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三度目の命日。

夫の3回目の命日。


うちに一家でお参りに来てくださった方におつきあいいただいて、
旧前川研究室に行って来ました。
(ほんとうは夜、彼の亡くなった時間に行きたかったんだけど、...
怖すぎるから昼間にしましょう。一緒に行きますから。と言われました( ̄O ̄;)
なんてありがたい(´;ω;`))

もう、二度とこのようなことが起きませんように。
誰もが幸せではたらくことができる社会に
向かっていくことができますように。


夜は彼の好きだったハンバーグと、
クラムチャウダーを作りました。
チーズ入りハンバーグは大好評だったものの
クラムチャウダーにタイムを気前よく入れすぎて
「墨汁の匂いがするよー。書道の時間みたいだよー」BYとうもろこし談。
残念すぎる(´;ω;`)

彼の眠る品川の清光院には、
高校・大学時代のお友達が大勢で見え、
夫の両親とお参りしてくださったそうです。
賑やかでよかった(T_T)
彼は今頃、きっとみなさんと一緒に、
どんちゃん騒ぎをしていることでしょう。

みなさま、ほんとうに、ありがとうございましたm(_ _)m

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by terasumonnmoku | 2015-01-31 22:27 | 家族 | Comments(0)
・去年、ドリプラで「魔女の宅急便」を例にして
事業計画とマーケティングプランについて説明した
とてもわかりやすい本をもらった。

それから何度も借りては見ることなく返却していたたDVDを、
今回、ついに、見終わった!(ぱんぱかぱーん\(^^@)/)
借りても、見る心の余裕がなかったのだ!

魔女のキキは13歳で独立して、魔女修行に出かける。
ひとりでパン屋さんに間借りして、宅急便屋さんとして身を立てるのだが
その過程にいろんな事が起こる。
これをみていると、事業ってほんとに簡単そうだな!と思う。
やりはじめちゃったら、きっとそうなんだろうな( ^ω^ )
(魔女の宅急便。1989・東映)

・幸せのレシピ(2007年・米豪・スコット・ヒックス監督)は、
ドイツ映画「マーサの幸せレシピ」のハリウッドリメイク版なのだそう。

ルールに縛られた、キャサリン・ゼダ・ジョーンズ演じるがちがちの敏腕シェフ
が、姉の急逝で一人残された姪を育てることになり四苦八苦しているところに
更に人生を楽しむイタリア人シェフと恋をしてHAPPYになっていく話。

お母さんを亡くしたばかりの娘さんが
お母さんの出てくるDVDを見るだろうか。とか
ツッコミどころもたくさんあったけど、
キャサリン・ゼダ・ジョーンズが「解凍」されてゆくさまが
何とも言えずチャーミングでよかった。
このキャラクターがドイツ人だったら、
きっともっとすさまじいがちがちぶりだと思うので、
ドイツ版もぜひ見てみたい(笑)

そういえば、
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20150129/276879/?P=1
「お花畑は沈黙すべきか」↑
という記事を読んで、やっぱり
お花畑は世界を救うんだ。
と改めて思ったんだけど
この「幸せのレシピ」なんかはもろに
お花畑が、ハードボイルドを駆逐?する王道的なストーリー。
そもそも人間は、本質的にこういうのが好きなんだと思う。

ただ、これまでの歴史は、武器弾薬を先に獲得したか、
あるいは先に病原菌に免疫をつけたほうが、そうでない平和な相手を
支配し、搾取し、ひどい目に合わせてきた。

もうそろそろ繰り返された歴史に終わりを告げよう。
ほんとに好きなわけじゃないんだから。


by terasumonnmoku | 2015-01-30 21:35 | 映画 | Comments(0)
とうもろこしと、ネット廃人になって施設に送られた
中国のこどもたちの番組を見た。

