に熱が戻り、楽になった。

不思議。

おもしろいのは、変えているのは意識の持ち方だけ。
やっていることや、言っていることは同じ。ということ。
わたしが公の場でする話は、重くて、ハードで、聞くも涙話すも涙という内容は変わらないのに、そこにエゴを持ち込むと自分のからだにすごいダメージが来て、謙虚に素直にと心がけ、みんなでよい未来を、と気持ちの設定を変えると、負担がかからず、逆に元気になる。

体験してみて、これは意外でした。
身体って、リトマス試験紙みたい。
すごいなあ。おもしろいなあ。
愛一元ー善悪はないってこういうことなのかもしれない。
とはじめて実感。(すみません(T_T)学びが足りないので)

そして、現実的にも、結果が違うのです。
ひろがってゆく。それも良い方向に。
これはほんとうに、すごいことだ。と思います。
心しよう。
わたしのやりたいことは、凄惨な事象に直面せざるを負えなくなったみんなの真実ー愛の思いを、腹話術の人形のように代弁していきたい、ということだけなので、「おれが」はいらないのだ。

更に興味深かったのは、自分が国とか県とか、自民党のみなさん(!)を前にしたとき、特に元気よく「おれが」がでてきた。ということ。
たぶんその言葉の中に、自分がリアリティを感じていたから、そういうことが起こったのでしょう。
あいまいな情緒や感情や、いわゆるエネルギーに振り回される期間が長く、ほとんど今まで、権威というものに左右されない人生を送ってきたのに、そこで体験してしまうとは。
言葉があるから、「総体としての」「国」や「県」があるように思っていたけど、よく考えるとそんなものは存在しない。
ただひとが、いるだけ。人が集まっただけなのに、なんとなくそのまとまりに、総体としての、特別な意志があるように感じ、その存在を親の仇のように思っていた。

以前、メキシコに行ったとき、メキシコ国内のあまりの治安の悪さに、ネイティブの知り合いに「ひとりひとりのメキシコ人は、家族を大事にして、生きることを楽しむ、とてもいいひとたちなのに、国になるとどうしてこんなにひどいことになるのか?」と聞いてしまったことがあるのですが、よく考えたら日本も同じだった。(失礼なことをしました(T_T))

人間そのものが、数々の矛盾を抱えた存在なのに、その集合体である国が、プレーンに美しいものであるはずがない。
そのなかで、それぞれが自分にできることをやり、
より良い状態を目指していく。ということが、大切なんだろうな。
(こういうことを前にも考えたことがあるのですが、ことばが変わるたびに、またそれに振り回される。というところがナサケナイ)

言葉と言えば、このたび、宮城県が自死遺族の要望を受け、公文書での表記を「自殺」→「自死」に変えてくださることになりました。
うれしかったです。あたたかくつながるということ。人の痛みに寄り添うって、こういうことなのだ。ということを
今回のことで、改めてみなさんから教えていただきました。学ぶことばかり。

その途中で、いままでわたしがあえて人前で「自殺」という言葉を用いていたとき、自分がその言葉を、自分自身や、人を責めるために使っていた。
ということにも改めて気づかされました(T_T)
痛いなあ~。
ほんとうにやりたいことを実現するためには、この辺を完全にクリアにする必要があるんだな。

ほんとうに、ことばは大事ですね。

FBで、不妊に悩む人を対象としたセラピーに「未妊セラピー」という名前を付けている。
というコメントを読みました。
自死遺族にとって「自殺」が激しく苦痛をもたらす言葉であるように、こどもができないことで悩んでいる人にとって「不妊」は刃物を隠し持った言葉だということを、教えていただき、ありがたかったです。場面が変われば、知らないうちにわたしたちもまた、簡単に相手を傷付けることをしてしまう。ということを、忘れないでいよう。

言わなければ、そこに問題があることさえわからない。
それは個人的な関係でもそうだし、対社会的にもそうなのでしょう。

「自死」「未妊」という言葉は、背後にある「思い」に働きかけ、苦しむ人を罪悪感から解放する。
それが痛みに寄り添う、あたたかいつながりをつくる。ということのひとつのかたちであり、
人を大切にする。命を輝かせる。ということにも続いてゆくのでしょう!

