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というわけで、パートナーの及川徳子さんと、
夢を語るドリプラ世界大会、初回合宿に行ってきました!
いやあ、すごかった。
プレゼンター、パートナー、ドリメン(プレゼンターをサポートしてくださる方々)
歴代プレゼンター、スタッフのみなさん。
総勢100人以上の、しかも夢あふれる、希望とパワーに満ちた皆さんと一緒に過ごした2日間。
あまりの空気の濃さに、まだ眩暈がしています。

当日参加した18人分の、夢の三分プレゼンを聞いただけで
わたしの情報解析能力はマックスに達し
自分が体験している感覚を言語化する意欲を放棄しました。

ほんとは、参加者それぞれにメンターカードという励ましのメッセージを書かなきゃいけないのに
全然書けなかった。

やる気のある、これだけ大量の、多種多様な人のエネルギーに防露するのは
はじめてかもしれないw( ̄o ̄)w
ミッションがあるので、自己同一性は一応保てるし、自分に関することはできるんだけど
全員にはとても反応できない。

そもそもわたしは、エネルギーとしてしか人を認識しておらず、
意志の力で個体を識別し、相互コミュニケーションを保持し、
人間として機能しているだけなので
もしミッションがなければ、かつてのようにばらばらに分解して
わけのわからないことになっていたことでしょう。

でも今回、あたかも重度の花粉症の人が、花の開花時に杉の森に入っていくかのような体験をしたおかげで、
エネルギーって、どうでもいいものだったんだな。とはじめて(あらためて?)思いました。
そんな気持ちになって、びっくりです。

わたしを含め、ほとんどの人の夢がまとまっておらず、ノイズが多く、
そこを無理やり言葉と形で伝えようとするから、全体の波動がずれずれで、
快適とはとても言えないのです。
それでも確かに、伝わってくるものがある。
言葉にも、エネルギーにも、佇まいにも合っていないのに
はいってくるものがある。
それはやっぱり「愛」なんだと思う。

すばらしい。

夜の夢交流会も、感動的でした。
夢を実現した人が作った、野菜、ジンギスカン、魚、羊羹、卵も小麦粉も使っていないお菓子
ジュースや、プレゼンターの名前入りのビール。
夢が形としてここにあるということが
胃袋でわかる説得力。

初めてお会いした福島正伸さんは、ほんとうにきれいな方でした。
闘病中にもかかわらず、そのことをみじんも感じさせないのです。
瞬間瞬間を、いかに大切に生きていらっしゃるのかが切々と伝わってきて
すなおにありがたい気持ちになりました。
ご自身が亡くなられた後は、天国でシュークリームを食べてても面白くないので
地獄でドリプラをやるのだそうです。
そして、舌を抜かれたり、針山に刺されたりしながら、毎日鬼にメンターカードを書くと、おっしゃっていました。

では、そのうち地獄にようすを見に行きますね!と、その場で先生にはお約束しましたが、
わたし自身は、今生でもう十分地獄ドリプラをやりきったので、地獄は覗くだけにして、
次生は主にシュークリームを食べながら、天国で快適に過ごします(笑)

なんだかまとまりのない感想ですが
宿題に追いまくられているうちに、見えてくるものがきっとあるはず。
それがいまから、とてもとても楽しみです☆彡
お付き合いくださったみなさま、ほんとうにありがとうございました!
今後とも、ぜひよろしくお願いします\(^o^)/









by terasumonnmoku | 2014-07-23 11:58 | Comments(0)

美しいこども。

とうもろこしを見ていると、「なんて美しい子どもなんだろう!」と思う。(親ばかです。もちろん・笑)
彼のことを、本気で心配していた時は、この美しさがまったく見えなかった。

塾や、学校に行けなくなりそうだとか、
成績が急降下して、将来が滅茶滅茶になるんじゃないか。

なんていう、今考えるとどうでもいい、来てもいない未来の不安で頭がいっぱいで
苦悩の中で必死に生きようとする彼を
まるで見ていなかった。

自分が十二分に辛いのに、母がそれじゃあ、きつかったろう(T_T)