自分がネットにはまったのは
孤独だったからだ。
ネットの向こうにいる人も
多分自分と同じように孤独だから
そう思うと、慰められた。

と、高校生の男の子が父親にいうのを聞いて
「わかるなあ」ととうもろこしが言った。
彼の廃人になりかけの友人も
同じ感じなのだそう。

親はネット中毒という現象だけを直そうとして
矯正施設に送るが
本当の回復は親子関係の立て直しがなされない限り
はかれない。

それはこどもというより、親自身の問題だけど
(なぜなら、思春期に孤独に悩むというのは
ごく自然なことだから)
そこを見るのは親にとってもなかなか辛いので
出来る人とできない人が現れる。

「子供の状態を何とかしたくって、矯正施設に送ってしまった
親の気持ちもわかるよ。
こどもがかわいいから、こどもに代わって
無理にでも問題を解決したくなるんだよね。
ほんとうは、問題を抱えた、こどもを信じて支えるだけでいいのに。
自分が心配なあまり、子供が問題を抱えていることが許せなくなるんだよ。
母さんもそうだったからよくわかる。」

「母さん、あるときから、ああしろこうしろって、言わなくなったもんね」

「君の問題は君が解決するしかないからね」

最近思うのは、とうもろこしに限らず夫に対しても、ほかの人に対しても
ずっと自分は同じようなことをしていたということ。
それは「寄り添う」というところからは程遠い。

愛がなかったわけではなく
そのときはそれが愛だと信じていた。
自分を信じていなかったから
とうもろこしのことも、夫のことも、ほかのひとのことも
信じられなかっただけなのに
問題はほかの人にあると思っていた。

なにをどう頑張っても事態がよくならないので、
自分が本人の代わりに問題を解決するのをわたしは諦めた。
その代わりにせっせととうもろこしにご飯を作り
話せないときは無理に聞き出さず、なるべく明るく、
当たり前に気を配るようにした。
取りたてて大したことはしていないのに、
とうもろこしは徐々に暴れなくなった。

この季節は厳しいシーズンで
とうもろこしは体育の授業で左手の親指の靭帯を損傷し
友達と喧嘩したり、仲直りしたり、金縛りにあったりしている。
そんな状況をさっくりと大人びた明るい顔で話し、
淡々と学校に行く。

それが彼の「知らせない愛」で、そういう息子の姿が眩しい。






by terasumonnmoku | 2015-01-29 21:49 | 家族 | Comments(0)

藍の会主催の「こころといのちを考える連続講座」第一回、
全国自死遺族連絡会世話人の田中幸子さんの講演に行って来た。

上智大学総合人間科学部 社会福祉学科 岡知史教授の
「知らされない愛について」と言うエッセイと、
それにまつわる田中さんのお話が、心にしみた。

そのエッセイには岡先生が肺を病み、50代の若さでアルツハイマーを発症し、
妻の顔がわからなくなってなお家族のために仕事に行こうとする夫と、

心臓病で入院していた病院を、医師の反対を押し切って退院し
必死で夫の看病をする妻に、出会った時のことが書かれていた。

「彼はこのような病身の妻の命懸けの看護を、決して知ることなくその生涯を終えるだろう。
愛は、知らされないものである。
知らされない愛が、僕たちにどれほど与えられているか、それは決してわからない。
知らされない愛の一つが、もし知らされるのだとしたら、悲しいことだが
、愛する者の崩れた姿の中にあらわれるか、死という悲しみの中で知らされるかである。」

田中さんのお話のように、虐待された子供だって
虐待だけが全てだったわけではない。
その裏に真の愛情がなければ、そもそも一人では生きられない赤ん坊が
大人になれるわけがない。
でも、傷があまりに目立ちすぎると
その奥にある、わかりにくい愛が見えなくなる。
わかりにくい上に、その愛はこどもには決して知らされることはない。
なぜなら、無償の愛は無償であるがゆえに
語ることを前提にしていないから。
その愛の深さを、親自身さえも気づいてはいないから。


目に見える、万人にわかりやすい愛のかたちがすべてではないのに、
わたしたちはつい、広告に出てくるようなありきたりな愛を求め、
それが手に入らないと、関係性のすべてを簡単に否定してしまうことがある。

家族や大切な人との関係性が壊れていくのは、
そこに愛がないからではなくて、
互いの「知らされない愛」が
行き違ってしまうせいなのかもしれない。



by terasumonnmoku | 2015-01-28 22:14 | Comments(2)

