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オリンピックも終わりましたね!

すばらしい選手の皆さんの活躍に、ただ涙でした。
特に羽生君のことは、かつて一緒に「2人展」をやったドイツ人のモニカさん(アマチュア・フィギュアスケーター)から、
彼のお話をよく聞いていたので、まるで身内の様に感動しました。
(2012年3月の、お知らせ―というタイトルの日記が、2人展のご案内です )

震災後のリンクの状況は、本当に大変だったそうで、2人展の時点でも、モニカさんの憤懣はやるかたなく、逆境を乗り越えての金メダル。
よろこんでいるだろうなあ。モニカさん。
葛西選手もかっこよかったし、まおちゃんのフリーの演技があまりにすばらしかったので、最近までなんとなく面白くなく思っていたキム・ヨナ選手までいい人に見えるようになってしまった(とほほ・しかし愛と感謝は憎しみを溶かし、国境さえ超えてゆくなあと再認識)。

そんな毎日のなか、先週はたくさん本を読みました。
数学者 岡潔さんと、評論家の小林秀雄さんの対談集「人間の建設」がむっちゃおもしろく、「数学といえども、感情の同調なしには成り立ちえない」というところが特に印象的でした。

日本数学史上最大の数学者、と言われる岡さんはニュートン力学を使っていま作られ、使われている技術も、
所詮「建設」ではなく、悪くて「破壊」よくて単なる「機械的操作」というのです。
本当に必要なのは「機械操作」ではなく、「建設」-創造だと。

「今の人間にはたいていのことは、肯定する力も否定する力もない。
自分とは何か。時間とはなにか。ということも。

時というものをしいて分類すれば、時間は情緒に近いのです。」

小林秀雄さんも、岡潔さんもベルクソンの信奉者だそうで、ベルクソンはアインシュタインとの時間に関する論争ー成立しなかったけどーで有名ですが、その辺のことは全然知りませんでした。

夫がかつて、理系の世界で一番偉いのは数学で、その次に物理が来て、次にほかの科学が続くんだよ。
と言っていたのですが、数学的創造の上に物理学が展開し、更に科学技術が発展していくような形なのかな。

それにしても無から有が生み出される過程は、どの世界を見てもドキドキします。
この本にも、「本質は直感と情熱でしょう」とあって、
直感したことを、情熱で形にしていくというのが大事なのだそうです。
よく聞く言葉ですが、同じことでも数学者が言うと、大変な趣がある。

時間が情緒だという説は、哲学的にも、物理学的にも全く説明できませんが
スピリチュアル的な感覚からは理解できる。

人の中に流れる時間も一定ではなく、いろんなところで、止まっていたり時差があったり。
だから突然バグってしまう。

最近、成長するのを途中でやめると、それが傷になって残るのかもしれないなあ。と思いましたが
そういうのも、別の時間の流れが自分の中にある感じに近い。 

時間は、ほんとに、「情緒」なんだとおもう。
わたしたちが理解しやすいよう、便宜上過去から未来に流れているように思っているだけで、
実際は記憶のシークエンスが、点滅しているだけ。
空間というものをどう考えればいいのか想像つかないので、
その一つ一つの塊が、どんなふうに並んでいるのかはよくわかりません。

ほんとうは空間もなく、並んでさえいないのかもしれない。

なあんてことを、うっとり考えるのが好きです(^○^) 

ベルクソン、いいなあ。と思って「時間と自由」を買いに本屋さんに行ったのですが、
気が付いたら、レヴィ・ストロースの「悲しき熱帯」を買っていた。
なんでそうなるのか、わかりません。
構造主義が、知りたいのか。単にどこかに行きたいのか。

その本屋さんに行った唯一の収穫は、かつて信じられないほど難しい、と思いながら読んだレヴィナスの「全体性と無限」が実際とっても難しい本であるという、内田樹さんの文章を立ち読みしたことです。

その前の時代まではぼちぼち読めたのに、フーコーで挫折し、ドゥールズに挫折し、どこにも行けない日々が続いていたのに、なぜか突然レヴィナスのこの本だけを最後まで読んだのは、別に理解できたわけではなく、単に読んでいるときに見えた「風景」が好きだったから。

