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みなさま、お元気ですか?
わたしもとりあえず元気です。
人生でそうはないだろうというような、怒涛の毎日。

たくさんの皆さんとかかわっているせいで
「学び」もいっぱい(しかも濃厚なやつ!)があるけど
そのすべてが、今の自分を教えてくれる。


自分がどこまでいけるか、楽しみ☆
最近、いろいろなタイプの方に接することが増え
超共感体質、ってのも案外悪くないかも
と思えるようになりました。

三次元的な分離や差異が見えないって
なんか普通?の欲望や孤独や苦しみから、免除されているという意味でもあるみたい☆
「人から見てどう」というのが、ほとんど気にならないのも
そのおかげだし。(なにしろ全員「自分」みたいなものなので、ひっかかる理由がない)

ただ、人の苦しみがダイレクトに自分の苦しみになる。という別の側面では
ほんとに大変だったけど
最近、その苦しみが「どんなことからつくりだされるか」というのがわかるようになり
三次元がいまいちピンと来ていない身から見ると
なぜその理由でそこまでできちゃうのかが、逆にわからない。

そう考えると、エネルギーだけで推し量ると真っ暗闇にしか見えなかった世界が
別の風に見えてくる。
みんな(自分もだけど)好き好んでそれをやってるんだな。

自分が出したものは、結局全部本人に返ってくるので
攻撃されると、わたしは攻撃する人が気の毒になるし
それによって衝撃を受けた場合は、
そういう現象を必要とした自分に、心の底からげっそりする。

ちなみに、こちら側で相手に期待や依存があるか
そのことで、自分で自分を責めていない限り
人に言われることでわたしが傷つくことは、ない。

前に、夫が死んだのは弱かったせいだ。とある団体の人に言われたことが
あったのだが、わたし自身はそうではないことを知っているし、
その人がそう考えるにはそれなりの理由があるので、
なるほど。そのひとはそう思うんだな。と、思っただけだった。

それを言った団体のひとは、もともと福島原発の至近距離に住んでいて、
今も避難生活を送っている。
その激しい拒絶の中に、困難な状況にひるむことなく、
なおも自分らしく、懸命に生きていこうとする
強い意志と意欲が伺われ、逆に尊敬の念を抱いた。

本人には絶対に通じないと思うが、その姿勢は、自分の持ち場を離れることなく、
懸命にその時の限界の中での自分の生を全うしようとし、
結果的に自死へ突き進んでいった夫の姿に、被るものがあるように思えた。
(というか、同じ波動だった)
三次元的な表れは正反対なのに、エネルギーの世界では強い拒絶も、強烈な意志も
まったく同じように働く。
プラスであろうがマイナスであろうが、そのひとにとってもっとも関心のあることが現実化する。
その辺の仕組みがもっと一般的になると
みんな生きやすくなるに違いない。

というふうに、ひとはみんなそれぞれ個性がある。
たまにわたしの表面的な立ち居振る舞いを見て、
(形のある世界ということを最大限に活用して
意志の力でやっているだけなので、すべての波動がそろっているわけではない)
同じ立場だったらとても同じようにはできないといわれることがあるけど
やらなくていいと思う。
必要もないし、学びのために身に着けたスキルや、体質や性格などの装備も違うから。
たぶんわたしのやっていることは、誰にもできない。
皆さんの人生も、同じだと思うのだ。
唯一無二の、すばらしさをみんな生きている。
そのための葛藤だし、そのための問題なんだと思う。


昨日徳ちゃんと「孤独」の話になって
徳ちゃんが幼いころに感じていた「孤独」が完全になくなった。
というので、「わたしはあるよ」と答えたら、
「どんな孤独?」と聞かれた。

「いろんな自分をワープしながら生きていて
たまに状況が厳しくなると、目の前のことしか見えなくなって
宇宙からばっつり切り離されちゃう感じになる。そういうときに孤独を感じる」
というと、「それは、みんなの感じている孤独とは全然違うと思う」