写真に写るエネルギー。

お正月に実家に帰ったとき
そこに飾ってある両親や夫、息子や妹夫婦と一緒に写っている家族の集合写真が
以前と全く違うふうに見えたことに驚いた。

写真には、写っている人のエネルギーの流れが刻印されていて
自分と全く関係のないひとの写真、特に家族写真は
ぱっと見ただけで中の関係性がわかるんだけど
自分のことはわからない。
特に葛藤や学びの真っ最中には
大事なものが全然見えなくなる。

その写真の中には、夫から私に流れている信頼や愛情が確かに写っていて
そんなにはっきりしたものが、
それもそういったものを熱烈に求めていながら
ながいこと、まったく自分の目に入っていなかった事実に、
衝撃を受けた。

悲しい。

そして先日精神科医泉谷閑示先生のワークショップを受けて
対話によって、脳の中に作られた偽の自己を破壊し
本来のそのひとにアクセスすると
強烈なパワハラを受けて欝になっていた人が
エンパワーメントされて怒ることができるようになり
勤め先とどんどん裁判起こすようになっちゃうんです。

という話を聞いて、なぜか突然、そうか。夫は怒っていたんだ。
と思った。
現実には、彼は反りの合わなかった上司を批判することはなく
自分に冷たかった大学を呪うこともなく
ただただ自分自身と妻であるわたしを責めて死んで行ったし
亡くなったあとになっても、そういう感じはなかった。
長い間謎だったのだ。

それが泉谷先生のお話を聞くうちに
彼はほんとうは自分やわたしを責めたかったわけではなく
ものすごい意志の力で、心に蓋をしていただけだったんだ。
と、コロンと腑に落ちた。
おそらくは震災後の過酷な日々を、生き抜いていくために。

結局、彼と一緒になって怒って
猛烈に動いてきて、よかったんだな。
もしかして乗り移っていたのかも(笑)

それで、本人に、ほんとうは大学にものすごく怒ってたんでしょ?
というと、急にガスが抜けたように
彼が楽になった気がした。

その晩、夢の中にお正月以来はじめて彼が登場し
バツの悪そうな笑顔で雑誌を見せてくれながら、
わたしに似合う服はこれだよ。と
教えてくれた。
(何かと屈折している・笑)

もうすぐまた命日が来る。
とうもろこしも、毎日いろいろあるけど
がんばってるよ( ^ω^ )
あのすっごく高そうな教えてもらった服、
見つけたら絶対買うから覚悟してね。








by terasumonnmoku | 2015-01-27 21:00 | 家族 | Comments(0)

脳のなかの幽霊

ところで昨日の泉谷先生の、脳と心と体の話ですが、
先生はジルボルト・テイラー(「奇跡の脳」で有名な脳科学者。)のこのプレゼン
https://www.youtube.com/watch?v=BsSWaYITW4g
を見て、
自分の言う脳と心と体の話は
結局「右脳と左脳」のことだったんだ。
と思われたそうです。
先生の言う頭と心を遮るフタの部分は「脳梁」だったらしい。

先日「脳の中の幽霊」という「本を読んだのですが
そのなかにまた「クオリア」(感覚的・主観的な経験にもとづく独特の質感。)
についての言及があり
さまざまな視覚的または感覚的な刺激や情報の多くが
脳の高次機能によって記憶とごちゃまぜにされ
どんどん改変されてゆく中で
唯一クオリアだけは書き換えが起こらない。
これはクオリアが、「判断」に関わる重要な機能だからなのではないか。
と、書かれていました。

これも、昨日のお話と共通している気がする!

