朗読会の感動的な感想。

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朗読会の、超すばらしい感想を頂いたので
ほぼ全文抜粋します(^○^) 
感想を寄せて下さったのは、男性です。
こういう感覚を持って、普通に社会で働きながら生きていくのは大変だろうなあと思うのですが
あと10~20年もすると、時代はすっかり変わり
ごまかしのきかない世界に否応なくなりますので
みんなで縦横無尽につながりながら、がんばりましょうね!
ここしばらくの、しんぼうです。

わたしはこのきらきらした世界と
ことのころ関わり出した自死防止ネットワークや、過労死防止活動との
自分の中での感覚的な溝を
ドリプラのプレゼンを創ることによって統合する作業に追われています。
なんにせよ、自分にしかできないことをするのは楽しい。

目的と手段を間違えないようにしよう。くれぐれも。と自らに言い聞かせつつ。

以下本文ーーーーーーーーーーーーーーーーー
前半略

私は人が一言、二言話す中にその人の心の本質が隠されることなく伝わると思っています。
いわゆる芸能人が上辺を飾って話してもその人の心の波動というか水準が低いととても聞いていて苦痛を感じます。
ですからテレビドラマなど観たことがありません。
ところが及川さんの声には読み上げている美しい詩との不調和が無く、及川さんの声が詩の内容を私の心に深く浸みこませ、詩の内容が及川さんの声によって大きく高く増幅されたと思います。
それから前川さんのピアノの伴奏、これがまた素晴らしかった。
決してピアノが出すぎることが無く、不足でもなく、朗読の言霊をピアノの響きで包んで空間を満たし私の心に浸みこませてくれました。
ピアノ協奏曲というジャンルがありますがこれは朗読ピアノ協奏曲と言うべきです。
朗読とピアノの絡み合いが言霊の表現を一層深めてくれました。
最後に及川さん前川さんは「当たり前ですよ」と言われるかも知れませんが、会場の場(フィールド)が全く変わりましたね。
普通体験できない高いレベルの場となり、この会場にいるだけで心身が清められそして癒されると思います。
言葉では上手く表現できませんが朗読の内容通りの場で会場が満たされました。
この朗読会の全てが全く本物であればこそ場まで変わったと思います。
これは新鮮な驚きでした。
こうしたことは純粋な祈りでしか体験できないと思っていました。
来年あたりから日本や世界の情勢が大きく変わってくると思います。
少しでも多くの方にこうした本物の言霊を知ってもらって、これからの時代を乗り切る真理を味わってもらいたいものです。
これはお二人の使命でしょうね。
お二人の一層の活躍をお祈り申し上げます。
(文章表現の修辞ではなく本当にお祈りをさせていただきます)
ありがとうございました。




by terasumonnmoku | 2014-10-28 10:14 | Comments(0)

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というわけで、「ひかりのことだま」の徳ちゃんとの朗読会も
大盛況のうちに無事終わりました!
一緒に参加していただいた47名?ものみなさま
ほんとうにありがとうございました。
美しい言葉と、美しい声と、美しい皆さまとの時間を
ともに創りだし、堪能することができて
本当にうれしかったです\(^o^)/
空間が、きれいだったね。

もんもくさんから見た世界は、どんなふうなの?
と昨日も聞かれ
「わたしたちの見ている世界を、みなさんに届けたい。」
という徳ちゃんのその場の言葉を聞いて
一度ちゃんと説明してみようと思い、日記を書きはじめました☆

わたしのピアノ、いつも即興とかでたらめとか言ってしまうんですけど
実は全然そうではありません。
率直に言って、一時間でたらめを弾くのは不可能だし
調和も生まれない。

あれは、書かれている言葉や、徳ちゃんの声のバイブレーションや、
会場の皆様の雰囲気や、その時のわたしのモードを
その場その場で音に変換したものなのです。
だから、同じ朗読でも、瞬間ごとに、会場ごとに全部違う。

添付した写真が当日の原稿で
わたしにとっての「楽譜」です。

子どものころから曲を弾いていて、
特に前衛的だったり、自分にとって意味が分からないフレーズを練習するときに
メロディーから物語を書き起こす。ということをよくしていました。
(特に難しかったのが、たとえばバッハとかシューベルトで
あれは聞くのと、弾くのとでは、住んでいる世界がまるで違うのです。
シューベルトはほんとに、西洋庭園を旅しているみたい。日本人にはない感覚かも。)