こんなふうにして、お互いを大切にする方法を、みんなで学んでいきたいな。
みんな思いはあっても、表現の仕方がわからないんだと思う。
わたしがそうだったように。

そういう意味で自分の個人的な痛みを、フェアな形でさらすことには、すごく大きな意味があります。
一人が勇気を出すことは、その背後にある大勢の人を力づけることになる。
(できるひとがやればいいので、無理をする必要は全然ありませんが)
そういうたくさんのピースから、わたしたちは未来を創ってゆく。
by terasumonnmoku | 2014-01-24 09:13 | Comments(0)

反省中。

16日の満月の日に、師匠の大津先生のセミナーに参加して、久々に怒られました(T_T)
というわけで、現在、怒涛の反省中。
だいぶ、エゴが増大しているもよう。

このところ、体力の消耗が著しく、自分でも変だと思っていたけど、
そういうことだったなんてщ(゜ロ゜щ)!!

げっそり。

そういえば、前のブログも偉そうだしな。
ああ。穴があったら入りたい。

やっていることの方向性はあっていても、意識の持ち方が間違っていたんだと思う。
目的と手段をとり違う。って本当によくあることを、自分でもやっていたに違いない。

「そんなことをしていたら、体が持たないよ」と、先生に言われました。

ほんとに。
こんなことをしていたら、死んでしまう。
とうもろこしのために長生きしなきゃいけないのに(T_T)

わたしの場合、たくさんの人にむやみにエネルギーを注ぎ込む。
ということは今はそんなになくて、
ただ対象が国、とか県、とか、大きなものになればなるほど張り切ってしまうよう。
やる気が反転して、気合で圧倒しよう!という、魂の悪い癖が出る(T_T)
(その結果、他のことでも偉そうになる)

16日のセミナーの真っ最中に中抜けして、議員のみなさまに挨拶回りに行くチャンスを頂き、前日からやる気がみなぎっていたせいか、

しょっぱなから消耗した状態でセミナーに行き、先生やみんなにパワーを注入してもらったにもかかわらず、
議会に行ってどっと疲れ、

またセミナー会場に戻るという、波動のジェットコースター状態をダイジェストでお見せする
言い訳の、全くきかないような状況になってしまった(T_T)

そのわずかな時間の挨拶回りで
ものすごい量の間違ったパワーを、一気に大放出したらしく
なんと数年ぶりに、自力で幽体をずらしてしまいました。

(人間の魂はマトリョーシカの様に、肉体や幽体や、アストラル体や、さまざまな層のオーラのようなものに包まれていて、肉体に一番近い層が幽体。それぞれが調和を保って振動しているのが健康な状態で、メンタル的な波動が落ちるとまず幽体と肉体がずれる。先生に、治していただきました。ごめんなさい。)

かなりまずい。
超・大反省。
こういうことは、昨年の暮れ、自民党本部の会議に出していただいたあたりからはじまった気がするので、間違った方向性でやる気を出す。
ってほんとに危険なことなんですね(T_T)

どうにもならないことを、無理やりどうにかしようとして苦しむ。という学びは
とうもろこしのことで懲りたはずなのに、また同じことをやってしまうなんて。
しかも今度は「国」とか「県」とか、やけに大きなものを相手にw( ̄o ̄)w
ああ。ほんとうに、ばかみたいだ。

しばらく布団をかぶって寝ていたいけど、そうも言っていられないので
反省文を書くことにしました。

「魂が成長すればするほど、影響力が強くなると同時に、一緒にエゴも大きくなってしまうんだよ。だから、いろいろなことがわかってくればくるほど、ますます謙虚で、素直でいないといけないんだよ。」
と、先生に言われました。