みんなの孤独は「ひとりぼっち」って感覚なんだって。
ひとりぼっち、って、確かによくわからないかもしれない。
わたしには友達がいっぱいいるけど、
友達とほかの人が違うという感覚はあまりなく
みんな「自分」みたいに感じるので
誰と会っても、同じ一人の人とずっと話していたみたいな錯覚になる。
だから誰に対しても、少なくとも自分自身は全く抵抗なく近づいていける。
(自分が宇宙から切り離されていなければ!)
それで、こんなに行動力があるのかもしれない(笑)

誰の個性も凸凹で、状況によってよかったり悪かったりするのは一緒だね。
by terasumonnmoku | 2014-11-30 12:25 | Comments(0)

今日の壱だらだら。

ようやく、何度目かのシナリオの書き直しが終わりました。
脱力状態。
常に全力で、泣きながら書いていたりするので
夏の日のプールのあとみたい。

なんだかとっても刺激的な毎日です。
みなさんも、ひょっとしてそうなのでありましょうか?
あったことを書くと刺戟を思い出して疲れるので
自分の書きたいことを勝手に書こうと思います(笑・え?いつもだって?)

それにしてもほんとうに、ひとっておもしろい。
出会う人のバリエーションが増えれば増えるほど
どんどん人が好きになります。

自分と違っているほど、学びは大きく
ためになることも多い。
一人一人の中に宇宙があって、思いもかけない方向性で光が反射している。
ほよ~。この世界はまったく豊かだな。

それにしても前回の東京のドリプラ支援者会は
感情の芋洗い状態で、まったくおかしかった。
号泣したり、やる気になったり、慰めたり、慰められたり、ふざけたり。
ちょっと(いや、だいぶ)あぶないかもしれない。

全然関係ありませんが、最近ともだちに「高校の頃学校さぼったか?」
というアンケート調査をしています。
(特に意味はありません。)
それはかなちゃんが全くそういうことはしなかったといったことに驚いたからで
わたしは世の高校生は、みんな自分と同じようなものだと思っていたのです。
ひろみんもまじめだったそうで、考えてみれば、(一応母なので
直接は聞きませんが、)とうもろこしが学校をさぼっている姿を
今のところ想像することはできない。
(でもトイレでゲームをやったりはしているらしい。
もっとさわやかに、こっそりできる場所があるといいんだけどな。)
なぜ、みんなそんなに真面目なんでしょう?
何に向かって???

ちなみに夫も、大学院に進むまでは
とんでもなく不真面目な学生でした(笑)
だからひとの「普通」がよくわからないのかもね。。。。。

そうそう。わたしはひとに「もんもくちゃんって、意外とちゃんとしてるね!」
と言われるとうれしいので
同じことをとうもろこしに言ってみたら、嫌がられました。
どうやらうれしくないらしい。

謎が謎を呼ぶ、コミュニケーションです。



by terasumonnmoku | 2014-11-19 18:11 | Comments(0)

(FBからの転載)


「伝える・伝わる」


「伝える」って、英会話に似ている。

大量に聞きさえすれば、(英語力がなくても)相手の言うことは、

なんとなくはわかるようになるけど、

そこから自分の言葉を組み立てて、会話を成立させるのはとても難しい。


「ひとになにかを伝えると言うことは、自分がほんとうにわかっていないとできないことなんだよ。」と、

生前夫が教えてくれたことの意味が、

近頃ようやくわかって来たような気がする。


こうして何かに気づく度に、自分の不甲斐なさに泣けるけど、

こうして日々得難い機会を与えられていることを、心からありがたく思う。


ひととひとが、ともに生きるって、すごいことだと思う。


*この記事の内容について、わたし自身の理解の浅さをリアルに示しているような 大変ありがたいコメントを頂きました(T_T)

 すごくためになったので、追記します。


Wさん☆すごいすごい!
 それに本当にわかっていても伝えることって難しいですよね。(^^)


わたし☆Wさん☆夫の場合は、(あくまで仕事の上ではですが)「伝える」ことに、それを聞いて相手が変化する(たとえば、お金を出したくなるとか、化学が好きになってしまうとか)ところまでを含んでいたように思うのです。もしかしたら「ほんとうにわかる」って、他者の受容、みたいなものも含んだ概念だったのかもしれないと思いました。