今も成績は超低空飛行だけど
勉強しようとはしているし、プレッシャーも感じている。
ひとにつながり、人間関係を自分で創ろうとしているし、
やりたいことを見つけ、そのなかからできることを少しずつ少しずつ、
自分の力で実現しようとしている。
自分の頭で考え、悩んで、動いて、なにかを摑んでゆく過程こそ、まさに「生きるということ」だ。
そのようにしてとうもろこしが一つ、何かをつかむたびに、輝きを増してゆく様子を、
途轍もなく美しいと思う。

彼が、まだ子どもらしさを保っているうちに(それも、あと僅かなのでしょうが)
そこに気づけて、ほんとうによかった。

とうもろこしに限らず、こどもはみんな、すごい。
みんな自分のお父さん、お母さんが大好きで
お父さんとお母さんが不幸だと、自分のせいだと思う。

以前、2日間の放浪の果てに、真っ暗なオーラを背負ってうちにたどりついた家出少年は
最後の夜、手作りの革の財布を出して、わたしに見せてくれた。
「これ、おとうさんが作ったんだ。
教室に習いに行ってできた初めてのやつだから、自分で持っていたかったんだろうけど、
ぼくにくれた。」
家でどんなことがあったんだろう。きっとひどい思いをしたんだろうに、
うちに来てもずっと黙っていた彼は、わたしにはじめてそんな話をすると、少し元気になって家に帰って行った。

喧嘩する両親を心配して、そっと玄関に折鶴を置いて学校に行く女の子や
お母さんが不安定になったことが心配で、夜泣きしてしまう小学生。
苦しい状況の中で必死に生きている子どもたちを見ていると、その心の美しさに、泣きそうになる。

親だって完全ではない。
今生きている大人の中で
しあわせいっぱい!といつも思っている人がどのくらいいるだろう?
ほとんどの大人が、ごくたまぁに「幸せ」を、ちらっと垣間見るだけなんじゃないだろうか。

親が不幸なのは子どものせいではないのに、
なぜか子どもは自分を責める。
だから、「自分が悪い子だから」「自分が嫌い」と思う子が増えてしまうのも当然だ。

全ての大人も、かつては誰かの頼りない、小さな子どもだった。
もしあなたが、「自分が嫌い」だと思うなら、
そばに幸せなモデルがいなかったからに違いない。

だからといって自分の状況を今さら親のせいにしても、環境のせいにしても
なにも変わらないし、はじまらない。
何かを変えたければ
わたしたちは、一から「しあわせ」を始める必要がある。
自分を好きになったり、大切にしたり、しあわせを感じる
練習が。

あなたもわたしも、とうもろこしや、すべての子どもたちと同じように
はじまりは「美しい子ども」だった。
複雑怪奇なこの世界で、熱心に周りに振り回されているうちに
心を亡くしてしまったような気がするだけで、
美しい子どもは、いまもわたしたちの中で、ちゃんと生きている。

ただ、気づいて、一緒に生きて、くれるのを待っている。




 








by terasumonnmoku | 2014-07-19 21:47 | Comments(0)
ところで、以前「責任」と言う日記を書いてから
ドミノ式に過去の問題が解決した。

小学校一年生の時、クラスメートが精神病院から一時帰宅中のお父さんに殺される、と言う事件があった。
当時の担任の先生が、みんなの見ている前で、クラスメートの存在した事実そのものを
消しさったことに衝撃をうけ、
それがきっかけでわたしは6歳にして最初の自殺未遂をし、その後の暗い青春につながってゆくのだが
その先生と、最後の一年に夫に対して私がとった態度は
一緒だな。と思ったのだ。

同時に、隠れていた課題。
16,7の頃、リストカットのために使った血のついた刃物を
わざと見えるように放り出していたのに、母に黙殺されたことを
納得できず、ずっと恨んでいたことを思い出した。
そして、その母も、わたしと一緒だったんだと思った。

気が付かなかったわけではなかった。
どうしようもなかったのだ。
先生も母も、動揺する子どもたちや、娘である私に対し、
ただどうしていいかわからなかった。

マックスで、より良い環境を与えたい。作りたい。という思いから
あたかも悲劇自体がなかったかのように振る舞うことで、
逆にこども側の「痛み」を拒絶して、孤独にし
彼らの苦しみを増大することにつながった。
たとえ結果はそうだったとしても、
わたしも、先生も母も、その時点では最善で、それしかできなかったのだろう。