ああ。謙虚になろう。素直に生きよう。
今年の目標は、謙虚もんもくにしよう。

無謀なことを試みるからには、本当に気を付けなくてはいけない。
エゴを振りかざしてはいけないのだ。
エゴでゴリゴリ頑張っても、できるはずがない(T_T)
万一、それで何かができたとしても、何の意味もないのだ。
無理やり特定な形を作ることより、そこでみんなが、しあわせに生きることのほうがずっと重要だから。

それにしても、これほどわかりやすい状況で、こんなことがおこるとは
わたしはほんとうに宇宙に愛されている気がする(そこですか!)
先生に怒ってもらえるって、幸せなことだと思う。

そんなことをつらつら考えていたら、いままでうまくいかなかったいろいろなことが
やはり、自分のエゴのせいだったことがだんだんわかってきて
また、穴に入りたくなってしまった(とほほ。)

今日一日げっそりしよう。
そして、明日からはさわやかに、またがんばろう。
ごりごりしなくてもだいじょうぶ。ということを
きっと今、わかる必要があったに違いない!(泣)
by terasumonnmoku | 2014-01-19 17:44 | Comments(0)

ヒーリング☆

地元に帰って、一週間がたちました。(たった一週間?)

日々たくさんの人に出逢い、毎日があまりにも濃密で、
もう年が明けて3カ月くらいたってしまったような気がします(笑)
年末は、とうもろこしの育英基金のお礼状を出すことで力尽き
今年は一枚も年賀状を出せずw( ̄o ̄)w
頂いた方には、折を見てお返事を書きますのでもう少し待ってね(T_T)

先月くらいから、怪しいスピリチュアルな仕事をやや本格的に再開しましたが、
これが楽しい!

午前中は政治活動で、午後はヒーリングや、絵や、音楽活動の打ち合わせ、とか!
タロット占いの後で、労働問題、とか(*  ̄▽) 

スピリチュアルな仕事は、わたしにとっては「子どもの遊び」も同然なので、全く負荷がかからない。楽しいことでは収入があって、やむにやまれぬ、自分にとってもハードなことにはほぼ持ち出し、というのがおもしろいです。

得意なことばかりやっていてもしょうがないから、ちょうどいいのかな。
タロットも、中身はただのリーディングで、カードを使おうが使うまいが
あまり変わらないのですが、受ける側の方にとっては、違うようです。
視覚的に納得できる。というのがいいみたい(^○^) 

占っていて、すごいなあと思うのは
その方がご自身の「本来のあり方」や「天命」的なものに目覚めていればいるほど
クリアに読みやすいカードが出る。ということです。
(疑問の余地がまったくない、ような展開の仕方をします。本人が引くのに!あるいは、から?なのでしょうか。)

そうでない場合は、ちゃんとそうでないように現れて
それでも、大体の方向性は読めるので、いいみたい♪

年末のヒーリングもほんとうにおもしろかった!
くみちゃん、わたし、徳ちゃんの三人の順番で、
同じ方に対面で、個別にさせていただいたのですが、
三人それぞれ個性が立っているだけあって、効き方も違い、
最後の徳ちゃんで、肉体的な痛みがどっと出た。というのが最高でした。

くみちゃんは、人としての愛。のようなところにダイレクトに働きかけ
わたしはどちらかというと、4次元的な不調和を調和に持っていくように効き
最後の徳ちゃんで、今ここを生きるその方の肉体ごと癒す。みたいな感じだったのだと思いますが、この順番もすごくよかった!