くにちゃん☆真理のお話も同じだね。歯がゆい部分ありすぎだけど精進あるのみ(≧∀≦)ノ


Wさん☆珠姫、伝える・伝わるの意味を「それを聞いた、理解した相手が変化することまで含む、他者受容まで含む」ですか。なるほど。それには、相手が変化したことがどのようにわかったかの観察も重要ですよね。それが受容に繋がるかなぁ。私自身、まだまだですが(^^)


わたし☆くにちゃん!同じと言うより、これがまさに真理なんだと思う。できるところまでしか できないのはしょうがないよね(T_T)


わたし☆Wさん!(T_T)逆です(T_T)他者を受容することができて初めて、「伝わる」っていうことが起こるんだと思う。みんな前提条件や立ち位置が違うので、相手にとって決定的に重要な部分での、自分の理解が欠けているからこそ、「伝わ」らなくなくなってしまう。自分が「正しい」と言う概念を手放すことが、すごく大事なんだと思います(T_T)


by terasumonnmoku | 2014-11-16 22:27 | Comments(0)

テレビ

(FBからの転載)

昨日、自殺から自死へという言葉の問題で

夫の件がテレビ放送されたのですが、

その中の、長年この問題に取り組んで来られた、

全国自死遺族連絡会世話人の、田中さんのコメントに感動(T_T)


田中さんが言ってくださったように、

わたしが最も効果的にこの言葉を使ったのは、夫の死の直後。
「先日自殺した前川の妻です」と言って彼の勤務先に、

一人で乗り込んでいった時のこと。

その時のわたしは生きている「般若」そのもので、

「自殺」と言う言葉は、そういう人が使うものなのだと思う。


誰のためにもならない。


大切なのは、亡くなった人々の尊厳を守ること。
彼らの遺してくれた愛や、夢を誇りにして、伝えていくこと。

彼らの思いとともに、いまここにいるすべてのひとと、

一緒に楽しく、生きていくことなのだと思う。


(放送はよかったけど、自分を見るのは怖かった(T_T)

映ったのが、自分でなければもっとよかった(T_T))


写真は、夫と息子がわくわくしながら一緒に作った手作りの原子模型。夫が大学の講義にも使い、息子の夏休みの課題にも使いまわされた、働きものです(^_^)



c0195362_22232807.jpg


by terasumonnmoku | 2014-11-14 22:22 | Comments(0)

樹になって遊ぶ。

友人のかなちゃんが、ちょっと早めのお誕生日のお祝いに
仙台市博物館の「樹木礼賛ー日本画に描かれた木と花の美」&
すてきなLunchにご招待してくれた(^○^) 
なんてHAPPY\(^o^)/♪
かなちゃん、ありがとう!!!!!

この特別展の目玉は、円山応挙の描いた国宝 雪松図屏風で
これを見るだけでも、出かけた甲斐があるほどの逸品w( ̄o ̄)w
なにがすごいかというと、格の高い松の、個性を持った生命の力が
躊躇なく、そのままに描き切られていること。

ふつう、絵に描かれている木は
うまく言えないけど、「その木」ではないし
生命のあるものですらない。
存在の影というか、形だけをなぞって中身のない、
タッソー夫人の蝋人形みたいな感じ。

同じ場所に生える、同じ種類の木であっても、一本一本波動は異なり
魂の格のようなものが、全部違う。
でも、それを描き分けられる人はほとんどいない。
波動が見えないせいもあるだろうし、
見えたとしても、
描く人にそれなりの魂の深さや精神力がないと、
例え見えても、描くことができない。
ということが、起こる。
存在感に負けるのだ。