自死遺族で、自分を自死遺族だと公言したり
家族が自死したことを子どもに伝えられる人はものすごく少ないが
もしかしたら、同じなのかもしれない。
大事なものを、守りたい気持ち。
それも、愛なのだと思う。

ずっと忘れていた母に対する恨みは、
心の奥底に、根深く残っていたらしい。

このことがわかってから、先日はじめて母にヒーリングをしたとき
かつてないほど大量のエネルギーが、自分から彼女に入っていくことがわかって驚いた。

父より母のほうがヒーリングが効きづらいので
それは母に拒絶があるからだ。と勝手に思っていたのだが
自分だった(爆!)
そしてそんな思春期の頃のわたしを、どれだけ母が心配したかという話を
ヒーリングの時に初めて聞いた。心配かけてごめんなさい(T_T)

情けない(T_T)

それから、集団的自衛権を推進する人たちと
それに反対する人たち。
原発を進める人と、反対する人たち。
責める人と、責める人を責める人たち。のエネルギーが
やっていることは違うように見えるのに、
性質としてはまったく同じ。
ということが、ストレートに腑に落ちるようになった。
それまでは、頭だけで分かっていたことだけど
いまは、豚小間も、豚バラも、同じ豚肉。と言う位のニュアンスで
そう思う。

で、どちらもその根底には、変形した(ようにみえる)たいせつなものを、守りたい気持ち。
やっぱり愛が、あるんだと思う。

この世界には、様相の異なった愛があふれている。
向きが違って対立したり、傷つけあったり。
互いに侵入して、過度に守りたくなったり。
それに圧迫されて、反撃してみたり。ひきこもったり。

でも、だからいい。
だからみんなが必要で、だからきっと一緒にいる。
愛を学んでいる。








by terasumonnmoku | 2014-07-15 17:07 | Comments(0)
そう云えば、わたしの本業はセラピストで、ヒーラーでもあるので、たまにそういう依頼が来る。
自分のエネルギーが依頼者に有効だと思う時は受けるが
そうでない時(そのひとに必要なエネルギーがわたしではない場合と、
本人がダメージに直接向き合ったほうがいい場合)は、断ってしまうので、件数は少ない。
ただ、霊障や、過去生や、虐待の記憶に悩んでいるとか、そういうのは得意だと思う。
見えるので、ピンポイントでエネルギーを送ることができる。
過去生は一回で大丈夫だけど(たぶん)、霊障や、今生の記憶に対するヒーリングは、
本人の学びが必要なため緊急時の応急処置的なものに留まる。
セッションも、ここぞというときの転換点としてはきく。
まだテスト段階だが最近自分的にもおもしろく、効果があがってきているのが、事業化・起業の相談など
リアルな仕事の分野で、人がやりたいことを実現していくためのサポート。
全く経験のない分野だが、その人の本質の目指す方向性がわかるので、いいらしい。
本質に沿った自己実現によって、生活が成り立ってゆく人を見るのが、心の底からうれしい。

仲間内で、ヒーラーとして今一番みんなに必要とされていると思うのが女優のくみちゃん。
彼女のあたたかさ。大地にしっかりと根を下ろし、生きることの喜びや愛のつまったエネルギーは
どんな人にも有効だが、特にエネルギーに敏感で、影響を受けやすく、
グランディングが難しいタイプの人には、強力に効く。
駆け出しのヒーラーさんや、セラピストにもいい。
たぶん、同じように大津先生に学んでいる人だけでなく
別の種類のスピリチュアル系の学びをしている人にも、すごくいいと思う。
セッションもお勧めで、ヒーリングとセットで受けると効果倍増。