それをわたしは10歳くらいの時に思いつき
まったく我流だと思っていたのですが、
後に「のだめカンタービレ」にも小澤征爾さんの本のなかでも同じやり方を見つけたので
音楽的にはよくある手法のようです。

で、朗読会の演奏では、その逆をやっているわけです。
ただ、ストーリー性のある物語の場合は
その感情の盛り上がりに合わせて音楽の流れを創って行けるのですが
今回のような、マントラ系の言葉の場合は
それが結構難しい。

言葉と言うのは、非常に目の粗いざるのようなもので
特に大津先生の「わたし」や、
留奈ちゃんが使う「ひかり」や「かがやき」や「かみさま」
などは、
出てくる場所ごとに全部ニュアンスが異なる、非常に複雑で、
豊かな世界観を顕わしているものなのに
(これをわたしたちは俗に?多次元、といっている)
言葉としては全部同じなのです。
その違いや、豊かさや、エネルギーの方向性を
弾きながらぱっと判断できるように
今回はちょっと工夫して、絵を描いてみました♪

ちなみに、留奈ちゃんの言葉の場合は絵もまだ具象性がありますが
これが師匠の大津先生になると、ほんとに抽象画です(笑)
わたしの能力的な問題もあるのでしょうが、
個我を超えてしまうと、形を創るのが難しい~。
やっぱり人間は、人間だから楽しいのかもね(笑)

ネガティブな言葉の豊富さに比べ
波動の高い言葉って、圧倒的に数が少ないんじゃないかと思います。
言葉は意識のあり方を示したものなので
そこまでわかる人が少ないということなのかな。
でも、これから、より繊細な次元に入っていくと
言葉に頼る余地はなくなっていくので、いまは過渡的な感じなのでしょう。

最近、絵を描いたりピアノを弾いたりすることが
むやみに楽しくなってきました♪
テクニック的には両方とも全然だけど
わたしの見ている世界を伝えるという意味では
すっごくいい手段かもしれない!

特に絵はおもしろいです。
子どもの落書き並みの絵なのに
つぼに入ると得も言われぬ魅力を見る人に与えてしまうらしい(笑)
それが普段絵を全く見ない人だったり、
わたしのことを全然知らない人だったりする。
こういうことは、ほかの人の描いた
「見栄えのする絵」では、起こらないと思うので
逆にうまくなくていいのかもね( ̄ー ̄)
あ、あとわたしの描いた絵はどんな絵でも
飾ると空間が明るくなります。これは不思議。

と言うようなことを最近考えていますが
実はもうドリプラがおしりに火が付いた感じになってきていてるのです。
決まっているのは、大成功するということだけ(笑・なんだそれは!)

結局重要なのは
「わたしたちの見ている世界を、みんなに伝わるかたちで、今ここに顕わす」
っていうことなんだろうな。
人に感動を与えるとか、そういうことじゃないんだ。
信じること。決めること。
まずそこからはじめよう\(^o^)/





by terasumonnmoku | 2014-10-26 08:45 | Comments(0)

自分を大切にする。

9月の激動シーズンのわたしの動き方は、はたで見ても凄まじかったらしく
多方面から「もんもくさんが過労死しそう」「自分を大切に」
と言われてしまった。

そう言われて改めて思ったが
「自分を大切に」って、「どう」大切にすればいいのか
案外よくわからない。

でも、あまりのタイトさにご飯も喉を通らなくなり
精神的にも余力ゼロのぱっつんぱっつんで動くのは
もう飽きた!
この辺でモードを変えよう!
と本気で決意。

考察の結果、食べる物や、運動もそうだけど
普段自分が体験する感情や、いる環境を
もっとちゃんと捉える必要があると気付いた。

それは、自分の好きな人だけに会うとか
自分のいたい場所だけに行く。
という、依存的なことではなく、

もっとすべてについて責任を持つということ。
自分のやろうとしていることにちゃんと注意して
あらかじめ、よい原因を創りながら動くということ。
(きっとうまくいく。素敵な展開になる。わくわくがうまれる。どんどんすばらしくなっている。
劇的に世界が変わっていく。等と思いながら!考えるのは自由なのだ!)