そういえば、レヴィナスは、昔マーラーを聞いたときに見えたビジョンに似ていたな。
手触りとか。真珠のような光の光沢とか。巻貝のようなラインとか、色の混ざり方とかが。

小澤征爾さんによると、マーラーは、ほかの作曲家とは隔絶していて
本当に特異な存在なのだそうです。
でも奇をてらっているわけではなく、ちゃんと譜を読み込んで、音楽の中に没入すると
全ての展開に必然性がある。
(音楽を体に入れる。とおっしゃっていました。この感覚はすごいなあ。まさに天才な感じ。
長嶋監督の、来た球を打てばいいんだよ。という発言に近いものを感じる)

マーラーもレヴィナスもナチスの跋扈した時代のユダヤ人で、そういう時代背景を共通して持っているところに秘密があるのかもしれない。あんまり真剣にクラッシクを聞いたことがないので、今度、がっつり聞いてみよう!












by terasumonnmoku | 2014-02-24 21:39 | Comments(0)

過労死について。①

改めて、自分が何をやりたいのかをしみじみと考える。
方向性はあっているにせよ、そこで目指したいものはなにか。

まだ自分の中で解決できない問題。
過労死、特に夫の場合の過労死には、
どこか特攻隊のような匂いがする。ということ。
成果を上げ、限界を超えて、超人的に努力すれば、誰もが評価してもらえる。
という、東北大学の実情に合わない考え方が土台にあったことは事実だ。

(なぜ実情にあわないかというと、最初の面談で、当時の工学部副部長に、
「彼を大学に残す意志は大学側にはなかった」と明言されたから。
「実績に不足があるわけではなく、大学には大学の意志があるからだ。」

准教授の任期満了までまだ4年あったのに、遺族である妻にあえてそれを言う理由が不明だし、説明にもなっていない。
それにこの言葉は、最後の行為が事実上の退職勧告であったことを認めたもので、
そんなことを言ってしまってもいいのか、という気もする。
ある意味イノセント。

哲学者ハンナ・アーレントのいう「悪の凡庸さ」ってこういうものかな、と思う。
悪について考えていて心の底からげっそりするのは、「悪」という概念が行為者にとっては存在すらしないことだ。
それは、その行為によって不利益を被ったものだけが、享受する問題なのだ。
そういう意味でも、「善悪はない」というわたしの先生の説は正しい。)

状況を飲み込めていなかった夫は、愚かだったかもしれない。
それでも、死を選ぶまで突き進んでしまったその動機を、ばかげたものだとは思わない。
一生懸命頑張るのは、美しいことではないのか。
ほんとうに好きなことを仕事にして、夢をかたちにするひとだったのだ。

わたし自身は体質的な問題から、夫のように世の中や組織を、牧歌的に考えたことはなかった。
人の集団には、ねばねばしたものが渦巻いていることを知っていたし、
文明の発達には何の意味もなく、人類は地球の癌細胞だと思っていた。
だから生きるのが嫌だった。
(極論だが、汚いもののほうがきれいなものより目立つので、堪能しすぎるとそこまでいってしまう。)

夢見ることがどんなにすばらしい影響を周りに及ぼすのかを、
彼にはじめて見せてもらった。
彼は人間を、人間の作り出す社会を、大学を、信じていたんだと思う。
だからあんなにがんばれたし、生き生きしていた。
裏切られた時の絶望も深かった。
でも、どこをどう考えても、わたしが嵌りこんでいた世界より、
彼の描いていた世界のほうが、ずっと真っ当で、当たり前な気がする。

夫が亡くなった2週間後から、派遣で働き始めた。
比較的時給の高い金融の仕事で、若干立場が上の30代後半の男性が何人も、足をくじき、身体をすり減らすように働いていた。
時給1200円、3か月限定の仕事のために、毎日、どうしたら組織がよりよく機能し、仕事のスキルがあがるのかを話している。

ある日同じそのひとりとお茶をしにいった時、彼からいかにも望みが薄そうな
でもロマンチックな恋の話を聞いた。
彼は結婚できるんだろうか。
こどもをもてるのかな。
こんなに一生懸命働く人たちが、なぜふつうに結婚し、子供を持ち、
家を買ったりすることから遠くかけはなれて見えるのか
さっぱりわからない。