徳ちゃんは身体のヒーリングと、浄化、宇宙とのつながり、柔らかな愛っていう感じ。
徳ちゃんは先生としてもすばらしく、宇宙がどのように現れて、わたしたちはそれをどうとらえ
活かしていけばいいのかを、わかりやすく説明してくれる。
とってもオールマイティな存在なのだが、特に(当たり前だが)「声」がすごい。
いのちが喜びながら生成発展していくような、ともにある人を包み込み、
一緒にどこまでも広がっていくような「声」
CDだと、肝心のその「ひろがり」が消えてしまうので、
生でないといけない。生で、マイクを通して聴いてほしい。

シュリーヨーガの斎藤みちえ先生は、からだと心と魂のつながりを私たちに教えてくれるスペシャリストだ。
斎藤先生の教えてくれるヨーガは、いたずらにあちこちのヨーガを体験し、その割には身になっていないわたしから見ても(笑)ほかのどことも異なっている。
そこではからだは筋肉や骨や運動性を追求するための道具ではなく、
生きることを喜ぶための神聖な神殿となる。
わたしたちは体を通して、生きることの喜びを実感する。
でも、この世にあるほとんどの「運動」は、動作性を高めるためだけにあり
悟りのために編み出されたといわれるヨーガでさえ
目的はからだを開発して「超常感覚」を得ることに留まっている。
超常感覚で得られるサマディ(瞑想の究極の状態)は、日常生活にはほとんど応用できない。
それはどちらかというと幻覚にちかいものだ。
だから、へたに(そのひとの精神性が十分に育たないうちに)
クンダリーニ(これは「気」に近いもので幻覚ではない)を上げると、発狂してしまう人が出る。

本来、体は宇宙の意志や愛を現象世界(この世)に表すためにあり
それをするためには、心とからだと魂が調和を持ってつながっている必要があるのだが
超常感覚で得られるものは人と人との間にある愛、宇宙と人をつなぎ、
わたしたちに喜びを与える生命の源としての愛とは次元が異なっているため
魂のごく表面的な部分にしかアクセスできない。
興味のある人は、パラマハンサ・ヨガナンダの「あるヨギの自叙伝」を見ていただければわかりやすいと思う。
そこに出てくる写真の中のヨギの偉人たちは、眼光鋭く、不機嫌で孤独そうで、
このひとと一緒に居たら元気になる!と思うような人は
確か一人いたかどうか、だったように記憶している。すごいのは、愛ではないのだ。

愛って難しく思うけど、それは大切な人と、一緒にご飯を食べるよろこびのような
とってもシンプルな表れをするもの。
子どもの笑顔に満たされること。花々や星々の輝きに感動する心を持つことだ。
(思うにキリストや仏陀も、たぶん一緒にいるだけで心が
「花々や星々に満たされる」ようになる人たちだったに違いない。)
それは、なめらかに心とつながった体で行うものなのに
その大切な身体性が、いま、どんどん置き去りにされている。

と言うのを自分自身の問題として、最近ものすごく実感している。
いままで、意志の力ですべてをなげうって走ってきたけど
これからは、体を引きずって無理やり進むのではなく
全人的に行かないと、もたないところに来てしまった。と、自分についても思うのだ。
というわけで、わたしは今月美智枝先生のヨーガの個人セッションを受けることに!
先生どうぞよろしくお願いします!!!!!








by terasumonnmoku | 2014-07-12 10:02 | スピリチュアル | Comments(0)

人の見え方・2

誰に興味があるのかはわからないし、リアリティがあるのかどうかも分からないが、
おもしろいものを見つけたので、シェア(^○^) 

http://blog.livedoor.jp/drazuli/archives/6335298.html

これは、高速で動く太陽系の動画だけど
わたしが見ている「人」も、こんな感じ。
太陽の部分が魂で、この周りに肉体がある。
肉体の中にも外にも、高速でさまざまなウエーブが走っている。
(しいて言えば)
その一つ一つに、「人の見え方1」のような細かい粒子が振動していて
その振動の仕方も全部違うが
一人の人の中では、それなりに調和がとれている。
(抑圧的なひとは、強い意志の力で、自らの振動を無理やり押さえつけているようにみえるが、
動いていないわけではない。)