ところで、「脳のなかの幽霊」を書いた人は
V.S.ラマチャンドランさんという、インド人の神経科学者で
10代の時に書いた論文が雑誌NATUREに掲載されたというツワモノです。

視覚や幻肢の研究で知られています。
(切断されたはずの足が、まだあるように感じる感覚)
わたしは幻肢にずっと興味を持っていて
それはなぜかというと、同じように四肢を欠損していても
オーラに損傷のある人と、ない人がいたからです。

たまたま見たオーラに損傷のないひとが
先天的な欠損だったので
先天的に欠損している人は
オーラも完全なのかと思っていましたが
この本を読むとそうでもないらしい(ノ゚ο゚)ノ オオォォォ-

自分の体。という脳のなかの感覚は常に実際の体の感覚と連動していて
切断などによって一部が欠けると、その部分に指令を出す神経だけが残る。
だから幻の足という幻想が立ち上がるのだと思うのですが
驚いたことに、生まれつき欠損している人も
幻肢が起こる場合があるらしい。
それはもしかしたら他者との比較によって
「欠けている」という状況を作り出しているのかもしれず
あるいはその部分の脳の配線は出来ているにも関わらず
体が形成できなかったということによるのかもしれない。
詳細はわかりませんが
この誤った情報(脳からの指令)を訂正するためには
脳をだます。(鏡などを使って、視覚的に五体満足な自分の姿を見せる)
などのテクニックが有効だ。と書かれていました。

ひとの身体イメージが、そんなにいい加減でバーチャルなものだったなんて(ノ゚ο゚)ノ オオォォォ-

私が見たオーラが完全なひとは
この本が出る20年も前に会った人だったので
このテクニックを使ったとは思われません。
かつそのひとが、かなり魂的にいけているひとだったため
オーラが完全な形であったのは
生まれつきなのか、学びによってなのか
そのひとが自分の欠損を、脳の配線的にも学び終えている。
ということだったのかもしれないなあ。と
この本を読んで思いました。

幻肢と、家族の喪失って
わたしには結構近いような気がするのです。
個人的かつ幽体感覚的には感情コードで家族につながっていた部分が
突然引きちぎられた感じがするので。
「失う」って、なくすのではなく
「ない」という状態を一生懸命作っているのかもしれない。

などとわけのわからないことを考える今日このごろです。





by terasumonnmoku | 2015-01-26 21:09 | Comments(0)
グリーフケア研究会主催の精神科医泉谷閑示先生の、
「精神科医療者のための自死未遂者対応研修会」
に行ってきました。

もちろんわたしは精神医療者ではないし、
泉谷先生に対しても全く知識がなかったのですが、
頂いたフライヤーに掲載された泉谷先生の経歴の
「大学時代に音楽理論や、作曲法の個人教授を受ける。
エコールドノルマル音楽院に留学。」
の部分に猛烈に惹かれてしまったのです。

精神科医かつ、かなり専門的な音楽教育を受けた人。
妄想が膨らみます。
どんなひとだろう?
クラッシク音楽をこよなく愛したナチス高官みたいだったらどうしよう?

行ってみるとそんなことは全然なく、
お話のほとんどが、「真理」の話で、びっくり(ノ゚ο゚)ノ オオォォォ-

曰くフロイトの時代は、快楽<への意志>の時代。
アドラーの時代は、権力<への意志>の時代。
でも快楽も権力も、獲得してしまうと、生きる意味を再び喪失してしまう。
<への意志>というのは単なるベクトルで、
なにに、というより、この「ベクトル」そのもの、
常に何かに向かっていくということが大事。
そういう意味で<なにか>の部分に入るのは、
<美・真理・愛>のような
無限なるもの、であることが望ましい。
                                

また、2000年までは、機能不全な親子関係に起因する
ボーダー(境界性人格障害など)な人々の、
どちらかというと「熱い自死未遂者」が多かった。

2000年以降は、「生きる意味の喪失」というような
「冷たい自死未遂者」が増えている。
生きる意味がわからない人⇒なにがしたいかわからない。
なにがしたくないかもわからない。
それは、頭と心と体が、バラバラに機能しているから。

泉谷先生によると、心と体はいつも調和がとれていて、
矛盾がないのだそうです。ここはwant,like,快と不快を「判断する」場所。
頭は逆で、must,shouldなど、計算、比較、未来予測などを担当する。

「判断」は、頭ではなく心がするもの。という部分が
おもしろかった。
だから頭と心の連絡が途絶えてしまうと、自分が何を望み
どうしたいのかが全然わからなくなる。

そもそもはエデンの園で、アダムとイブが善悪の知恵の実を食べてしまったところから
この矛盾は発生していて、二元論に全ての根源がある。
この時から人間は、矛盾を内包するハイブリッドな存在になった。