4次元的な(というのは過去生の痛みとか、霊障とか、あるいは恐怖が結果として創り出す、神経症的ななにかなのですが)苦痛って、傷が癒えていくときの、かさぶたの上の熱。みたいなものなのかもしれない。

誰でも、自分が痛んでいることを認めるには勇気が必要なので

1.まず、傷があることを認め、そこに向き合う態勢を創るために、人としてのあたたかな愛が必要で、
2.痛みの幻影ー傷そのものより、それを恐れる気分のほうが大きいーを取り去るために、4次元的な熱を浄化し、3.最後の徳ちゃんの宇宙の愛!で、ようやく傷本体が再生される。

段階を追って恐怖を取り除いていくーような感じかな。

宇宙、って、わたしたちにとっては「なまもの」なのです。
この肉体を形作っている物と同じ。
かつて夫が、地球も人間もガラスのかけらも、基本的には同じものでできているんだよ。と教えてくれましたが(ケイ素だったかなあ。あんまりよく覚えていないけど・泣)、その同じものから宇宙の構成物を創り出すしくみー目に見えない秩序のようなものーがあり、その秩序にそっているとわたしたちは幸せを感じ、離れると不幸になってしまうような仕組みなんだと思う。

というようなことに関心のある方は、ぜひ及川徳子さんのセミナーを受けてください(笑・この辺の話は、神との対話ーのようなスピ系の本にはよく書いてありますが、実際に使い方を教わって、使えるようになった人を大津スクール以外でほとんど見たことがないので、わたしとしてはセミナーを受けることをお勧めします。)

かつては、自分の能力に存在意義を持てず、全ての課題は、「いまここ」に折りたたまれていて、人が生きているその状況に真摯に向き合えば魂は成長する。だから4次元的な癒しは、いらないんだ。と思っていましたが

最近になって、4次元的な形で痛みを放出し、そこから自由になってゆく段階もある。
ということが理解できるようになりました。
だから、自分の領域の、怪しいスピの仕事が、楽しくなったのだと思う。

わたしの知る限り、ほかの流派のヒーリングは、どちらかというとわたしの扱っている領域をテクニカルに癒すだけなので、受けるのはいいとは思いますが、ヒーラーになることはお勧めしません。

霊障とか、エネルギー的な不調和を、似たようなエネルギーで癒そうとすると、相手方の痛みを等価交換でもらってしまう形になる場合がほとんどで、危険です。ガードしても、しきれない。
癒す側の人が善悪二元論を超越し、あらかじめ表面意識的にも、魂的にも発展している場合はその限りではないし、その可能性もないとは言いませんが、稀有だと思います。
自然になにごともなく発展できるくらいなら、そもそも人間をやっていないに違いない。
(ヒプノは本人が思い出すお手伝いだと思うので、タイプが別になるかも。)
この辺の仕組みも、詳しく説明するとものすごく複雑なので、興味のある方は徳ちゃんに聞いてください!(こればっかり・笑。)

ちなみに、ヒーリングを受けて一番わかりやすいのは、くみちゃん、徳ちゃん、わたしのなかでは、圧倒的にわたしのエネルギーだと思います。(リアルな見た目の強烈さでも、徳ちゃんの印象が一番弱いと思う・笑。オーラは大きいけど、精妙なので、表面意識が発達しないとよくわからない。これは私たちの師匠である大津先生にも言えます。)
だからといって、わたしが特別すごいわけでも、エネルギーが高いわけでもありません。
実際の効果、ー生きる意欲が増すという意味ではー大津先生は勿論、徳ちゃんや、くみちゃんのほうがずっとある。

ほんとうにたいせつなものは、目に見えない。
それは、心で感じることしか、できないのです。

この世界にあるすべてのものは
そういう、目に見えない美しい力で、できている。

わたしたちは、その美しい力が特に濃く働いている場所を、
パワースポットとして感じます。
だから本当はみんな、わかっている(^○^) 

わたし自身は、「生きる意欲が増す」ような直接的な働きかけを、
スピの世界ではなく、現実のなかで、目に見える活動を通してやっていきたいと思っています。

この辺をどう考えるかも悩みでしたが、昨年の冬に、
宮城大学事業構想学部の風見正三先生の研究室に遊びに行った際、先生に

「社会に新しいものを創り出すためには、背景として深い精神性があることが、絶対に必要なんだよ。」ということを教えていただいて、納得しました。

あまり考えたことがなかったけど、たとえばガウディにはガウディにしかない世界の見方や、精神性があり、だからあんなに特異な、しかし中に入ると居心地のいい不思議な空間を創りだせたわけで、まあ、ガウディは特殊にしても、すべて人が作り出したものは、誰かの思想が形になったもの。