そんなとき、「楽しむ」というキーワードが浮かんだ。

お父さんと具体的になにを話したかは覚えていないのに
話をしたときの「楽しさ」だけが記憶に残っていると息子はいい、
それが今の彼を支えてくれているような気がする。

わたしの、年の離れた妹は
赤ちゃんの時に連れて行き、一緒に遊んだ公園が未だに大好きで
その時の記憶はないのに、わざわざ遥かに遠く離れたその公園に
自分の息子を連れていったりしている。

楽しさ。
と言うのは、ひとが生きる力、そのものなのかもしれない。

夫もわたしも、本来ものすごく楽しむことが上手な人たちだったし、
そして夫は、最後の最後まで、あの状態の中でちゃんと人生を、楽しもうとした。
わたしが笑うと、きっと彼は笑うだろう。そういう形で生きていることを望むだろう。

そう思い直して、彼の死後、自分が楽しむことに抱いていたハードルや罪悪感を
遠慮なく外してしまうことにした。
これからは、楽しんで、喜んで生きていくことを自分にゆるす。
自分の気持ちや感情を大切にする。
ほんとうにやりたいことをやるために。

ちょうどこんな感じ!
http://happyeveryday.biz/post-11193

するとドリプラ台本のエネルギーが変わり
苦手だった東京の相互支援会の濃い~感じが好きになった(笑)
自分の未熟さと
出会う人のすてきさが、広い範囲で見えるようになった。

ひととのかかわりも深くなり、きのうは関西で「生きざま塾」という
塾の塾長に台本を見ていただいて
一時間にわたる、ものすごく濃いフィードバックを受けた。

世界ドリプラに参加していなければ
絶対に出逢わなかったみなさんと、いきなり核心をつくような
濃いかかわりを持たせていただけることが、ほんとうに楽しい。



by terasumonnmoku | 2014-10-22 10:26 | Comments(0)

二重の虹

いま、わたしは12月に開催される世界ドリプラに挑戦中で
一生懸命シナリオを練っている。

最初に書いたシナリオは、完成度も高く
一見わくわくな感じにできたけど、
自分の感情と解離してしまった。
わかる人が見ると、重要な部分に無理やり感がいっぱい。

リアリティを持たせるため、全面的に書き直した。
事情をご存じの方には好評だったのに、
世界観の違う人には、全く伝わらない。

どはまりしたそのタイミングで、世界プレゼンター&ドリメンの、あづささんと、
通りすがりの税理士けんちゃんちゃんさんが、個別支援会を開いてくださった。
あづささんはストレートに
「たまちゃん、大学を恨んでるでしょ。恨みのあるところに共感は生まれないよ」
とわたしに言い、
けんちゃんさんには「よく読むとこれ、細かい棘がいっぱい刺さってるんですよね」
とのどかに指摘された(笑)

あづささんの言葉には
人生経験に裏打ちされた、みごとに美しい波動が宿っていた。
それはわたしが隠し持っていた、ネガティブな思いの中心を直撃し、
汚れが瞬時に、から揚げになった。
じゅわ~っ!
(そしてけんちゃんさんの言葉には、否定的な粘り気が全然なく
あえて言葉にすると愉快な波動が載っていた・笑。
あの内容で、「愉快」ってw( ̄o ̄)w立ちくらみしそう~)

すごく不思議なのは、わたしは人は許せたのに
「大学」は許せていなかった。ということだ。
大学には、人を人として扱ってほしかった。と思うたびにむかついて、
胸の中で勇ましくこぶしを振り上げていた。

状況が厳しかった。ということは間違いのない事実で
その時はそうすることが精いっぱいだったとしても、
おかれた環境の中で依存的に振る舞い
きちんと考えることも、的確に行動することもせず、
自分や人を、人として大切に扱わなかったのは
わたしであり、夫の方だった。
自分たちがそうだったから、そういう現象が起こったのだ。

責任を転嫁して総体としての「大学」と言うものを想定し、
恨んでいたのかもしれない。
どうしてこんなことが起こるんだろう。
個人を恨むより、総体を恨んだほうが、気分として楽なんだろうか。

総体としての「大学」は人ではないので
当然そこに、確固たる意志があるわけではない。
ただ人間がいて、偏った「空気」があるだけ。
考えてみると、夫自身ひいてはわたしさえもが、
その空気にいいだけ染まっていたのに、
敵対するのも無意味だ。
だいたい、空気を恨んでもしょうがない。