よって、心(体)と頭の間にある蓋をあけ、
偽の自己を破壊し、本当に感じているその人の気持ちに
アクセスすることができれば、
そのひとは自分で自分の問題を解決できるようになり
生きる意味を問わずとも、さもない日常に喜びを見出し
生きていくことができるようになる。

葛藤があり、それを認識している
というのはどちらかというとまだ健全な状態なのだ。
というところがとても印象的でした( ^ω^ )

肝心の音楽が独特の治療法に与えた影響について質問すると
薬に頼らないので、精神療法のほとんどが会話によって行われる。
そのコミュニケーションのベースに
音楽がある。とのこと。
感情の盛り上がりに沿って、心を動かしていくのだそうです。
究極だわ(;`Д´)<

お昼をはさんで5時間の講義があっという間でした。
あまりに面白かったので、先生の著書
<「普通がいい」という病>を読むことにしました。
楽しみ<<<<








by terasumonnmoku | 2015-01-25 22:37 | 精神科医療 | Comments(0)

ちきりんさんのブログ。

たまに読んでいるちきりんさんのブログ、
この記事はおもしろかった( ^ω^ )

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20150123

ちなみにわたしは頭の中がお花畑であると同時に
超現実的です(笑)
ネパールで出会った元日本赤軍のRさんの無邪気な夢と、あきらめと
過労死防止法の件でお会いした自民党の皆さんの内面に漂っていた
「すべてがいいと思ってやっているわけではない」
「でもいいことをするのはやっぱりうれしい。」という
なんともいいようのない、あの感覚を思い出すと
人間も社会も、ほんとにおもしろいなあ。と思います。
おそらくは過労で、半径1メートルくらいしか周りが見えていなんじゃないか?
と思われる霞ヶ関の官僚の人を見ても
トップダウンで下される決定が、現場ではわけのわからないものになるという現実が
なんとなく理解できる気がする。

この瞬間の今は、ちきりんさんの言うとおりで、
いきなりゼロか100かを選択するのではなく
今いる場所で出来ることを探していくのがいい。

そして自分が他者や行政や、社会に対して発信していくときは
「ここが悪い」ではなく、現実に可能なことを
具体的に要望できる人でありたい。
(三次元世界では先に進むために、段階を踏んでいく必要があるので
現時点で何が可能で、なにが可能でないのか。を知ることがずごく大切)

過労死の問題も世界のテロも
問題が大きすぎて個人にはいかんともしがたい。
出来ることを探すのが大変だけど
なにかしようとしているひとはちゃんといる。
そこに確実につながっていきたい。

そういうことをする動機とモチベーションが
自分にとっては昨日の日記の「未来の設計図」なんだと思います( ^ω^ )

スーパーマンではないので
明日世界を理想社会にすることはできないけど
だからといって絶望することもありません。

「銃と病原菌と鉄」にあったように
人類はもともと野蛮で、有史以前から繁殖し
居住地を開拓するたびに、その場所の自然を滅ぼし野生動物を絶滅させ、
身内間で争い、互の民族や互の国家に迷惑をかけながら
生き残ってきました。
で、今、時代は変わろうとしている!
こどもたちも地球も、やる気まんまん(ノ゚ο゚)ノ オオォォォ-












by terasumonnmoku | 2015-01-24 13:47 | Comments(0)

未来の設計図。

お昼はメトロポリタンホテルでバイキング。

夜はとうもろこしと
中国の人のやっているお店でラーメン。

明日はバーモントカレー甘口を食べて
世界の平和を祈ろう。

それがもう既にあるように。

人が使命や、ある程度人生の予定を立てて生まれてくるように

世界の未来にも設計図というか予定表があって
できるひとはそこにアクセスすることができる。
いろいろなものが吹き出したあとで
そんなに遠くない未来、今とはまるで違う
ユートピア的な世界が出現することは
わたしにもわかっている。
新しい時代の子供たちも、もちろん!