でも、この円山応挙の「松」は違う。
崇高に、生き生きと、自分の意志で世界を生きている。
それも、ライブで。

小さいころ、森のお気に入りの樹の前に座り
樹と一体化して遊ぶ。ということをよくやっていたのだが
応挙の松は、その頃のわたしのお気に入りの樹にそっくりだった。

でも、見ているうちに
徐々にそっくりさは薄らいで行き、
わたしが好きだった樹よりその松はずっと若く
水分も多く、波動も軽やかで
結局似ていたのは、「圧倒的な存在感」と言う部分だけだった。
いずれ強烈に惹かれたことには違いない。
久々に樹になって遊び、超健やかな気持ち(笑)

ちなみに、いまでも当時のお気に入り樹をわたしは覚えていて
会いに行けばすぐそれとわかるし、
その樹とほかの木が波動的にどう違うかも説明できるけど
その樹の名前も、どんな葉っぱを持っていたかも覚えていない(T_T)
わかるのは、それが松じゃなかった。ということくらい。
当時からかたちは全然認識していなかった(T_T)

それにしても、日本画や、日本人の感性と言うのは不思議である。
西洋の油絵などで、樹木が主役になるというのは
ちょっと考えられない。
西欧の人たちにとって自然と言うのは、あくまで人間の背景、環境、道具にすぎないんだと思う。

屏風に描かれた松島の風景だって
どう考えても、空中に浮かぶ巨人の視点から描かれたとしか思えないような構図で
描きたいものを、描きたいように描いているとしか思えない。
なんだかすごく自由。

昔々の日本ではたとえば村で、みんなが理解できないような珍奇な物事に熱中する人を
「奇人」と定義して、別枠で放っておいたり
(だから、宮澤賢治や南方熊楠みたいな、とんでもないひとが時々でたのだろう)
平安の貴族が落ち込んだとき、
部屋に「物忌み」と張り紙をして
おこもりをする。
ようなことが認められていたという記述を本の中に見つけるたびに
そういう、家の中の「縁側」的な逃げ場が、
集団になくなってきたことが
いまの全体の生きづらさの元になっているんじゃないだろうか。と
たまに思う。
日本人はもともとすごくおおらかで、自由なひとたちだったのではないだろうか。

それはともかく、応挙の松はすばらしい。
仙台市博物館のこの特別展は9日までですが
普段は東京日本橋の三井記念美術館というところにあるそうなので
興味のある方はぜひ見てね!



by terasumonnmoku | 2014-11-07 11:23 | アート | Comments(0)

自分が好きになる。

ドリプラ世界大会のプレゼン用に、生まれて初めて「事業計画書」なるものを
(「マンガでやさしくわかる事業計画書」という、ぽこちゃんに借りた本を読みながら)
つくってみた。

誰に頼まれたわけでもなく、わたし以外の人には必然性もない、
地味な作業だ。
誰もいない砂浜で、砂のお城を創っているみたい。
しかも、やればやるほど、現在地がどこで、
自分がなにをしていようとしているのか
まったくわかっていない!
という驚愕の事実に気づく。

初めてのことをするときは、いつもそんなものであって
動けば動くほど、自らの小ささがよくわかる。
でも、進んだ分だけ、ひとがその場所でなにをやっているか。
それがどれほどすばらしいことなのか
が特典のようにあぶり出される。
その分だけ、目に見える世界が
美しく豊かになる。
だから、まあ、やっただけのことはあるんだと思う。

その事業計画書は、つくった。
というだけで、内容はお粗末なものだし
自分で読んでも、このひと(自分だけど)が
いったいなにがしたいのか、よくわからない。
まさに、隔靴掻痒という感じ。

ほんとうにやりたいことを、形として顕わすって
かっこよくいえばミケランジェロが、大理石の中に
芸術のイデア(真髄)をみつけ、
そこに向かって彫像を刻んでゆくのにも似ている。
重要なのは、そこに何を見るか。
ということなんだけど
わたしはミケランジェロではないので、
そこになにがあるかが、まだわからないのだ。
(「知っている」って決めちゃえばいいんだな。原因を創る)

スティーブ・ジョブスさんだって、ホリエモンさんだって
事業計画書を書いたかどうかは知らないけど
最初はひとりで、こういう砂上の楼閣としてプランを練り
ビジネスを展開してきた。
と思うと、この浮世も、
案外ロマン成分に満ち満ちているような気がする。