頑張る人が報われる社会であってほしい。
できることとできないことがあることが問題なのではない。
その決定に、誠意があることが大事なのだ。誰にとっても。

過労死は優れて日本的な美徳に支えられた現象であって、そこへ向かう方向性さえ誤らなければ、大変に偉大で豊かなものを、わたしたちの社会ーのみならず世界全体にもたらしてくれるような気がする。
目的が大事なのだろう。向かう大義の、設定の仕方が。

わたしたちは何のために生き、何のために働くか。

それはやはり、より幸せな生のために、そうするんだと思う。
限りある命を、身近な人たちと慈しみ、自分のこどもだけでなく未来のため、
次の世代により良い環境を残すためにわたしたちは生き、働くのではないか。
死ぬためではない。みんなで生きていくために。

そのみんなのなかには、今緊張が高まっているアジアの国々も入っている。
世界がどんどんグローバル化してゆくなかで、日本単体の繁栄やしあわせなど、
考えられない。
すべては相互に影響し合っているのだ。

わたしは夢を見る。

あなたの夢が地中深くで種となり、芽を出して、
そこから今日とは違う明日が、はじまるところを。

夫が、世の中はそういうところだと思っていたような場所をつくりたい。
みんなの夢をはぐくむ豊かな土壌を。

この世界にあるすべての人工物は、はじめは誰かの頭の中にしかなかった。
人権も、民主主義も、ありとあらゆる組織も。
戦争だって平和だって、最初は存在しなかった。
わたしの求める世界も同じ。
ひとりひとりの心の奥深くにあって、まだちゃんと意識されていない。

「虹のはじまりはどこ?」

背伸びして窓から空を見ていたとうもろこしが、ある日わたしに聞いた。
幼稚園に行っていたころのことだ。

「どこかなあ?どこなんだろうね」

「あ!」
「?」

「わかった!」
「?」

「虹は、うちからはじまるんだよ!
だから、はじまりがみえないんだね。」

そういって、息子はにっこりと笑った。
その笑顔が、もう一度見たい。
























by terasumonnmoku | 2014-02-19 11:43 | 過労死 | Comments(2)
友人のかなちゃんと創っている「篳篥(ひちりき)&ピアノ」ユニット、
11Stepsの「風の音・光の音」コンサートが無事終わりました。

大雪の、大変な状況のさなかにもかかわらず、いらしてくださったみなさま、
ほんとうにありがとうございました。
心から感謝しております。
雪のために今回はお会いすることができなかったみなさま。
これからも活動してゆきますので、またの機会にぜひ、いらしてくださいね!(^○^) 

趣のある古民家レストラン「びすた~り」に響く篳篥の音色は、最高でした。
かなちゃんの篳篥は、回を重ねるたびに、どんどんと深みを増してゆくのです。
深々と降り続く雪のなか、聞いてくださる皆様や、漆喰の壁や、温かみのある太い梁に音が浸透してゆくようすが、ほんとうに美しかった。

みなさまと、その場を一緒に作ることができて、うれしかったです。

かなちゃんの「君が代」は、海に上る朝日の匂いがする。
希望に満ち、あたたかく、輝いている。
世界の、どこにもない響きです。
あのシンプルな楽器は、奏でる人の精神性を、ダイレクトに伝えてしまうんだろうな。

仲間内で楽しんでいるのがもったいなくて、どうしてもこの音を他の方に聞いてほしいと思いました。
それが、長いブランクの末に音楽活動を再開した、わたしの動機です。

篳篥は大変デリケートな楽器で、一本で音楽として成立させることが難しい。
でも、うまくピアノを合わせれば、モダンジャズみたいになっちゃうかも!
そうしたら、コンサートも開けちゃうかも!

かなちゃんは、渦中の混乱期からずっとそばでわたしを支えてくれました。
思えば彼女とのコラボも、夫の死がきっかけです。

結局、彼が道を作ってくれた。
音楽が響いている家が欲しいと言っていたのに、
こんなにも長い間、買ってくれたピアノを弾かなくてごめんね。

わたしが夫を失ったように、かなちゃんは、津波で故郷を、長く続いた家と畑と伝統を無くしました。
ふたりで創るこの音楽は、祈りだと思っています。
失ったすべてのものに、感謝を伝えたい。
そうすることで、わたしたちがともにあった時間を愛し、大切な記憶を引き継ぎ、ずっと一緒に生きていきたい。