こういうことは前にも考えたのに
なんどもなんども同じところでトラップする。
でも、きっと進化しているんだと思う。
段階を踏んで進んでいるだけなんだ。

というわけで、ドリプラの台本はまだできていないけど
先日チームのみんなに、とりあえず書き上げた新しいものを見てもらった。
その日は台風で、交通は混乱し、街中大変なことになっていたのに
それを理由に「来ない」といったメンバーは一人もいなかった。
チームまえかわ、おそるべし。感謝とかいう、レベルではない。

台本の完成度は低く、みんなからは的確なダメ出しがいっぱい入った。
でもどう直すかは見えていて、あとは作りながら考えていく。
今の自分からはじまって、どこまでわくわくに持っていけるか。
ま、サポートもいっぱい入ると思うので、きっとなんとかなるでしょう(^○^) 

支援会が一段落ついた時、会場の28階のフロアの窓から
くっきりした、二重の大きな虹が見えていることに、
ひろみんが気づいた。
わたしたちだけでなく、男性も女性もこどももおとなも、幸運を喜び合い、
そこにいたみんなで、大撮影大会になった。
シャンパンの泡のような色と形をしたみんなのしあわせが
あちこちに弾みながら
フロア全体に広がって行った。

虹の祝福は長く続き、
そこからわたしたちは、またはじまった。













by terasumonnmoku | 2014-10-09 21:10 | Comments(0)

解放

ところで、先日の冊子「自死遺族として生きる」が遺族の方に配布されるようになって、
同じ過労自死遺族の方が、わたしに心を開いてくださるようになった(^○^) 
一部の方だけなのかもしれないけど、
素直にうれしい\(^o^)/
その結果、抱えている問題そのものにフェアに向きあい、
できる範囲で行動していけば
周りにも良い影響を及ぼすことができるし、
子どもたちも、充実した人生を送って行ける。
という実例を、初めて見せていただくことができた(T_T)
すごい!

あと、経験の全体像が俯瞰で見えるようになった。
自分の話なのに、まるで、ドストエフスキーの小説を読んでいるみたい。
と、後でぼんやり思ったが、同じことを父にも言われたので
あながちこれは、わたしだけの感想ではないらしい。

夫やわたしを含めそこに登場する人物は、
みんな限られた範囲でしか周りが見えておらず
それぞれの認識し得る世界の中で、精いっぱいに、
最善を尽くして生きていただけだった。
大きな災害の影響下で、最善と最善がぶつかりあい
歯車が少しずつずれていくように、状況が悪化して
その負荷が、当時組織の中で
時期的に難しく、不安定な立場にあった夫の上に一気にのしかかった。

自分を含めたみんなが、それぞれに限られた範囲でしか状況が見えていなかった。
ということを、
頭で理解しただけでなく
まざまざと体感できたことによって一つの解放が起こり
じーん・・・・・・としていたまさにその時、
めったに連絡を取り合わない夫の母から
突如、6通に渡る長文のメールが届いた。

二通はとうもろこしへの愛と、控えめな要望。
二通は心を癒す、どなたかの書かれた文章の抜粋。
二通は、今後はなるべくいろいろなことを楽しんで
大事に生きていきたいと思う。
という、これからの展望が書かれていた。

お友達も、学生さんも、エアロビで一緒だったみなさんも
みんなが彼のことを大切に思ってくださっています。
どうかたくさん笑って、たくさん楽しんでください。
きっと彼も喜んでいることでしょう!
と、返信を送った。
わたしの中で燃えるような氷の塊が溶け
静かに、彼の笑顔が輝いているような気がした。
そこでゆるされたのは彼女ではなく、
わたしのほうだったのだと思う。

問題が大きすぎ
直接関わっている方になに一つできず、
一見ばらばらに生きているように見えても、

自分が学ぶと、ちゃんと変化が起こる。
いろいろな規模で。

当たり前なような、神秘的なような、
みごとな宇宙のしくみと
与えられる愛の深さに気づくたび
いつも泣きそうになる。









by terasumonnmoku | 2014-10-08 09:46 | Comments(0)

