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臓器提供のために育てられた
クローンの子どもたちを美しく描いた


カズオ・イシグロさんの


「わたしを離さないで」という小説が
とても好きだ。




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これはイギリスで映画になり

日本でもドラマ化された。


タイトル「わたしを離さないで」

Never Let Me Goに



フランクルの「夜と霧」で、
捕らえられたユダヤ人が


死を予感しながら収容所の壁に刻んだ



「それでもわたしは人間だ」


と言う文言に共通するものを感じ

(うろ覚えですが)


このタイトルには、どんな状況下でも

最後の瞬間まで

わたしはわたしとして、

生きていく。

という非常な決意や祈りのようなものが

込められている。


それは

<個別者として自己の存在を自覚的に問いつつ

存在する人間の主体的なあり方>

=実存(大辞林)


といってもいいのではないか。


と、考えていたため、


日本のドラマの主人公たちが、

自分の執着する相手と別れるたびに
タイトル


「わたしを離さないで~」


叫ぶシーンを立て続けに見て、

非常な違和感を感じた。


違うだろう~!




もしかしたら、日本には
「実存」と言う概念が
ないのかもしれない。


人は誰かとの、あるいはどこかとの、
関係性によってしか、存在しない。



だから人間関係の失敗が

大きく決定的に響く。
関係性の失敗と同時に
自分自身の存在まで危うくなる。



と、いうようなことを考えた。


もちろん、そんなのは思い込み。

ただの認知の歪みで、


わたしたちは

「自分が何によって立つのか」を

自分の意思で、決めることができる。



臓器移植のために培養された

クローンの子どもでも、

ナチスにとらえられ

死を待つユダヤ人でも


尊厳を持って人生を生き

誇り高く生きることはできる。

死の、瞬間まで。


「ひととして」

素晴らしい存在として。

光輝く一つの高貴な生命として。


彼らにおいてすらそうなのだ。

だから当然、

そこまでの極限状態におかれてはいない

わたしたちに

できないはずなない。


死ぬのではなく、

自分を価値あるものと認め

あらわし、生きて行くこと。

それは、あたらしい未来を創り

変えていくための力だ(๑'ᴗ'๑)





以下のリンクは参考で

敬愛する労働問題の研究者である

熊沢誠先生の書かれた

映画版、ドラマ版のレビューです。




ちなみに、過労死問題に興味のあるかたは

熊沢先生の「働きすぎに斃れて」を

読んでみてね。

過労死問題が

単に研究の対象というだけでなく

生きた人間の

骨太で重厚な人間ドラマになっています。

まるでドストエフスキーの小説のよう。


あと、カズオ・イシグロさんの「日の名残り」

も純文学好きな方にはお勧め!


イギリスの貴族の家に働く執事の物語で

こちらは谷崎潤一郎の「細雪」のような

静謐な秩序と美の世界に浸ることができます。

こちらは映画も、素晴らしい~ଘ(੭´ ꒫`)



2015年にカズオ・イシグロさんが白熱教室に出た時の記事

ほんとに好きみたい・笑




by terasumonnmoku | 2017-01-13 22:14 | 読書 | Comments(0)
「日の名残り」「わたしを離さないで」などで知られる
日系イギリス人作家カズオ・イシグロの白熱教室を見る。

その中で彼は、小説を書く理由について
「認識の層」にアクセスできるから。
というような事を語っていて、

それはどういうことかというと
表面的な意味だけではなく
幾重にも仕掛けられた暗喩などを通し
読む人に
様々なイメージを喚起することによって
多様な意味をもたらす。

というようなことだった。

得られるイメージは
その人の人生経験や、思考の枠組みや
あるいは人種や環境などによっても
いかようにも変容するだろう。

それでなお、どこかに普遍的なものがある小説が
きっといい小説なのだ。

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よく小説って、人間みたい。
と思う事がある。
ひともやっぱりそうで、
わたしの体験によると、自分の経験が浅く
見える世界が狭い、たとえば子ども時代に観る人は
いま目に映る人々の像より、ずっと薄っぺらかった。

目立つのは、どちらかというと嘘や欺瞞などネガティブなものだし
すてきなものは、意外と目に止まらない。

一つの嘘の影に、どれだけの真実が隠されているのか
子どもにはわからない。
だから簡単に人を裁いてしまう。

認識の層の深さは、人間的な成長によってのみ深まる。

たとえば天使的な人間がいて
全ての人を美しく見ていたとしても、

ひとりのひとの影が作り出す強さや
そこから受け取ろうとしている愛は
見ることができないに違いない。

「日の名残り」はイギリス人執事の物語で
「わたしをはなさないで」は臓器提供のために育てられた子供たちの話だが
どちらも、テーマとしては
ごく当たり前の、わたしたちの問題を扱っている。

主人公はそれぞれ
感情を表すことができず、職務の中で仮面をかぶって生きている男と
いずれ必ず死すべき人間で
どちらも、わたしたち自身。

それを小説として読むと
不思議と現在の自分を俯瞰で見ているような感覚にとらわれ
自分で自分を拘束している状態も
目的のない生も
どちらも、かけがえのない、なんとも不器用で、すばらしいものに見えてくる。

職務やあるいは、臓器提供のために死ぬなら
そんな人生もいいかも。と思えてくる。

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現代の社会には、文学的な視点が必要なんじゃないかと思う事がある。
どうにもならないことを、どうにもならないままに受け止める力は
科学ではなく、文学によって養われると思うのだ。

イギリスやフランスの政治家に文学者が多いのも
なんとなく頷ける。
答えの出ない問題が
この世界にはたくさんある。

全体に目を配り
より規模の大きな大勢にとって好ましい結論を出し続けるのが政治だと
わたしは思っているのだけど、
近頃は、みんな細部にばかり目がいって
全体としては、ひどくおかしなことになってしまっている気がする。

最近、余りにも人に会いすぎ小説が読めなくなった。
一人の人は、わたしにとって一冊の本のようなもので
人に会いすぎると情報の処理が追いつかなくなる。

そのひとのぶんだけ、物質に、社会に、あるいは宇宙に開いた窓がある。
ひとは、本よりずっと深く
興味が尽きない。



by terasumonnmoku | 2015-11-28 21:23 | 読書 | Comments(0)

宇宙真理哲学講師、らくがきすと、即興ピアニストぷらす社会活動家(過労自死遺族当事者)働くことから世界を変えるをモットーに、さまざまな活動をしています。合言葉はREBORN.大事なのは、生きることだ!


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