演奏する場そのものもすばらしかったのですが、今回、更に感動的だったのは、自分自身が、このイベントをわくわくしながら楽しみに待てたことでした。
夫が亡くなった直後から、ほとんど眠らずに動き続けきて、ハードなことだけでなく、楽しいこともたくさんしましたが、
楽しむためには、感情の葛藤があり、常に気合が必要だった。

その行動をする前から楽しみにできていたか?というと、そうでもなかった気がする。
もちろん、全部やりたくてやっているのです。
ただ、自分の中のわくわくとは結びついていなかった。

このへん、うまく説明できる自信がないし、
その時点では全然そうは思っていなかったのですが、
ほんとうの自分、というより、わたしってそういうひとよね。というバーチャルな感覚のもとに日付を決めて
無理やりいろんなことを、こなしてきた気がする。

「わたしって、幸せだし、別に何にも問題ないのよねー」といいながら、
顔に思い切り「不満!」と書いてある人をよく見かけますが、きっとわたしもそうだったんだろうな。

まあしょうがない気もします。
大変だったんだろうし。(みなさんと同じように、やってる本人はよくわからないー爆!)

だから、今回自分が純粋にわくわくできたことが、すごくうれしかった。
かなちゃんは、どんな音を奏でてくれるだろう。
みんなはどんなふうに、それを聞いてくれるだろう。
そこに自分はどういう色をつけていくことができるのかな。

細部を見れば道は果てしなく、それはどの世界も同じです。
でも、音楽は楽しい。
まだまだ成長の余地がたくさんあることが、勇気をくれるのです。

身体の中で絶えず鳴り響いている音を、正確に表現できるようになりたいな!
練習あるのみ(^○^) 

11Steps の演奏会は終わりましたが、ここから三月頭まで
友人の及川徳子さんの朗読とのコラボイベントが続きます。
興味のある方はぜひ、こちらもよろしくお願い申し上げます♪

このたびは、ほんとうにありがとうございました!!!!!!










by terasumonnmoku | 2014-02-17 11:56 | アート | Comments(0)

LGBTとその他のこと。

家入さんの選挙公約を読んでいて、はじめてLGBTという単語を知った。
LGBTというのはレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの総称で、セクシャルマイノリティのひとたちを指す言葉である。そういう人たちの生きやすさを政策で取り上げたのは、家入さんが初めてなんじゃないだろうか。

以前、カルフォルニアに住んでいた時、あなたは同性間の結婚についてどう思いますか?というアンケートが回ってきたことがあった。さすがカルフォルニアは違うなあ、と感心したが、10年遅れてようやく日本でも公に、こういう声が上がるようになってきたらしい。

個人的には、たとえば息子のとうもろこしが別にゲイでもトランスジェンダーでも全然問題はないし(ただホルモン剤の投与については、複雑な気持ちになると思う。体に悪そうだから)、同性でも異性でも、メンタル面の安定と学びのためにパートナーがいてくれたほうが、いないよりはずっといいと思うが、以前そのようなことを夫に言ったら、烈火のごとく怒られた。

世間の認知と異なった人生を選択するのは、精神的に負荷が高く、生きていくのが難しそうだ、ということもあっただろうが、夫の口調の中には、わたしにはわからない、別の価値基準がある気がした。

LGBTに限らず、人目を気にしあう今の社会で、マイノリティでいることは大変だ。
それは自死遺族や、障がいを持った人などにもいえるような気がする。
でも、自分の弱さや、ひとの痛みを含んだ、さまざまな多様性を互いに認め合い、前向きに折り合いをつけてゆくことが、みんなが幸せで生きる社会を創る唯一の方向であり、道でもあるように思う。

だが、そうだとしても、当事者が黙っていたら、他の人にはなにが問題かもわからない。
だから「違い」を明確にし、自らリスクを負いつつ生きることの権利を主張するひとをわたしは素直に応援したいし、ともに歩いて行きたい。

最近、いろいろな世界に出入りしているので、さまざまな問題を抱えた人に会う。
そこで出会うのは、ひとの崇高さだ。
葛藤と問題が起こらないほうがずっといいと思うが、そこを超えたところには、人が人であることの尊厳と、崇高さがある。
道の途中にいるときは、出口も見えず、時間が永遠のように思えるけど
ちゃんと超えるとひとはすごい。
そしてどんなひとにも、そこを超える力があるのだと思う。