自死遺族として生きる

夏ごろより、自死をテーマにしている社会学の研究者の方から
夫の件に関して何度かインタビューを受けていたが、
それをテープ起こししたものが原稿になり、
先日それを校正する機会があった。
(自死遺族として生きる。というのは、その冊子のタイトル)

まったく事情が分からない方からのインタビューということで
説明不足な部分については、捕捉のため何度も同じことを聞かれている。
そのたびに、回答のトーンが変わり
自分が、段々冷静になっていくさまが、そのまま表れている。

同じ話でも、外部に情報をアウトプットするときと、自分にインプットするときとでは、
刺戟される脳の部位が違うらしい。
自分が話した自分の体験で、
話しをすることの精神的負担は、さほどでもなかったのに、
最初にその原稿を読んだときは
衝撃のあまり、立ち直ることができなかった。

めげずに何度も読み返しているうちにだんだん平気になり、
7回読み返したくらいで校正をしたところ
おもしろいことに気づいた。

わたしは、どちらかというと、
公の場ではさほど無駄なく意味の通ることを言うほうだと思うが
感情の整理がついてない部分に来ると
論理が見事に破綻する。
混乱し、言っていることがよくわからない。
(もちろん本人なので、その時言った内容は覚えているし、言った時はおかしいとは思っていなかった。なのに、字面で読むと、まったくわからない)
全部ではなく、整理のついてないところだけ、そういうふうになる。

夫のことがあっても、変わらないペースで継続的にこのブログは書いているが、
書いた文章では、こういうことは起こらない。

インタビューを、ちょっと距離を置いて読んでみると、
ここでこのくらいこの人(自分だけど)
は怒っているとか
感情が混乱しているとか、拒絶しているとか、ひとのせいにしているとか、
ちょっとした言いよどみや、無意味な前置きの中にいろんなものが読み取れて、
いやになるほど考えていることや、出ているエネルギーの質がよくわかる。
ピアノでフレーズが弾けるくらいに。

インタビューしてくれた研究者の方に
ここでむかついている、というような感情の動きが、
一見意味のない「あのう」など言葉のなかに、
よく出てますよね。
とその個所を指さして説明すると、そうなんですか?といって、
(ここで怒っている)と言うメモを書かれたので
どうやらほかのひとには、わからないらしい。

内容的には、いい人そうなことを言っているので
わからないほうが普通なのかもしれない。
自分以外の人に、わざわざ説明するのも、
さほど気持ちのいいものではないので
その話はそこで終わった。
が、実のところ今回のことだけでなく
どうでもいい些細な部分の詳細にわたって意地悪く、残酷に、
常日頃ほかの人のことも見ている自分に改めて気づき、
うんざりした。

その「混乱」について考えてみた。

23日のフォーラムで、自死についての差別と偏見というタイトルで講演してくださった
弁護士の先生が当日のお話の中で、
自死行為の最終段階では、その人の人格に「解離状態」が発生している。
解離がひどいほど、自傷が深刻である。と言う説を教えてくださったが、

なにか受け入れ難い感情の混乱が発生している時
ひとの頭の中では、自死を決行する人と同じような
「解離」(大津スクールふうにいうと「分離」)現象が
おきているのではないだろうか。

想像するに、それは自然な防衛本能で
大きすぎる葛藤を一度自分から引き離し、他者に投影することによって、
日常のもめごとや学びの中で、ゆっくりと自己の再統合を図る。

その葛藤を引き起こすきっかけとなったダメージによって、
損傷を受けたアイデンティティを
再構成するために必要な、
時間稼ぎのようなものなのかもしれない。

ただ、わたくしごとに限らず、統合されてない問題に関する本人の発言は、
ほかの人にはほとんど伝わらない。
自分に明確な意見や意志があるときならいざ知らず、
こんな風に自らが混乱している状況にあると、
場合によっては人に大きく迷惑をかけてしまう。

今回、メディアの報道の内容が、
取材する人の先入観によって、壮絶にまちまちな感じになってしまったのは
自死と言うテーマの微妙さもあるとしても、
わたしのその辺のいけてなさに原因があったのではないかと思う。

なんだか、火打ち石で研磨されているような気持ちのする今日この頃。
日本刀になったみたい。疲れるなあ。とほほ(T_T)



by terasumonnmoku | 2014-10-04 18:39 | Comments(1)

なんと10月に突入!