しかし、やみくもに動いている時と違って
自分が事業計画書なるものを書いている事実には、
びびる。
これを創っても作らなくても、わたし自身の方向性は変わらないとは
思うのだが(実際書いたほとんどのことは今やっていることの延長線上にある)、
無意識に人を巻き込んでいくのと、意識的にそれをやるのとは
感覚的に次元が違う。

実のところ、世界大会に参加することを決めた時点では、
こういうことは全く考えていなかった。
「考えていなかった。」
というより、想像することもできなかった。

少なくとも「想像」することができるようになり
その分だけ実現に近づき、
(なぜなら、具体的に「想像」できないことを達成するのは不可能だから)
わたしは自分のことが、少し好きになった。

事業計画書を書くのは、なんだかわからないが大変つらい作業で
しかも、その出来は悪く
何を言いたいんだかさっぱりわからないのに
とっても、意外w( ̄o ̄)w

やりたいことに向けて、動いたってことにたいする満足なんだろうか??
ひとの心(自分だけど)というのは、相変わらずよくわからない( ̄ー ̄)




















by terasumonnmoku | 2014-11-06 09:04 | Comments(0)
先月から今月の27日まで、多賀城のJUGEMUと言うカフェで
ドリプラ仲間の羊ちゃん、パンダちゃん+ようこちゃんとわたし
と言うメンバーで開いている
空をテーマにした作品展(みんなの写真と私の絵)の
超すばらしい感想を頂いたので、こっそりと丸ごと転載。

(最近こういうのが多い。しあわせ☆彡
前回の朗読会の感想を頂いた時も感激だったけれども、
この超すばらしい感想をくださった方が
お二人とも男性だったことにあらためてびっくりしています。
世の中結構いいところのような気がしてきた!・笑)
念のため、おそらくいちばんがようこちゃん、二番が羊ちゃん、三番がパンダちゃんの
感想と思われます。
パンダちゃんの空には愛がある。とかねて思っていたのだけど
同じことを感じてくださる方がいて、
我が意を得たりとほくほくしちゃいました(^○^) 