ただ、葛藤の最中を見ると、どうしようもない無力感に襲われる。
スーパーマンか救世主のように、たちどころにその窮地を何とかしたくて、でもそんなことは所詮無理なので、苦しくなるのだ。
どうしてこうなっちゃうんだろう。と思うと居ても立っても居られない。

よく考えるとそれは、とうもろこしが苦しんでいるのをただ見ていることしかできなかった時と同じで、要はそのひとを信頼していない。ということだったのだが、そこに気がつくまで、ずいぶんかかってしまった。

いろいろあっても、きっとだいじょぶなんだな。
いずれにせよ、自分にどうすることもできないことを、くよくよ悩んでもしかたがない。

「家族が自死して、20年外に出られなかった。そのとき、越えられない壁はないと聞いて、絶対嘘だと思った。でも過ぎてみるとね、ちゃんと超えてきたから今がある。だから、超えられない壁は、結局なかったってことなのよ。」

そう話してくださった方は、カウンセリングの勉強をして資格を取り、いま同じ遺族を支えている。
20年、苦しみつづけるのはどんなにか大変だったことだろう。
でも無駄ではなかったのだ。
その苦しみは、ほかの誰かの、明日に続いている。

余りにも社会の現状が厳しく思えたある日、悶々と考えたあげく、
すべてのひとのなかで輝いている「いのちの力」を信じようと心に決めた午後、
ひさびさに、夫の母から電話がかかってきた。

とりたてて内容のない話の後で、最後に
「きのう、とうもろこし君の写真を整理していたのよ。
ようやく、そういうことができるようになってね。

こんなことになってしまったけど、
一緒に干し柿をつくったり、あちこちに行ったりね。
いろいろできて、

・・・しあわせだったわね。」

と彼女はいい、

「はい。しあわせでした」とわたしも答え、

そのあとはふたりとも言葉が続かず、電話を切ってしまった。

しあわせは、なくならない。
それは時間を超えて、いのちを持って、いまもわたしたちのなかに生きている。

たぶん、わたしたちは誰しも、自分の抱える生きずらさのせいで、周りが見えなくなってしまう時があるんだと思う。
その問題があるせいで、世界のすべてが覆い隠されたように感じるのだ。
でも、それはただそう見えているだけで、どんなひともどんな時も、全てが完ぺきに不幸っていうことは、ありえない。
ただあまりに辛くて、一時的に自分が持っているはずの「しあわせ」にフォーカスできなくなってしまうだけなのだ。

ひとりでいると、あるいは、ひとつの家族だけでいると、その辺のものの見方を修正するのは難しい。
だから、より多くの他者と関わることが、大事なんだろうな。
いろんな場所で、いろんなふうに、いろいろな方と関わりながら、
たくさんのHAPPYをつくっていきたいと、改めて思う(^○^) 









by terasumonnmoku | 2014-02-14 18:53
みなさま、おかわりありませんか?
すっごい雪!でしたねーщ(゜ロ゜щ)!
わたしは北海道育ちなので、雪は結構懐かしい☆
雪を見るたびに、いろんなところから飛び降りてはずぼっと埋まって喜んでいた子どもの頃を思い出します。
(屋根とか。学校の二階のバルコニーとか・笑)
いまやったら、確実に怪我するな。

都知事選も終わりましたね。
応援していた家入さん、いまのところ11万票だそうで
多いのか少ないのかわからないけど、あの選挙戦は楽しかったです!
ずっとツイッタ―で見ていたのですが、ひきこもりでメンヘラの子が、応援のために必死で事務所に駆けつけたり(人が恐い子が、どれだけ大変だったんだろう(T_T))、
わらわらと、みんなで楽しくポスターを貼ったり。
選挙カーのためのクラウドファンディング(ネットで資金を募ること)をやっていたり、でも塗装のお金がなかったり。
家入さんの顔がどんどんきれいになってゆくのと(笑)応援している人が楽しそうなのが本当に良かった!