以前、日本でも有数の頭のいい人たちとお話する機会があって
その人たちの頭の使い方、と言うか頭の中のエネルギーの流れ方が
個性によってダイナミックに異なっていることに感銘を受け、
脳の使い方を見るのが好きになった。
人によって、ものを考えるときに、光のラインの走る場所や
エネルギーの流れる量が違うのだ。

ただエネルギーを見ているだけで、思考を言語化して読んでいるわけではないので、
何を、どんなふうに考えているかはわからない。
ただ、思考が展開する過程で、そのひとの感情が動けば、感情の種類から
考えられていることの中身を推察することはできる。
(状況が複雑な場合や、内容が専門的な場合は困難。思考にくらべると、感情のほうがずっと読みやすい。)

現象を情報として処理してゆく過程は、性別によっても、職業によっても、年齢によっても
ひとりひとり全部違う。
それはほとんど、様式美の世界だ。
少ない情報とシンプルな処理機能だけで、ものすごく豊かに人生を生きている人もいれば
ストックした大量の情報を、ネガティブな想念の補強のために使用して、
自らの生命力を懸命に押さえつけている人もいる。

抑圧されたエネルギーがマックスに達した時、ひとは自己崩壊したり、
新たな情報処理の方法を学んでダイナミックに変化したりするのだが
進んで変化するか、いやいや時間を(10年~苦痛を味わって)かけて変化するかの違いだけで
魂が変化を望んでいるということ自体は変わらない。

ちなみにひどいことをしながら、まったく苦痛を感じない人もいる。
そういうひとは、経験値がないからで、別にすばらしいひとだからではない。
苦しみと言うのは、魂の深さがあってはじめて起こることなんだと思う。

みんながよく言うオーラは
わたし的には「肉体」として認知されているらしく
そのひとが女優さんとかで舞台に乗っているような場合以外
普通の状態で、意識することはない。

自動的にオーラの大きな人は目に入りやすく
小さな人は視界に入らない。
色や形も、そうしようと思って焦点を合わせ、画像情報を翻訳しないとわからない。
(チャクラも同じ。そうはいっても、極端な場合は目につく。)

ちなみに、みんなが大好きな過去生は、魂の遺伝情報のような形で認識される。
ひとりひとり、魂には特有の遺伝子コードのようなものがあるのだが
そのコードが、時間と空間という、わたし的には架空の設定の中で展開をすると
過去生になる。
だから、性別が違っても、外見や年齢が全然違っても
何人そこに人がいても、主人公を間違うことはない。

わたしに過去生が見えるのは、本人にその過去生の記憶があって、感情帯が振動するとき。
悲しかったり、うれしかったりという、特別で熱烈な記憶が、カギになっている。

時間と空間というのは、わたしにとっては、料理に使う「だし」のようなもの。
あればあったで味が膨らむ。でも素材そのものではない。
時間も空間も、あると思えばあるし、ないと思えばない。

でも魂の癖のようなものは確かにある。
その癖を、現在において認識したり、矯正するのが難しい場合
頭痛の薬を飲むような感じでヒプノセラピーを受けるというのはありだと思う。
ほんとうは、そのひとの現在が整ってくると
過去生の問題も自動的に整理がつくようになっている。
ヒプノだと限定された状況だけがクリアになるのだと思うので
際限のない癒しが必要になってしまいそう。

わたしたちは恒常的にこの世界にいるのではなく
どちらかというと、絶え間なく点滅しているように思う。
絶え間なく動き、絶え間なく展開することによって自らの存在を知る。

ただ問題は、そういう知覚機能と
人間としての意識の持ち方を、どう連動させればいいのかがわからない点で
この辺がつながって、三次元でリアルに認識できるようになると
より面白くなりそうな予感。


by terasumonnmoku | 2014-07-09 16:09 | スピリチュアル | Comments(0)

愛。

先日師匠の大津先生のセミナーが2カ月ぶりにあり、
サクサクと行ってきました!