以下本文。


主催者と思われる方のご説明書きにもかかれているのですが、

おそらく、みなさんまったくばらばらな感想をお持ちになると思います。

だから、以下は、個人的に、私の感想です。

お一人目の方は、一番、写真に共感してしまいました。

「そうだよね。」、「うんうん。」と思わせられるような雲の写真が

印象的でした。記憶の中のイメージとしてピッタリなのです。

小学生の低学年の頃に母の田舎の海で見た雲、

中学の文化祭が終わって虚脱状態で眺めた雲、昼寝の途中で

屋根の上で見た雲、キリがないのですが、見ていてホッとできる

あの時の雲だと思ってしまいました。どうして、空の写真を見て

そう思うかわかりません。一体これだけの、共感を呼べる雲を

撮影するために、どのくらいの時間がかかったのか、

お尋ねしたくなりました。

お二人目の方は、きちっとしているという印象の作品が多い方です。

そして、空を見上げる視点が感じられる作品だと思いました。

作者が、その場所で、確かに存在して生活している、その発見や感動を

追体験できるという形での不思議な共感を覚えました。この方の空は、

生活の中に登場する空です。作品を見ながら、思わず、あれこれと

ストーリーを組み立ててしまいます。作品を見ていると、活き活きした、

前向きな発想を持てるようにも思いました。おそらく、作者のお人柄が

滲み出ているのでしょう。

三人目の方が、おそらく、今回のイベントの主催者なのだと思うのですが、

「空と遊ぶ」という題にぴったりの作品群です。よくぞ、このようなシャッター

チャンスを逃さなかったなあという感心を、まず持ってしまいます。

空に愛されているようです。この人の作品は、空そのもだと感じました。

無限の空を小さな紙に切り取っているわけですが、狭さを感じさせません。

ここが不思議なところです。自分で空の写真を撮っても、露光やピント

以前に、どうしてもさらに小さな像になってしまって伝えられないのですが、

この方の写真はそれが無いようです。

四人目の方だけが写真ではない作品です。ジャンルとしては絵画という

ことなのですが、手描き以上に手描きの人間らしさ、生き物らしさを感じる

作品群です。西洋画の大作のような細かさ、手数の多さがないことが

成功しているのかもしれません。クレーの絵を突き詰めたような、

要するに、一本の線が繊細なのです。どちらかというと、日本の筆、

書道と親和するかもしれません。勝手に名前をつけた作品、「顔」は

傑作だと思います。

注文というか、希望というか

先ず、作品を識別できるように記号とか番号をふるべきだと思います。

本当は作品に名前があることがベストだと思います。

予算の問題はあるでしょうが、部屋を暗くして、モニターで作品を

鑑賞できたら、また違った感動があるのではないかと思われました。

会場のJUGEMUは、案内表示がないのでわかりにくいです。

多賀城駅を降りて、橋を渡って、45号線を渡りきったら左折して、

ホテルルートイン多賀城駅東の手前を右折して、ホテルの建物の

玄関の反対側に建っているトレーラーハウスです。



by terasumonnmoku | 2014-11-05 21:46 | アート | Comments(0)
東京都美術館へ、ウフィツィ美術館展を見に行く。
ウフィツィ美術館はフィレンツェにあり、若かりし頃に一度現地で見たことがある。

当時はとにかく自分がネガティブで、
常時6,7体の幽霊をくっつけて歩いていたので
見るものすべてが暗かった。
綺麗に見えるものは、アートの
限定された一部しかなかった。
ボッティチェリの「春」は、その重く暗いブロックをものともせず
魂に飛び込んできてくれた、稀有な作品の一つ。

今回の展覧会では「春」はなかったが
ボッティチェリの作品が年代ごとに5つくらいならんでいて
その変遷がとても面白かった。

特に好きだったのが「聖母子と洗礼者ヨハネ」という絵で
赤ちゃんのキリストをヨハネに渡そうとしているマリアの姿が
後のキリストの磔刑を想起させる構図で描かれている。

そのすべてが、調和に満ち、美しい。
ボッティチェリにとって、キリストの磔というのは
悪でも非業の死でもなく
一連の奇跡につながる美しいピースの一つだった。
ということが、絵の中から静かに伝わってくる。
愛と悲しみと聖性と救いが、無数のきらめきを放ちながら
光の波紋のように立ち昇る。
(こういう動的なオーラが、印刷されると消えてしまう)

ところが晩年、メディチ家が没落し、カルトな宗教指導者がフィレンツエの実権を握ると
その静かな調和と輝きが見事に姿を消し
まるでジョン・フォードの時代劇のような光景が
絵の中に現れる。(加筆されたせいもある)
それはキリストとキリスト教が絶対的な善であり
他のものは存在さえ許されない。ような強烈さの漂う
ばりばりの二元論の世界だ。
陳腐でもある。

「聖母子と洗礼者ヨハネ」に存在するボッティチェリの調和は、
ピカソの「泣く女」や「ゲルニカ」に通じるものだったのかもしれないな
と、それを見て思う。
描かれた対象から、「意味」が剥奪され、
「調和」の前にひれ伏している世界。

普通の人間としては、自分の子どもが磔にされることを予感しながら、
あれほど静かに清らかにあることなどありえないだろうし
愛する女の「悲しみ」や「苦しみ」。「戦争」の暴力や傷を
楽しげに描き出すピカソの感覚だって、全然わからない。

でもその世界はそこに在って、わたしはボッティチェリに美を感じ
ピカソには「生命のよろこび」を感じるのだ。
じゃっかんの罪悪感に刺されながら。

ボッティチェリは見た目がまだきれいだからいいが
ピカソは破壊的である。

彼が関わった女性は、一人を除いてみんな発狂したり
自死したりしているが、
夫の浮気相手と泣きながら掴み合いをしている光景を
当の夫に感情の流れごと、嬉々として描かれたら
おかしくもなるだろう。