あわあわしているうちに、怒涛の9月が終わってしまいました。
このブログ、週一、または週2回の更新を目標にしているんだけど
さすがに全然時間がなかった(T_T)
10日間続いた、大イベント週間が終わっても
なかなか暇になりません~

取材と取材の間に、緊急の相談が入ったりするので
いろんな意味で大変。
もっとシンプルに生きよう。
やりたいことを思い切りやるということを、メインに考えると、
ネガティブな葛藤を感じることが、
贅沢に感じる。

「葛藤」と「姿勢の悪さ」ってよく似ていると、近ごろ思うのです。
疲れてくると、姿勢を保持することが難しくなり
あっという間にぐたぐたになってしまう。

でも身体は本来、真っ直ぐな背骨と、きちんと嵌った股関節で成り立っていて
そういう状態ではじめてエネルギーが正常に流れるようにできているので
疲れにかまけて楽をすると、疲労が倍増し、途端に動けなくなる。
「葛藤」も同じで、
ついつい使い慣れたネガティブ回路に自分を突入させたままにしていると
その瞬間に筋肉が緊張して眠れなくなり、翌日の予定に差し障りが出る。

肯定的な考え方をする。というのは
やってみると、そう大変なことではなく
アランも言うように筋トレと同じ、単なる訓練です。
もちろん、長年の習慣とか、すりこみがあるので
すぐに全部を変えるのは難しいけど、
自分が普段何を考えているのかを知って、改善していくこと自体は
その気になれば、誰にでもできる。
脳を含めた人間の肉体って、実によくできていると本当に思います。
やればやっただけの成果が、着実に上がるから!
(アランは、筋トレとは言っていないけど
確か、何も考えずにただ生きていれば、どんなひとでも不幸である。
幸福は訓練だというようなことを、「幸福論」で書いていた。たぶん。)

ありがたいことにいま、取り組んでいることは
誰に言われたわけでもない、好きでやっていることなので
こうなったら、徹底的にロスを減らしていくしかない。

というわけで、すでに報道でご覧くださった方もいらしたと思いますが
シンポジストとして参加した
宮城県自死遺族支援連絡会のシンポジウム「自死と言う言葉を知っていますか?」
東北希望の会主催の「自死遺族フォーラム」(講演・自死にたいする差別と偏見)
働く者のメンタルヘルス相談室(大阪)と希望の会共催の
「自死遺族のパネル展」
過労死弁護団総会。過労死防止センター設立準備会。
若者の使いつぶしが疑われる、ブラック企業裁判の応援
などの一連の行事が終わり、
(これだけやると、さすがに挨拶がうまくなった気がする。できれば常にあいさつだけで帰りたい。)

更にドリプラ東北魂・チームまえかわ撮影隊で企画した空の作品展(空とあそぶ)
が、9月29日からはじまりました。
(空の作品展は多賀城八幡4丁目の寿限無と言うカフェでやってます。10月中は間違いなく開催しているので、可能な方はぜひ見にいらしてくださいー企画した本人はほとんどいませんが!ーみんなの撮った壮絶なほど美しい空の写真と、わたしののどかでプリミティブな空をテーマにした絵が・よく言えば・笑・見られます)

自死過労死関連イベントの詳しい内容についてはここでは書きませんが
http://www.karoushitouhoku.com/トピックス/
ご興味のある方はこちらをご覧ください↑
まだ途中ですが、順次詳細についてアップされるー予定?(^○^)
HPも当初よろよろとわたしが管理していたのですが、まったく手が回らず。
見かねて顧問弁護士の先生と、希望の会の当事者の方が手を差し伸べてくださったのですが、いかんせん、心の忙しい人と、体の忙しい人が集まった会なので
今後の進み具合については不明~(笑) 
希望の会のHPに使っている空の写真が、作品展のゆみちゃんの写真。
トピックスの写真を撮ってくれているのが、同じく羊ちゃんの写真です♪

母の露出が多いと、当然とうもろこしにも負荷がかかり
イベント週の終りに、彼は風邪をひいてしまいました。
でも、一生懸命向き合おうとしてくれている。
お父さんと三人で、がんばろうね。
とうもろこしの話を聞いてくれる、家庭教師のたいし君にも
支えてくれるみんなにも感謝です(T_T)


by terasumonnmoku | 2014-10-01 09:47 | Comments(0)