タグ:キリスト ( 2 ) タグの人気記事

師匠大津先生の、クリスマス特別セミナーでした(๑'ᴗ'๑)

最近いつもそうですが、
今日も満員御礼。


c0195362_21532021.jpg

たくさんのみなさんと
真理のお話を聴きます♬

今日も先生は絶好調。


内容は深淵だし
波動は高いのに
爆笑の渦・笑。

クリスマスにふさわしく
キリストの話からはじまります。

わたしは幼児洗礼を受けた
生まれついてのカトリック教徒で
ミッションスクールの出身なのですが、

子どもの頃疑問に思っていたことがあります。

それは、もし、この時代にキリストが
再び生まれたとしたら

カトリックの偉い人たちは
たぶん、その人がキリストだとは
絶対にわからないだろう。

というもので、

なぜかというと
身近な宗教者の語るキリストの話には
まったく臨場感がなかったから。

(たぶん、マザーテレサなどは
ちゃんと自分で神を感じることの
できた人なのだと思いますが)

それは歴史上の人物に対する
単なる「憧れ」でしかなく、
偶像崇拝にしか見えませんでした。

彼が「人間」として生まれたこと
こそが重要なのに。

それに、はからずも神たるものが
自分を信じるものと
信じないものをわけ隔てすることが
あるだろうか。

自分についてくる人だけを
天国に入れ、残りは地獄落ちなんて
心が狭すぎる。

きっとキリストはそういう人ではなく
そういう心の狭い部分は
後世の人が
自分たちの都合のいいように
作り変えたでたらめに違いない。

年端もいかない子どもの頃に
わたしはそんなことを、
考えていたのでした。


教会やミッションスクール
で学んだキリスト像より、
大津先生から聞く
キリストのほうが
小さな子供の頃に思い描いた
神の姿に近い。

そのものといってもいい。


そんなわけで、幸せいっぱいな気持ちで
今日はずっとキリスト意識の白いエネルギーと
クリシュナ意識の明るい黄金のエネルギーを
臨場感たっぷりに感じていました。

三時間半、
様々なワークを交えながら
お話が続きます。

あまりにも熱が入って
今日はICレコーダーもついていけなかったみたい・笑。


そして誘導瞑想(エナジーワーク)
徳ちゃんとそれぞれ大きな輪の中に入って
みんなで瞑想をしました(๑'ᴗ'๑)

ありとあらゆる角度から照射される
白と黄金の波動をみんなで味わい
あたらしい年に備えます。

豊かにすべてが与えられている
という波動を分かち合い、
感謝がさざ波のようにあふれます。

奇跡のエネルギーを感じていた時
ミラクルって
わたしたちが宇宙の意思に従って生きていれば
ごく当たり前に起る。

それは形を変えた
黄金のエネルギーなんだ。
と思いました~ଘ(੭´ ꒫`)੭

今年も一年
みんなと学びができて
ほんとうにしあわせでした。

まだ一年は終わっていないけど
きっと新しい年も
ずばらしいものになることでしょう。


c0195362_21534213.jpg


写真は帰り際
みんなで歩きながら見た
定禅寺通りの光のページェント。


日本人がこんなに明かりが好きなのは
みんなほんとうは
自分が光からできていることを
知っているからなんだろうな。









by terasumonnmoku | 2016-12-20 21:46 | スピリチュアル | Comments(0)

福助を育てる

前々回の日記で、三次元のわたしである福助のことを書いた。これを育て始めて、みんなの福助のことが、ようやくわかり始めた。

福助、というのは「人から見える自分」と思っている自分。である。

ゆえにある種の公共性を持っている。

手紙に多用される「大変お世話になり、ありがとうございました。お体お大切に」のような、一般に通用しやすい形。

でもひとはいろんな風に見られたいと思っているので、いろんな形が流通している。
見られたい、ばかりではなく、そもそも的に完全に自分のキャラを勘違いしている人が、ほとんどである。

本当は強引なのに、シャイだと思っていたり、プライドが高く、あまりに多くを自分に要求するがゆえに、だめ人間。と思い込んじゃったり。愛しているのに素直にいえなくて、憎んでしまったり、わたしのように怖がりで小心であるがゆえに人を威嚇していたりする場合もあるので、始末に終えない。

威嚇、といえば、最近あまり偉くなくなってきたせいか、いろんなひとに、いろんなことを言われるようになった。それはどちらかというと教育的指導、や、だめだしのようなもので、以前から自分ではよく言っていたが、人から言われることはほとんどなかったのだ。それを思うと隔絶の感じがする。

ほんとに威嚇してたんだなあ~。。。。

なにか言われてもほとんど気にならなくなった。
前は誰かに言ってもらうたびに、そんなもやもやしたエネルギー状態の人に言われたくない。と一々思ったり、言ったりして、逆切れ状態になっていたが、そういうこともなくなった。

そのひとにしてみればそう、なんだからしょうがない。

わたしの福助はとても素直だ。

おもしろいことに、自分が自分の福助を認め始めると、人の福助がよくわかるようになった。
そうか。存在が薄まったときに活躍していた徳ちゃんは、福助だったんだな。とか。
ほとんどの場合、機能するのは福助だけでいいんだ。とか。

みんながいっている、その人が言われたいことを返してあげる。ということの意味がようやくわかるようになってきた。
福助はとっても便利。わたしは福助使いの達人になるのだ。

目指せお地蔵さん、としては、なるべく余計なことを言わず、ひっそりする練習をしよう。
そしてそのひとが、自分をどう思っているかを聞いてゆくのだ。
みんなが自分をどう思っているか。みんなが周りをどう思っているか。そしてそのひとが自分の分離感を手放してゆく過程で、愛をどう受け止め、あらわし、学んでゆきたいと思っているのか。

みんなに教えてもらって、わたしの福助は、すくすくと成長するであろう。

今までの人生で、人間らしい感覚がわからない。苦手だわ。とずっと思ってきたが、考えてみれば、人間が苦手、なんて変な話である。
やろうと思ったからには、できるはずなのだ。
どんなひととでも、どんなふうにでも、楽しく語り、気を配り、それなりにゆるく関係を結び、真理の話が必要な人には真理が語れるはず。

失敗が怖いから、なるべく得意なことしかしてこなかったし、苦手でもやる、と決めていたからいろんなことが苦痛だった(苦手、と決めてやるんだから当然)けど、別にそんなこと思い込む必要はなかったのだ。

やる場所に自分がいて、そうすることが必要なら、どんなことでもわたしはできる。
楽しく、自分らしく、みんなと調和して。

失敗しようが傷つこうが福助はただの福助なのだ。
誰にも本質を傷つけることなんてできない。
身体は壊せても、魂は壊れない。
以前は自分で自分を傷つけることはできる、と思っていたが、そうではない。

高いあるいは深い部分のわたしたちには、苦しみという設定がない。

十字架に架けられたイエスが言っていたのは、そういうこと。

もともと傷ついていないんだから、癒される必要はない。

(イエスの言葉については過去ログ、イエスとエルコ参照ください)

一歩前に出よう。そして歩き出そう。最初はちょっとどきどきするけど、歩き始めればきっと風景が変わってくる。

というわけでおしまいです。またね。
by terasumonnmoku | 2009-01-15 20:36 | 最新情報 | Comments(2)

宇宙真理哲学講師、らくがきすと、即興ピアニストぷらす社会活動家(過労自死遺族当事者)働くことから世界を変えるをモットーに、さまざまな活動をしています。合言葉はREBORN.大事なのは、生きることだ!


by terasumonnmoku
カレンダー