二元論を超えた世界は
時としてそういう残酷な表れをするものであって
受け取る側としては、わが胸の内にある意味の残滓に
抵抗を示しつつも受け入れざるを得ないような、
複雑にして微妙な気持ちになるのだが

どんなに葛藤している時も、
どんなに暗く深い淵に落ち込んでいる時でも
彼らが淀みの中のわたしを突き動かし、
後々まで続く鮮烈な影響を与えたことは間違いのない事実だ。
それほど調和と言うのは
生命にとって、大きな影響力のあるものなのだろう。
だから自分もそこをめざして、いくしかない。







by terasumonnmoku | 2014-11-05 19:58 | アート | Comments(0)

生きる意味。

先日、ある人が、誰かに迷惑をかけられた。という理由で
「呪い」を発動した話を聞かせてくれた。

その理由は、(少なくともわたし的には)修復可能な些細なことで
そこから、その人がそこまで大ボリュームの「呪い」を創り出せる。
と言う事実に、びっくりした。

自分が同じ量の「呪い」を創り出そうと思ったら
戦争の惨禍なみの痛みが必要だと思うのだが
どうやら、ほかの人はそうではないらしい。

余りの不思議さに考え込んでいるうち、

そのひとにとっては、わたしが大問題に捉え
ずっと考えていた「生きる意味」とかは、
割と、どうでもいいことなのかもしれない。

と、思い至った。

その人の原因が小さくて、自分の原因が大きい。
なんてことを、言いたいのではない。

結局、人によって「なに」に囚われているか、
が違うだけ。
自分もまた「囚われている。」と言うことには
変わりなかったんだ。
ということが、わかったのだ。
ふいに。雷に打たれたように。

びっくり。

「生きる意味」も「誰かにかけられた小さな迷惑」
も、できごとやありように関するそれぞれの解釈であって、事実ではない。
少なくとも般若心経的には。

形に振り回されるとは、まさにこのことだ。と、改めて思う。

わたしも、とうもろこしも、深刻でシリアスなことが大好きで
すぐ「生きる意味」を問う。
みたいなところに意識の向きが直結するのだが
それも単なる、趣味の問題なんだろうな。
(深刻なことに悶々としていると、些細なことがまったく気にならない。という利点はある)

てなことを考えていた時、ネパール仲間のドラ君が
すてきな曲といかしたコメントを送ってくれた。

https://www.youtube.com/watch?v=bOXHkFBhwRQ


<たまこさん、この曲、歌詞がとっても素敵なんです。「生の実感は実感は持っておこう 頭どんだけ狂っても」衝動さえ湧けば生の実感を感じれて、そこから新しい物語を獲得ための行動に出れるというか、、、うまく説明できないです。またたまこさんとゆっくりお話したいです。>

ドラ君もまた、わたしたち親子以上に
戦争で残虐に殺される母子や
お金のために売られていく第三国の少女や
欺瞞だらけの世の中に、怒りや悲しみを抱く真っ直ぐな男の子で

わたしたちは怒りと暴力的衝動と愛が、
怒涛のように身体に渦巻くような状況で出会い
別々の場所で影響を与え合いながら生きてきたんだけど

そういう彼が、いま、こういうメッセージを送ってくれた事実に
感動してしまった。

深刻なのも、悪くないかもしれない。

大切なのは、意味でも、できごとでも、解釈でもない。

「生」の息吹を感じること。
輝きを見て、祝福を受け留めること。
ともにあることを、よろこぶこと。
「愛する」ということ。

「生の実感」を抱きしめて生きるということ。
それが真理であり、愛であり、宇宙であり、生命であり
わたしたちのすべてでもある。








by terasumonnmoku | 2014-11-03 10:22 | Comments(0)

宇宙真理哲学講師、らくがきすと、即興ピアニストぷらす社会活動家(過労自死遺族当事者)働くことから世界を変えるをモットーに、さまざまな活動をしています。合言葉はREBORN.大事なのは、生きることだ!


by terasumonnmoku
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