この「わかっている」というのは、確信であって
あやふやな夢想ではない。
脳の用語にクオリアというのがあって
それはいちごの赤。とか、納豆を見たときの感じ、などのように
変更不可能な主観的な感覚を指すんだけど
自分的にはそれと全く同じ種類のものだ。

説明が難しいのだけど
なにかが本当の意味で「わかった」とき、
それはあの建物の屋根は青い。
と同じ意味でわかる。
あいまいさがないのだ。

だから世界が愛と希望に満たされ
みんながにこにこして、
楽しく生きている未来が既にあることはわかっている。
豊かな自然の中で。素朴でありながら進んだ文明を持って。

ただ、どのくらいの時間をかけ、どのような経過をたどってそこにいくのか
については、まだいろんな可能性が残っている。
そしてそんないかした未来から遥か遠い世界のような
現在起きているできごとや「かたち」を見るにつけ
なんとなく、立ちくらみしそうになる。

作られたアンバランスな現象の中に
つい揺らぎそうになる視点を正しながら、
自分の中の「未来」に属する分量を、
どんどん増やしていこう。
とりあえず、バーモントカレーをあまくちを食べながら( ^ω^ )

うれしい。楽しい。ありがとう。
シンプルに。すべてはそこからはじまるんだ。








by terasumonnmoku | 2015-01-23 22:09 | スピリチュアル | Comments(3)
「スタンフォードの自分を変える教室」を読んでいたら
瞑想の素晴らしさについて書いてあったので
昨日寝る前にひさびさにやってみた。
(ただし、5分だけ・笑)

セミナーでエナジーを受けることはあっても
瞑想はほとんどやっていなかったことに
今更ながらに気づいた!

今、地球には素晴らしいエネルギーが来ているので
5分でもすごい効果がある。
朝起きた時の感じが良くて、びっくり(ノ゚ο゚)ノ オオォォォ-
叶姉妹さえ日課にしている瞑想をやっていなかったとは
と改めてびっくりする。

瞑想をすると、身体の波動が揃いやすいのかも!
ただ吸う息と吐く息を同じ長さに揃えて目をつぶっているだけで良いので
ぜひ試してみてね☆

せっかく2015年になったので、習慣を変える実験をしている。
午前中物を食べたり、カフェインを取るのをやめたり
甘いものを極力減らしてみたり
読んだ本の感想をまた書き始めたり。

映画も、また四本見た!(DVDだけどね♪)

「Her」(2013)
人工知能に恋をする男の話
(相手が人工知能なのに、ほかに641人の恋人が居ると言われて嫉妬する男心が面白い)

「すてきな相棒ーフランクじいさんとロボット」(2013)
介護用ロボットと宝石泥棒をする、まだらぼけのおじいさんの話。
(「最強の二人」のぱくり?)

「それでも夜は開ける」スティーブ・マックィーン監督
拉致され奴隷にされた自由黒人が、12年後に家族のもとに帰る実話
(出てくる黒人俳優が超魅力的。アメリカは未だに人種差別は根深いけど
こんな映画を白人が撮ってしまうところが、良いところだと思う)

「そこのみにて光り輝く」(2014)
呉美保監督の函館が舞台の日本映画。
絶望的な閉塞状況の中での恋愛や家族の絆という超重い題材なんだけど、
なぜ、そうなのか。ということが繊細にかつ丁寧に描かれている。
すこしでも手を抜いたらただただ不幸な人にしか見えない登場人物、
特に千夏が切なく愛おしく描かれ、どんどん惹かれてゆく。
ラストシーンに立ち込める光があまりに美しく、力強い。
ふたりの内面を鮮やかに切り取っているよう。
限定された枠や、形に縛られたままでは決して受け取れない
愛の世界がそこにある。
いかに自分が「愛のかたち」に囚われ
本質を見失っていたのかについて、改めて考えさせられた。







by terasumonnmoku | 2015-01-22 21:56 | 映画 | Comments(0)

宇宙真理哲学講師、らくがきすと、即興ピアニストぷらす社会活動家(過労自死遺族当事者)働くことから世界を変えるをモットーに、さまざまな活動をしています。合言葉はREBORN.大事なのは、生きることだ!


by terasumonnmoku