セミナーは誘導瞑想と、そのものずばり「愛」のお話で
ひさびさのおいしい時間。

以前は、なんか宗教の勧誘みたいで人を誘うのはやだな。とちょっと思っていたんだけど
心が忙しい人と、体が忙しい人の間で揉まれているうちに
最終的に人を救い、世界を救うのはやっぱり「愛」だ。
と言う結論に。
(徳ちゃんは、「真理」と書いていますが、基本的には同じものです)

「愛」がどのようなもので、どんな波及効果を持つのかを体感してもらうには
先生のセミナーが一番。
ということで、興味を持ってくれそうな人には、ばんばん声をかけるようになりました。

それは理屈ではないので、わかるひとにはわかる。
わかったものは、その人なりの自己実現の過程で
着実に効力を持つのです。

誤解されやすいのは、自己実現は、あくまで本人が自分の力でするもので
大津先生がいくらすばらしくても、だからといって、先生がこれだよ。
と与えてくれるものではないということです。

だから、やりたいことの方向性が、はっきりしているひとのほうが、いいんだと思う。
自分を探している人には、不向き、というか、時間がかかるかもしれない。

人を支える職業を選択している人に
保身と一生懸命がごっちゃになって、折角の意欲が空回りしているようなことが
よく見受けられます。
人を支えるというのは本来、愛に満ちた行為のはずなのに、その過程に自我や
支え手のもつ否定的な概念が飛び出し、はさまることで
逆に人を傷つけてしまう。
特に傷ついた人が対象の支える仕事(精神科医やカウンセラー、ソーシャルワーカーとか。調停員とかもそうかな)の場合、その被害は甚大です。

普通の悩みなら多少の軋轢も人生に必要な学習行為なんだろうし、
それはそれで意味があると思うのですが、
わたしが関わる方のように、精神的にものすごいダメージを負っているひとを対象にする場合
支える側に「愛」に至る学びがある程度できていないと
関わり自体が、傷ついた人をさらに傷つけるものになりかねない。
(非常に注意してもそうなりがちなので)

それは、行為の当事者(支え手)にも当然帰っていくため
結果、不調和がどんどん拡大することになってしまう。

大津先生のお話自体は、「愛」についての割と単純で抽象的な物語で
抽象的で単純であるがゆえにわかりにくかったりもします。
壮絶な人生論とかでは全然ない。

話しの意味が分からなかろうが、再現できなかろうが
そのパワーは着実に伝わる。そういう不思議な作用を持っています。
意味が分からなくても、誰しもなぜか元気になり
世の中が明るく見え、しかもなぜそうなったかがわからない。
という効き方をするのです。
しあわせになる。一人が幸せになると、まわりがあたたかくなります。

人間は、悲しいこと、苦しいこと、人や自分を責めるようなことを
長い時間考え続けていると、いとも簡単に壊れます。
精神が壊れるか、肉体が壊れるかは
単に生物としてどちらが弱いかのバランスの問題にすぎない。
そういう具体例を、わたしはたくさん見てきました。

よって、ひとはそもそも、否定的なことを考えるようにはできていない。
というのが、近ごろのわたしの結論です。
でも否定や批判ばかりの大量の情報の中で
ひとり純粋に愛のひとであり続けるのはなかなか難しい。

だから仲間がいるし、先生が必要なんだと思う。
先生が育ててくださったわたしの大切な仲間たちは、
どこにいっても周りに明るさと「愛」を届けることができます。
みんなに会うことで、心を開くことを忘れていたたくさんの方々が
光を取り戻していくところを目撃するのは、
喜び以外のなにものでもありません。

同じことができるなら、イスラム教でも、キリスト教でも、民主主義でも、左翼でも、
構造主義でもなんでもいいと思うけど
「思想」自体には残念なことになんの力もないみたい。

ここで語られている「愛」とは、男女間の愛や、親子の愛、自己愛とも異なったものです。
キリスト教で言うアガペー以上で、
その中にも含まれ、それを凌駕しているといったほうがいい。
「愛」はものごとを成り立たせている力、宇宙の根本原理であり、
別な言い方をすると「真理」であり、「いのち」であり、「どんどん拡大し、自己増殖する知恵」でもある。
大変リッチです。
でも、そこまでいっちゃうと、たぶん訳が分からなくなってくると思うので
今日はこの辺で(笑)
by terasumonnmoku | 2014-07-05 22:25 | スピリチュアル | Comments(0)