以前アメリカに住んでいた時に、選挙権もないのに勝手にゴア派をやっていた時のことを思い出しました。
道を歩いていると、知らない地元の人に、お前はどっち派だと突然聞かれるので、常に身構えておかないといけなかったのです(笑)

その時以来、今回ひさびさに、選挙を応援したいと思った。
前の参院選で三宅さんが出た時には全然思わなかったので、ちょっと不思議。
「これはお前らの問題なんだよ」という三宅さんと
「これは僕らの問題だよ」という家入さんの違いは、わたし的には結構大きい。
ひきこもりで、元ニート。ドタキャンありの家入さんはどちらかというと当事者であり、弱者の側で
そういうひとが選挙に出るというのがたまりません。
なんとかしてあげなくちゃ。と思ってしまう。
家入さんを見ていると、トップに立つ人って、普通で道徳的なひとー当事者感覚を持ち、全体の利益を考えられる人ーであればよく、特に学歴が高かったり、優れた人である必要はないのかもしれないなあと思えてきます。
優秀な人は補佐でついていればいい。

政策的には宇都宮さん押しで(それはもちろん、労働系の政策がいいので)、
都民でもないのに辛淑玉さんの応援演説に涙したりしていましたが
未来に向けて希望をつなぐ、という意味では家入さんの立候補がほんとにうれしかったです。
結果はやっぱり舛添候補の一人勝ちだったけど、宇都宮さんが二位というのもよかった!!!
細川さんが立たなければ、結構いいところまで行ったかもしれないな(^○^) 

ちなみにわたし自身には支持政党も、特別な思想もなく、左翼でも右翼でもありません。
資本論も3ページで挫折しちゃったし、左のほうで読んだのは共産党宣言と、エコロジスト宣言というお友達推奨の本だけ。保守派の人の本もいまのところ西部萬と小林よしのり(を保守といっていのかよくわかりませんが・笑)しか読んだことがありません。
それがどんな思想かには興味はありますが、特定の考えを持つに至るほどの見識があるわけでもなく、
元赤軍派のお友達もいますが、美智子皇后も大好きです。
(きれいだから!)
エネルギーのきれいな人に惹かれるのは、しょうがない。
でも政治はおもしろい。
政治、というより、人間が面白いのかな。

先日ツイッタ―を見ていたら、希望の会の土井先生が、就活をしている人向きに、労基法を勉強して自衛しよう、なんてことではなく、若いんだったら自分たちで法律を作るくらいのことを考えよう!というような主旨のことを呟いていらっしゃいましたが、ほんとにそうかもしれない。
世の中の変化するスピードに、意識や法律が全くついていっていないのは事実です。
わたしもがんばりますが、それを変えるのは、ほかでもない、新しい世代です。

年末、永田町でロビー活動をしているとき、過労死遺族の先輩の元に東大新聞の学生記者の方が取材に見えていて、ブラック企業の見分け方について、一生懸命質問していました。
なにかいいたいことがあったら言ってあげて、と先輩に言われたので、POSSEの「ブラック企業の見分け方」のPDFを紹介し、
ただ自衛するだけでなく、これからみなさんには、自分たちがどんな社会を望み、どんな働き方を望むのか。をぜひ自分自身の問題として、考えていってほしいと思います。
とコメントしたら、その記者さんの頭の中が白い靄で一杯になり、なかに巨大なクエッションマークが点滅しているのが見えてしまった(笑)

言い方がざっくりしすぎていたのかもしれないけど、東大生でも、というところに驚きです。
日頃そういうことは、考えてないのかもしれないなあ。
社会っていうのは、普遍的にあるもので、変えたり、何かを創り出したりできるものではない。ように思えているのかもしれない。うまくたちまわるにはどうしたらいいか。しか考えていないかもしれない。

つまらなそうだなあ。そういうのって。
せっかくそんなに頭がいいんだったら、何かを創り出す方向で、使えばいいのに!と思ってしまった。

ひとは、考えることによって自由になります。
学問の本質って、本来そういうものだと思うけど、
いつから誰かの作った前提条件を無条件に受け入れるようになってしまったんだろう。
わたしたちは奴隷ではない。考えよう!そして、どんどん自由になりましょう!








 
by terasumonnmoku | 2014-02-09 22:48 | Comments(0)

命日と夢のつづき。

命日前日。30日の明け方に、ひさびさに夫の夢を見ました。

亡くなって、三度目の登場です。
最初は「100日法要」
二回目は昨年5月。あたらしい仕事を始めた。という内容で、今回。
(興味のある方は、2013年5月夫の新しい仕事。参照ください)