そこに深い精神性がなければ原発になり、あると、芸術や、自然やひとやコミュニティが調和しながら活性化する役に立つ科学技術や、民主主義やすてきなものができていく。

深い精神性ってわかりにくいけど、ざっくり言うと、自分を含めたみんなが、ともに幸せになってゆくということ。それぞれが、無理なく設定しうる「みんな」の規模の大きさが、ダイレクトにその人自身の、精神の深さを物語っているのだと思うーw( ̄o ̄)w

長くなりましたが、ひさびさに、ばりスピリチュアルな感じで書いてみました!
読んでくださって、ほんとうにありがとう!

たぶん次回はまた、全然違うモードでお会いすると思いますが(笑)
興味のある部分だけ、お付き合いくだされば幸いです(^○^) 

Au revoir ♪





   
by terasumonnmoku | 2014-01-13 10:20 | スピリチュアル | Comments(0)

熊本から東北に至る日本縦断の旅を終えて、無事地元に戻ってきました。

寒い~。

みなさまいかがお過ごしですか?

お正月、体調を崩されていた方も多かったようですが
おかわりありませんか?

とうもろこしともども、わたしは元気です!
実家の両親の豪勢な手作りおせちや、
熊本の叔父叔母の心尽くしのごちそう
(焼き具合の絶妙なステーキとか!クルマエビとか!伊勢海老とか!)を
山のようにいただいて
全身にサシが入ったような状態です。

しばらく断食したほうがいいかもしれないw( ̄o ̄)w

去年のお正月は、夫が亡くなってはじめてということもあって、
叔母の「遠くの親戚もいいよ」プロジェクトに誘われ(なんて優しい(T_T))、

とにかく、考える余地がなくなるまで体力を消耗しよう作戦で、
青春18きっぷを駆使して、普通電車を乗り継いで、東北から熊本まで到達する。
ーそれも新潟を経由してーというわけのわからないものでしたが、

今年は割と普通に行って、ふつうに帰ってきました(笑)

距離はあっても、あたたかい、たくさんの家族に囲まれて、とうもろこしもうれしそう。

大切な家族が突然亡くなる。というセンセーショナルなことを経験すると
それ以前の生活が幸せであればあるほど、
クリスマスとか、お正月とかのイベント時期が辛い。

熊本の叔母一家のおかげで、特別に厳しいシーズンを二回乗り切ったので
来年はそろそろ普通に過ごしても大丈夫かな。
この次は、とうもろこし一人で、行ちゃうかもしれないけど(笑)

(でも叔父さんにいただいたギターや、おうちにあったグランドピアノや、三線を調子に乗って弾きまくり、歩く騒音とまで言われてしまったので、さすがにもうだめかも!)

今回は生まれて10カ月のいとこや、3才・9才・11才のまたいとこに囲まれて
とうもろこしがぐっと大人に見えました。

ほんとうに、大人になったんだと思う。
この期間、彼の心の中で起きていたことを考えると、涙が出そうになりますが
そんなハードな一日一日をつみ重ねて、今がある。

お父さんが死んだとき、13歳だった息子も
おかげさまで無事15歳のお誕生日を迎えることができました。
彼を(そしてわたしを)支えてくださったすべてのみなさまに、心から感謝しています。

さて、新しい年ですね!

今年は何かに必死に対処するのではなく、未来に向かって歩く年にしたいなあ!

というわけで、いつもおつきあいくださいまして、ほんとうにありがとうございます。
今年もどうぞ、よろしくお願いいたします m(__)m


                                2014年 1月5日 てらすもんもく
by terasumonnmoku | 2014-01-05 19:09 | Comments(0)