責任。

先日、集団的自衛権の行使容認がついに閣議決定された。
確か2か月くらい前かな、この話が出始めた時、わたしはどっと落ち込み
ラッドウィンプス(正確にはみそ汁ず)の「ジェニファー山田さん」を聴いたりして
溜飲を下げていたのだが、
新宿でほんとうにこういうことをする人も出てしまった。

派手な行為は派手に見えるだけで
大勢に大きな影響はない。
決してこういう行為を擁護するわけではないが
孤独で、自分に価値がないと感じるひとが
より大きな何かのために自分の命を使いたいと思う気持ちはわかる。
家族や友人や、守るべき大切なものがなければ
わたし自身が、いかにもそういうことをしそうな人だったから。
(そうは見えないだろうが、たぶん夫も同じタイプだったんだろうと思う)

ジェニファー山田さんを聞いていた時、この気持ちわかるなーというと
息子とうもろこしは、真剣にびびっていた。
「おれはわからないよ」
と言う答えを聞いて、すごく安心した。

「守るべき大切なもの」をつくるのも、
結局は自分なんだけど、追い詰められたり、孤独だったりするとそこが見えなくなる。

問題を抱えると、どうも人間には(というかわたしと夫の場合)
問題を抱えた自分だけがとんでもなく悪いと思うらしく
罪悪感の重さに耐えきれず、他者や背景を攻撃するようになり
そのために(程度の違いはあるが)人を受け入れる余地がなくなってしまう。

社会と言うのはたくさんの要素が絡み合って成り立っているので
起きたことのすべてに自分が責任があるわけではない。
(一部はある)

困難は、ただ解決すべき問題としてそこにあるだけなのに、
自分を責める気持ちがあると
とたんに脳が思考を停止して、うまく働かなくなる。
よって更に状況が悪化するということが起こる。
あのべったりしたものこそが、「汚れ」というやつなんだろうなあ。
逆説的だが、それはその件に関しての、自分の分の責任を認めることでようやくクリアになる。

6月は一つそういうことがあり
わたしはまたすこし楽になった。

それは夫の自死についての自分の責任を認める。
ということで、認めてしまえば終わってゆくことなのに
その最中は先が見えず、ほんとうにきつかった。

(このブログでは「寂滅を楽しみと為す」ーを書いていたのがそのころにあたる。
今度、福島で開催される自死遺族のパネル展に夫の写真を出すことになり
そのために、遺族として、夫への手紙を書けと言う指令が下ったのだ。
死ぬかと思った。わたしのへたくそな字で書かれた手紙も、たぶん一緒に展示される予定。
あれほど字をきれいにしろと本人に言われていたのに、誤字を書き直す気力もなく出してしまった。
そういうものを出すのがどういうことなのかもわからないし、
感じたことをさらけ出すのは恐いような気もするが
誰に何を言われても、自分の未熟さゆえに彼を救えなかったという事実を
わたしは受け入れて生きていくしかないので、しょうがない。)

そこが認められない間
わたしは自分を責め、夫を責め、人を責め、社会を責め、ありとあらゆるものを
ぼんやりと責めていて、すごく苦しかったんだと思う。

自分に正直である。というのは結構大変。

なんにせよ、いつもわたしのモードの盛り上がりはみんなより少し早いので
ひとつ問題がクリアになったことで周りの見え方が変化した。
結果、集団的自衛権についての捉え方も、変わってしまった。
あのデモの群衆が、とんでもなくきれいに見える。 
壁紙にしたいくらいだと思って、なんどもなんどもいろんな写真をチェックした。

みんなで変化している感じと、
それを認識できるようになった自分自身の感覚の変化が
ありがたくうれしい。
わたしたちが見る世界は、自分自身の投影にすぎない。
一人が変化することで、確実に世界は変わってゆく。
by terasumonnmoku | 2014-07-02 12:13 | Comments(0)

宇宙真理哲学講師、らくがきすと、即興ピアニストぷらす社会活動家(過労自死遺族当事者)働くことから世界を変えるをモットーに、さまざまな活動をしています。合言葉はREBORN.大事なのは、生きることだ!


by terasumonnmoku
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