「ひさしぶり」と雑然とした埃っぽい部屋の、黒い大きな椅子にどっかりと座って、手に持っていた書類をとんとんと揃えながら彼はいい、

「ほんとはもう、あっち行ってなきゃいけないんだけど、なんかここ、居心地良くてさ。」
そして書類を見て「さて、これもこれも終わったな。」とつぶやき、
名残惜しそうに、じゃあ。と、手を挙げると、彼がサポートしている、若手女性研究者らしき人のあとを追って、行ってしまった。

夢にしては鮮やかで、でも意味がさっぱり分からない。
いったいなんだったんだろうと思いながら起きて、テレビをつけると、夢で見た人が、出ていました。

東京でもなく、大学の人でもなく、なんだかみさこさんでもなかったけど、似てる。
それからずっと、夢のつづきを見ているよう。

もしそうだったら、なんてすてきなんだろう。

この日は午後るなちゃんとたいしくんがうちに交際の(!!)ごあいさつに来てくれて
HAPPYオーラをまき散らしつつ(*  ̄▽) 、三人で話しているうちに
夫がるなちゃんに、わたしと、とうもろこしのことを頼みに行ったらしい。という話題になりました。

「ふたりをお願いします」と彼はいい
「なにもできません」というるなちゃんに、
「いいんです。自分には、ふたりのことをいつも心に置いてくれている人に、お願いして歩くしか、もうできることがないんです。」

そういえば、夫が亡くなった後しばらくの間、頻繁にわたしが友人の夢に出ていた時期がありました。
もしかして夫が、わたしたちのことを頼んで歩いてくれたおかげかな。ありうる~(^○^) 

ひとが多次元的存在であるように、亡くなった人も多次元なのだと思うのです。
ただ、肉体の部分がないだけ。
夢で逢うその人は、より現実で一緒にいた状態に近いけれども、
それだけでなく、いろいろな表れをします。

たとえば夫は、上記の夢のほかに、昨年自民党本部の会議に出席した時、わたしが発言する間俗にいう幽霊のような形でずっとそばにいてくれましたが、―アイイスの霊界通信のときもそんな感じですーもっと神々しいときもあります。

年末彼のお母さんのことで悶々としていたときに「だいじょぶだよ」と言ってくれたり、
車を運転中に危険を知らせてくれたりするときは、ハートの内側にフラッシュのような光がさす感じで、
そこに言葉や音声や、ちょっとした身振りや、感情が全部含まれている。

職業柄夫以外の方の声を受信することもあります。
面白いのは、亡くなった方も、ずっと同じではなく、家族の方の思いが変わることで、変化する。ということ。
寂しげで、きつそうに見えた方が、家族が再び彼女を愛しはじめ―苦しむのではなくーると同時に、やわらかくまるくなったり。自信を取り戻したり。
からだがあってもなくても、一緒に生きているということには変わりないのでしょう。

ちなみに、自死したからといって、夫の魂が特別に穢れたり、
取り返しのつかない傷がついたようなことはありません。
魂は成長度合いによって大きさが異なり、輝きも違っていますが
魂自体に「罪」とか「悪」とかいう感覚はない。
そこには学びと反省があるだけです。
今ここに生きる、あなたやわたしのうちにある魂と、ありようとしてはまったく変わらない。

「見える」範囲は、人によって違うのでしょうが
誰かが「見える」という場合、ほとんど幽体の話に限定されている気がします。
幽体は苦しむことができるので、そういう意味では肉体にとっても近い。

魂は、苦しむことも、悩むこともなく、常に変わらず輝いています。
そして今生での役割と学びを終えると、喜んでつぎの転生の準備を始めるのです。


















by terasumonnmoku | 2014-02-01 10:21 | スピリチュアル | Comments(0)

真理セラピスト・らくがきすと・即興ピアニスト+社会活動家(過労自死遺族/東北希望の会代表)幼少時より、生と様々な死から多くのことを学んできました。11年のセラピスト経験があり、仕事ではいのちのすばらしさについての、エナジーーワーク的なセッションやワークをしています。頭を現実的に使いながらメルヘンな世界を実現させていきたい。社会問題、スピリチュアルな仕事や宇宙のこと、日常について書いています。


by terasumonnmoku
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